2010/03/29

"Antigone" (2010.3.26 Oxford Playhouse)

アマチュア劇団だけど、プロ並みの演技に感心
"Antigone"
Oxford Theatre Guild公演
観劇日: 2010.3.26 20:00-22:20
劇場: Oxford Playhouse


演出:Janet Bolam
原作:Jean Anouilh
脚本:Lewis Galantière
美術:Jimmy Keene
照明:David Long
音響・作曲:Bill Moulford


出演:
Jenni Mackenzie (Antigone)
Nick Quarterly (Chorus)
Joseph Kenneway (Creon)
Angela Myers (Eurydice)
Adam Potterton (First Guard)
Alistair Nunn (Haemon)
Cate Field (Ismene)

☆☆☆ / 5

学会で行ったオックスフォードで、Oxford Playhouseという良く知られた劇場で、たまたま上演中で見ることが出来、幸運だった。"Antigone"はもともとソフォクレスによるギリシャ悲劇で、オィディプス王の娘の話だ。色々なアダプテーションがあるようだ。これはフランスの著名な劇作家ジャン・アヌイによる1943年出版、1944年初演(パリで)のバージョンの英訳。オックスフォードで活動するアマチュア劇団による上演。しかしアマチュアと言っても、実体はちゃんとかなりのお金を取り(ストール席で15ポンド)、大変立派な劇場で1週間上演するわけであるから、セミプロと言って良いかも知れない。日本でもプロとアマの混ざった公演は多いし、新劇の劇団の公演も、端役はプロとしては食べていけない若い役者さんがなさることが多いと思うから、そういう上演とそう変わらないレベルだろう。

お話だが、古代ギリシャのテーベを舞台にしている。Oedipus亡き後のテーベを占領したCreon王は、Antigoneの二人の兄弟のうちの一人、Polynicesの遺体を見せしめのために野ざらしとし、腐って行くままにしている。Polynicesの妹Antigoneは、Creonの禁令をやぶって、その遺体をしきたり通りに埋葬しようと何度も試みる。Antigoneの叔父であるCreonは、何とかAntigoneを殺すことは避けたいと、必死で彼女にそうした試みを止めるようにと説得する。しかしその一方で、王としてのCreonは、戦争が終わって間もないこの地で、例え縁者と言ってもAntigoneを特別扱いすることによる政治的な影響を大変恐れ、自分の出した禁令を反故にしてまでAntigoneの我が儘を許すことは出来ない。死を覚悟で、王の権力に抵抗して、兄の遺体を埋葬しようとする若い娘と、Antigoneを助けたくても、国の安寧を顧みると、彼女を助けられないCreonの間に息詰まるやり取りが続く。一方、AntigoneはCreonの息子Haemonと恋仲にある。Haemonは、もし父がAntigoneを殺すようなことになれば、彼も生きてはおれないと宣言して父を苦しめる。一族は恐ろしい悲劇へ向かって、刻一刻と近づいていく。ギリシャ人には勿論、教養のある西欧人にもお馴染みのストーリーだろうと思う。『忠臣蔵』や『四谷怪談』のように物語の悲劇的結末は分かった上で、それをどのように見せるかが、劇の焦点。

始まった途端に、劇の意図を説明する人が出てきて、長々と説明を始めたので、何かと思ったら、これがギリシャ劇で登場するコーラス。でも一人だと、とっさにコーラスとは思わなかった。中世劇に出てくるexpositor(解説者)のような感じである。シェイクスピアでも時々このような人が出てくる(『ペリクリーズ』のガワーは一例)。

前述のストーリーで分かるように、国の権威とそれにたったひとり立ち向かう若いけなげな女性のドラマ。そういう意味で、ジャンヌ・ダルクを思い出させる。しかし、ドラマのエネルギーは、Antigoneのヒロイズムとともに、Creonの置かれた、王としての苦しい立場に大きな力点を置いていて、そこが大変面白い。理想だけでは国の安定は保てない、時には非人道的なことをしてでも、多数の人々の安定した生活を守らざるを得ない、と考えるCreonは、悪役ではなく、悩める為政者である。

遺骸を埋葬しようとする縁者、そしてその死体の持つ政治的意味の大きさに恐れをなす為政者、と考えると、キリストの死後のピラトと、キリストの信奉者やマリアなどの肉親を想い出させる。アヌイの頭には、そういう連想もあったに違いない。また、現在の観客にも、私のように、それを思い浮かべる人はいるのではないだろうか。

面白いのは、この劇が第2次大戦中に書かれ、ナチスドイツ占領下、ビシー政権の治めるパリで上演されたこと。当時の人々は、当然ながらCreonをナチスとビシー政権に置き換え、Antigoneをフランスのレジスタンス運動に見立てたようである。しかし、劇はそう単純に割り切れるようには出来ていない。それは、アヌイのナチスに対する妥協だったのか、それとも、もっとマテリアル自体への彼の洞察に基づいたものだろうか。

上演は概してオーソドックスなものだったが、背景に映像をいくらか使っていた。しかし、いささかちゃちな感じ。映像を使った演劇では、幾らかでもスタイリッシュな雰囲気が出ないとやる意味が無いように思うが、この場合は何故必要なのか分からなかった。衣装もなんともへんてこな、無国籍で、半分モダンな、でもCreonの衣装は現実には使われないようなコスチュームで、中途半端。そういうプロダクションの周辺部分は、やはり素人臭い。但、セットは立派なセット。オーソドックスに重厚なギリシャ風の柱を並べていたし、照明も古代地中海の雰囲気を良く表現していたと思う。

俳優の演技は大変立派だった。特にCreonを演じたJoseph Kennewayは、若い娘の頑固な理想主義の扱いに苦しむ為政者かつ縁者の内面を力強く表現して、抜きんでていた。中年のハムレットである。AntigoneのJenni Mackenzieも大変な熱演だったし、台詞回しについては、間違いも無く、多量の言葉をすらすらと操り、良かった。一方で、声が細くて、キーキーと甲高く聞こえてしまったのは残念。とてもきゃしゃな、少女のような人で、全体的に言って、このエネルギッシュな役の為には、フィジカルな存在感、力強さが足りない感じがした。小柄でもそう言う点を演技でカバーするのがプロだとしたら、やはり、素人と言えるのだろうか。警備兵をやった3人の演技が軽妙なところがあって、なかなか面白かった。特にFirst GuardのAdam Pottertonは印象に残った。庶民は王侯貴族とは違った次元で生き、時には大変残酷に、時には軽妙にふるまうのは、シェイクスピアでも中世劇も良く見るが、ここでもそうである。

日本のセミプロ劇団だと、劇団所属の研修生などを沢山使うせいか、役者さんの年齢構成が若い人に偏ったりすることが多い気がする。その点、この公演は、全て適切な年齢の人がそれぞれの役をやっていて良かった。イギリスの地方都市における演劇文化の広がりを感じさせた。レベルも高くて、アマチュア劇団恐るべしであった。もっとも学園都市オックスフォードは別格なのかもしれない。

(追記)本題とは関係ないが、Oxford Playhouseの来週の公演は、ツアー中の劇で、"Hedda Gabler"。これがAdrian Noble演出、俳優がRosamund Pike,  Tim McInnerny, Robert Glenisterという超豪華なラインナップ。1週ずれていれば、と残念。但、"Antigone"を見させていただいたことには、Oxford Theatre Guildに大いに感謝。更に、"Hedda Gabler"の公演は恐らくWest Endにトランスファーの予定とのことで、期待している。

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オックスフォードに出かけました(2010.3.26-27)

3月26日金曜から27日土曜にかけ、オックスフォードのウースター・コレッジで専門分野の学会が開かれ、出席してきました。着いたのは金曜の夕方4時、そして、土曜は一日中学会でしたので、ほとんど観光はしませんでしたが、多少散歩がてら周辺を歩きました。

これはウースター・コレッジ(Worcester College)の中庭。コレッジの部屋に一泊。外から見ると素敵ですね。でも寮の部屋は、やはり寮の部屋。テレビも無いし、シャワーだけでお風呂も入れません。ホテルと比べるとやはり快適さは格段に劣ります。でも少し(?)安いです。




そして、コレッジの食堂。ここで朝食を取りました。なかなか素敵です。ホテルの食堂よりきれいですね。

着いてから街に出て、アシュモリアン美術館に入りました。これは正面。閉館前に入ったので、大好きなラファエル前派の絵だけ30分ちょっと見ました。ここのラファエル前派の作品は、小品が多いですが、結構沢山あるんです。最近改築されて、とてもきれいな美術館になっています。

土曜朝、1時間ほど町を散歩する余裕がありました。オックスフォード大学の、ボードリアン図書館の前を通りました。

ウースター・コレッジの直ぐそばに、Oxford Playhouseという、割合良く知られた劇場があります。金曜夕方、前を通ったので演目を除いてみると、その夜、フランスの作家ジャン・アヌイの『アンティゴネ』("Antigone")をやるとあり、早速見ることにしました。アマチュア劇団でしたが、結構良かったです。これについては、別項をもうけて、簡単な感想をブログに書きたいと思っています。

学会は、小さい集まりでしたが(30人弱)、私のまさに専門分野の学会でした。私の英語力不足も大きく、又よく知らない作品を論じていたりして内容が分からない発表もありましたが、それでもかなり勉強になりました。著作を読んで名前は知っていた、そうそうたる権威者の先生方が、一堂に揃った感じでした。出席者はアメリカ人が多分2,3人。そして私。他は全てイギリス人です。この国での中世英文学の学会というのは、多くはインサイダーの集まりで、若い院生を除くと、お互いに顔見知りの人がほとんど。最初からファースト・ネームで呼び合って、ほとんど、仲間内の研究会という感じです。外国人がいるとすればアメリカ人か、少数のヨーロッパ人。なかなか溶け込めません。それにイギリス人は無愛想ですからね。でもこちらから何人かの人に話しかけて、多少おしゃべりや質問もしました。自分の知識の不足を気づかされたことも含めて、一定の収穫があったので、来年も行きたいと思いました。

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2010/03/21

"London Assurance" (2010.3.20 Olivier, National Theatre)

役者の腕で見せる19世紀の喜劇
"London Assurance"

National Theatre公演
観劇日: 2010.3.20 14:00-16:40
劇場: Olivier, National Theatre


演出:Nicholas Hytner
脚本:Dion Boucicault (1820-90)
美術:Mark Thompson
衣装:Poppy Hall
照明:Neil Austin
音響:Hohn Leonard
音楽:Rachel Portman
振付:Scarlett Mackmin


出演:
都会人:
Simon Russell Beale (Sir Harcout Courtly, a fop)
Paul Ready (Charles Courtly, Harcout's son, alias Charles Hamilton)
Nick Sampson (Cool, Sir Courtly's valet)
Matt Cross (Richard Dazzle)
田舎の住人:
Mark Addy (Squire Max Harkaway, a country gentleman)
Michelle Terry (Grace Harkaway, Max's niece and ward)
Fiona Shaw (Lady Gay Spanker)
Richard Briers (Mr Adolphus Spanker, Gay's husband)
Tony Jayawardena (Mark Meddle, an attorney at law)

☆☆☆☆ / 5

コメディーが続いて、英語の理解が十分でない私にはちょいと厳しい。しかし、今回もかなり楽しめ、笑えた。今回の劇は、経験として大変楽しみにしていたし、貴重だった。というのは、19世紀の典型的な喜劇のようだからである。19世紀後半、イギリスの演劇界はそれまでにない全盛期を迎えたが、多くは通俗的音楽劇(メロドラマ)とか風俗喜劇だそうであり、20世紀のイプセンやショーなど新しいリアリズムや政治劇の到来と共に忘れられ、滅多に上演されなくなってしまった。文学史や演劇史の本で知るだけである。そう言う中から、今でも見るに値するものを探し出して上演するのも、国立劇場だから出来ること。Thank you, Nick! それもあって、多少分かりづらくても4つ星。

パンフレットによると、作者のDion Boucicault (ディオン・ブーシコー、1820-90)は、役者、演出家、プロデューサー、脚色者 (adaptor) として50年間ほどイギリス演劇界でも最も重要な人物として君臨したらしい。彼が書いたか、脚色した (adapted) 劇はなんと250本に上るそうである。彼の作風は、当時の多くの劇と同じく、'sensation drama'と呼ばれるもの。彼はまた、イングランドで英語で劇作をして活躍した数多いアイルランド出身作家のひとりである。(他には、コングリーブ、ファルカー、シェリダン、ワイルド、ショー、ベケットなども)。

内容はたわいないもの。お洒落な気取り屋(fop)の初老の紳士(57歳だったと思う)で都会人のSir Harcourt Courtlyが、田舎の従兄弟(?)のMax Harkawayの若い姪 Grace (18歳)と金目当ての結婚をたくらんで、召使いなど引き連れて田舎のHarkawayの屋敷に向かう。一方彼の放蕩息子で、借金取りに負われるCharlesも、友人の遊び人Dazzleの入れ知恵でHarkawayのところに避難。CharlesはGraceに一目惚れ、Graceもまんざらではない。一方、破天荒で、狩りの大好きな強者の女貴族Lady Gay SpankerがHarkawayのところにやって来ると、Sir Courtlyは何故か彼女がひどく気に入って、言い寄る。Lay SpankerはGraceとCharlesをくっつけてやろうとして、Sir Courtlyの求愛をまともに受け取る素振りをする。何をやるにもいちいちもの凄く気取った言葉使いと動作でずっこけるSir Courtlyと、ネズミが走り回る屋敷でも平気で住んでいる田舎のジェントルマンやレディー達の対比が、常に笑いを巻き起こしながら、恋と欲(性欲と金銭欲)のどたばた喜劇が進行する。

良くできた松竹新喜劇みたいな感じと言えるだろうか。クロマグロのように太ったSimon Russell Bealeはまさに藤山寛美のように上手い。気取った紳士の馬鹿馬鹿しさをたっぷり楽しませてくれる。19世紀は、スター俳優が劇場を仕切り、有名なスターを見に多くの人が劇を見に来た時代である。この劇は役者の名演を楽しむ劇だと思う。Fiona Shawは昨年の"Mother Courage and Her Children"とかなり似た役柄。子供こそ出なかったが、豪快な肝っ玉母さんぶり。彼女が最初に登場するところは、中世劇『マンカインド』で悪魔のティティビュラスが出てくるシーンを思いだした。「来るぞ、来るぞ、さあ来たーーーっ!」と観客の期待を盛り上げて、楽しませる。その他、昨年のやはりNational Theatreでの"All is Well That Ends Well"でも好演したMichelle Terryも、今回も鼻っ柱の強い小娘の役がよく似合った。半分ぼけて、思いがけないことをしてまわりをびっくりさせるAdolphus SpankerのRichard Briarも非常に楽しい。また、カメレオンのような無機質な顔つきを崩さずに、トカゲが舌を出すみたいに面白いことをチラッと言ったりする従者のCool(Nick Sampson)も大変印象に残る。

英語がはっきり分かると、もっとずっと楽しいに違いないが、それが残念!


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2010/03/16

Ian Rankin (Jack Harvey), "Blood Hunt" (Orion Books, 2002)

Ian Rankinのアクション・ヒーロー
Ian Rankin (Jack Harvey), "Blood Hunt" (1995; Orion Books, 2002) 421 pages

☆☆☆☆ /5 

Ian Rankinと言えば、しばらく前にこのブログに書いた ”Exit Music"などのRebus警部シリーズで有名なイギリスのクライム・ノベル作者であるが、彼はJack Harveyという別名でも数冊の小説を書いていて、これはその一冊(もっとも、このペーパーバック版では、裏表紙に小さく"a Jack Harvey Novel"と書いてあるのみ)。"Blood Hunt"の主人公はGordon Reeveという元SAS(英空軍特殊部隊)の兵士だったタフガイ。非常に危険で、かつ情報のうえでも繊細な作戦を担当するSASは、高度のトレーニングを受けた人材をかかえている。Gordon Reeveはフォークランド紛争に参戦した後、退役し、今はスコットランドでアウトドア・キャンプ訓練をやって、生計を建てている。

ある時、Reeveの兄でフリーランスの調査報道記者Jimが、ロサンジェルスで謎の死を遂げる。地元の警察署の刑事、Mike McCluskeyは事件をよく調べもせず、自殺と片付けるので、Gordonは自分で兄が死に至る経緯を調べ始めた。すると、Jimは、Co-World Chemicalsという巨大な多国籍企業の農薬の問題に関する不正のもみ消しを暴こうとしていたことが徐々に分かる。しかし、Gordonがそうした調査を開始するやいなや、彼にも危険が迫ってくる。Gordonの調査を止めさせ、それどころか、彼の命を奪おうという人々の背後には、巨大な企業の影、そしてまた、Gorodon自身のSAS時代からの因縁ある宿敵が見え隠れしていた。

しばしば息もつかせぬペースで進行する、アクションに溢れた小説。その点では、Rebusシリーズとは趣が違う。しかし、Gordon Reeveの、過去の戦争の爪痕を引きずる陰影あるキャラクターは、Rankinらしく、この作品の大きな魅力。また、彼の宿敵Jayの悪魔的な邪悪さも説得力がある。更に、Reeveのまわりに出没する人物がひとりひとり、とっても個性的で味わいがある。Gordonを追跡する警備会社の社長でロボット人間のようなAllerdyce、その腕利きの部下Dulwater、兄Jimの協力者だった勇敢なフランス人ジャーナリストMarie Villambard、Jimの飲んだくれの友人Eddie Cantona、スコットランドのボート屋で世捨て人のCreech・・・映画にしてもさぞ面白いだろうと思わせるような癖のある人物ばかり。私は普通、アクションものは、映画では見ても、英語の小説で苦労して読もうとは思わないが、Rankin作品らしく人間ドラマが充実しているので、この"Blood Hunt"は大変楽しめた。しっかりしたキャラクター、魅力的な主人公、そしてふんだんにあるアクション––私の大好きなSara ParetskyのV. I. Warshawskiシリーズを思いだした。

イギリスには、Ruth Rendell、P. D. James、Susan Hillなどによる、文学的なクライム・ノベルを書く一群の作家がいるが、人間心理や社会的背景の追及において、Rankinもそうした作家の一人と言えるだろう。但、前者の女性作家達の主人公が、コナン・ドイルやクリスティーの伝統を感じさせる、芸術家肌のgentleman detectiveの風貌を持つのに対し、Rankinの主人公、そして作風は、アメリカ文学におけるハードボイルド小説、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドなどと共通する雰囲気を持っていると感じた。


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2010/03/14

"Private Lives" (2010.3.13、Vaudeville Theatre)

キム・キャトラル、輝く!
"Private Lives"
観劇日: 2010.3.13 14:30-17:10
劇場: Vaudeville Theatre


演出:Richard Eyre
脚本:Noël Coward
美術:Lotte Wakeham
衣装:Poppy Hall
照明:David Howe
音響:Jason Barnes
音楽:Matthew Scott


出演:
Matthew Macfadyen (Elyot)
Kim Cattrall (Amanda)
Lisa Dillon (Sybil)
Simon Paisley Day (Victor)
Caroline Lena Olsson (Maid)

☆☆☆☆ / 5

コメディーは、外国人で英語の聞き取りに大きな壁のある私には苦手なジャンル。それに、もともと日本語でも喜劇は関心が薄い。でもこの劇はとても楽しめた。シチュエーションそのものが面白くて、ジェスチャーだけ分かれば、ジョークが分からなくても、結構くすくす笑えるところもあった。主役、脇役全員名演だったが、特にKim Cattrall演じるAmandaは怒れば怒るほど可愛らしくて、素晴らしかった。"Sex and City"という大ヒットしたテレビドラマ・シリーズで有名な人らしいが、私は始めて見たけれど、なかなか魅力的な女優だ。Kim Cattallと言う名前、この劇のために作られた見たいな。というのは、彼女、本当に猫か豹ののように見える。時に可愛くとぐろを巻き、時にごろごろと喉を鳴らし、しかし時には鋭い爪や牙を剥き出しにする!

Macfadyenも非常に良かったが、甘いマスクで、イギリス紳士の典型を演じる時の彼(最近では、"Little Dorrit")とはまったく違う、身勝手な男性中心主義者(昔の劇と言うことを割り引いても)。ファンにはちょっとガッカリさせる姿かも知れない。しかし、その役柄としては、彼ってこんなにたくましい大男だったんだ、と改めて気づかせられる体つき。ホテルでの素敵なタキシード姿、そして、パリの部屋での洒落た、えらく高価そうな絹のパジャマも、その中に隠されているわがままで、力の強い中年男を薄く覆い隠しているに過ぎない。一旦喧嘩が始まると、こわいこと!こわいこと!Catrallは結構あちこち擦りむいたりしているに違いないと思う。

ストーリーは、リヴィエラのホテルに二組の再婚のカップルがハネムーンに来ていて、たまたま隣同士の部屋になる。楽しいハネムーンのはずだったし、甘い言葉もたっぷり交わされるが、ちょっとしたことで言い争いになってしまう。そこで、一方の組の夫と、もう一方のカップルの妻がベランダに出てきて隣のベランダを見ると、何と彼らの前夫、前妻がいるではないか。それで色々と話をしているうちに、消えたはずの昔の炎がまた否応なく燃え上がり、新婚の相手をほったらかしにして、女性の方(Amanda)が住んでいるパリのアパートに駆け落ち。しかし、激しく惹かれ合う二人ではあるが、もともと離婚した原因もそうだったけれど、一方で性格的に非常に反発もしあう宿命。直ぐに大げんかが始まる。その時に、ホテルに残してきたそれぞれの新婚の相手が2人で追いかけてきて、さて・・・。

男女の(そして同性愛の場合は、男性・女性同士の)愛情って不思議なもので、本当に引きつけ合っていると、例えそれが本人達のためにならないような関係でもなかなか離れられない(ちなみに、作者カワードはご存じの通り、同性愛者)。もの凄い喧嘩をして反発しあいながらも、激しく惹かれあう2人の物語。メロドラマ的なロマンスにもなるだろうが、徹底的にコミカルに描いてある。そもそも、彼らにとっては、喧嘩も怒鳴り合いも、そして以前の離婚も、皆愛情表現なんだろう。そして、検閲のあった時代の劇なので、セックスシーンこそ出てこないが、2人の愛情を突き動かしているのは、激しい肉体的な欲情だということははっきりしている。ステージ上で大げさに繰り広げられる暴力、そしていささか人工的な言葉による罵りあいは、観客の潜在意識に、絡み合う肉体とセックスのあえぎのメタファーとなって届いていくのではないだろうか。

典型的なa drawing room comedyだ。ホテルのベランダと、Amandaの居間で全てのアクションが起こる。時間も、3幕で3つに別れているだけ。各幕の間は、ずっと同時進行だ。言葉も人工的だし、ある意味、ギリシャ悲劇みたいである。喧嘩をしてちょっと相手を殴ったり、手当たり次第にものを投げたりするシーンは、非常に正確にタイミングが合っていて、驚き、かつ感嘆した。

ちょっと脱線だが、この劇の言葉が「人工的」とは言っても、昔のミドルクラスの人々はこういう英語をしゃべっていたのだろうな、とも思わせる。実際、私の知人の70歳代のご夫婦の英語など、極めて優雅。f-wordsはもちろんのこと、怒った時でも、神の名前を使ってswearすることも嫌われるので、こちらも言葉のマナーが良くなる。

こういう劇は、とにかく役者さんの演技力如何と、演出家がそれをどう引き出し、マッチさせるかにかかっているのだろう。この公演はその点、満点。星も5にしても良い(しなかったのは、個人的に喜劇にそれほど関心が無いため)。


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2010/03/07

"Serenading Louie" (Donmar Warehouse 2010.3.6)

ミドルクラスの夫婦の不毛な関係
"Serenading Louie"

Donmar Warehouse公演
観劇日: 2010.3.6  14:30-16:50
劇場: Donmar Warehouse


演出:Simon Curtis
脚本:Lanford Wilson
美術:Peter McKintosh
照明:Guy Hoare
音楽、音響:Adam Cork

出演:
Charlotte Emmerson (Gabrielle)
Jason Butler Harner (Alex)
Jason O'Mara (Carl)
Geraldine Somerville (Mary)

☆☆☆ / 5

現代アメリカの劇作家、Lanford Wilsonの1970年の作品。Lanford Wilsonはアメリカの劇作家としては良く知られている人のようで、Wikipedia英語版にある程度詳しい解説がある。結論から言うと、まあまあ楽しめた。郊外のミドルクラスの夫婦の危機を扱った作品で、"Who is afraid of Virginia Woolf"なんかの雰囲気。ちょっと最後はサム・シェパードみたいなところもあり、やはりアメリカだな、と思う。批評ではかなりひどくけなしているものもあり、Donmarには珍しく空席も幾らかあったが、悪く無かったと思う。役者はとても良かった。

70年代頃(?)のアメリカ。郊外の白人中産階級が多く住む郊外の住宅地。ある家の居間が舞台。やり手の弁護士Alexは政界進出をもくろんでいる。彼の学生時代からの親友Carlは、実業家として大きな成功を治めている。しかし、Alexと妻のGabrielle、Carlと妻のMaryの2組の夫婦はまったく上手く行っていない。仕事中毒で、家に帰ってもすぐに書類を広げるAlexは、妻に興味が持てず、Gabrielleはまったく返事をしない夫に向かって、ひとり虚しく話しかける。Alexの方は、それとなくセックスを迫る妻に、脅威すら感じている一方で、後半では浮気をしているのが明らかになる。日本でもよく話題になる家庭内別居のようなものか。一方、Carlは妻に夢中であるが、Maryは彼に関心を失って愛人を作って定期的に会っている。Carlは大分前からそれを知っているが、2人の間には何か大きな壁があり、なかなかMaryにその事を正面切って話せないでいて、激しいフラストレーションが爆発寸前になっている。自分一代で財産を作り上げたビジネスマンのCarlに対し、Maryは豊かさと育ちの良さを感じさせ、2人の階層の違いがうかがえる。ある夜、2組の夫婦は、一緒に映画を見に行き、その後お酒を飲んだ後別れるが・・・。

舞台となる居間は、どこの国にでもあるような、飾り気のない洋室。特にアメリカの劇、と言う感じがしないのが、suburbiaの特色か? その為にテネシー・ウィリアムズなどにあるようなアメリカらしさが感じられず、外国人の私やイギリス人から見ると、やや薄味に感じられるかも知れず、その点が物足りなさの原因だろうか。しかし、4人の俳優は大戦説得力ある演技を見せてくれて、楽しめた。

タイトルは、Yale大学の歌から取られているとのこと。彼らが、学生時代の追憶から逃れられず、現在の自分達の生活としっかり対峙できていないことを示すのだろうか。

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