2010/10/31

"Passion" (The Donmar Warehouse, 2010.10.30)

ミュージカルは苦手なので・・・・
"Passion"

The Donmar Warehouse公演
観劇日:2010.10.30  14:30-16:10 (no interval)
劇場:The Donmar Warehouse

作曲・歌詞:Stephen Sondheim
演出:Jamie Lloyd
脚本:James Lapine
セット:Christopher Oram
照明:Neil Austin
音響:Terry Jardine & Nichi Lidster for Autograph
振付:Scott Ambler
オーケストレイター:Jonathan Tunick
衣装:Poppy Hall
Musical Director & Piano: Alan Williams
(他に演奏家が8人)

出演:
Elena Roger (Fosca)
David Thaxton (Giorgio)
Scarlett Strallen (Clara)
David Birrell (Colonel Ricci)
Allan Corduner (Doctor Tambourri)
Tim Morgan (Major Rissoli / Fosca's father)

ミュージカルを最後に見たのはいつか思い出せない。そもそも、これだけ劇場に行っているのにミュージカルを見たことがほとんど無いのである(5本程度だろう)。私に向いてない、興味が持てないのだ。このブログの劇の感想を定期的に見て下さっている方は分かると思うが、私が演劇に求めるのは、社会とか歴史、人生の困難な問題(例えば、貧困や狂気)を扱うテキストに基づいたステージである。ミュージカルにもそのような作品がないとは言えない。例えば『レ・ミセラブル』など、そういう面もある。しかし、多くのミュージカルは純粋のエンタテイメントであり、現実を忘れさせるひとときの夢だろう。私が音楽に関心が薄いことも大きな原因。

と前置きが長くなってしまったが、Donmarでやったのでウェストエンドの商業劇場の公演とはちょっと違うかなと思い、久しぶりにミュージカルなるものを見て来た。でも退屈だった。大家Stephen Sondheimの作品、演出は売れっ子のJamie Lloyd。劇評では大変評判が良いようであるが(GuardianもDaily Telegraphも4つ星)、私は「ふーん」とぼんやり見ているうちに終わってしまった。しかし、ちょっとひねった筋で、演出や演技の力量が問われる面白い作品だと言うことは分かった。

ストーリーは、醜く、薄幸で、身体が大変弱いFoscaという夫に捨てられた女性がイタリアの田舎町にすんでいるが、ミラノから仕事でやってきてこの町に駐屯することになった軍人Giorgioに出会い、全身全霊をかけて愛してしまう。一方このGiorgioは、女性なら誰でも心を奪われかねない美男子(俳優のDavid Thaxtonも甘いマスクの、とってもいい男だ)。彼はミラノに美しい人妻Claraという愛人がいて、2人とも又の逢瀬を心待ちにしている。Foscaは命も危ないくらいの病身であるが、その弱々しい身体を酷使して、愛するGiorgioにつきまとって離れない。劇の中盤までは、彼女は、現代で言うところのストーカーのような存在。Giorgioは何とか彼女から逃れたいと彼女を説得するが、Foscaの愛は燃えさかるばかり。無理をするので、彼女の病状は危機的な程に悪化する。しかし、GiorgioはFoscaの命を賭けた愛に打たれ、彼女の心身の健康に段々と責任を感じるようになり、彼女をいたわり始めるが、そのいたわりの心がいつしか別の感情に変わっていくのだった・・・。

主役のFoscaを演じたElena Rogersは、私は見なかったがDonmarで"Piaf"をやってオリヴィエ賞を貰った人。パンフレットの写真を見る限りでは、かなりきれいな方に見える。しかし、真っ黒に染めた髪をひっつめにし、黒っぽい服を着て、目のまわりに深い隈をメークで入れて、病人の修道女とでも言うべき地味で悲劇的な雰囲気の役作りしていた。華やかな美人のClara (Scarlett Strallen) と良いコントラストをなしていた。ステージはイタリア風の茶を基調とした壁画が描かれた壁に、大きな扉が3つという、簡素だが、雰囲気のある舞台。

Foscaは言うならば醜いアヒルの子みたいなもので、劇の終盤では、愛の為に美しく羽ばたく、ということに観客の気持ちの中ではならなくちゃいけないのだろう。しかし私には最後までアヒルの子のままで、彼女が麗しく見える瞬間は来なかった。ただし、確かに最初は狂ったストーカーのようだったが、最後は大変哀れに思えるようにはなった。

ジャンル自体が私には向いてないが、ミュージカルをお好きな方は、楽しまれることと想像する。でもほとんどの批評家が絶賛している一方で、What's on stage.comのMichael Coveneyだけは、2つ星で、ブログのなかには、つまらなかったという人もあるようなので、皆に気に入られるとも言えないようだ。

(今回は私はまったく判断できないので、☆はつけません。)


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2010/10/28

"says"は「セズ」、あるいは、「セイズ」?

もちろん、[sez](セズ)です。でも、今の若いイギリス人は、綴りに影響されてか、「セイズ」という人もいるようです。今日(10/28)の朝のBBCのニュース・ショー、Breakfastによると、今、大英図書館では、イギリス英語の発音変化を調べているそうです。同様の変化として例に挙がっていたのには次のようなものがありました。

ate エイト / エト
H エイチ / ヘイチ
schedule シェジュール / スケジュール
mischievous ミスチィヴァス / ミスチィーヴィアス

前者が伝統的な発音(辞書におけるStandard British)、後者が若い人が言いがちな、あるいは、間違いと思われる発音。しかし発音は常に変化し続けますから、何が正しいかは時代によって変わってきます。scheduleで[ske-]の音で始めるのはアメリカ英語の影響でしょうね。仏語源の単語など、他の語では語頭の[h]音は無くなっていることが多いのに、文字の"H"を読むのには、逆に[h]音を新たにくっつけているのは面白い。これも綴りの影響かなあ。"mischievous"の-v-のあとに[i]の音を入れるのは、Webster's Unabridged Dictionaryによると、substandard pronunciationということになっていますが、何故[i]の音が入る事になるのか、興味深いです。2番目の発音にすると、4音節語として発音されていますね。もしかしたら、"-vious"で終わる他の形容詞の影響でしょうか。結構多いんです。例えば、envious / serious / gregarious / laboriousなど。

この番組のクリップはこちら

視聴者から次々とアナウンサー(こちらでは、プレゼンター)の発音についてもコメントが寄せられ、司会の2人も焦っていました。最近のアナウンサーの発音はおかしい、というのは洋の東西を問わず良く言われることですが、年配者や言葉にうるさい人からみると、いつの時代もそのようなものかもしれません。言葉は意思伝達の道具、大事にしたいです。あまりうるさく言うのも反発を招くかも知れませんが、新奇な表現を追いかけていると、言語の継続性が薄くなり、職場や地域での世代間のコミュニケーションがぎくしゃくします。また、日本語学習者にとっても大変困ります。今の日本語の場合は、何と言っても外来語のカタカナ言葉の乱用が大問題ですね。お年寄りには、分からなくて困っている人も多いと思います。この乱用は、特にビジネス界の人に目につくように思います。また逆にカタカナ表現であるべきところをひらがなで書く人も多くなっている気がします。これは若者言葉でしょうか。

さて英語の発音に戻りますが、外国人学習者の私としては、まずは正しい、あるいは伝統的な発音を身につけたいと思います。日本人として日本語学習者を見ると、ちょっと堅苦しくても折り目正しい日本語を丁寧に話す外国人には良い印象を持ちますからね。


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2010/10/27

"Or You Could Kiss Me" (Cottesloe, National Theatre, 2010.10.26)

リアリスティックな人形劇の試み
"Or You Could Kiss Me"



Handspring Puppet Company公演
観劇日:2010.10.26  19:30-21:10 (no interval)
劇場:Cottesloe, National Theatre

演出:Neil Bartlett
脚本:Neil Bartlett
セット:Rae Smith
照明:Chris Davey
音響:Christopher Shutt
音楽:Marcus Tilt
人形のデザイン:Adrian Kohler

出演:
Basil Jones
Adrian Kohler
Adjoa Andoh
Finn Caldwell
Craig Leo
Tommy Luther
Mervyn Millar
Marcus Tilt
(Adjoa Andohが狂言回し的役割、他の人は人形遣いであるが、同時に台詞も言い、人形とは独立した人物として演技をすることもある。)

☆☆☆/ 5

National Theatreで大好評を博し、ウエストエンドにトランスファーして未だにロングランをしている"War Horse"を作ったのが、Basil JonesとAdrian Kohlerのペアが率いるHandspring Puppet Companyである(私は"War Horse"は見ていない)。日本の文楽は別として、欧米の人形劇というと、子供向けだったり、そのことと少し関係があるが、内容がファンタジックなおとぎ話や昔話であったりすることが多いのではないか。また、"War Horse"のように、動物、あるいは空想上の人や生き物であることも多いだろう。そういう作風からは離れて、この作品はリアリスティックな現代の大人の人生を題材に選んでいる。主人公の2人は、前半生はJonesとKohlerの自伝的要素に基づいているようで、南アフリカ共和国に住むゲイ・カップルである。主な時代と状況は、2030年代、つまり未来、このカップル、Mr AとMr B、のうちBが肺気腫になって命が危なくなって、病院に入院し、致命的病気であると宣告され、病院から追い出されて自宅に戻り、Aに介護をされる。その間、彼らが出会って恋に落ちた60年程前の若き日の想い出がフラッシュバックで挿入される。命が段々枯れていく2人と、今まさに若さの真っ盛りという2人のコントラストが切ない。黒い舞台に浮かび上がる精巧な人形の精密な動き。リアリスティックでありながら、人形であるが故に幻想的でもある。リアリティーのあるアニメのような感じか。あるいは白黒の写真のスライド・ショーをみているようでもあった。

人形は非常に良くできており、かなりリアリステック。動くマネキンと言っても良い。大きさも生身の人間の7、8割くらいの大きさである。しかもお年寄りの人形では、しわとか背中の曲がり具合とか、顔の皮膚が下がっていることとか、そういう事まで丁寧に作ってある。老人のペニスや睾丸も生々しく見えている。セックスも表現される。大体において、ひとつの人形を3人で動かしていた。

生死に関わる大変シリアスな物語であるが、残念ながらかなり退屈だった。私の感情を動かしてくれない。劇評や他の観客の感想もあまりかんばしくない。それは人形劇だから、というより、脚本に力が無いからではないか、あるいは、脚本が人形を見せることを優先して書かれているためではないか、という印象を持った。人形劇でも、かなりシリアスな素材を扱えるのは、文楽を見れば明らか。人形だから出来、人間では出来ない事や、その逆の事を考慮しつつも、人間がやっても人形がやっても、大きな説得力を持てるテキストを使う事が重要ではないかと感じた。

とは言え、人形も人形遣いの技術も素晴らしかった。貴重な試みであり、今後もこうした劇が上演されることを望みたい。

(追記)劇とは直接関係ないが、老齢と病が主題の作品で、そろそろ初老を迎えている私としても、切実な内容だった。私自身、以前は何気なくやっていた日常的な事が出来なくなったり、後で身体が痛んだりする、ごく簡単な作業や外出でも驚くほど疲れる、そういうことが多くなった。例えば先日までの様に、一旦体調を壊すとなかなか戻ってくれない。日常生活も結構大変になってきたなあ。

劇中のゲイ・カップルのいたわり合いが大変印象的。ロンドンの街で見るゲイのカップル、特に年配の人達のむつまじさは、異性のカップルに増して強く細やかな愛情で結ばれているように見えることが多い。彼らは社会的に多くの苦労を乗り越えて来たから、そして結婚という社会制度で縛られることがないので、2人の愛情が唯一の絆であるためだろうか。翻って、自分の性的アイデンティティーを明らかに出来ない日本のほとんどのゲイの人達の不幸も思わざるを得ない。色々困った問題があっても、マイノリティーの人々への寛容度ではイギリスは素晴らしく、日本はかなり閉ざされた国だと感じる。


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2010/10/24

"House of Games" (Almeida Theatre, 2010.10.23)


映画を基にした気楽な娯楽作品
"House of Games"

Almeida Theatre公演
観劇日:2010.10.23  15:00-16:40 (no interval)
劇場:Almeida Theatre

演出:Lindsay Posner
脚本:Richard Bean
原作(映画脚本):David Mamet
セット:Peter McKintosh
照明:Paul Pyant
作曲:Django Bates

出演:
Nancy Carroll (Dr Margaret Ford)
Michael Landes (Mike)
Trevor Cooper (George)
Dermot Crowley (Joey)
Peter De Jersey (PJ)
Amanda Drew (Trudi / Carla)
John Marquez (Bobby)
Al Weaver (Billy Hahn)

☆☆☆ / 5

主人公のDr Margaret Fordはハーバード大卒の秀才で、大学の心理学の先生。また、心理学のベストセラー作家でもある。彼女がギャンブル中毒者としてカウンセリングをしているのがBilly。Billyは最近ギャンブルで大負けして、借金に苦しんでいる、と言う。BillyをたぶらかしているMikeというギャンブラーのいる賭場にMargaretは出かけて行き、Billyの手助けをすると共に、この手のばくち打ちを観察して、謂わば、専門の研究対象とするつもりだったようだ。ところが、彼女はMikeの男性としての魅力に取り憑かれ、冷静な心理学者として観察をするつもりが、いつの間にか、Mikeと彼の率いるペテン師一味の共犯に仕立て上げられていく。しかし、観客がそう思ってやきもきしていると、更に思わぬ展開が待っていた・・・。

逆転に次ぐ逆転ー意表を突いたどんでん返しを楽しむ娯楽作品。BBCが制作し、日本でもNHKで放映された、Adrian LesterやRobert Glenister主演の「華麗なるペテン師」("Hustle")というドラマがあったが、ああいう感じの洒落た娯楽作品。多くの観客は楽しそうにくすくす笑いつつ見ていたが、私の好みとしては、テレビで見れば充分、という程度の話で、劇場にわざわざ出かけることもないと思った。でも娯楽性溢れる劇を好む方にはとても良い作品かもしれない。

役者はとても良かった。小気味よいテンポ、きびきびした台詞のやり取りが大事な劇だが、大変うまく噛み合って、ユーモアをかもし出していたと思う。特に、主演のNancy Carrollは、今年National Theatreの”After the Dance"で主演し、好評を博した人だが、繊細な表現のできる、大変魅力的な女優。ペテン師Mikeを演じたMichael Landesの二枚目ぶりも良い。お話は私にはつまらないが、俳優陣の演技を買って、☆は3つ。

劇に行くのはロンドンに戻ってきて以来初めてで、この作品は好みではなくても、劇場に行くこと自体はとても気分転換になり、楽しい午後を過ごせた。

(追記)見て損の無い楽しい作品ではある。しかし、AlmeidaのようにArt Councilから多額の公費補助を得て運営されている劇場で、こういうウェストエンドの商業劇場と全く同じような作品をやる必要があるのだろうか。また、映画の焼き直しというのも気になる。テネシー・ウィリアムズの映画のように、芝居にしても定評がある作品もあるが、しかし若い作家を発掘したりあまり上演されない古典を見いだしたりするのが、Almeidaのような劇場の役割ではないだろうか。Daily TelegraphのCharles Spencerは4つ星をつけていたが、Michael Billingtonは2つだけだったのも、そんな事も理由にあるようだ。似たような性格の劇場であり観客層も共通するDonmarと比べて見ても、いやNationalと比べてさえ、Almeidaは最近どうも覇気に欠けるような印象を持つのは私だけ・・・?


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2010/10/21

Anne Tyler, "Noah's Compass" (2009; Vintage 2010)

初老の男性の生き方探し
Anne Tyler, "Noah's Compass" (2009; Vintage 2010), 277 pages

☆☆☆☆/5

アメリカ合衆国の小市民の生活を淡々と描く作家Anne Tyler。彼女の小説は英語も易しく、変わったテクニックを使わない伝統的な小説で、そんなに努力しなくても気楽に読める。しかし、しみじみとした味わいがあり、根強い人気があるようだ。イギリスでも、地味だしアメリカの小説なのに結構色々な本屋で何冊も並んでいるのを見かける。

この小説は2009年出版であるから、多分最新作だろう。Anne Tylerは1941年生まれなので、彼女が60歳代後半で書いた作品である。テーマのひとつは退職後の人生の過ごし方だ。主人公のLiamは60歳の元学校教師。結婚は2度しており、一度は妻が早死にし、もう一回は離婚。彼らとの間に娘が3人いるが、独立したり、別れた妻と一緒に住んだりしていて、彼自身は今はひとり暮らしである。彼の趣味はギリシャ・ローマの哲学書を読むこと。大学では哲学を専攻し、博士論文も書きかけたらしい(しかし、家庭や仕事の為に、論文を完成できないままになってしまった)。その後、生活の為に歴史の教師として60歳になるまで子供達を教えてきた。ところが勤務していた学校で予算削減のために歴史の教師をひとり減らすことになり、ほぼ自発的に貧乏くじを引いてしまい、定年を数年後に控えて、解雇されることになった。

まわりの家族などは彼が当然次の仕事を探すものと思っていたが、彼はそこそこの蓄えがあり、また特に働きたいという意欲も感じず、これからはのんびりと日がな一日哲学書など読んで暮らしたいと思って隠退生活に入る。節約のために、今までより小さなアパートに引っ越したが、その引っ越した当日の夜、眠りについた後、次に目を覚ました時は病院のベッドの上だった。夜の間に何か重大な事件が彼に起こり、頭に打撲傷を負ったのだが、何が起こったのか、その間の記憶だけがすっかり消えてなくなっていた。

短い時間だけとは言え、この記憶の空白は彼の気持ちを著しく乱す。無くした記憶を取り戻したいと思っているうちに、彼はふとしたことからEuniceという、自分よりかなり年齢の低い女性と知り合い、お互いに一目惚れとも言える気持ちを抱き、彼の人生は思いがけない方向へと展開し始めた・・・。

Liamは温厚で、ちょっと偏屈で、地味で、かなり没個性な初老の元教師。友達と言えば前の職場の同僚Bundyのひとりだけ。しかし、面倒な人付き合いをするよりも、のんびりひとりで暮らした方が性に会っているようだ。家族としては、父親、弁護士の妹がひとり、そして3人の娘達と孫がひとり、そして離婚した妻。前妻も含め、そうした家族とも、特に仲が悪いわけではない。しかし、彼らは何か必要がある時以外は彼に連絡しては来ない。毒にも薬にもならない平々凡々たる男性だ。人と対立するのは大嫌いで、強く自己主張することもなく、家族に対しても何でも譲ってしまう。別れた妻のBarbaraからも、あなたは必要以上に自分の欠点を認めてしまうのね、と呆れられている。このシーン、よく書けているので引用してみる:

"But!" he [Liam] told her. "As for Kitty [his teenage daughter]! You know, you might have a point. I would probably make a terrible father over the long term."
  Barbara gave a short laugh.
  "What," he said.
  "Oh, nothing."
  "What's so amusing?"
  "It's just," she said, "how you never argue with people's poor opinions of you. They can say the most negative things--that you're clueless, that you're unfeeling--and you say, 'Yes, well, maybe you're right.' If I were you, I'd be devastated!"

だけど、実際の彼はclueless (手のつけようがない)でもunfeeling(冷たい)でもない。ただ、自己表現が下手、あるいは自己表現、自己主張をしたがらないだけで、実は大変暖かい人物なのである。

物語は、このほとんど愚鈍なまでに不器用なLiamと、やはり不器用で、それまで自分が理解されていると感じることなく生きてきたEuniceとの間に芽生えたひとときの恋愛を軸に、反抗期の娘Kittyとの同居、既に結婚し子供もいる娘で原理主義的クリスチャンのLouiseやLouiseの賢い息子、つまり彼の孫Jonahとの関係など、家族とのやりとりを挟みつつ展開する。が、しかし、それ程大きな事件も起こらず、Liamが今までの人生を振りかえりつつ、段々と自分の老後の生活のペースをつかみ、落ち着くところに落ち着くというストーリー。

60歳の地味な男性、真面目くさった元教師で、首になった失業者。浮気もしたことがなく、お洒落でもハンサムでもなく、金持ちでもないが生活に困るほど貧乏でもない、特に面白みもない、しかし見ようによってはなかなか味のある、暖かい人柄。Liamとふたりきりになると、何を話して良いか話題に困りそうだ。そういう人を主人公に据えてじっくり描く。だから、それだけで、ひどく退屈そうに思う人もいるだろう。実際、大学生など若い人が読んでもおそらく退屈するだろう。しかし、年代の近い、元教師の私にはとても面白く、共感しつつ読めた。

Liam自身の人柄同様、この小説は隠れた、小さなユーモア、ささやかな感情の発露に満ちている。ゆったりとした気分で読み、静かな気持ちで読み終えることが出来る作品だ。

なお、タイトルのいわれは、作中で、孫のJonahに聖書のノアは箱船に乗ってどこに行こうとしているのと尋ねられ、Liamは、ノアには目的地はない、ただ沈まないように浮いているだけで良いのさ、だからコンパスは要らないんだ、と答えるというやりとりから来ている。今のLiamも、あたふたしつつも、何とか浮いていようとしているわけである。

私は旧ブログでも一冊Anne Tylerの小説、"The Accidental Tourist"、の感想を書いています。


Rory Clements, "Martyr" (2009; John Murry, 2010)

シェイクスピアと言う名の探偵
Rory Clements, "Martyr"
(2009; John Murry, 2010)

☆☆☆/5

日本に帰省中に読んだ本だが、読み終わってもうかなり時間が経ってしまっているので、記憶が大分薄れてきた。でも結構楽しい本だった。肩の凝らない娯楽小説としてお勧めできる。

主人公がJohn Shakespeareというので、謂わばシェイクスピアに便乗した歴史捕物帖。このJohn君はWilliamの兄貴と言うことになっているが、これはいささか疑わしい。実際のWilには2人の姉がいたと思われるが、彼らは赤子のうちになくなり、生き残った兄弟姉妹としては彼が一番上というのが一応の定説のようだ。但、長子はJone Shakespeareという記録だそうで、そうすると、Joan (女)かJohn(男)か、という解釈の幅が出来るのだろうか。ちなみに、Wilの父はJohnという名前である。劇場やら演劇人の世界を舞台とした推理小説かな、と思って楽しみにしていたのだが、そういう世界はほとんど出てこず、前半を読んだ所くらいでは、この主人公とBardとは関係ないのか、と危うく思いそうになったが、後半で弟があまり重要でない(でも物語を進める上では無くてはならない)役で出てくる。

お話は1587年を舞台としている。エリザベスの治世。物語が始まる時にはまだ生存しているが、Mary, Queen of Scotsが幽閉されており、この年に反逆罪で処刑されることとなる。また、翌年88年にはスペインの無敵艦隊(The Spanish Armada)がイギリスに侵略しよう年、ネルソンに指揮されたイングランド艦隊に殲滅されるという、イギリス史上最も輝かしい出来事が起こる。John Shakespeareはエリザベスの寵臣で、謂わば諜報局長官のような役割を担っていたSir Francis Walsingham(これは実在した、歴史上も重要な人物)の主要な部下のひとりである。カトリック君主であるスペイン王はイングランド海軍のかなめであるNelsonを暗殺しようと刺客をイングランドに送り込んだとの情報がWalsinghamに届く。またその正体不明の刺客が訪れたと思われる先々で、極めて残酷な連続殺人事件が起こる。WalsinghamはJohn ShakespeareにNelsonの警護、刺客の逮捕、そしてこれらの殺人事件の解決を指示する。しかし、エリザベスの信頼するもう一人の諜報官的人物で、カトリック教徒の残虐な迫害で名を馳せたRichard Topcliffe(実在した)がことごとくJohnの邪魔をする。Johnは穏健な人間で、ひとつひとつ証拠や証言を積み重ねて事件を解決しようとするが、Topcliffeは当時は当然であった拷問を使って犯人を追い詰めようとし、Johnの生ぬるさをあざ笑う。それどころか、Topcliffeはサディスティックな性格で、拷問をすること自体を楽しんでいる気配まである。このあたりは、9/11以降の、国家安全保障をめぐる米軍やCIAの諜報戦略を色濃く繁栄していると言える。

Rory Clementsは年配の作家で、この小説が第一作。作家になる前はジャーナリストだったそうである。文章は書き慣れているわけで、第一作目とはとても思えない器用さを持っていて、読者を飽きさせない筆致。時代背景も良くかき込まれているが、登場人物が大変個性的。特に売春婦や彼女らのポン引き、Johnの人の良い助手など、下層の庶民の描写が生き生きしている。 豪放磊落なNelson、慎重な政治家Walsinghamなどの性格描写も良く出来ている。28歳のJohnはカトリック貴族の侍女と恋をするなど、ロマンスでソフトな色をつけることも忘れていない。更に、当時の世相や政治を背景に、激しい暴力犯罪や拷問も描く。色々な面でサービス精神たっぷりのテンターテイメント小説。エリザベス朝を舞台にした探偵小説としては、C. J. SansomのMatthew Shardlakeシリーズが傑作として思い浮かぶ。Sansomほどの迫力は無いが、歴史探偵小説の好きな人、エリザベス朝の歴史に関心のある人にとっては、読んで損は無い作品。まだhardcoverだが既に続編が出ているようであり、今後もシリーズとして続くようなので、これからはかなり演劇の世界も出てくるのではないかと、私も以後の作品を楽しみにしている。

Rory Clementsはオフィシャル・ウェッブサイトを開設しており、この小説のことだけでなく、作品の時代背景などについても手短に纏めてあって歴史の勉強にもなる。


2010/10/20

The York Mystery Plays 2010 (3):後半


The York Mystery Plays 2010 :後半
At the Eye of the York (at the square in front of the Clifford Tower of the York Castle) 2010.7.11

まだの方は、まず「The York Mystery Plays 2010 (1):イントロダクション」のポストを読んでください。劇の物語やその背景等について説明していたらきりがないので、ここではプロダクションの特徴についての私の感想のみとしています。

広場に近づいて来る後半最初の劇のパジェント・ワゴン。


(後半)
(1) The Tapiters (person who wove worsted cloth) & Couchers (person working in paper making trade) Pageant of The Prophetic Dream of Pilate's Wife
by York Settlement Players in association with
the Company of Merchants of the Staple of England
17:15-45

「ピラトの妻の予言的な夢」

ローマ総督ピラトは、キリストの裁判をする。しかし、彼の妻はキリストを殺害するのは危険であると、夢の中で悪魔に告げられ、ピラトにキリストを死刑にしないようにと伝言する。キリストは死ぬことにより人類の現在を償うという使命を帯びているので、それを成就されれば悪魔にとっては都合が悪いからである。

ピラトの大言壮語(rant)で始まる。ピラトは堂々として豪華なコスチュームを身につけ、有力者らしい雰囲気。ピラトの妻, Proculaも紫の目立つ衣装で、華やかで誇り高い貴婦人の雰囲気。2人のいちゃつく様子はユーモラスで観客の笑いを誘っていた。裁判所の役人(Beadle)は真面目臭い、しかめ面をした、テキストでもうかがえるような官僚的な事務官。Proculaは彼から追い出されて不機嫌。
ひとつのワゴンにふたつのloci(上演スペース)を作って(ピラトの宮廷の玉座と自宅の妻のベッド)、カーテンで囲んである。中世劇におけるカーテンの使用について考えさせられた。舞台全体を隠したり出したりするプロセニアム・アーチの劇場のカーテンと違い、こういうベッドや玉座の天蓋から垂らすような日常で見られるカーテンを演劇的に用いることがなされた可能性は高いと思う。
悪魔は黒いコスチュームで、顔は緑に塗り、なかなか恐ろしい風采。
ユダヤの聖職者アンナス(Annas)やカヤパ(Caiaphas)は女性。中世のクリスチャン聖職者風でなく、ユダヤの司祭と分かるようなコスチューム。キリストは青い服。
ワゴンの上以外のスペースも広く使っていて、地位の違い、訪問者と裁判官の差、などもある程度表現。ピラトはワゴンの上の玉座、ユダヤの祭司は地面の上に立ち、beadleはその間を行ったり来たり。キリストと兵士も地面の上。



(2) The Shermens Pageant of Christ, Cruelly Beaten and Led Up to Calvary
by The Company of Merchant Taylors
17:54-18:12

「ゴルゴダ(カルバリ)の丘を引き立てられて登るキリスト」

ゴルゴダの丘を引き立てられるキリスト。聖書におけるように鞭打たれ、嘲られる。

ワゴンは道具を運ぶのが主な使い道で、ワゴンを組み込みはするが、かなり大きなセットをその場で組み立てた。
第一の兵士は大変台詞が上手く、悪漢という感じが良く出ていた。
今回の衣装は皆中近東風、様々の頭巾を使っている。
十字架を運ぶのを手伝わされる商人のSimonは豪華な衣装を着て、太ったいかにも豊かな商人風の人物にしてあった。



(3) The Pinners Pageant of The Crucifixion with the Butchers Pageant of The Death of Christ
by The Company of Butchers with the Parish Church of
St Chad on the Knavesmire
c. 18:18-42

「キリストの磔刑と死」

キリストは十字架に釘で打ちつけられ、彼を乗せた十字架を兵士達が縄で持ち上げて経たせる。キリストは人々に呼びかけた後に息を引き取る。

この劇では小さなワゴンだが、しっかりした木材を使った重厚な造りで、大変に重そうである。今までで唯一、殺陣に置いて使う(進行方向を前にしている)。重厚なワゴンが必要なのは、十字架をこの上に立てるための土台になるから。
十字架上のキリストの台詞は、聴衆に直接呼びかけ、なかなか説得力に富んでいて、観客ひとりひとりの内面に呼びかけていた。マリアの嘆きと共に、感動的な、サイクル全体のクライマックスとも言えるシーン。
アリマテヤのヨセフ(Joseph of Arimathaea)達はキリストの体に紐状にして使った長い布を巻き付けて、遺体を十字架から降ろした。







(4) The Scriveners Pageant of The Incredulity of Thomas
by The Guild of Scriveners
18:50-19:05

「キリストの弟子トマスの疑い」

劇が始まる時点でキリストは既に蘇っている。そのキリストの再生を信じられない弟子のトマスに対し、キリストは自らの身体の傷に触れさせる。

The Crucifixionは若いキリストが出てきたが、今回は前の劇のキリストより15歳程度は年上の、40代後半(?)俳優。ややギャップの不自然さを感じる。劇の内容も素朴だが、今回は少人数の素朴なプロダクション。
劇の始まりに置いて、Thomasはワゴンから10メートル以上離れたところから台詞を言いながらワゴンに近寄ってきて、その点が印象的だ。




(5) The Mercers Pageant of The Last Judgement
by The Company of Merchant Adventurers※
    with Pocklington School
19:22-52

「最後の審判」

Mystery Playsの大団円。これは未来の出来事だ。最後の審判の日、良き魂と邪悪な魂が天使と悪魔によってキリストの右と左に分けられて、天国へ登る者と永遠に地獄落ちする者に二分される。我々観客のその中に含まれるというメッセージが込められている。

 サイクルの最後を飾る劇で、長いし、力を入れた上演。
真っ黒なコスチューム、足の先に高下駄みたいなものをつけ、黒いヘルメットを付けた悪魔に先導されて、大人数の登場人物からなる行列がやってくる。なかなかドラマチックな始まり方。
最初全員でヨークシャーの(?)フォークソングを歌い、ローカル色を出す。
このグループはコスチュームがとても凝っていて、お金もかかっており、効果的だ。特に仮面が良い。ステージも印象的。
生の演奏や効果音が上手く生かされ、素晴らしい。
大きな叫びと共に、邪悪な魂が悪魔によって連れ去られる。これは中世の客にとっては恐ろしい光景だったに違いない。悪魔が観客のなかにも入り込んできて恫喝もし、ステージの光景と観客の将来の運命が連動していることを感じさせるような仕組み。
キリスト役の役者が残念ながら威厳を感じさせず、それが玉にきず。
中央の神の左右にずっと立っている2人のマスクと羽根をつけたエンジェルが実に印象的。
キリストが最後には非常に怖い裁判官ぶり。
終わりのほうでは、魂たちが客席に入り、観客の手を取って一緒に演技の中に入り、ぐるぐると回る。これは死の舞踏の変形か。
また、皆でフォークソング風の歌を合唱。貴方たちも皆同じ運命です、と言いたげな幕切れ。
最後は父なる神の厳かなスピーチ。
この劇は本当に良く出来ていて、大団円に相応しく、深い満足感を得た。

(※ "merchant adventurer" : merchant who establishes foreign trading stations and carries on business ventures abroad; especially : a member of one of the former English companies of merchant adventurers operating from the 14th to the 16th centuries)






全体を振り返って:

様々なグループがそれぞれの制作・演出意図の下に作っているので、統一感に乏しい。非常に優れたプロダクションとかなり甘いものとの落差も大きい。コミュニティーのより多くの人、例えば小さな子供達などの参加を優先させたような作品と、最終的に観客に訴える力を優先させたもの、コスチュームや音楽、セットのつくりなどの差がかなりあった。しかし、こういう劇は元来中世においても、各ギルドに任されていたので、そうあるべきかも知れない。ただ、日本のお祭りの山車や子供歌舞伎のように、職能ギルドが自分達の宣伝の機会として利用したのでもあっただろうから、昔はもっと明白に山車やコスチュームの豪華さを競ったのではなかろうか。

日本の山車の上での歌舞伎の場合、そもそも山車の豪華さ、その特定の姿形、そしてそれから来る制約が大変大きい。しかし、あの山車が全体の統一感を生むし、そもそも多くの山車のモデルは神社であろうから、あれが主役で、その上に載せるものはオーナメントである。建物やセットの一部としての出し物があると言って良いだろう。また、皆歌舞伎であることもやはり統一感を生む原因。音楽などもそれにより制約される。それに対し、この現代のヨーク劇は、パジェント・ワゴンはあくまでもバックグラウンド。単にセットを運ぶだけの役割しかしていない場合まである。

とは言え、大変楽しい午後だった。特に「キリストの磔刑と死」や「最後の審判」などには圧倒され、感動した。日頃テキストでしか接することの出来ないThe York Mystery Playsをこの目で見ることが出来たのは、幸せだった。上演した各団体の方々に感謝したい。

以上でThe York Mystery Playsの3回のレポートは終わりです。全てお読み下さった方、ありがとうございました。なお、写真や文章を使われる場合は、用途など、予めご連絡下さい。


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2010/10/17

The York Mystery Plays 2010 (2):前半

The York Mystery Plays 2010 :前半

At the Eye of the York (at the square in front of the Clifford Tower of the York Castle) 2010.7.11

まだの方は、まずこのポストの前の、「The York Mystery Plays 2010  (1):イントロダクション」を読んでくださると、幾らかはこの上演の背景が分かります。劇の物語やその背景等について説明していたら非常に長くなるので、ここではプロダクションの特徴についての私の感想のみとしています。

開始は12時とウェッブサイトにあったが、それは最初の上演場所のDean's Parkで、私がチケットを買っていたThe Eye of Yorkは最後の上演場所であったので、14時15分くらいからだった。以下の劇の時間は大体の目安。

The Eye of Yorkでの観客席の様子。ここは有料だが、このまわりの芝生に立ったり座ったりして無料で見ることも出来る。


最初のパジェント・ワゴン(山車/曳山)が到着し、上演準備をする人々。「天地創造」のペイジェント。


楽隊が劇の開始を告げるファンファーレを鳴らす。


(1) The Plasterers Pageant of The Creation of the World to the Fifth Day
by the Guild of Building
14:15-30

「天地創造から五日目まで」

ワゴンは約8人で動かしていた。軽々と動いていた感じ。楽隊が4人。
絵を描いた板のパネルを神の言葉に合わせて動かして、ユーモアたっぷりに天地創造を見せる。謂わばtableaux vivants/紙芝居。鳥だの鯨だのライオンだのが描かれたパネルが出てきて、客は大喜び。台詞があったのは神だけ。神を演ずる俳優のろうろうとした声が素晴らしい。時々その神が水筒から飲み物を飲んで喉を潤したり、巻物を見て台詞を確認したりしているところも笑いをよぶ。



(2) The Armourers Pageant of The Expulsion of Adam and Eve from the Garden of Eden, with the Glovers pageant of The Tragedy of Cain and Abel  
by the Guild of Freemen
c.14:35-?(終わった時間をメモしていなかったので)

「アダムとイブの楽園からの追放」

舞台は極めてシンプル。アダムとイブがエデンから追放されるシーンで始まる。Angel(女性)が二人に説教。アダムがイブに責任を押しつけようとするところで大きな笑い声が起こる。アダムがイブに対し、「女の話を信じてはならんな」というところでは、観客(女性?)からブーイング。Cainは観客に対し、God's curse right on you!と罵って劇を閉じる。そこでブーイング、そして拍手。こういう観客とのやり取りがいかにもミステリー・プレイらしい雰囲気をかもし出す。



(3) The Parchmentmakers & Bookbinders Pageant of Abraham and Isaac
by York St John University
?-15:20

「アブラハムとイサク」

旧約聖書のエピソード。アブラハムは神に息子のイサクを犠牲として捧げるように命じられ苦しむ。イサクはキリストの予示。

女性だけの5人で演じる。布を上手く使い神やAbrahamその他の男性のキャラクターを表現。台詞のdeliveryは大変様式化されていた。Isaacの両手を棒にくくりつけ、十字架を背負っているように見せる。その後、目隠しをする。



(4) The Pewterers & Founders(鋳造業者) Pageant of Joseph's Troubles about Mary
by Heslington Church
c. 15:25-45

「マリアの懐胎についてのヨセフの悩み」

ヨセフは、マリアが妊娠したと知って、誰の子かと悩むが、天使が現れて、マリアは処女懐胎であり、神の子を宿していると教えられる。

天使の役でとても小さな子供も出てきて、微笑みを誘う(台詞は無し)。幼稚園児から小学生程度の子供が8人も出て、それが大きな魅力(森の木や天使の役割)。教会のグループらしい個性。
最初からこの劇まで、大体においてシンプルな、中世風のコスチューム。
こういう素人の魅力を発揮するコミュニティー・グループもあって良いと思うが、一方で、ミステリー・サイクル全体の統一感や芸術的完成度はさして大事にされていないとは思う。



(5) The Girdlers (person who made girdles and belts of leather, mainly for the Army) & Nailers Pageant of the Most Tragic Massacre of the Innocents
by Aquare Pegs Theatre Company, St Peter's School
c. 15:50-16:20

「嬰児虐殺」

新しい王が生まれると聞いて恐れたヘロデ王がベツレヘムの全ての男性嬰児を手下の兵士に殺させるという良く知られたエピソードの劇化。

このグループはワゴンをワゴンとしてはステージを運ぶだけの為に利用。その上に白い布を掛けて、車輪を全く見えないようにしてステージにした。また、スピーカーで音楽や効果音を鳴らし、コスチュームも現代服。兵士は現代の迷彩色の軍服と軍用ヘルメット。
不気味な子供のパペットが最初に出てくる。
帽子を子供に見立て、兵士が押しつぶす。女達は一斉に絶叫し、かなりドラマチック。音楽も使用(ヴァイオリンとアコーディオン)。軋むような不協和音が不吉な雰囲気を醸成。
最後にステージには人形の子供だけが残される。他の俳優は厳かに去っていく。カーテンコールもない。大変印象的で良く出来た劇。



ステージを準備中の様子



(6) The Curriers(皮の仕上げ職人) Pageant of The Transfiguration of Christ
by the Lords of Misrule
14:16-30

山上のキリストの変容(マタイ伝17. 1-9)の劇化(イエスは3人の弟子だけを連れて山に登るが、そこでイエスはモーセとエリアと語り合う)。

ユーモアたっぷりの口上を述べつつ、ステージを巧みにもり立てる。手慣れたグループらしさ。劇は地上のオープンスペースを使って始められる。
台詞のデリバリーが全員素晴らしく、声も良く通り、単純な劇でドラマチックなシーンもほとんど無いが、とても説得力があった。キリストは多分20歳代後半の割合若い小柄の人。衣装は中世風。



(7) The Cordwainers (shoemakers) Pageant of Christ's Agony in the Garden and of His Betrayal into the Hands of His Enemies by Judas Iscariot
by The Parish Church of St Luke the Evangelist
16:36-?

「キリストの懊悩とユダの裏切り」

キリストは自らの使命(間もなくやってくる受難と死)を前に苦しむ。弟子のひとりユダは、主人をユダヤ人に売り渡す約束をする。

衣装は中世風。
非常に多くの人々が参加。合唱隊として12人が出る。教会の合唱隊そのままかも知れない。前回のキリストとはかなり違い、今回は40歳代後半くらいに見える年配の頭の禿げた男性。別のグループがやっているので、こういうずれが出るのは仕方がないが、違和感がある。
年配の人ばかりが主要な役をやっているせいか、演技のレベルは割合高いように見え、ドラマティック。
カヤパとアンナスは中世のキリスト教の聖職者(司教のような)雰囲気の衣装でまぎらわしい。しかも、アンナスは女性。テキストでは感じるようなこの二人の邪悪さは感じられない。
最後は全員の賛美歌の合唱で終わり、教会のグループらしい幕切れ。




この劇で前半が終わり、30分ほどの休憩が挟まれた。(後半は、数日以内に掲載します)

この上演や、同様の地域に伝統的に伝わる聖書劇(例えばオーバーアマガウにおけるキリストの受難劇)、中世劇等の上演を見た方、研究されている方、また大学等で勉強・研究されている方、今後の私の勉強の為にもコメントをいただければ幸いです。

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2010/10/16

The York Mystery Plays 2010 (1): イントロダクション

The York Mystery Plays 2010:(1) イントロダクション

At the Eye of the York (at the square in front of the Clifford Tower of the York Castle)
2010.7.11

イントロダクション

以前にも書いたように、今年の7月11日と18日、北部ヨークシャーの古都、ヨークで中世の聖史劇(Mystery Plays)が上演された。中世から近代初期イングランドで行われていた聖書を題材にした一連の劇で、類似の聖書劇は、ヨーロッパ大陸の各地、そして大航海時代にキリスト教宣教師がわたった植民地(例えば南米やフィリピンなど)でも行われていた。大抵の国や地域では、近代の訪れと共に、宗教改革のために廃止されたり、経済的要因で上演が出来なくなったりした。イングランドを含むイギリスでは、14世紀後半から大変多くの都市でMystery Playsや類似の聖書劇が行われていたが、遅くとも16世紀後半には、全て宗教改革等の為に上演されなくなった。しかし、20世紀になって、各地でこのいにしえの文化を復興する運動が起こり、地域の一般の人々を中心として、丁度日本のお祭りにおける芸能のように、再び行われるようになった。更に、Royal Shakespeare CompanyやNational Theatreなどのsubsidized theatresでも何度か上演されている。不定期の上演や短い、一部だけを取り上げた上演まで含めると毎年イングランドや北米のどこかで複数の上演がなされていると言って良いだろう。Mystery Playsについて細かく説明するのはこのブログではとても出来ないので、詳しくは、York Mystery Playsの公式サイト(英語)やウィキペディアやブリタニカ等の記述を読んでいただきたい。

ヨークやチェスターなどのMystery Playsは、ひとつの劇ではなく、たくさんの短い劇(ヨークの場合、Richard Beadleのエディションによると47作品)を次々に上演することによって、聖書の天地創造からキリストの生誕、受難と昇天を経て、最後の審判の日に至る壮大な歴史を描いている。今回のYorkでのように、現代の上演に置いては、それらの多くの劇から主要なものを選別したり、複数の劇の台本をひとつにまとめたりといったアレンジを行った上で上演することが多い。また英語も当時の中世の英語ではなく、観客に分かるように現代の英語に直してあることがほとんどだ。但、全ての劇を出来るだけ当時のままに上演しようとする試みも稀にある。中世のヨークにおける上演実施団体は職業別の組合(guildと呼ばれる。例えば織物商組合とか、大工の組合など)。組合とは言うが、現代のような労働組合ではなく、同業者の団体であり、現代日本のお祭りに参加する商店会とか地元企業の有志などに近いかもしれない。以下のメモに示しているように、今回のYorkの上演の上演団体は、中世同様、ヨーク市の幾つかの職業組合に加え、大学等の団体、アマチュア劇団、教会のグループなど、地元の一般の人々である。以下の最初の劇(Pageant)を例に取ると、中世において上演を担当したのは、Plasterers(漆喰職人)。劇のタイトルが、「天地創造から5日目まで」、そして、今回の上演での担当はthe Guild of Building(建築業者の組合)である。その後にある14:15-30は、私が計った大体の上演時間。

ヨークや幾つかの中部から北部イングランドの都市におけるMystery Playsの大きな特徴は、これらの短い劇が、車輪の付いた、西洋式の山車(曳山)の上、あるいはそのまわりの地面、で上演されたと言うこと。この山車を英米の学者は普通pageant wagon(パジェント・ワゴン)と呼んでいる。これは日本のお祭りの山車の上で行われる歌舞伎、踊り、人形浄瑠璃等を思い出させる。街の広場など、幾つかの場所で山車を止めて、芝居を上演し、そしてまた他の場所に移って上演する、という形式。見る者は、一カ所に居れば、山車が次々とやって来て、順番に芝居を上演してくれることになる。ヨークのように長大なMystery Playsの場合、北国の長い夏の一日に、夜明けから日没まで上演されたと思われるが、チェスターの場合、ある年には3日間に分けて行われたという記録もある。中世においても、毎年全ての劇を上演したかどうか分からない。現代のヨークでは、かなりダイジェストして行われるが、それでも私のいた場所では、午後2時過ぎから、8時前までかかった。その間ずっと上演が続くわけではなく、ひとつのグループが劇を終わり、片付けて去って行き、次のグルーブがやって来て準備をして上演を始める間にかなりの間隔があるが、これは昔も今も同じだろう。また、今回は、途中で長いインターミッションがあった。

次からのポストでは、写真を交えつつ、今回のヨーク市における上演で私が感じたこと、特徴などを、前後半に分けてメモしていく予定。元来、自分自身の為のメモとして書いたものであるから、各ペイジェントの詳しい説明はしておらず、予備知識のない方には不親切だが、ご容赦下さい。

上演があったClifford Tower前の広場(別名The Eye of York)

ノルマン時代の城の天守閣、Clifford Tower

最初の劇(pageant)の上演のために、山車を引っ張って広場に到着した人々

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