2010/06/24

"Lulu" (Gate Theatre, 2010.06.23)

男性の性的欲望の肉体化?
"Lulu"

Gate Theatre and Headlong Theatre公演
観劇日:2010.06.23  19:30-21:45
劇場:Gate Theatre, Notting Hill Gate

演出、脚本:Anna Ledwich
原作:Frank Wedekind
美術:Helen Goddard
照明:Emma Chapman
音響:Carolyn Downing
音楽:Alex Silverman

出演:
Sean Campion (Schoning)
Sinead Matthews (Lulu)
Michael Colgan (Schwartz)
Paul Copley (Dr Goll / Schigolch)
Helena Easton (Countess Geschwitz)
Jack Gordon (Alwa)

☆☆ / 5

ドイツの劇作家、Frank Wedekind (1864-1918)による2つの作品、"Erdgeist" (Eath Spirit, 1895)と"Die Buchse der Pandra" (Pandra's Box, 1904)の2つの戯曲をもとにAnna Ledwichが翻案した作品。演出も同じくLedwich。世紀末的な退廃を、十代後半の若い女性と彼女に取り憑かれた男達と女1人(レズビアン)の破滅を通して描く。比較が適切かどうか分からないが、『ロリータ』的な作品とも言える。画家が出てきて、彼女の絵を描きつつ、彼女の魅力に狂っていくところは、ちょっとドリアン・グレイ風のモチーフ。

劇の始め、主人公Luluは18歳。既に結婚しており、嫉妬に燃える年寄りの夫がいる。Luluは夫だけでなく、彼女のもとを訪れる男達を奴隷にする魅力を発揮する。(劇の建前では)究極の男性の欲望の肉体化した女性であり、彼女自身もそのようにあざとくふるまう。しかし、彼女自身のアイデンティティーはどこにも無い様にも見える。

その後、夫は病死や自殺などしていき、彼女はその度に新しい夫を得て生活する。しかし、徐々に身を滅ぼして、ついには逃亡の身となり、売春で生活せざるを得なくなる。最後は血にまみれた破滅が待っている。

Guardianの批評家Lyn Gardnerが4つ星をつけて褒めていたので、見る気になったのだが、私には、一体何が良いのか分からない劇だった。世紀末の退廃を描いた劇としては、美しさのかけらもなく、ただすさんだ男女の人生と性と死を描くだけ。主人公のLuluを演じたSinead Matthewsは、背が低いがそう若くはなく、十代の役は無理だし、失礼だが、そもそもfatal attractionを感じさせるような魅力は無い。単に、ほとんどコミカルと言って良い、安っぽい嬌態をふりまき続けるだけ。フリンジの小さな劇場なので、殺人シーンなど無ければ、大してエロティックでもないお色気ショーを見ているような感じ。男性のエロティック・ファンタジーのわびしさ、そしてそれに迎合した女性の生き方の悲惨さを描いた点が面白いと言えば、言えるかも知れない。

この劇は、Almeida at King's Crossでも、2001年にJonathan Kent演出で公演されているそうである。


さて、私は今回始めてこの小さな劇場、Gate Theatre、に出かけた。パブの2階にある、典型的都心のフリンジ。でも沢山の良い公演をしているようだ。下の写真はインターバルの間に劇場の前に出て休憩する観客。




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2010/06/20

"Through a Glass Darkly" (Almeida Theatre, 2010.6.19)

精神病の女性とその家族の荒涼とした心象風景を描く
"Through a Glass Darkly"

Almeida Theatre公演
観劇日:2010.6.19  15:30-17:00
劇場:Almeida Theatre

演出:Michael Attenborough
脚本:Ingmar Bergman, adapted by Jenny Worton
美術:Tom Scutt
照明:Colin Grenfell
音響、音楽:Dan Jones

出演:
Ruth Wilson (Karin)
Justin Salinger (Martin, a doctor, Karin's husband)
Ian McElhinney (David, a novelist, Karin's father)
Dimitri Leonidas (Max, a teenager, Kain's brother)

☆☆☆ / 5

イングマール・ベルイマンの傑作映画(1963)の舞台化だそうである。私は学生時代からベルイマンはかなり好きで、特に、『第七の封印』、『処女の泉』などは、最も好きな数本の映画に入る。しかし、この作品のように、彼が現代の家族、夫婦の内面を細かく描いた作品は、観客を引きつけることを拒否しているようなところがあって、取っつきにくい。特別に大きな事件が起こるわけでも、プロットが進展していくわけでもなく、精神病(おそらく統合失調症か?)を患った女性Karinとその家族3人の荒涼とした心象風景をスケッチしたような作品である。わずかな小道具・大道具と灰色の壁––飾り気のないモノクロームの素描のような作品。家族の外に広がる世間をほとんど感じさせない、精神の孤島のドラマ。

Karinは30歳位の女性で、家族は、夫は医者のMartin、父親で小説家のDavid、そして16歳(?)で、思春期の難しい時期にさしかかっているMaxがいる。久しぶりにDavidが時間を作って、家族全員で、ある島の寒村に旅行に来ている。Karinは精神病を患っていて、最近病院から退院したばかりだ。単純でプラクティカルな人間ではあるが、大変親切で、いつも事細かく妻の状態に気をつけているMartinは、彼女の為なら何でもする人。彼のストレートな善意は、Karinにとって救いでもあるが、しかし、単純な彼はKarinを理解するのに苦労し、なかなか彼女の内面に近づけない。Karinの父Davidは、既に同じ病気で彼の妻(Karinの母)を失ったようであり、娘の病気に向き合う勇気がなく、彼女から遠ざかりがちであった。しかし、その一方では、小説家であるので、娘が狂気に落ちていく様子に冷徹な職業的好奇心を感じてもいるという複雑な気持ちである。Martinは、そういうDavidを激しく責める。精神を病んだKarinと、年齢の上で精神不安定な時期にいるMaxは、互いに頼りあい、近親相姦的な状況に陥る時もある。

Karinは病気そのものへの恐怖と共に、病気に陥って、自分が自分であることを失っていく恐怖に怯えているようだ。ごく普通に話しているかと思えば、ちょっとしたことに極端に反応して、Martinをやきもきさせる。Maxは若くて、自分のことで精一杯なので、Karinを特別扱いしないので、それがKarinには救いである。しかし、その為にMaxに接近しすぎて、お互いを傷つけあってしまう。結局、Karinを一番理解し、亡くなった妻も含め、家族の歴史を共に生きてきたのはDavidであるが、彼はKarinと正面から向き合うことが出来ないし、うっかり不用意な事を言ってしまったりもする。Karinは父との距離感に敏感に反応する。劇は、Karinの病気が悪化し、手が付けられない状況に陥るところで終わる。

ドラマとして起承転結に乏しい劇であるから、つまらないと感じる人も多いだろう。しかし、劇全体には失望した人でも、誰しも感心せざるを得ないのは、Karinを演じたRuth Wilsonの鬼気迫る精神病患者の演技である。私も、テレビ・ドラマの"Luther"を見て、この女優が悪役をこなす力に驚き、大変才能ある人だと感じた。きれいで、繊細で、味わいのある演技のできる女優は多くても、まがまがしい役を迫力をもってこなせる人はそう多くないが、Ruth Wilsonは凄い! Justin Salingerは、ひたすら妻を愛し、しかし、不器用で十分に手助け出来ずに悔しがる夫Martinを、大変上手く演じていた。他の2人も名演であり、演技だけでも充分引きつけられた作品だった。また、北欧の海辺のコテージ、そして4人の寒々しい精神風景を、Tom Scuttのデザイン、Dan Jonesの音楽・音響が見事に表現していた。

4月19日と29日の2回見た、Mark Haddon作の"Polar Bears"(Donmar Warehouse)を思い出さざるを得なかった。あれははっきりとした躁鬱病(bipolar disorder)を扱っていた。あの劇は、外の世界との繋がりをしばしば感じたし、躁鬱病の極端な浮き沈みから来るユーモアもかなりあった。全体に、今回の劇よりもずっと救いを感じさせる作品だった。病気の妻と、その妻を必死で支える夫との夫婦関係には、かなり共通するものがあったし、主演の2人、Jodhi MayとRuth Wilson、の凄まじい名演には、どちらにも感心させられた。しかし、私はJodhi Mayの主人公の方が、ずっと受け入れやすく感じる。それだけ、Ruth Wilsonの演じたKarinは、近寄りがたい精神状態であるということだろう。

最初、☆を4つ付けていたが、迷った挙げ句、3つに減らした。主として俳優の迫真の演技で説得力ある公演となっているが、テキストそのものに充分な迫力がなく、観客を引きつける力に欠けると思えたからだ。映画の場合、特にベルイマン作品では、テキストが語りすぎずに映像に語らせる部分が大きいと思うが、台詞だけではやや弱いと思える。充分見る価値のある作品だが、いまひとつ物足りなかった、という私の結論。


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2010/06/15

"Love the Sinner" (National Theatre, 2010.6.14)

現代のキリスト教会の直面する課題を取り上げた劇
"Love the Sinner"

National Theatre公演
観劇日:2010.6.14  19:30-21:55
劇場:Cottesloe, National Theatre

演出:Matthew Dunster
脚本:Drew Pautz
美術:Anna Fleischle
照明:Philip Gladwell
音響:Paul Arditti
音楽:Jules Maxwell
衣装:Rebecca Elson

出演:
Jonathan Cullen (Michael)
Charlotte Randle (Shelly, Michael's wife)
Fiston Barek (Joseph, an African young man)
Ian Redford (Stephen, a senior bishop)
Scott Handy (an aide to Stephen)
Louis Mahoney (Paul, an African church leader)
Nancy Crane (Hannah, an western [American?] church leader)

☆☆☆ / 5

Drew Pautzはカナダ人の若い劇作家。2007年にSoho Theatreにおける公演作品でデビューしたばかり。演出のMatthew DunsterはThe Royal Exchange (Manchester)やShakespeare's Globeなどで多くの作品を手がけているようだ。

現代の西欧の教会、特にアングリカン・チャーチ(イギリス国教会を中心として、それを母体とする各国の教会、日本聖公会など、「・・・聖公会」と呼ばれる教会が多い)が直面する問題を、あるイギリス人クリスチャンの男性で、教会活動をボランティアでやっているMichaelを軸として扱った作品。非常に熱のこもった、たたみかけるような台詞が続き、かなり緊迫感のある場面が多く、2時間半の上演時間だが、見ている間は引き込まれた。しかし、トピカルなテーマを色々と取り上げて、アイデアが先行した印象の作品で、私から見ると、主人公のMichaelや、それぞれのシーンに十分にリアリティーを感じられないまま終わった。

最初のシーンでは、あるアフリカのホテルで、欧米とアフリカのアングリカン・チャーチの代表が、おそらく大司教と思われるStephenの司会の下、教会がゲイの信者/聖職者にどう対応するかという問題など、現代の聖公会でも大きな問題について、熱のこもった議論を繰り広げるが、保守的なアフリカの代表者と、新しい方向に変えたい欧米の代表の間の隔たりは大きい。ポスト・コロニアル時代の教会のあり方を考える議論が続く。その場でボランティアの記録係としてパソコンでノートを取っていたMichaelがその後の主人公。次のシーンでは彼のホテルの個室。そこで彼はホテルのボーイのJosephとセックスをした後である。Josephは段々と脅迫口調になり、Michaelにイギリスに連れて行って欲しいと迫る。他の人が現れて、Michaelは何とかその場を逃れる。

イギリスに帰国したMichaelを待っていたのは、子供が欲しい一心の妻のShelly。しかし、Michaelはゲイ(ないしはバイセクシュアル)で妻とのセックスには熱心でないようだ。彼女は人工授精を試みたいと言うが、Michaelは宗教的な動機により人工授精に関してはかなり迷いがあり、はっきりした返事をしない。更にこれに、家に住み着いたリスを業者に処分させるかどうかという野生動物保護に関する議論が加わり、夫婦の議論は一層紛糾。更にその後、Michaelの留守中に、彼らの家に突然Josephがアフリカから訪ねて来る。Michaelは取りあえずJosephを教会の地下室に隠れて住まわせるが、やがてそれがStephenやその他の人にも知れることになる・・・。

Michael個人の生き方を通して、アングリカン・チャーチが直面する課題をくっきりと描いてくれた。一定の説得力はあるが、いささか色々な事を盛り込みすてはいないだろうか。また、最初の会議の行われた国とか、帰国後のMichaelの生活など、周辺の状況がほとんど描かれないため、何か地に足の着かない劇になった印象である。私の好みではあるが、特定の人物や状況をじっくり描くなかで、徐々に教会全体が抱える問題が浮かび出てくる、というような形にして欲しかった。

但、Drew Pautzの台詞は緊張感があり、また俳優もそれを良く生かして、飽きずに見ることが出来た。特にJosephを演じた若いFiston Barekは印象深い。


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2010/06/09

"After the Dance" (National Theatre, 2010.6.7)

主人公Joanの悲しみが胸を打つ
"After the Dance"

National Theatre公演
観劇日:2010.6.7  19:30-22:30(インターバル2回を含む)
劇場: Lyttelton, National Theatre

演出:Thea Sharrock
脚本:Terence Rattigan
美術:Hildegard Bechtier
照明:Mark Henderson
音響:Ian Dickinson
音楽:Adrian Johnston
振付:Fin Walker
衣装:Laura Hunt

出演:
Nancy Carroll (Joan Scott-Fowler)
Benedict Cumberbatch (David Scott-Fowler)
Faye Castelow (Helen Banner)
Adrian Scarborough (John Reid)
John Heffernan (Peter Scott-Fowler)
Giles Cooper (Dr George Banner, a medical doctor)
Nicholas Lumley (Williams, the butler of the Scott-Fowlers)
Jenny Galloway (Miss Potter)
Pandora Colin (Julia Browne)
Richard Teverson (Arthur Power)

☆☆☆☆☆ / 5

私の大好きなTerence Rattiganによる、上演されるのは大変珍しい作品。Rattiganが最初の出世作で、軽喜劇の"French without Tears" (1936)を書いた後、1939年に満を持して発表した第2作。批評家には好評だったそうだが、ヨーロッパにおける第2次世界大戦開戦の直前で、戦争の開始と共に人々は劇どころではなくなったのか、早々にクローズしたとのこと。Rattiganはその事に傷ついたのか、自分の作品集に含めず、彼の生前は陽が当たらないままだったという(やっと2002年に、Oxford Stage Companyによって再演されたそうである)。

時代設定は公開時とほぼ同じ、両大戦の間。場所はロンドンの高級住宅地Mayfairにあるupper middle-classのScott-Fowler夫妻のフラットの広々とした居間。2人は結婚して13年、30代前半であろう。夫のDavidには沢山の家産があるようで、執事を雇い、大がかりなパーティーをし、そして自分は働かず、他人から見ると退屈な歴史書の執筆をして毎日を過ごしている。毎日昼間から強い酒を飲み、だらしない生活である。妻のNancyはそういう夫の暮らしに合わせて、何とか彼を退屈させまいと腐心して、賑やかにふるまう日々。彼の家には、50年配のJohn Reidという、Davidのライフスタイルにぴったりの居候が居る。一日ソファーに寝そべり、酒を飲んだり居眠りしたりしては、時々冗談を言って、寄生虫の暮らしを楽しんでいる。彼は、劇の人物の中では、シェイクスピアになぞらえれば、王侯貴族の館に侍る一種のクラウンであるが、多くのクラウンがそうであるように時々鋭い忠告や警句を発して、David夫妻やそのまわりの人々の冷静な観察者としての役割を果たす。

Davidの秘書役を務めている生真面目な甥のPeter Scott-FowlerにはHelen Bannerというガールフレンドがいて、Davidの家に頻繁に出入りしている。HelenはDavidの自堕落な暮らしぶりが、彼の健康と執筆の仕事を阻害し、彼の人生そのものを破壊しつつあることを心配し、自分の弟の医者を連れてきてDavidを診察させ、彼に酒を止めさせる。また、彼の研究と執筆を手伝って、新しい著作に取りかからせようと説得にかかる。実はHelenはDavidを愛していたのだった。

Davidの中にある2つの人格が、JoanとHelenという2人の女性によって異なった方向へ引き裂かれる。古いDavidは、Nancyとの夫婦生活を快適だが愛のない、2人にとって都合の良いものと思っており、簡単に離婚をしてHelenと新生活を始められると誤解した。しかしNancyの内面はDavidの思っているものとは全く違って居た・・・・。

豪華なセット、照明や衣装、音楽等に細かく気が配られて、時代の雰囲気を良く伝えていた。破壊的な戦争の後、そして迫り来る次の戦争(夫が徴兵に遭って出生するという夫婦も出てくる)、嵐の前の束の間の時間を、次の何かを待っているかのように、刹那的に、無為に過ごす人々。先日感想を書いたStephen Poliakoffの映画、"Glorious 39"と同様の背景である。実際、この劇が初演されたのも1939年だった。

俳優の演技は皆大変良かったが、強いて言えば、David Scott-Fowlerを演じるBenedict Cumberbatchは、役柄がテキストで示されているのと比べ、やや真面目すぎる印象を受けた。彼は酒と浮気の怠惰な日々を送っているような感じがしない。Nancy Carroll演じるJoanは大変哀切で、心に響く演技。理解のない夫や表面的な享楽にしか目の行かない友人達に囲まれて、Joanの限りない優しさが、深い寂しさをかもし出す。しかし、現代の、アメリカナイズされ、アグレッシブになった多くのイギリス人に、このような心の動きが理解されるだろうか。Carrollは、2月にRSCの"Twelfth Night"のロンドン公演(Gregory Doran演出)でも見た。独特のカリスマがあり、繊細な雰囲気をかもし出していて、"Twelfth Night"の時も思ったが、大変記憶に残る女優だ。Adrian Scarborough演じるJohn Reidは、見事なクラウンぶり。いささかメランコリックなところも、シェイクスピアのクラウンを思い出させる。最後に居候暮らしをやめて真面目なサラリーマンになることに決めて、Scott-Fowlerのアパートを去る時は、ピエロが廃業して背広とネクタイに着替えてさっていくかのようだ。ひとつの時代の終わりを感じさせる。

先日見たSimon Grayの"The Late Middle Class"と比べてみると面白い。戦争を挟んで、それ程時間は経っていない(15年弱程度か)のだが、その間にイギリスが如何に大きく変わったを感じさせる。Poliakoffの前述の作品でも言えることだが、第二次世界大戦前の英国の、最後の輝きの一端を見せてくれた。Rattiganは大変緻密に登場人物の心のひだを描くが、決して冷徹な心理解剖ではなく、観客が登場人物それぞれに温かい共感を抱くのを許す。Nancyの押し殺した悲しみと孤独をを理解出来るのは、クラウン役のJohn Reidと、観客だけだ。また、Rattiganは平穏な日常が一瞬にしてガラスが砕けるように破局に陥る様を描くのが上手い。そういうところが、イギリスのチェーホフとも言われる所以だろうか。チェーホフが20世紀ロシアを代表する劇作家だとすれば、Rattiganも20世紀半ばのイギリス演劇が生んだ大劇作家だと思う。良い役者と演出家を揃えれば、オーソドックスな演出で、かならず大きな感動を呼ぶ上演となる作品をいくつも書いている。Terence Rattiganへの私の偏愛を満足させてくれた、最高の公演だった。

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2010/06/06

Brome "Abraham & Isaac" (St Dunstan's Church, 2010.6.5)

St Dunstan's Church, Canterbury

カンタベリーでミステリープレイの一篇を上演
"Abraham & Isaac"

Friends of St Dunstan's Church公演
観劇日:2010.6.5  18:00-19:00 (講演を含む)
上演場所:St Dunstan's Church, Canterbury

演出:Ken Pickering
脚本:Ken Pickering (based on the Brome "Abraham and Issac"
美術:Helga Wood
制作:Dr Joanna Labon (School of Arts, University of Kent)
音楽:Kathryn Bennetts, Heather Greer
            Sue Mullaley, John Perfect


出演:
John Binfield (God)
Alice Taylor (Angel)
Mark Bateson (Abraham)
Johnny Allain-Labon (Isaac)
Augustine Allain-Labon (a ram)

中世ミステリープレイの"Abraham & Isaac"をカンタベリーの教区教会、聖ダンスタン教会に見に行ってきた。最近まで私が住んでいたフラットから10分程度のところにあるが、今日ははるばるロンドンから出かけた。

主演のAbrahamを演じたのは、Dr Mark Bateson。カンタベリー大聖堂の図書館にあるケント州の公文書館の専門職員さんであり、ケント大学の非常勤講師でもある。私は2001年に古文書の書体学の授業で教わったことがある。今回の上演で使われたのは、Brome写本の"Abraham & Isaac"。これは、イースト・アングリア地方、サフォーク州にあるBrome Hallというところに保存されていた(今はアメリカにある)Brome写本に入っていた。このBrome写本は色々な文章を集めたCommonplace Bookと呼ばれる、謂わば書き物を何でも詰め込むスクラップ・ブックのような種類の写本だそうである。一方、St Dunstan's Churchの記録によると、1491年に"booke of Abraam and Isaacke"という本がこの教会にあったと言う(プログラムによる)。また、カンタベリーとBrome Hallには人的繋がりがあったそうで、そのいささか細い関係を縁に、この劇を上演することにしたようだ。もしかしたら、Brome "Abraham & Isaac"はカンタベリーで生まれたのかも知れない・・・。

"Abraham and Isaac"のお話は、旧約聖書のエピソードの中でも、カインとアベル、ノアの大洪水などと並び、日本人でも知っている人は多いかも知れない。神がAbrahamの信仰を試すために、愛する息子Isaacを生け贄に捧げることを命じるが、Abrahamが涙ながらにそれを実行しようという時に、神に命じられた天使が現れて、Abrahamに剣をおさめさせ、Abrahamは代わりに子羊を神に捧げることになる、というお話である。英語の中世劇でもポピュラーなエピソードで、6つのバージョンが残っている。

父が神に命じられたとは言え、我が子を殺すのであるから、非常にエモーショナルなエピソード。罪なくして殺されそうになるIsaacはキリストの予示(prefiguration)である。Brome版の"Abraham and Isaac"は他のバージョンに比べても、非常に強く感情に訴える作品として知られる。そこには居ない母親に何度も言及するのもその特徴のひとつ。今回の上演も、Bateson先生は大変感情を込めた表現をしておられた。しかし、Isaac役の男の子は台詞を言うのが精一杯で、二人の間にハーモニーが生まれなかったのはやや残念。もう少し年長の子を使えば良かったのでは無いかと思う。まあ、しかしそう言うあら探しを言うべき公演ではない。教会をいっぱいにした沢山の地元の人々の温かい視線に包まれた、楽しく和やかで、心温まる一時だった。

プロデューサーで、最初に解説もされたJoanna Labonさんは、ケント大学の英文科の先生だった。子役の二人は名前からしておそらく彼女の息子さん達だろう。

(追記)カンタベリーにミステリープレイがあった可能性について(劇のプログラムより、):
Who knows whether Christopher Marlowe saw such [mystery] plays when he was a Canterbury schoolboy? Perhaps, but no evidence remains of a cycle of plays here. However, one 'booke of Abraam and Isaacke' is recorded as  having been placed in a wooden chest in St Dunstan's Church in 1491, by a guild connected with the church called 'The Schaft'. This 'booke' was mislaid, searched for and then found again – it is the inspiration for our play, Abaraham & Isaac.

ロンドンからはるばるこの劇を見に来た日本人若手研究者のsaebouさん(ブログのハンドルネーム)に教会でお会いした。豊富な知識と熱心さに感心させられた。


開演30分前のSt Dunstan内部です。青いシャツを着た方がAbrahamを演じられたDr Mark Batesonです。

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2010/06/03

"The Late Middle Classes"(Donmar Warehouse、2010.5.2)

抑圧された感情が爆発する時
"The Late Middle Classes"

Donmar Warehouse公演
観劇日:2010.5.2  7:30-10:15
劇場:Donmar Warehouse

演出:David Leveaux
脚本:Simon Gray
美術:Mike Britton
照明:Hugh Vanstone
音響:Simon Baker for Autograph
作曲:Corin Buckeridge

出演:
Robert Glenister (Mr Brownlow, a piano teacher of Holly)
Helen McCrory (Celia, wife)
Peter Sullivan (Charles, husband and a pathologist)
Eleanor Bron (Ellie, Brownlow's mother)
Harvey Allpress (Holly, a teen-age son)

☆☆☆ ☆ / 5

かって、David Leveauxの演出作品を見るために度々ベニサン・ピットに通ったものだった。その後、Leveauxは東京であまり仕事をしなくなり、ベニサン・ピットに行くこともほとんどなくなった。昨年閉館されたという。そのLeveauxの演出作品を見るのは久しぶり。なかなか良かった。カワードやラティガンみたいな、a middle-class drawing room drama。結構辛辣なところもある家庭劇。子役も含め、俳優の演技が秀逸。

場所はイングランドのある島。戦争が終わってはいるが、まだ配給が残り、食糧不足の50年代初頭らしい。夫Charlesは仕事熱心なpathologist(病理医)。妻Celiaはテニスに興じ、息子Hollyの教育、進学が最大の関心事のようだ。中流、それも医者であるからupper middle classか。Celiaは何とか息子にロンドンのWestminster School(名門の高級私立学校、パブリック・スクール)に、奨学金を取って進学してもらい、自分達一家もロンドンに移り住みたいと思っている。息子HollyはMr Brownlowというオーストリアからの移民してきた音楽家にピアノを習っている。とても親切な,いや親切すぎるくらいの独身の音楽教師で、母親と二人暮らし。母親は大陸での、そして以前に済んでいたイギリスの地方都市での迫害や差別の記憶から、自宅から一歩も外出出来ないが、レッスンにやってくるHollyを自分の孫のように可愛がる。

一見平和な、地方の豊かで上品な家庭。前半では、性に目覚めて、ヌード写真を見たり自慰行為を始めたHollyにどう性教育をするか、しないかで、夫婦がコミカルな会話をする。しかしこうした大変平凡な中流の夫婦の間、そして、Brownlow親子と地域社会の間にも、見えない大きな溝があって、いつ亀裂が大きくなるか分からない一触即発の状態だった。ある時、Mr BrownlowがHollyを連れてロンドンへコンサートを聞きに行くという行事があったが、予定の時間になってもHollyが帰宅しておらず、Charlesは疑惑に駆られてBrownlow家へ押しかける。一方CeliaはCharlesが、外で、忙しい病理医の仕事だけをしているのではないことを嗅ぎつける。こうした事をきっかけに、人々の閉ざされた心の中の澱が表面に一気にあふれ出る・・・。

Simon Grayの脚本には幾つか、この劇を特徴づける目立つディテールが配置されている。島の出来事であるのは、人々の心の閉鎖性を強調するのか、また、家から出られないBrownlow夫人は、「ユダヤ人」という言葉に過剰に反応し、警察に酷く怯えている。隣人に玉子を頼んでも、ひとつしか分けて貰えないという時代の貧しさ、不自由さ、死体解剖に明け暮れる病理医というCharlesの職業(しかし、自分達の心や暮らしの「病理」には無知、無関心。Brownlow夫人が何度も口にするイギリス人の閉鎖性と「ジェントルマン」であること。彼女が感じる大陸との文化の違いや、よそ者、外国人に対する差別。

戦争は終わり、平和は取り戻したが、まだ豊かさまでは戻ってきていない。また、戦後の新しい、自由で開放的な風俗やモラルの形成が行われる前の1950年代の中流家庭の病理を詳細に捉えた作品だと思う。2009年3月にCottesloeで見た、"Mrs Affleck"と似た雰囲気(Ibsenの”Little Eyolf"を50年代のケントの海辺の町に移した翻案作品)。 でもこちらの方が、格段に説得力があった。時代的にも、雰囲気もラティガンに似たところがある。しかし、ラティガンのほうが人を見る目は温かな気がする。作者グレイの視点は、かなり突き放したところにあるようだ。それぞれが心の孤島に暮らして、自分の気持ちを上手く表現する相手も場所もないが、しかし、子供のHollyにだけは、心を開くことが出来る。そのHollyをめぐってトラブルになり、見せかけの平和が破壊されると言うわけだ。

素晴らしい演技。Robert Glenisterは先日まで毎週、BBC 1の"Ashes to Ashes"でとんでもないbullyの、下品でうるさい刑事をやっていたが、ここでは繊細な音楽家。しかも2つの年代を上手く使い分ける。Peter Sullivanのrepressed English male、そして賑やかで陽気な表面が、尚更隠された不安と不満を指し示すHelen McCroryのCeliaも大変巧みに演じられていた。子役のHarvey Allpressの上手さにも脱帽!

久々のDavid Leveaux演出作品だったが、東京での公演を思い出しても、彼はこうした抑圧された感情を表現した劇の演出が非常に上手いように見える。


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