2010/07/30

"Welcome to Thebes" (Olivier, National Theatre, 2010.7.29)

ギリシャ悲劇の土台に描かれた現代アフリカ
"Welcome to Thebes"

National Theatre公演
観劇日:2010.7.29  14:00-16:30
劇場: Olivier, National Theatre

演出:Richard Eyre
脚本:Moira Buffini
美術:Tim Hatley
照明:Neil Austin
音響:Rich Walsh
音楽:Stephen Warbeck
振付:Scarlett Mackmin

出演者
Thebans(テーベ人):
Nikki Amuka-Bird (Eurydice, President of Thebes)
Chuk Iwuji (Prince Tydeus, leader of the opposition)
Rkie Ayola (Senator)
Siomon Manyonda (Haemon, Eurydice's son)
Vinette Robinson (Antigone, Eurydice's niece)
Tracy Ifeachor (Ismene, Eurydice's niece)
Bruce Myers (Tiresias, a blind seer)
Madeline Appiah (Megaera, a soldier)
Michael Wildman (Segeant Miletus)

Athenians(アテネ人):
David Harewood (Theseus, the 1st citizen of Athens)
Ferdinand Kingsley (Theseus's aide)
Jacqueline Defferary (Talthybia, a diplomat)
Victor Power (Enyalius, head of Athenian security)
Jessie Burton (Ichnaea, Athenian secret service)

☆☆☆☆ / 5
(あと一歩で5つ星を付けたいくらいのレベル)

休憩時間を入れて2時間半の劇が、ギリシャ劇のように、ほぼ一貫してハイピッチの台詞のデリバリーで進行する。中身は、ギリシャ劇からのモチーフと、現代のアフリカの問題をもの凄く沢山詰め込んであり、見ていても、これはかなり疲れる作品だ。主役のEurydice(ユーリディス)を演じるNikki Amuka-Birdは大変力強い演技だが、ソフトな台詞のところでは声が枯れていて、聞き苦しいところもあった。作品全体をもう少し短く刈り込んだら良いのではないだろうか。・・・とマイナスの印象を最初に述べた上で、これはハイトナー時代のNational Theatreらしい、大変力強く素晴らしい政治劇であることを強調したい。

舞台はアフリカの小国Thebes(古代地中海のテーベから名前を取っている)。長年の戦争で疲弊し、大統領府も砲弾の跡も生々しく、水道や電気の設備も不完全のような有様。警備しているのは、若者や子供の兵士。選挙で大統領に選ばれたのは(ギリシャ神話のキャラクターに基づいた)女性政治家で、抵抗運動の闘士だったEurydice。彼女の内閣の多くも女性。しかし、野党政治家の中には、将軍(warlord)として残虐な戦争で多くの非人道行為や殺人を繰り返したPrince Tydeusや彼を支援する議員(senator)のPargeiaもおり、政権の基盤は極めて弱い。Eurudice自身、息子を殺されており、そのトラウマが消えない。

このまだ幼い民主主義国を激励し、援助の手をさしのべるために訪れたのが、Athens(アテネ)の指導者(第一市民と呼ばれている)のTheseus(テセウス/シーシアス)。白人の外交官やシークレット・サービスに囲まれてヘリコプターで舞い降りた黒人政治家だ。当然、オバマ大統領を思い起こさせる設定。しかし、アフリカの強国にして民主主義国で、白人人口も多い南アフリカ共和国の大統領、ジェイコブ・ズマなども連想させる。Eurydiceを始め、Thebesの政治家達は何とか彼の歓心を買い、援助資金を得ようと媚びへつらう。一方、Theseusは時としてThebesに内政干渉的な事をアドバイスし、彼が連れてきた警備員は武器を振り回して治外法権的な行動も辞さない。

ギリシャ劇でのように、この小国の大問題のひとつはEurudiceの息子を虐殺したPolynices(ポリナイシス)の屍を正しく埋葬させるか、または野ざらしにして見せしめとするかである。ギリシャ劇ではこれはCreon(クリオン)に課せられた難しい判断だが、このMoira Buffini描く悲劇ではCreonの代わりにEurudiceを指導者にすえている。彼女の禁令に抵抗して、隠れて何とか兄弟Polynicesの遺体を埋葬しようと試みるのは、ギリシャ悲劇と同じくAnigone(アンティゴネ)。家族の死体が腐っていくのを放っておけない娘と、息子の殺人者を許せない母親、トラウマを抱えた二人の女の戦いである。

更にAthens側も平安ではない。Theseusが留守の間に、神々の欲望、嫉妬や企みにより、Theseusの妻Phaedraが自殺したとのニュースが伝えられる(プロットのこの点が、いまひとつ浮いていて、うまく消化されていない)。盲目のTiresias(テレジアス、タイレジアス)も出て来て、こうしたことを予言する。

いやはや、色々とまとめきれないことが多い。ギリシャ悲劇に含まれる人類永遠の業と。現代アフリカの抱える諸問題を、Moira Buffiniは力業でひとつの劇にした。大作だ。私はよく分かってないところが大分ある。台本を読んで、もう一回見ると、ちゃんと理解したことになると思う。現実の政治との関係では、かなり綿密にリベリアの最近の情勢が下敷きにあるようで、プログラムにも詳しい解説がある。又、ベースとなっているギリシャ劇のエピソードの解説もあり、この劇を見る場合はあらかじめプログラムをしっかり読んでおく方が良いと思う。

印象に残る俳優が沢山だ。テレビでもちょくちょく見るNikki Amuka-BirdとDavid Harewoodの主役2人が素晴らしい力演。Harewoodは体躯も立派だし、声も堂々として、大国の政治家らしい実に貫禄のある雰囲気をかもし出す。Amuka-Birdは心の傷を隠した繊細な内面と、政治家としてしなければならない厳しい決断の板挟みになった女性の姿を上手く表現していた。Athens側の外交官でありながら、なんとかThebesとの仲介をつつがなく務めたいと奔走するTalthybiaを演じたJacqueline Defferary、自分の人生も命も捨て、幽霊のようにさまようAntigoneを演じたVinette Robinson、イアゴーのようにギラギラとした油断ならない目を光らす将軍(warlord)役のChuk Iwuji、その他の脇役の俳優も印象的な人が沢山。特に少年と若者の兵士2人が迫力満点だ。イギリスにはこんなに沢山芸達者の黒人俳優がいるんだ、と改めて思った。

半ば廃墟と化した大統領府のセットも効果的。

(追記)最近、以前にも増して持病がひどくなり、まともに活動できている日が少ないので、劇場に行くのも大変。そのうち、2時間半座席に座っているのも電車に乗るのも嫌になりそうで恐ろしい・・・。でも無理して行ってみると、何とか出かけて良かったと思う。劇場に行くたびに、枯れかけていても水をもらって蘇る草のような気になる。


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2010/07/27

dekobokoミチさんの博士論文完成について読んで

私のブログに何度かコメントを書いて下さっているdekobokoミチさん、先日博士論文の最終的な提出を済ませられたそうで、ブログでも報告なさっていました。口頭試問も、その後の一部加筆も終えられ、今回の提出は完全にパスした上での、大学への最終的な納本のようです。ここまでに10年かかったそうです。凄い根気と努力ですね。しかも日本語教師というお仕事をなさりながらの研究ですから、私とは事情が違い、一層大変です。その間には、もう諦めようと思われたこともあったそうですが、最後まで続けられたのは、周囲の方々の応援と忠告の影響も大きいとブログで書いておられました。それに彼女の場合は、アンケート調査に基づいたご研究なので、論文を完成させないと、調査対象の方々に対しても申し訳ないことになったでしょうね。きっとこの10年間の間には、ミチさんの周辺で様々の変化があったことと思います。私もたった2年弱でも、親や自分の健康問題などでブレーキになるようなことが幾つかあったくらいですから。ミチさんのエネルギーには感心します。ミチさんのブログでのご報告はこちら

私の元の勤務先のI先生も、一昨年でしたか、9年間かかってイギリスの大学で博士号を取られました。毎年春と夏に短期間渡英して研究され、論文指導を受けておられました。その間、I先生のご家族にも大きな変化があり、また、働く母親としてお子さん2人を育てながらのご研究でした。大抵は、お子さんを連れての渡英でした。イギリスでお子さんを保育所にあずけたり、イギリスにおられるお姉さんに世話をしてもらったりして、勉強されたのだと思います。本当によくやられたと思います。しかも職場では、博士号の勉強などよりも、学校の仕事をもっとやって欲しい、という声も時折あって、辛い思いもされたことと思います。家庭を持った女性が研究を続けるのは本当に大変ですね。

私も自分の2年弱を振り返ると、当初思っていたのは全く違い、勉強が遅々として進まず、研究する気力を失うことも多いです。老後の蓄えを取り崩して、学位を取得しても経済的には何の得にもならない勉強をやってどうなるんだろう、すっきり辞めて帰国し、パートの仕事でもすべきではないか、と思うことも度々です。しかし、このお二人のご苦労を考えると、結果がどうなっても、自分から諦めてはいけない、と改めて思いました。(私もここでこう書いておくと、そう簡単には「やっぱり辞めました」とは書けないので、プラスになると思っているんです。)

(追記)ミチさんのブログ、美しいイギリスの風景の写真、多彩な交友録、かわいい生徒達のこと・・・読んで元気の出る、とても楽しいブログです。ミチさんの人柄の素晴らしさが自然と伝わってきます。また、文章はブログらしいカジュアルなものなんですが、変な癖がなくて、自然な読みやすい日本語です。さすが日本語の先生ですね。

2010/07/25

"Romeo and Juliet" (Rose Theatre, 2010.7.24)

民族音楽と舞踊で楽しく見せる韓国版R & J
"Romeo and Juliet"

Mokhwa Repertory Company (in cooperation with Theatre for All) 公演
観劇日:2010.7.24  14:00-15:45
劇場: Rose Theatre, Kingston



演出、翻案:Oh Tae-Suk
原作:William Shakespeare
(プログラムにも、RoseのHPにも、美術、照明、音楽等のスタッフの記述無し)

出演:
Lee Ju Hee (Juliet, a Capulet)
Kim Joon Bum (Romeo, a Montague)
Cho Eun A (Nurse)
Kim Byung Cheol (Friar Laurence)
Chung Jin Gaku (Capulet)
Lee Nang Hheong (Lady Capulet)
Lee Kyung Cheon (Montague)
Park Jung Hyun (Lady Mondague)
Jung Il Hyub (Tybalt, a nephew of Lady Capulet)
Song Young Kwang (Mercutio. a Montague and friend of Romeo)
Kim Sung Eon (Paris)
Lee Ha Rim (Prince of Verona)

☆☆☆ / 5

民族色を最大限に生かした韓国版"Romeo and Juliet"。台詞はハングルで、舞台上に電光掲示板のようなパネルがふたつあり、英訳が出る(しかし、小さくて読みづらく、改良が必要と思う)。舞台設定はベローナではなく、どの時代かは分からないが、昔の韓国のような感じにしてある。但、地名や人名など固有名詞は原作のままのようだ。全員、民族衣装を身につけている。女性達は、あの裾の広がった、鮮やかな色合いのドレスをひらめかせつつ、音楽に合わせて軽快に舞い、美しい舞台。半ば、韓国版ミュージカルとも言える。
民族衣装と共に、韓国らしいセットや小道具が印象的。特にロミオとジュリエットが一夜を共にするシーンでは、舞台のほぼ全面を白い布でおおい、若いふたりは、その布の下に潜り込んでかくれんぼをしたり、布を体に巻き付けて戯れたりしてして、笑いを誘い、効果的。
軽やかでリズミカルな身体表現、グループで一体となった動作や踊りなど上手く使って、スピード感と統一感のある上演。戦いのシーンなど特に様式化されたゆっくりした動作に振り付けられていた。日本の演劇とも大いに共通点があるが、腰を落としてゆっくりと動く日本の舞踊などとは違い、大変軽やかで、バレーと似たような印象もある。
主役のふたりは微笑ましいういういしさを上手く表現していた。原作でもそうであるが、ジュリエットがロミオをリードするところは、芯の強い韓国女性のイメージが良く出ていた。
全体が明るく、軽快なトーンなので、悲痛なシーンがやや薄められた印象となっている。特にふたりの死のシーンは英語での公演には到底及ばないと思う。
幕切れは、原作のプロットを大きく代えて、かなり驚かされる。
星は4つにしようかどうか迷ったが、3つにしたのは、シェイクスピア作品の中では、個人的に、この劇にはほとんど関心が無く、どのR & Jを見ても、大して面白いとは感じないためだろう。しかし、これは一見する価値がある公演であることには間違いない。もし今後の再演で、見る機会のある方には是非お勧めしたい(今回は25日で終了)。

客席には、空席が目立ち、大変残念!この演出家は、韓国では大御所のようだが、蜷川などと比べて、イギリスでの認知度は低いのだろうか。韓国の会社は、沢山イギリスで大きな商売しているのだから、滅多にない韓国の演劇であるので、もっと応援して欲しいな。Kingstonという場所は、都心からちょっと遠すぎたかも。

次は公演のあったRose Theatre:

2010/07/21

Eugene O'Neill, "Beyond the Horizon" (National Theatre, 2010.7.20)

Eugene O'Neillの最初の長編劇
"Beyond the Horizon"

Royal & Derngate Theatre, Northampton公演
観劇日:2010.7.20  14:00-16:40
劇場:Cottesloe, National Theatre

演出:Laurie Sansom
美術:Sara Perks
照明:Chris Davey
音響:Christopher Shutt
作曲:Jon Nicholls

出演:
Michael Thomson (Andrew Mayo)
Michael Malarkey (Robert Mayo, Andrew's brother)
Liz White (Ruth Atkins)
Joanna Bacon (Sarah Atkins, Ruth's mother)
Gavin Harrison (Ben, an employee of the farm)
James Jordan (James Mayo)
Jacqueline King (Kate Mayo)

☆☆☆☆☆ / 5

先日Tennessee Williamsの"Spring Storm"の上演を見たが、それと同じNothamptonの劇場が制作し、同じ演出家とスタッフ、そしてほぼ同じ俳優で上演されている。O'NeillとWilliamsという、アメリカ20世紀演劇を代表する劇作家の原点を示す作品を並べてみてもらおうという試み。"Spring Storm"は愛すべき佳品であったが、O'Neillのこの作品は大変説得力のある悲劇の傑作であり、今後も繰り返し上演されるに値すると感じた。彼の初めての長編戯曲だが、ピューリッツアーを受賞している。『夜への長い旅路』のような、後の複雑で屈折した心理を扱う大作とは違う、若いO'Neillのストレートな作品だが、大きな感動を呼び起こす力を持っている。

大筋は非常にシンプルだ。アメリカ北部にあると見られる小規模の農家が舞台。その農家の息子、Andrew Mayoは近隣の娘Ruth Atkinsに恋をしており、周囲も2人が結婚すると思っているようだ。しかし、Andrewの兄弟で、大学に通いインテリ・タイプのRobertもRuthを愛していた。望みがないと決め込んではいたが、彼は自分の気持ちをRuthに告白すると、彼女も実はRobertが好きだという。もともとRobertは遠洋航海の船員となって世界を見て回るつもりだったが、この結果により、Robertが農夫としてRuthと家族を支え、Andrewが船員となって家を離れることになった。

ところが、インテリで詩集を読んだりするのが趣味のRobertは、腕利きの農夫だったAndrewとは違い、農場経営の才が全くない。彼が懸命に努力しているにも関わらず、農場はどんどん荒れ果て、一家は貧困にあえぐようになる。RuthもRobertの無力をなじり、彼が本を読んで慰みを得ているのを非難し、更には、実は自分の本当に愛していたのはAndrewだったが結婚前はその事がよく分かっていなかったとまで言って、Andrewの帰宅を待ち望むようになる。しかし、毎日の、自分に合っておらず実りも無い労働に、心身ともに疲れ果てているRobertは、Ruthの変心を激しく非難する力も起きない。使用人のBenも、Robertの下で働いているだけで、地域の人々から笑いものにされる、と言って辞めていき、Robertがコミュニティーの中でも非常に孤立していることが推測される。

やがて、Ruthが待ち望んでいたAndrewが帰ってくる。Ruthは彼が農場を助け、更に、彼女自身にももう一度手をさしのべてくれるかも知れないと期待していたが、Andrewは次の目的地、ブエノスアイレスにすぐに旅発ってしまう。残された夫婦、そして彼らの病弱な娘Maryを次々と悲劇が襲う・・・。

Robertの希望の見えない必死の努力、彼の人柄の良さ、彼がたまたま背負ってしまった運命の過酷さが、強く胸を打つ。それを美男のMichael Malarkeyが実に切なく表現してくれた。一方のAndrewも海外で成功した時期もあったが、決して全てバラ色の結末ではなかった。また帰国時には、Ruthや故郷の農場が荒廃し、愛する兄弟がやつれているのを悲痛な思いで見ている。Robertの物語は、昔読んだジョン・スタインベックやアースキン・コールドウェルの農民に関する小説を思い出させ、Andrewの人生は、アメリカン・ドリームの成就と挫折の物語である。Ruthのキャラクターは、脚本ではやや自分勝手な人間として一方的に描かれている気がして、もう少し陰影を持った人物として描いて欲しかったが、それでも彼女も生活に苦しみ、やつれ、夢や家庭の幸せを失っていく様をLiz Whiteが名演。Whiteは"Spring Storm"では能天気の、明るくてセクシーな南部美人を楽しく見せてくれたが、今回は打って変わって、毒を含んだ役柄も上手に演じてくれた。

農家の居間の家具が段々古びて壊れかけ、またRobertとRuthの衣服もぼろぼろになっていくのが悲しい。最後には、ふたりは穴だらけの服をまとっている。"Spring Storm"の時も感じたが、照明も大変効果的に使われていた。この劇場のプロダクション、そしてこの演出家、Laurie Sansomは、今後も注目したい。

私は高校生の頃、スタインベックが愛読書のひとつで、コールドウェルの小説にも大変感動した記憶がある。今はそうした小説の内容はほとんど忘れてしまったが、さすがに『怒りの葡萄』の最後シーンに打ちのめされたことは記憶に残っている。この劇で、昔感じた懐かしい感動を呼び起こされた気がした。この劇も、日本語でもやってほしいと思える作品。

2010/07/20

BBC One drama, "Silence" 2010.7.17-15

聴覚障害者が主人公のサスペンス・ドラマの秀作
BBC One drama, "Silence" 2010.7.17-15(全4回連続、各回60分)

Director: Dearbhla Walsh
Producer: Eleanor Greene
Scenario Writer: Fiona Seres

Douglas Henshall (Jim, a police investigator in Bristol)
Dervla Kirwan (Maggie, Jim's Wife)
Gina McKee (Anne, Jim's sister)
Hugh Bonneville (Chris, Anne's husband)
Genevieve Barr (Amelia, Anne's daughter, deaf)
Harry Ferrier (Tom, Jim's elder son)
Tom Kane (Joel, Jim's younger son)
Rebecca Oldfield (Sophie, Jim's daughter)
Jody Latham (Roach)
Rod Hallett (Mac, Jim's colleague in the drug squad)
Del Synnott (Terry, Jim's colleague in the drug squad)
David Westhead (Frank, Jim's colleague)
Mark Stobbart (Lee)
Richie Campbell (Rocky, Jim's colleague, a good amateur boxer)
Shazad Latif (Yousef, DJ and Sophie's boyfriend)

大変見応えのあるBBCドラマ。4夜連続で放映され、私は後でiPlayerで見た。話の舞台は、ブリストルの警察。Jimは殺人課のベテラン刑事で、家庭を顧みないほど仕事に没頭しているワーカホリック。妻と、難しい年頃の、3人の思春期の子供がいる。

Jimの妹Anneはブリストルの市街からはかなり離れて住んでいるようだが、Anneには耳の聞こえない娘Ameliaがいる。Ameliaは最近聴力を回復するためにインプラントを体内に埋め込む手術を受け、それを使いこなし、聞いて話す技術のトレーニングを受けるために、ブリストルの専門家のところへ通っている。その為、しばらくJimの家に滞在中だ。

ところが彼女がJimの家に滞在中に飼い犬の散歩に出たところ、女性が故意に車にぶつけられて殺害されるシーンを目撃する。しかもそのぶつけた車から出てきた男の顔も目撃。この女性はブリストルの麻薬組織に潜入して捜査中の女性覆面警察官であり、更に、彼女を殺害し、Ameliaに目撃された男は、麻薬捜査班の刑事だった。即ち、ブリストル警察の麻薬捜査班は、腐敗していたのである。

JimはAmeliaを捜査の渦中に投げ込み、危害が及ぶかも知れないことを恐れて、彼女の話は自分が聞くだけにして密かに捜査を進めるが、やがて汚職警察官達はJimの捜査に気づき、やがてAmeliaが目撃者であることも彼らの知るところとなる。Jimの一家にもAmelia自身にも危険が迫り、一触即発の事態となって行く。

このドラマは幾つかの主な要素を寄り合わせている。警察内部の汚職と戦う刑事の話、思春期の子供を抱えたワーカホリックの父親(Jim)の家庭のドラマ、やはり難しい年頃の娘を抱えたあまり意思疎通の良くない夫婦(Anne & Chris)の家庭の話--そこまでは良くあるが、それに耳の聞こえない若者が、インプラントによって新しく獲得した、音が聞こえる世界との格闘が重なる。ただでさえ、"Silence"の世界から、聞こえる人の世界への移行は難しいだろうに、それが殺人事件の目撃と重なり、犯人から追われる身となって、彼女は時折堅く心を閉ざし、Jimや母親のAnneに「耳を傾ける」事を拒否したり、家に帰らずに、住み慣れた「沈黙」の世界に逃避したりする。殺人事件を扱ったサスペンス・ドラマという限定された設定の中ではあるが、障害者の気持ちを理解させてくれる作品として非常に貴重だと思った。

こういう障害者を中心に据えるドラマというのは、大変啓蒙的な、障害者理解の良心的ドラマとすることも出来る。ただその場合、お涙頂戴のセンチメンタルな作品とか、教育番組みたいな誰も見ないお堅い番組になる危険性がある。一方、障害者をご都合主義的に使い、ドラマの娯楽性を盛り上げる道具にする場合もあるかもしれず、障害を持つ人々から抗議の声が寄せられたりしかねない。このドラマは、その2つの間で何とかバランスを取りつつ、娯楽性も大いにあって、かつ、障害者のことも考えさせてくれるドラマになっているように思う。私としては、最初の2話がAmeliaのことがよりじっくりと描かれていて気に入っている。後半の2話は、アクションやサスペンスに富んで、息もつかせぬスピーディーな展開で、娯楽性たっぷりではあるが、その分、視聴者からAmeliaのことについてじっくりと考える余裕を奪っている気がした。

他に多少ご都合主義的なところもあった。AmeliaがCCTVの映像から、読唇術で言葉を読み取るシーンがあるが、素人から見ても到底読めるとは思えないぼやけた小さな映像だった。また、Jimの家は、単なる警察官(ベテランの中間管理職とは言え)とは思えぬほど豊かな様子だ。

Ameliaを演じたGenevieve Barrは本当の障害者で、耳の聞こえない人だそうであり、しかもプロの俳優ではないそうである。にもかかわらず迫真の演技! 彼女の恐怖や不安、孤独の表情は、他の何よりもこのドラマに説得力を与えていた。この障害を持つ女性が、BBCのゴールデン時間帯に放映された主要なドラマに登場しただけでも、このドラマが制作された意味はあると感じる。

ドラマとは直接関係ないことだが、これを見つつ強く感じたのは、国家権力を行使する警察という組織が当てにならない、いや市民を迫害し始めた時の恐ろしさをつくづくと感じた。多くの専制的国家では今でも頻繁にあることであり、また戦前戦中の日本における社会主義者や一部の宗教者のケースなど、日本人にも無縁ではない。更にイギリスでは、無実の市民(ブラジル人デメネゼスさん)が警察のテロ捜査で誤って射殺されたりもしている。苦しい時に助けてくれるはずの強力な組織から逃げ回らなければならないことほど、恐ろしいことはない。

写真は主人公のAmeliaと叔父で刑事のJim。

2010/07/18

Attica Locke, "Black Water Rising" (Serpent's Tail, 2009)

アメリカ南部の濃密な雰囲気が伝わる娯楽小説の秀作
Attica Locke, "Black Water Rising" (Serpent's Tail, 2009) pbk. 434 pages

☆☆☆ / 5

本屋で何か気楽に読める本を探していて、たまたま手に取ったクライム・ノベル。女性作家に与えられるThe Orange Prize for Fictionの候補作ということだそうであり、一定の評価をされているのだと思う。長く記憶に残る本とは言えないが、かなり手に汗を握るところもあり、また社会的背景が綿密にかき込まれている点が特に楽しめた。(ちなみに、Orange Prizeは英語で出版する女性作家だけを対象にしたかなり権威のある賞で、Man Booker Prizeと違い、国籍を問わずアメリカ合衆国の作家も含む。今年は、結局Barbara Kingsolverの"The Lacuna"が受賞)。

物語は1981年のある日、テキサス州のヒューストンで始まる。かっての人種差別反対運動の闘士で、今は慎ましい、個人営業の黒人の弁護士Jay Potterは、妻のBernieの誕生日のお祝いとして、夜、彼女と町の沼沢地(バイユー、baiyou)を遊覧ボートで観光していた。ところが、女性の悲鳴と銃声が鳴り響き、そしてやがて白人の女性が水の中に助けを求めて現れる。Jayは彼女を助け、近くの警察署の前まで車で連れて行って、降ろす(後にこの女性はElise Linseyという名前であることが分かる)。しかし、彼は警察には同行しない。というのは、かって黒人の活動家として不当に差別され、長期間投獄された経験もあるJayは、警察や国家権力に対しては、抜きがたい猜疑心と恐怖感がトラウマとして残っているのだ。

ところが、やがてこのLinseyに撃ち殺されたと見られる男性の死体が見つかって警察が捜査を始める。更に、JayとBernieの夫婦を載せてくれたボートの船頭も殺され、Jay自身も始終監視され、脅迫を受け、妊娠している妻Bernieの安全も脅かされるようになる。背後で、何か大きな力が事件のもみ消しを画策しているが徐々に明らかになっていく。

この小説の特色は、ひとつの殺人事件を、70年代から80年代初頭のアメリカ南部の社会的文脈と密接に絡み合わせて描くことだ。アメリカ南部版の松本清張みたいな作品であり、一種の政治小説としても楽しめる。ブラック・パンサーや学生運動と関わったJayの敗北感とトラウマ。その当時の政治運動の仲間で、昔の恋人であるCynthiaが今はヒューストンの市長になっていて、昔ふたりで共有した理想をかなぐり捨て、保身の為にJayの足を引っ張る。ブッシュ一家を生んだ非常に保守的な土地柄のテキサスと巨大なオイル・マネー、コール石油の経営者Thomas Coleの魔の手。銃の溢れる土地柄で、Jay自身、不法な銃を常時携帯していたが、それが彼の命取りになりかねない。更に、Jayの妻の父を通じて、彼はヒューストンの地域経済を揺るがす労働争議に巻き込まれるが、これがCynthiaやThomas Cole、そして殺人事件とも関連してくる。

沢山の要素を描きつつ、Lockeはヒューストンという、金と権力、そしてその背後によどむオイルにまみれた町の姿を描く。ヒューストンの町そのものが命を帯びて、主人公になったとも言えるような小説である。

Jayが単なる正義感ある探偵や警官などでなく、法に照らして後ろ暗いとこもあり、屈折した人物であるところが良い。彼は、Elise Linseyを助けた時にすぐ自分も警察に出頭して事情を話すことも出来たのだが、昔のトラウマで権力が信用できず、更に不法な武器の携帯によって、かえって自分を窮地に追い込んでいく。学生運動時代の社会的良心も残ってはいるが、しかし貧しい人々のために良心的な仕事ばかりしていたのでは弁護士として食べていけず、妻と生まれてくる子を養えないのも身にしみて感じている。妻への愛は揺るがないとしても、Cynthiaへの追慕が完全に消えたとも言えず、少なくとも昔の活動家の同志として彼女に期待したいという気持ちがぬぐえずに、苦い思いを重ねる。

娯楽小説としては、最後がちょっと肩すかしを食わせられる印象かも知れない。あまりドラマチックな終わり方をせずに、シリーズ化を意図して、今後の展開のための含みを持たせた結末とも言えるだろう。Attica Lockeは、これまで作家としては映画のシナリオを書いていたらしいが、本作は第一作目の小説とは思えない手慣れた筆致。どこを突けば読者が反応するかを良く心得ている感じがする。魅力的な主人公と濃密な雰囲気の醸成は、ハリウッド映画にするのを意図して書かれたとも思える娯楽性豊かな作品だ。イギリス小説だったら、☆を4つにしたところだろうが、私はアメリカにあまり興味がないので、やや辛い星の数になった。アメリカ、特に南部に興味のある方にはお勧めです。

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2010/07/08

Simon Russell Bealeの新しい舞台とEdward Hallの新しい仕事

現在大好評上演中の"London Assurance"に出ている、舞台ファンの間では国宝級のSimon Russell Beale、8月20日よりNoel Coward Theatreで"Deathtrap"という娯楽ミステリ劇に出演する。共演者の一人はこれも芸達者の美人女優Claire Skinner。彼女は前回の舞台はイプセンの"Little Eyolf"をイギリスに移植した"Mrs Affleck"だった。私も見たがあまり良くなかった。今回は既に定評のある劇のようだし共演者もRussell Bealeなので、きっと面白いだろう。あの"Mrs Affleck"が才気溢れるMarianne Elliotの演出だったとは!上手の手からも水がもれることもあるということだろう。その後Elliotは"Women Beware Women"でまた傑作公演を出し、株を上げた。

日本にもやって来ているPropeller のEdward HallがHamstead Theatreの芸術監督になるらしい。私は最近Jamie Lloyd演出の"Salome"を見に行ったが、ブログに書いたとおり、落胆させる出来だった。この劇場の上演作品は、これまでもかなり出来不出来に波のある状況で、期待を裏切ることが多かったらしい。素晴らしいスペースなので、Hall時代になったら是非良いラインアップを期待したい。新作だけでなく、時々は古典をオーソドックスにやったりもして欲しいな。Propellerは俳優が全員男性というユニークな劇団。私はまだ公演を見たこと無いので、是非一度見てみたい。Hamsteadでもやるんだろうな。

写真はEdward Hall。

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2010/07/06

"Personal Enemy" (The White Bear, 2010.7.5)

オズボーンが描く赤狩り時代のアメリカ
"Personal Enemy"

FallOut Theatre公演
観劇日:2010.7.5  19:30-22:15
劇場:The White Bear (Kennington, London)

演出:David Aula
脚本:John Osborne and Anthony Creighton
美術:Anna Hourriere
照明:James Baggaley
音響:Ed Lewis
作曲:Luke Rosider
衣装:Namiko Mitoma

出演:
Karen Lewis (Mrs Constant)
James Callum (Mr Constant)
Joanne King (Caryl Kessler, the Constants' daughter)
Mark Oosterveen (Sam Kessler, Caryl's husband)
Peter Clapp (Arnie Constant)
Genevieve Allenbury (Mrs Slifer, a Polish immigrant)
Steven Clarke (Reverend Merrick, a priest / Ward Perry, a librarian / an investigator)

☆☆☆☆ / 5

フリンジの劇場でのマイナーなプロダクション。しかし、友人との共作ではあるが、John Osborneの、"Look Back in Anger"以前の、滅多に見られない作品で、完全な形では世界初演とのこと。更にガーディアン紙のマイケル・ビリントンが高く評価していたので、行ってみることにした。冷戦期の1953年、赤狩りの嵐が吹き荒れるアメリカでは、田舎町の平凡な一家にも大きな影響があったという設定。時代設定等は異なるが、雰囲気や作者の意図は、Arthur Millerの『坩堝』を思い出させる作品。なかなか迫力ある台詞のやりとりで、大変楽しめた。

John Osborneと彼の友人Anthony Creightonは1954年にこの劇を書いた。Osborneが"Look Back in Anger"で注目を浴びるのは2年後の56年。当時はまだ演劇はLord Chamberlainの検閲を受けており、ホモセクシュアリティーへの言及などに関して、大幅な台詞の変更やカットを余儀なくされた後、1955年5月、北ヨークシャーの保養地、HarrogateのThe Opera Houseで初演されたが、評判にはならず、その後上演されないままであった。またOsborne達の、カット前のオリジナル脚本は行く方不明だったようだが、Lord Chamberlainに提出されたものが近年になってBritish Libraryで見つかり、始めて完全な形で上演の運びとなった。

舞台は1953年のアメリカの架空の小さな町Langley Springs。Constant夫婦は地元でも尊敬を集める豊かな中産階級の人達。結婚して近くに住む娘。そして自宅にいる十代と思われる息子のArnie。更にDonという長男がいたが、朝鮮戦争で戦死した。この劇の舞台になっているのは、Mrs Constantの誕生日で、朝から家族皆が彼女に暖かくお祝いを言い、プレゼントを渡し、一家は幸せいっぱいの雰囲気。Donの居ないことを思い出した時には悲しみに包まれるが・・・。隣人の賑やかなポーランド移民のMrs Sliferもやって来て、一層盛り上がる。彼女の自慢の息子はワシントンの国務省職員である。

しかしこの日、時間が経つに連れて、一家には次々と新しい意外な事実が分かる。Donは実は戦死したのではなく、朝鮮で軍を脱走し、帰還を拒否していることが明らかになる。また、DonもArnieも図書館員でインテリのWard Perryと大変親しくしており、Perryが彼らに贈った本に、「愛を込めて」なんて書いてあった。Donの脱走のニュースは一気に町の人々に広まる。間もなく、ワシントンの議会から反米活動委員会 (The House Un-American Activities Committee) に派遣されたらしい居丈高の役人がやってきて、一家を追及し、Donの部屋を捜索する。田舎牧師のMerrickもやって来て、息子の育て方を責める。こうしたことの対応をめぐり、家庭もばらばらになる。DonやArnieを責められずに自分の中に引きこもるMr Constant、考え方は非常に保守的だが、息子を信じたくて何かの間違いだと言い続けるMrs Constant、役人のように攻撃的で、両親を責める娘のCaryl、妻に引きずられながらも、これはおかしいと思い続けるSam Kessler。Arnieは自分の気持ちを誰にも理解されず、家を飛び出して行き、一家の苦悩は加速する。更に移民のMrs Sliferの息子も、おそらく赤狩りの影響で国務省を解雇されたとのニュースが入るが、一家はそれに同情する余裕も無く、町で唯一残された友人との間にも亀裂が入る。

特に見どころのシーンは、Mrs ConstantとKessler夫婦がWard Perryを自宅に呼びつけて息子達との関係について詰問するところ。但、Mr Constantはこれに参加することを拒否。特にCaryl Kesslerは目をつり上げ、声を張り上げて、まさに異端審問官である。つまり、田舎町の平凡な家庭と議会の反米活動委員会 (The House Un-American Activities Committee) が同じような事をやっているのだ。赤狩りはワシントンの一部の政治家によってだけなされたのではなく、その背後にはアメリカの多くの小市民の偏見があったと、OsborneとCreightonは言いたいのだろう。自分の殻に閉じこもり沈黙する父親、不快に感じつつも何も出来ない義理の息子、過激な娘とそれに引っ張られる母親––当時のアメリカの様々な市民の縮図だろうか。

この劇場は、パブの奥にある四角い部屋の2辺に2列に長いすを並べただけのスペース。収容人員は40人弱と思う。セットも低予算で出来るだけの事はしてあるが限界はあり、50年代のアメリカの家庭らしい雰囲気が出ているとはとても言えない。その点では、AlmeidaやCottesloeだったら格段に違っただろうと思う。それにもかかわらず、大変パワフルな台詞のやりとりで、堪能させてもらった。いくらか素人臭いところ、演技がやや過剰の俳優さんなどいたとは思う。また、Steven Clarkeが対照的な役を3役こなしたのは、使える俳優の数に制限があるためだろうけれど、やや無理があった。しかし、全体しては、大変良く演じられており、正味2時間半、退屈する時はほとんどなかった。物語と台詞に力があると思うので、これからも繰り返し上演されるに値する作品だと思う。朝鮮戦争の時代を背景にしており、ミラーの『坩堝』ほどではなくても、日本の観客にも訴えうると思うので、日本の劇団にも是非翻訳上演を検討して欲しい。と、誰も読まないブログで書いても仕方ないか(苦笑)。

ただ脚本でひとつ気になるとすれば、否定的に描かれているのがMrs Constant、そして特に攻撃的な娘Carylという2人の女性であること。たまたま女性がそういう役割になったというより、Osborneは女性の特性に偏狭さがあると考えていると取れないことはない。Osborneの女性差別意識を示していると指摘する評者もあった。

コスチューム担当は、日本人の方です。

以下はThe White Bearパブの正面。黄色を配色したなかなか華やかな色合いで、目立ちます。休憩時間、することがないのでコーラを飲みました(^_^)。こういう所は友達と行きたいですね。


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2010/07/04

Oscar Wilde: "Salome" (Hamstead Theatre, 2010.7.3)

奇抜な演出だが、空振り!
Oscar Wilde: "Salome"

Headlong Theatre and Curve Theatre (Leicester)公演
観劇日:2010.7.3  16:00-17:20
劇場:Hamstead Theatre

演出:Jamie Lloyd
脚本:Oscar Wilde
セット、衣装:Soutra Gilmour
照明:Jon Clark
作曲、音響:Ben and Max Ringham
movement:Ann Yee

出演:
Con O'Neill (Herod)
Zawe Ashton (Salome)
Jaye Griffiths (Herodias)
Seun Shote (Iokanaan, i.e., John the Baptist)
Vyelle Croom (Naaman)
Sam Donovan (The young Syrian)
Nitzan Sharron (The Cappadocian)
Tim Steed (The Jew)
Richard Cant (Page of Herodias)

☆ / 5

Donmar Warehouseのassociate directorで、"Piaf"、そして最近では私も2度見た"Polar Bears"などを演出しているJamie Lloydの演出作品。勿論脚本はOscar Wilde。奇抜な演出とは知ってはいたが、やはりそうだった。最初度肝を抜かれたが、しつこい。最後には退屈してあくびをこらえつつ見た。

ワイルドの劇というと、彼のウィットとファッショナブルな感覚が光る"An Ideal Husband"とか、"The Importance of Being Ernest"と、この"Salome"では随分作風が違う。前者のタイプも大好きなのだが、"Salome"のような耽美的な、世紀末美学全開の作品ももっと書いて欲しかったと思う。ダグラス郷との事件で、そんな間もなく逮捕されたのかと思っていたが、公演パンフレットによると"Salome"自体、計画されていたイギリスでの公演を、Lord Chamberlainの検閲により禁じられたそうである。道理でその後この種の作品を書かずに、コメディーへと向かわざるを得なかったわけである。その禁止の理由というのが、聖書の題材を劇にしたから、ということだそうだ。冒涜と見なされたのだろう。ちなみにLord Chamberlainの検閲が廃止されたのは1968年!戦後になっても、キリスト教の神をステージで演じることは出来なかった。この1968年というのは、ウエストエンドでの"Hair"の初演の年。イギリス演劇の大きな分水嶺の年だ。

さて今回の上演について。真っ黒なステージ、黒い砂を敷き詰めた様な床。まわりは鉄パイプが組んであり、俳優は時々よじ登ったりする。焼けただれた戦場にしつらえられた王の仮住まいか? 床の真ん中に預言者ヨカナーンの牢屋に通じるハッチみたいなものがある。男は皆迷彩服で、王ヘロデも、豪華な服ではなく、兵士と似たような粗末な灰色の服を着ている。サロメは盛りのついたティーンエイジャーそのもの。そのサロメもヘロデも、極端にデフォルメされたエロティックな動作を繰り返す。腰を振り、性行やマスターベーションのような動きを繰り返しつつ、様式的な台詞を放つ。背後では、ほぼずっと鳴り続けるズシンズシンというロックのベース音(これが私には非常に不快)。全てがそういう感じ。焼きすぎて、肉汁のうま味も出つくし、焼け焦げて味も何も分からなくなった焼き肉みたいなもの。ワイルドの耽美的美しさのかけらもなし。退廃的ではあるが。

サロメは盛んに首をぴくぴく神経質に横に振り、発作的な動作で品を作る。こういう特徴って、どこかで見たことがあると思ったら、昔テレビのインタビューで見たマドンナがこんな感じだった。極端な自意識過剰の若い女性に良く見られる動きだ。10代後半の女性にもちょくちょく見られるかな。

ヘロデは王としての威厳のかけらもなく、兵士達の隊長にしか見えない。下卑た動きを繰り返し、あまりに下品なので笑うことも出来ないようなコミカルさ。一方、妻のヘロディアスの屈折した様子は面白く見られた。

ヨカナーンは地獄の底から雄叫びを上げる怪物みたいな描かれ方で、かなりユニーク。鎖で縛られていても、兵士を怖じけさせる圧迫感を放っている。この公演の文脈では、全身、男根のシンボルみたいな男。その怪物の切断された、血のしたたる生首にSalomeはしゃぶりつく。

ロックを使うのも、戦場の廃墟の様なセットも結構だが、アクセントがなく飽きてしまった。もっとテストステロンあふれる若い観客だったら面白いと思うかも知れないが・・・。テキストに込められた様式美を生かした演出をしていれば、どんなにか印象的な舞台になったことかと思うと残念!この公演は、ヨカナーンと共に、ワイルドの詩的言語を意図的に虐殺した。また、この劇の最大の魅力は、救世主が生まれる直前の期待と不安、乱れた現世の退廃とやがてメサイアが来るという希望の入り交じる時代を背景にした聖と性のコントラストだと思うが、そういう事は、破壊的なヴィジュアル・イメージに飲み込まれて何も伝わってこない。Jamie Lloydの株は、私にとっては地に落ちた。

俳優達は大変な汚れ役を熱演していて、説得力に乏しい舞台に立たされて気の毒。そう思うのは私だけかも知れないが。

Hamstead Theatreには今回初めて行った。都心の、パブの2階などにあるフリンジとは大違いで、小さめだが、新しい立派な劇場。今回の公演を見ても、音響や照明の設備も一流のものと思う。ロビーも広々として、カフェになっているし、外のテーブルもある。早めに来て、お好きな方はワインを飲んだり、軽食を取ったりするのに良さそうだ。隣はイギリス風寿司レストラン(私は入っていませんので、味は知りません)。下はHamstead Theatreの入り口付近。




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"Spring Storm" (National Theatre, 2010.7.1)


楽しい(!)テネシー・ウィリアムズの初期の佳作
"Spring Storm"

Royal & Derngate Theatre, Northampton公演
観劇日:2010.7.1  19:30-22:15
劇場:Cottesloe, National Theatre

演出:Laurie Sansom
脚本:Tennessee Williams
美術:Sara Perks
照明:Chris Davey
音響:Christopher Shutt
作曲:Jon Nicholls

出演:
Liz White (Heavenly Critchfield)
Michael Thomson (Dick Miles)
Michael Malarkey (Arthur Shannon)
Anna Tolputt (Hertha Neilson, a librarian)
Gavin Harrison (Henry)
Janice McKenzie (Mrs Lamphrey)
James Jordan (Oliver Chritchfield)
Jacqueline King (Esmeralda Chritchfield)

☆☆☆ / 5

この劇を見たのは木曜。その前の週末、土曜の夜あたりから激しい腹痛と熱に襲われ、3日くらい寝ていた。木曜日はまだ病み上がりだったので、劇に集中出来る状態じゃなかった。3分の1くらいはうとうとしていたし、意識がはっきりしていた時も注意力が続かない。そういうわけで、今回は見た事実を記録しておく、という意味でだけ書いています。でも居眠りしてても良いかな、という、悪い意味ではなくてのんびりした内容の劇。

"Spring Storm"は1937年に書かれた。Williamsが20歳代の修業時代で、アイオワ大学の演劇創作コースに行っていた頃の作品だそうである。だから後の"The Glass Menagerie"や"A Street Car Named Desire"にあるような劇的緊迫感は望むべきではないだろう。長さは結構あるが(休憩を含め、2時間45分)、寝ぼけた私にもやや散漫である感じがした。しかし、大変魅力的な愛すべき主人公のキャラクターが素晴らしい。また、若者達が青春の悩みで悶々とする様子は、後の幾つもの名作の下地がしっかり出来ていることを示し、Williamsを知る上で貴重な作品だ。

物語の基本は、主人公で、南部の華やかな美人女性であるHeavenlyと彼女の二人の対照的なボーイフレンドの間の青春ドラマ。HeavenlyはBlanche Duboisが若くて、まだ影を帯びてなかった頃のような感じだろうか。なんだが昔の日活青春映画見てるみたいな、気恥ずかしさや懐かしささえ感じる楽しさ。それに、分厚い眼鏡をかけた図書館員で真面目人間のHerthaの、ユーモラスだが悲劇的な春の目覚めがサブプロットとして描かれていて、この点もまた国境を越えて青春ドラマの定番だ。隣の客は、この劇をvery dated(時代遅れ)と言っていたが、そういうナツメロ的な雰囲気がかえって気楽に楽しめる作品にしている。

作品の魅力は、ひとえにHeavenlyのキャラクターにありそうだ。無邪気でちょいと頭が空っぽで、突拍子も無い、馬がいななくような面白い笑い方をする、所謂サザン・ベル(Southern Belle)というタイプの美人。マリリン・モンローみたいなところもあるが、もっとからっとして、腕白で、いくらか少年っぽい。男性の多くは、こういう人にはころっと参るかも。メインのボーイフレンドのArthurは真面目くさった、Heavenlyの手もなかなか握れないような非常にお堅い男で、彼女にはじれったいけど、中身は愛すべき奴。もう一人のDickは、南部のワイルドマン。突然キャリバンみたいな恰好で出現したりして、Heavenlyを驚かせ楽しませる。そういう雰囲気は寝ぼけていてもかなり楽しめた(苦笑)。一方で、のちのWilliamsの戯曲、特に"Glass Menagerie"の若い気弱な娘Lauraに見られるような非常に繊細な女性心理は、いくらかコミカルではあるが、大変不器用で悩みの多いHerthaとして芽生えている。Heavenlyの母親Esmeraldaは猛烈にお節介で過保護の母親で、しかも自分の家庭を過大評価しているのは、"Glass Menagerie"の母親役、Amanda Wingfieldで完成したキャラクターだ。

フレッシュな青春群像を4人の若者が好演。特にLiz Whiteは素晴らしかった。もっとコンディションの良い時に見たかった!残念。

この公演はNorthamptonのThe Royal and Derngate Theatreという劇場のプロダクションで、ナショナルがCottesloeを提供している。地方劇団のレベルの高さを見せつけられた。また、この作品と共に、同じ劇団、同じ役者達やスタッフが、今回Eugene O'Neillの初期の劇、"Beyond the Horizon"もレパートリー公演している。そちらは今月後半に見る予定。


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