2011/01/28

QIの件を振り返って:稲塚秀孝監督へのメール

記録映画『二重被爆 語り部山口彊の遺言』を撮られた稲塚秀孝監督が私に連絡を取りたいとブログに書かれておられると、友人から連絡がありました。BBCのQIの問題が大きくなってから思ったことも含め、稲塚監督へのメールに書きましたので、これまでのブログの内容と重複することが多いですが、その全文を以下に引用させていただきます。末尾にありますように、監督にもお断りしております。

稲塚監督が撮られた映画の公式ブログは、このページです。QIの件以降、稲塚監督がどのように考え、行動されているのかも記されています。BBCに対し、山口さんのドキュメンタリー映画を放送するよう働きかけをされるそうです。

(以下は稲塚監督へお送りしたメール)

稲塚様、

ブログを読ませていただき、ご連絡を差し上げております。

稲塚さまが連絡されたいと思ってブログで書いておられる50代の男性は、もしかしたら私のことかもしれません。私のブログはご覧下さったでしょうか:
http://playsandbooks.blogspot.com/

右のコラムのカテゴリーに、QIの問題について、というものがありますので、そこをクリックして下されば、この件の投稿をまとめてあります。

私自身は、一部の報道や反応に見られるように、この番組の制作者や司会者が山口さんを「侮辱」したとは思っておりません。しかし、この番組が、結果的にそういう気持ちを被爆者の方々やご家族に与えてしまったのではないかとは思います。悪意の無い番組であり、取り上げ方であったし、日本人でも英国通や英国のコメディーのお好きな方、英語でユーモアを詳細に解する方々の間では、この程度は笑って済ませるべき事、あるいは日本での過剰な反応は番組の誤解に基づいている、というご意見があるようです。

しかし、私自身は、原爆の恐ろしさ、その悲惨な体験を考えると、そもそもこのような「コメディー番組」で取り上げるべき事柄ではない、という意図でBBCに抗議を致しました。

お恥ずかしい事に私は山口さんについてそれまで知らなかったし、原爆の被害等についても詳しいわけではありませんので、こういう事で抗議する資格があるのか、当初の12月18日頃、しばし考えました。しかし、日本では放映されないこの番組をイギリスで見て、英語で大体を理解出来、そして、日本人であるなしにかかわらず、その非礼を感じる事のできる人が何人いるか考えた時に、私があの時点でそのままにしてしまったら、誰も気づかないままに終わるかも知れないと感じました。

自分のメールだけでは、制作者側はちゃんと考えてくれないだろうと思い、ブログとメールで友人に呼びかけ、またメールで、大使館や3つの新聞社、日本被団協にもお知らせしました。広く呼びかけたら、という事は、友人の励ましもきっかけになりました。そうした経緯は私のブログに書いております。

その後、共同通信社が大使館が抗議したことを配信し、一気にマスコミに取り上げられたことはご存じの通りです。

大変悲しい事に、その後、日本では、一方的なBBC、そしてイギリス叩きがネットを中心にあり、差別的な言辞が多く使われているようです。一般に、こうした差別意識は日本のほうがイギリスよりも遙かにひどく、日本人はこの点ではイギリスを始めとする欧米諸国から学ぶことは沢山あると思います。

私は18歳で大学の英米文学科に入学して以来40年弱の間、イギリスの文学や英語を勉強してきました。イギリスにはひとかたならぬ愛着があり、イギリス国民の良いところも常日頃から感じております。また、BBCはイギリスではニュースやドラマなどを中心に毎日視聴し、その多岐にわたる偏見の少ない報道姿勢、丹念な番組制作には感心しています。だからこそ、今回のような件で、注文をつける価値があると思いましたし、BBCには柔軟に視聴者の意見を拾い上げるシステムがあるだろうと予想しておりました。これが民放やケーブル局であれば、そうはしなかったでしょう。

さて、25日朝日新聞夕刊(東京版)でBBCがマーク・トンプソン会長名で謝罪の書簡を大使館に送った旨の報道がありました。Asahi.comでも掲載されていました:

http://www.asahi.com/international/update/0125/TKY201101250107.html

ではとりとめのない乱文で失礼致しました。稲塚様のご健勝をお祈り致します。

XX大学大学院生
XXXX

追伸 
多分もう一回、この件についてブログで報告しようと思っております。上記の私のメールが私の現在の思いを示しているので、ブログで使わせていただくかも知れませんが、ご容赦下さい。
(メール終わり)

2011/01/22

QIの件について:再度、お礼とお断り

(BBCからQIでの山口さんの扱いについて正式の謝罪が出されましたので、私達の抗議の当面の目的は達成されたと思います。従って、これ以上抗議送付のお願いはいたしません。しかし、前後の経緯について調べてみたいと思われる方がおられるかも知れませんので、これらのページは、当面、このままにしておきます。)

BBCで放送されたコメディー・ショーQIが二重被爆者を無神経に扱った件で、私の呼びかけにご賛同下さり、苦情を送って下さった方、ありがとうございます。今回、メディアでこの件が報じられて以来、私のささやかなブログにもたくさんの方のアクセスがあるようで、コメントやメールをかなりいただきました。コメントが時々、Bloggerの自動スパム検出機能にひっかかり、直ぐに公開されないことがありますが、気づき次第(特に問題や悪意のないものは)、公開しますので、直ぐに反映されない時には、半日か1日後にご確認下さい。

QIは大変人気のあるコメディー番組です。この番組で被爆者を無神経に扱ったことについて、最初に気づいてBBCに苦情を送ったり、大使館に知らせたりしたのが、私とは限らず、他の視聴者の方である可能性も高いです。ニュース記事に書かれている、「在留邦人」に私が含まれるにしても、私はその1人に過ぎません。また、この件で、私は、このブログの読者を含む、知人、友人にご協力をいただき、ブログやTwitter、facebook、Mixi等で知らせていただきました。特に、ブラッドフォードのTakaoさん、ロンドンの守屋さん、saebouさん、リーズのYSさん、東京のおはるさんには速やかに、かつ熱心にご協力いただき、お礼を申し上げます。

2011/01/19

"QI"の件についてBBCから返答がありました

(BBCからQIでの山口さんの扱いについて正式の謝罪が出されましたので、私達の抗議の当面の目的は達成されたと思います。従って、これ以上抗議送付のお願いはいたしません。しかし、前後の経緯について調べてみたいと思われる方がおられるかも知れませんので、これらのページは、当面、このままにしておきます。)

BBCのコメディー・ショー、"QI"において、広島と長崎で二重に被爆された山口彊(つとむ)さんを取り上げ、無神経に扱った件で、私の、あるいはその他の方の呼びかけに応じて、BBCへ抗議のメール等をお送りいただいた皆様、どうもありがとうございました。

抗議のメールを送られた皆さんのところにも返事があったものと思いますが、私にも本日1月18日、BBCの番組プロデューサーPiers Fletcher氏の名前で返答がありました。その概要は、基本的には山口さんのケースを偏見無く、配慮を持って扱ったつもりである、ヨーロッパ人やアメリカ人の、第二次大戦時の類似の経験についても、この番組で良く扱っている、原爆投下以後の日本人のたくましさにも肯定的に触れている、と番組の弁護をしています。しかし、その一方で、日本人にとっての被爆の問題の重大さを過小評価したことも認める、との反省の弁も含まれており、今後、番組制作において、このことを考慮に入れるそうです。我々が望むように反省しているかというと疑問ですが、第二次大戦の戦勝国であり、また核兵器を重要な国防手段と考えている国の放送局としては、これが精一杯でしょうね。このメールは組織としての返答であり、多くの方に同じ文章が送られたようなので公開しても差し支えないと思いますから、以下に本文を全文引用します:

Thanks for contacting us. Below is a response to your concerns from the producer of ‘QI’.

‘Thank you for taking the trouble to write to us about the recent edition of QI which dealt with the remarkable story of Tsutomu Yamaguchi, to which I am responding in my capacity as Producer of the programme.

I should say from the outset that we greatly regret it when we cause offence, and that it is never our intention to do so. QI is not a programme which habitually mocks its subject-matter; on the contrary, we try to recognise and celebrate less well-known people, events and ideas. On this occasion we pointed out the very striking nature of Mr Yamaguchi’s experience by relating, without distortion, a story which had been covered extensively in the Japanese media and about which Mr Yamaguchi himself spoke quite openly. We then went on to sincerely admire the resilience of the Japanese in the circumstances of the time (in the context of how the trains continued to run in the aftermath of the bombing).

It has been suggested to us that we would not have run an item of this kind about the European or American experience of the Second World War. For the record, I would point out that we do in fact run such pieces quite regularly.

However: having said all this, it is apparent to me that I underestimated the potential sensitivity of this issue to Japanese viewers. It isn’t hard to see that they might well regard this topic as altogether unsuitable for inclusion in a light-hearted television programme however sensitively it was handled. I thank you for making us aware of the issue, and for the courteous terms in which you did so; please rest assured that I do recognise your concerns and will certainly take them into account in future.

Yours sincerely

Piers Fletcher
Producer, QI’

Thanks again for taking the time to contact us.

Kind Regards

BBC Audience Services

この返答は、想定範囲内の、やや不満足なものではありましたが、しかしBBCが視聴者、それも視聴料金を払っていないであろう外国人の苦情にも丁寧に答える姿勢は評価できると思います(私は視聴料は払っています)。NHKや日本の民放はこうしたことまでやるでしょうか。

さて、この件で、私は、朝日新聞、中国新聞、長崎新聞にも取り上げて欲しくて、各社のインターネット・サイトにあった窓口からメールを送って、情報提供をしました。返答があったのは、中国新聞のみで、担当部署にメールを転送しましたとのこと。これらの新聞やインターネットサイトで取り上げたかどうかわかりませんがその後のコンタクトもありませんので、多分取り上げていないのだろうと思っております。

更に、イギリスの公共放送における日本の被爆者の扱いですから、私は在英日本大使館にも、知っていただきたいと思い、12月21日にメールを出しておきましたが、大使館からは、クリスマス前の慌ただしい時期にもかかわらず、24日には返事があり、抗議する方向で手続きを行っているとの事でした。その後、年末年始のお休みの時期でもあり、お役所のことであるからあまり期待を抱かないほうが・・・と思っておりましたが、先日11日に大使館からお知らせをいただき、抗議の手紙を送付したとのことです。大使館からの正式の抗議は、即ち日本国外務省の抗議ですから、BBCも真面目に取り上げざるを得ないでしょう。今回、我々に丁寧な返答があったのも、大使館の抗議にも押されてだったのかも知れません。不親切と言われることもある在外公館ですし、私も他の国に行った時にそういう印象を持ったこともあります。しかし、在英日本大使館に関しては、私は海外選挙人登録でお世話になり、また今回の事もありましたが、いずれも丁寧な対応をして下さり、ありがたく思います。BBCは苦情には答えるというのを公の方針としてウェッブサイトに書いているので、返事があるとは思っておりましたが、大使館が一学生の意見を取り上げてくれるとは思っていなかったので、この反応には驚いたというのが正直な感想です。

最後に私がBBC送った抗議文をそのままコピーしておきます:


I, a Japanese citizen, and many of my compatriots are deeply hurt and offended by the fact that a respectable public and supposedly unbiased organization like BBC made fun of a late atomic bomb victim, Mr Tsutomu Yamaguchi, who suffered not only in Hiroshima but also Nagasaki. The fact that you took up such a topic in a "comedy" show is extremely offensive for us, but to laugh at the extreme misfortune of him being in both Hiroshima and Nagasaki is a sign of unimaginable insensitivity. I who have spent most of my 57 year life studying English literature and language, am deeply disappointed and hurt by your callousness. I suppose not many Japanese people have seen this programme, but if they had, they would have felt the same as I do. What do the British feel if we make fun of a soldier who severely injured and handicapped, first in Iraq then later in Afghanistan? Or would you have featured a unlucky victim of the Coventry blitz, or even the notorious Dresden bombing? The insensitivity of this programme really shocked me.

(英語にケアレスミスがありますが、送った文のままにしてあります。)

(23日追記)まだ書いてなかったことを付け加えます。上記の新聞社3社にメールした12月24日頃に、日本被団協にもホームページの窓口を通じて、同様のメールをしました(ホームページに直接書き込んだので、原文は残っていませんが)。返事はありませんでした。


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2011/01/10

"The Rivals" (Theatre Royal Haymarket, 2011.1.5)

英語力が足りずに、せっかくの古典が味わえず
"The Rivals"

観劇日:2011.1.5  19:30-22:00
劇場:Theatre Royal Haymarket

演出:Peter Hall
脚本:Richard Brinsley Sheridan
セット:Simon Higlett
照明:Jason Taylor
音響:Greg Clarke
作曲:Mick Sands
衣装:Christopher Woods

出演:
Penelope Keith (Mrs Malaprop)
Robyn Addison (Lydia Languish, her romantic niece)
Peter Bowles (Sir Anthony Absolute, a wealthy baronet)
Tam Williams (Captain Jack Absolute, his son and mostly disguised as Ensign Beverly)
Gerard Murphy (Sir Lucas O'Trigger)
Keiron Self (Bob Acres, Jack's friend and a county bumpkin)
Tony Gardner (Falkland, Jack's friend)
Ian Connignham (Fag)
Carlyss Peer (Lucy, Lydia's clever maid)
Martin Bishop (Thomas)


今回は、私自身の英語力(特に聴解力)が不十分で、ステージで何が起こっているかほとんど分からないまま、インターミッションにまで進んでしまった。休憩の間に、連れに(3人と一緒に出かけた)幾らか説明して貰い、大分分かりかけたが、もう楽しむには遅すぎた。残念。でも見たという記録の為に、物語の筋など後で調べた事を中心にして書いておく。

(以下、劇の筋書きを書いているので、これから公演を見たり、テキストを読んだりする方は、それをご了解された上で読み進んでください。)

イギリス演劇は、ルネッサンス期の古典と、19世紀末以降(具体的には、Oscar Wildeあたりから後)の作品は良く知られ、ロンドンは勿論、世界中で上演されているが、その間に横たわる長い期間、18、19世紀の大半において活動した劇作家や彼らの作品については、現在は学者を除いて注目する人は少なく、イギリスにおいてさえ、上演の機会は非常に限られている。そうした中、Robert Brinsley Sheridan (1751-1816)はかなり知られた部類の作家であり、イギリス演劇の通史の本では必ず取り上げられる。彼の最初の作品"The Rivals" (1775)、が上演されることになり、私としてはどういうものか関心をひかれた。ただし、日本に帰省する前日の夜だったので、その前の数日色々と忙しく、テキストを読むことはおろか、うっかりプロットの下調べもせず出かけてしまった。18世紀の古めかしい英語で書かれた喜劇であるから、台詞がよく分からずに終わり、全く空振りの観劇となってしまった。

(粗筋)18世紀のBathの町。若い独身の娘Lydiaは通俗的でロマンティックな小説に夢中で、小説のお話を現実にしたような恋愛をしなくては、と堅く決めている。彼女の好意を得たい若い将校のJackは、豊かで家柄の良い自分の地位や財産を表に出しては、障害多き恋愛を夢見るLydiaを満足させられないと考えて、貧しい将校のEnsign Beverleyという架空の人物になりすます。Lydiaは、自分の保護者(guardian)のMrs Malapropの意思に反して貧しい将校と駆け落ちする、という想定に、すっかり夢中になる。一方、Jackの父親のSir Anthony AbsoluteはJackに結婚話を持ってくるが、もちろんLydiaに首ったけのJackはそんな話に耳を貸さず、2人は大げんか。しかし、その後、Jackは父が彼と結婚させようとしているのはLydiaその人であると知ることになる。Lydiaの方は、自分が恋をしていたと思っていたEnsign Beverleyが、貧しい兵士ではなく、彼女の保護者があてがおうとしている豊かなジェントルマンであること、つまりロマンティックな障害のない、保護者や親の勧める求婚者であることに大いに落胆、Jackとの結婚を強く拒絶する。

Jackの友人で、臆病な田舎紳士Bob AcresもLydiaに恋をしているが、(架空の)Ensign Beverleyの事を聞き及び、自分の友人のJackが化けた人物とは知らずに決闘を申し込む。もう一人のLydiaの求愛者であるSir Lucius O'Triggerも加わり、三つどもえの決闘になりそうな場面となる。決闘があると言う知らせを聞きつけたLydia, Mrs Malaprop, Sir Anthony等は決闘場所に駆けつけ、大騒ぎとなるが、勿論、JackとLydiaが結ばれる結末に。

最も大きな笑いは、Penelope Keith演ずるMrs Malapropのピントのはずれた言葉の誤用から生まれるそうなんだが、私は基本的な筋をつかむのにも苦労する状態で、とてもそうした言葉使いから生まれるユーモアまでは理解出来なかった。

Peter Bowlesの堅苦しい、しゃちほこばった姿や言葉使いが上手くて、可笑しい。

Peter Hallは80歳だそうである。高齢にもかかわらず、イギリス演劇シーンをリードし続ける姿に驚嘆せざるを得ない。それにしても、英語力不足は今更嘆いても仕方ないとして、良い劇評を得ている公演だけに、私の準備不足でちっとも理解出来なかったのが残念で仕方がない。

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2011/01/09

"An Ideal Husband" (Vaudeville Theatre, 2011.1.4)

最高に楽しくて、しかも人生のお勉強も出来ます!
"An Ideal Husband"



Stanhope Productions & Sweeney Earl Productions公演
観劇日:2011.1.4   19:30-22:10
劇場:Vaudeville Theatre, London

演出:Lindsay Posner
脚本:Oscar Wilde
セット:Stephen Brimson Lewis
照明:Peter Mumford
音響:Gareth Owen
音楽:Matthew Scott

出演:
Samantha Bond (Mrs Laura Cheveley)
Elliot Cowan (Lord Arthur Goring)
Raghael Stirling (Lady Gertrude Chiltern)
Alexander Hanson (Sir Robert Chiltern)
Caroline Blakiston (Lady Markby)
Fiona Button (Mabel Chiltern)
Charles Kay (The Earl of Caversham, Arther's father)
Derek Howard (Mason, a butler)

☆☆☆☆ / 5

(以下、劇の筋書きやディテールを書いているので、これから公演を見たり、テキストを読んだりする方は、それをご了解の上で読み進んでください。 Be warned! 今回は古典なので筋は書いていません。)

楽しくて楽しくて、2時間40分、私の顔はゆるみっぱなし。Wildeって、本当に天才だな、と改めて思った。早死にしたのが残念だ。そのWildeの楽しさを十二分に伝えた公演。いくらか新しい味付けはあるが、基本的にはオーセンティックな演出のコスチューム・ドラマ。ウェストエンドのストレート・プレイが、National TheatreやDonmar、Almeida等の公的補助の厚い劇場(subsidised theatre)と比べて良いところは、こういう古典を、弁解の必要なく、伝統的な演出で普通に上演して、そのテキストの良さを見せてくれることだ。subsidised theatreだと、その存在価値を持つためには、制作側に、埋もれた傑作を発見したり、革新的な味付けをしたりすべきだという意識があるだろう。商業劇場なら、多くの客に喜んで貰えば足りる訳だから、無理にそういう細工をする必要はない。

私は記憶する限りでは(私の記憶はもの凄く悪いのだが)、この劇を劇場で見たことがない。それどころか、イギリスの劇場でWilde作品を見たのは、20年近く前に、多分一度だけ("The Importance of Earnest"だろう)。好きな作家なのに何故だろうかと思うのだが、どうもロンドンではあまりやってくれない。地方劇場の演目では時々見かけるのが・・・。首都では、Wildeを上演するのは流行遅れなのかな。Cowardの客間喜劇(drawing room comedy)は良くあるのに。

ということで、この劇に親しんだのは、 Rupert Everett、Julianne Moore、Cate Blanchettなどが主演した1999年の映画版。あれも実に楽しい作品で、私は映画館とDVDで何度も見ている。
映画版は、原作をかなり変更して、テキストにない要素を多く付け加えている。特に大スターのCate Blanchettを目立たせる為か、 Lady Chilternをクローズアップしている感があったが、この舞台ではSamantha Bond演じるMrs Cheveleyが看板であり、また演技も素晴らしい迫力。彼女は台詞もジェスチャーも上手いし、魅力的だし、貫禄があって、100点満点。映画版では、Rupert Everettが演じたLord Goringはきざな高等遊民。その格好つけ過ぎたコミカルさは、今回のElliot Cowanよりも、Everettのようが一枚も二枚も上で、Wildeの味わいを良く伝えているように思う。Cowanもとても楽しく見せてはくれたが、ちょっと軽すぎるし、現代の若者のような雰囲気がぬぐいきれず、上手に演じてはいるが作った役柄ということが透けて見え、貫禄が足りない。もっと嫌みに感じるくらい誇張した演技できざにふるまって欲しかった。

このプロダクションの特色と思ったことは、意外とシリアスな調子の、熱気を帯びたダイアローグのやりとりが多かったこと。特にRobert Chilternと彼の妻との間の、夫と妻の愛情についての会話は、相当にドラマティックで、喜劇とは思えない雰囲気を作り出したが、おそらく他のプロダクションでは、もっと軽い調子で台詞を言うのではないか。どちらが良いというのではなく、こういう演出もあって良いと思った。Robertはこうしてシリアスに演じられてみると、単に貧しい事務官時代の弱みにつけ込まれただけではなく、かなり性格的に問題のあるキャラクターだということが分かる。一方、Goringはきれい事を言って劇では良い役だが、結局は彼の貴族としての地位と財産に支えられているからこそ、そういう格好良いディレッタントの助っ人が演じられるのである。Lady Chilternの教条的な道徳臭さもはっきり浮き彫りになる。そういう主な人物が持っている明暗の特徴を浮き立たせるのが Mrs Cheveleyの演劇的な役割である。

老貴族Lady Markbyによる、その当時の政治家の夫達に関するウィット溢れるモノローグは、現在ではかなり古びた感じがあり、いくらかカットされても良いかも知れない。しかし、こういうシーンが当時の人々にとってはとても面白かったんだろう。

喜劇としての魅力を特に高めたのは、Fiona Button演じるMabel Chiltern。一貫して軽いキャラクターで、Goringとの丁々発止のやり取りは、実に楽しい。Fiona Buttonは、最近BBC Threeで放映されたばかりのレスビアン達のドラマ、"Lip Service"でも三枚目の役者の玉子を演じて好演していたが、今回の役どころも大変上手くこなしていた。その他の脇役では、Derek Howardのしかめ面をした執事が可笑しい。

装置やコスチュームには原則的に不満は無いが、National TheatreやRSCと比べると、やはり壁が如何にもペンキで塗ったという感じの薄っぺらさが感じられたり、男性のスーツや、一部の女性のドレスが、仕立ては昔のデザインでも、生地の安っぽさが見え見えであったのは残念(今回私が3列目に座っていたので、必要以上によく見えてしまったためだろう。)

Wildeのテキストは、人生に対する素晴らしい警句で溢れていて、じっくり味合うに値する劇だ。軽いタッチではあるが、何と倫理的な芸術家だろう。真面目さとシリアスさが表裏一体となっているところが、何とも言えない魅力! テキストでも映画でも舞台でも、彼の作品に接すると、最終的に感じるのは、Don't take yourself and your life too seriously、と言う気持ちになるね。

英語も比較的分かりやすいし、とにかく良く出来た劇であり公演なので、英語がある程度聞き取れる方なら、日頃台詞劇をご覧にならない方にも大いに勧めたい作品。

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2011/01/06

"Hamlet" (Olivier, National Theatre, 2011.1.3)

工夫に溢れたディテールと素晴らしいKinnearの主人公
"Hamlet"

National Theatre公演
観劇日:2011.1.3   18:00-21:35
劇場:Olivier, National Theatre

演出:Nicholas Hytner
脚本:William Shakespeare
セット:Vicki Mortimer
照明:Jon Clark
音響:Paul Groothuis
音楽:Alex Baranowski
振付:Fin Walker
衣装:Lynette Mauro

出演:
Rory Kinnear (Hamlet)
James Laurenson (Ghost of Hamlet's father / Player King)
Patrick Malahide (Claudius)
Clare Higgins (Gertrude)
Ruth Negga (Ophelia)
Alex Laipehum (Laertes)
David Calder (Polonius)
Giles Terera (Horatio)
Ferdinand Kingsley (Rosencrantz)
Prasanna Puwanarajah (Guildestern)
Nick Sampson (Osric, a courtier)
Jake Fairbrother (Fortinbras, Norwegian prince)
Matthew Barker (a Norwegian captain)
Marcus Cunnigham (Marcellus, a guard of the castle)
James Pearse (Voltemand, a Danish ambassador to Norway)
Mochael Peavoy (Barnardo)
Saskia Portway (Player Queen)
Victor Power (Raynaldo, Polonius's man)
Michael Sheldon (English Ambassador / Lucianus)
Leo Staar (Priest)
Zara Tempest-Walters (a messenger)

☆☆☆☆ / 5

大きな期待を持って出かけたNicholas Hytner演出、Rory Kinnear主演の"Hamlet"。期待したほどではなかったというのが正直な感想。しかし、色々と面白いディテールがあり、また、Kinnearは才能ある役者であることを証明する演技を見せてくれた。

(以下、劇のディテールをかなり書いているので、これから見る方はくれぐれもご注意! Be warned! )

地味なスーツや無彩色のカジュアル・ウェアといった現代服による公演。白っぽい、自在に移動可能の壁に青白い照明があてられた舞台。この壁を動かして、宮廷の大広間やら、Hamlet、Gertrude、Claudius等の私室などを柔軟に作り上げる、工夫に満ちたセット(Viki Mortimer)。そのモノクロームのセットに豊かな表情を与えてくれる照明も大変巧みに使われていた(Jon Clark)。政治的なドラマで最も才能を発揮するNicholas Hytnerは、今回、現代の全体主義的な国を下敷きにしているように見える。机に置かれたパソコンの古めかしい大きなモニターなどから、10年か20年前に起きた事のようにも見えるが、一方で、背がやや低くてコンパクトな体型で、頭の禿げたClaudiusが妙にプーチンに似ているのは偶然か、意図的か・・・。

宮廷の主な人々には、王や王妃、王子は勿論、Polonius親子に至るまで、常に警備員(シークレット・サービス、諜報部員とも取れる)が影の様に付きそい、警護し、かつ監視している。彼らは耳にイヤホンを入れ、手元のマイクでどこかに常時連絡を取っている。王に批判的な芝居を打った旅芸人達は、上演後に彼らに逮捕される。Opheliaも彼らに連行されて消えてしまうので、彼女も国家権力とそれを操るClaudiusにより闇に葬られたのであろう。Claudiusが台詞を言う時は、しばしば照明のライトが前に置かれ、写真を取ったり、テレビ・カメラで放送したりして、オフィシャルな情報を流す試みがされる。最後にFortinbrasが演説する時も同様である。OpheliaがHamletと話して、それをPoloniusとClaudiusが盗み聴くシーンでは、ドアの陰から聴くのではなく、Opheliaが持っていった本に盗聴器を仕掛けて、盗聴するというしかけ。

Poloniusは如何にも官僚然としている。彼の仕事机はパソコンと書類の山。OpheliaがHamletの事を父に報告するシーンでは、直ぐにペンと紙を取り出してメモ。Claudiusには、警備スタッフに加えて、常にカチッとしたスーツを着てスケジュール帳らしきものを持った秘書の女性が付きそう。王と言うより、大統領である。

先王の幽霊は、うらぶれたレーンコートを着ただけで、何気なく舞台の奥の壁の間から登場。普通の老人だが、照明が巧みに使われ、幽霊だと分かる。先王とPlayer King役のJames Laurensonは声も良く、verse speakingも鮮やかな古典的演技で、見応え、聞き応えがあり、特に変わった仕掛けのない幽霊のシーンだが、出色だ。なお、Player Kingを先王と同じ役者が演じるのは良くあるが、今回更に、劇中劇の中で王を毒殺するLuciusを演じた役者とClaudius役のPatrick Malahideが背格好などよく似ていて、意図的なキャスティングではないかと思わせた。ちなみに、劇中劇が始まる前、Claudius始め、観客達の前を、劇団員のひとりが鏡をかざして一周するのはご愛敬。

RosencrantzとGuildesternは、まさにお仕着せのご学友、という役柄が良く出ていた。

全体主義の警察国家での出来事という設定であるが、登場人物の造形は、肩の力を抜いた演出や演技、我々の身近で見られる人々、という印象である。特にPoloniusとOphelia、Laertesの親子はそう感じた。Opheliaが発狂して花束を配るシーンでは、籠に入った花ではなく、スーパーマーケットのカートを押して出て来て、新聞紙のような紙にくるんだ縫いぐるみ(?)を配って歩く。しかし、そうした人物造形があまりに普通すぎて、悲劇"Hamlet"を見たい私としては、肩すかしを食った感じで、つまらない。Claudius役のPatrick Malahideはどうも焦点の定まらない役作り。王と言うより政治家として演じられているが、それ程腹黒いと言う感じも、逆に罪の意識に苦しんでいるようにも見えない。ベテランClare HigginsのGertrudeは、罪の意識にさいなまれ、傍にウィスキーのグラスをおいている(アルコール中毒という設定か?)。しかし、あまり印象ははっきりしない。ということで、私の目から見ると脇役陣がやや目立たないというか、印象が薄い。もっと徹底的に、暗黒の全体主義国家とそこを支配する冷血な政治家とするとか、如何にもプーチンのロシアを意識するとかしてみたら、面白い気がしたが。

Rory Kinnear演じるHamletは、声が大変良く、なめらかな台詞回し。言葉をひとつひとつ大事にし、細部まで切れよく発音できるのは、天賦の才能だろう。台詞のテンポや強弱を自在に、まるで楽器を演奏するように変えつつ、指揮者のように観客の反応の波動をつかむことが出来る。そういう意味で、Simon Russell-Bealeを思わせる。しかし彼の場合、頻繁に見せる鋭い上目遣いの眼光、急激な表情の変化など、油断ならない人間を演じるのが上手い。根本的には善人であるHamletよりも、むしろ裏表のコントラストが激しい悪役の方が、より一層面白い演技が出来る気がした。また、公演全体の意図からして、普段着のHamletであるので、モノローグにおける荘重さ、哲学的深遠さなどには乏しい。タイプは違うが、David TennantのHamletに似た面がある。とは言え、大変素晴らしいHamletと言えるだろう。

演出の工夫に慣れてきた後半は、OpheliaやLaertesに魅力が感じられず、時々退屈に感じた。また、3時間半近くの上演時間で、台詞のカットがほとんど無いのだろうが、もう少しカットして、スピーディーにして良いのではないか。色々と面白いディテールとKinnearの演技で楽しめたが、期待が大きかっただけに、残念な面もある公演だった。


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2011/01/03

"The Master Builder" (Almeida Theatre, 2011.1.2)

リアリズムの期待を裏切る異色のIbsen
"The Master Builder"

Almeida Theatre公演
観劇日:2011.1.2   17:00-18:45
劇場:Almeida Theatre

演出:Travis Preston
脚本:Henrik Ibsen
翻訳:Kenneth McLeish
セット:Vicki Mortimer
照明:Paul Pyant
音響:John Leonard
衣装:Lynette Mauro

出演:
Stephen Dillane (Halverd Solness)
Anastasia Hille (Aline Solness)
Patrick Godfrey (Knut Brovik)
John Light (Ragnar Brovik)
Emma Hamilton (Kaja Fosli)
Gemma Arterton (Hilde Wangel)
Jack Shepherd (Dr Herdal)

☆☆☆ / 5

これは風変わりなIbsen。Ibsen作品は西欧ではリアリズムとしては色々な形をやり尽くされているので、subsidised theatreであるAlmeidaでやるからには、ただの伝統的なリアリズムではまずいのだろう。しかし、この作品を見たことがなく、Ibsenの他の作品もそれ程見ていない私としては(延べ10回弱程度見たかな)、うーん、と考え込んだり、退屈して眠くなったりで、段々と好奇心を感じてきたかな、という頃に終幕。テキストを読んで、もう一回細部を色々考えてみるとおもしろそうなのだが、1回見ただけでは良いのかつまらないのか判断できないうちに終わってしまった感じだ。それに、とにかく聞き取りにくくて、英語が分かりにくいのも困った。

(粗筋) 邦題は『棟梁ソルネス』。大工の親方(a master builder)であるHalvard Solnessは50歳代くらいの、かなり成功した棟梁のようであり、事務職員の素直で愛らしい若い女性、Kajaと助手(弟子)のRagnar Brovikを使っている。KajaとRagnarは許嫁の間柄だが、陰では、Kajaは妻帯者のHalvardの愛人となっている。HalvardはかってRagnarの父親Knut Brovikの下で働いていたが、その親方を利用してのし上がり、今はむしろKnutを使用する立場になった。Knutはそういう経緯もあり、また彼は重大な病を持っていて死が近いので、HalvardにRagnarを使用人の立場から解放して独り立ちを許してやるように頼み込み、それにより結婚に繋がるようにと働きかける。Ragnarもそれを期待しているが、Halvardはどうしても、うんと言わない。Ragnarを彼の下で働かせることにより、Kajaを愛人として身近に置いておきたいのか、あるいはKajaを彼の大人の魅力のとりこにして彼のそばに置き、それによってKajaの許嫁であるRagnarの才能を利用したいのか・・・。

一方、生活に疲れた表情の、飾り気のない妻のAlineは、黙々とHalvardの言うとおりに彼の面倒を見る。夫がKajaと関係を持っていることも分かっているが、むしろ愛人と夫の邪魔をしないようにと気を遣う有様。何かというと、「私のすべき義務に従って・・・」というのが口癖で、夫の献身的な犠牲者の役割を演じている。更にAlineとHalvardの間には双子の幼子がいたのだが、彼女が肺炎になった時に含ませた母乳が悪かったらしく、2人とも赤子の時に亡くなるという悲劇的な事件が昔起きていて、彼女を苦しめている。

そういうHalvardとAlineの家に突然20代前半の美しい若い娘Hildaが、田舎町から会いにやってくる。10年前、10代始めの頃の彼女に彼はキスをし、やがて彼女の為にcastleを建ててあげる、と約束したと、Hildaは言う。また、Halvardが高所恐怖症にも関わらず、そのcastleを建てた暁には、その塔の尖塔に花飾りを付けに登ってやるとも約束した、と言うのだ。2人の間に、熱のこもったやり取りが続き、Halvardはこの不思議な訪問者に魅せられていくが・・・。 (粗筋が多少曖昧で、間違っているところがあるかも知れません。)

さて、こうして筋を書いてみると、これはなかなかドラマチックな劇だ。主たるプロットを生み出す葛藤としては、Halvard Solnessと前の棟梁のKnut Brovikの関係が、年月が経った今は、RagnarとHalvardの関係になっていること、つまり世代間の争い。それに、Kajaという若い女性の取り合いも絡む。Halvardは50歳代。もうそろそろ男性としても、建築家としても、引退と世代交代が近づいていて、Ragnarの若さと才能に恐怖を感じ、また利用したいと思っても不思議ではない。そういう自己中心的な彼に、Alineは犠牲になりっぱなし。その彼女の不満が、繰り返される「義務ですから」という台詞により雄弁に表現される。彼女はノラやヘッダ・ガブラーのようには不満をはっきりした言葉にしないが、同じ時代と環境を生きる女性だ。男として、また創造者として自信を失いつつある彼を再度奮い立たせ、自信を持たせて仕事への野心をかき立てるHilda。Gemma Artertonの演ずるこの乙女は、怪しく目を輝かせ、身体をくねらせたり、軽々と飛び跳ねたり、まるで女メフィストフェレスか、妖精の女王タイターニアである。

と、面白くなりそうな筋なのだが、最初に書いたように、普通のリアリズムになることを意図的に避けた演出。ほとんどの台詞は静かに発話され、特にHalvardを演じたStephen Dillaneは、台詞を抑揚の乏しい、囁くような小さな声で淡々と発声し、意図的に感情の盛り上がりを押し殺しているように見える。不思議な演技だ。タイミングはしっかり合っているので、皆上手に演じているのだが、静かな劇。小津安二郎の映画みたい、と言ったら少し伝わるかも知れない。水面下に流れている感情のうねりは大きいはずだが。しかし、私はかなり戸惑っているうちに時間が過ぎていき、更に、小さな声なので物理的に台詞が聞き取りづらくて、何が起こっているかを聞き逃す時もしばしばあり、観客としてどう受け止めて良いのか迷っているうちに1時間45分という短い上演時間が終わってしまった。後で考えてみると、もっと注意して見たり聴いたりしていれば、もう少し面白く見られたのではないか、と残念!

Dillaneの演技の良し悪しというか、演出の意図がいまひとつよく分からないのだが、Emma ArtertonのHildeの魔女ぶりは説得力があった。また、Anastasia HilleもAlineの悲痛さ、内に秘めた怒りのようなものを強く感じさせてくれた。

服装は現代服。Viki MortimerのモノクロームなデザインはHalvard Solnessの内面の荒涼感と人間関係の不毛を如実に表している。階段で、劇場の上下の広がりを十分に活用した点も良かった。また、その暗いステージを、ドラマチックなところで、一瞬輝かせる照明 (Paul Pyant)のタイミングも見事。

なかなか興味深い脚本、面白い試みの演出だが、私自身は不消化な間に上演時間が終わってしまったのも確か。でも新国立劇場で見た『ヘッダ・ガーブレル』みたいな、良く出来ていて、よく演じられているけど新鮮みに乏しい上演を考えると、こちらは退屈ではあっても、一枚上という気もした。

なお、Halvardのアドバイス役のような役割のDr Herdalを演じたJack Shepherdは、テレビの刑事ドラマ・シリーズ、"Wycliffe"でお馴染みの俳優。舞台でも長いキャリアのある人のようだ。

(追記)フランス文学者のcaminさんが、私のこのエントリーに中世のラテン語、仏語、英語等の関連について、何回かコメントを寄せてくださいました。関心のある方はどうぞご覧になってください。

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2011/01/01

"King Lear" (Donmar Warehouse, 2010.12.31)

内面の荒野でLearのささやきが響き渡る
"King Lear"

Donmar Warehouse公演
観劇日:2010.12.31   19:30-22:25
劇場:Donmar Warehouse

演出:Michael Grandage
脚本:William Shakespeare
セット:Christopher Oram
照明:Neil Austin
音楽、音響:Adam Cork
衣装:Stephanie Arditti

出演:
Derek Jacobi (Lear)
Gina McKee (Goneril)
Justine Mitchell (Regan)
Pippa Bennett-Warner (Cordelia)
Michael Hadley (Earl of Kent)
Paul Jesson (Earl of Gloucester)
Alec Newman (Edmund)
Gwilym Lee (Edgar)
Tom Beard (Duke of Albany)
Gideon Turner (Duke of Cornwall)
Ron Cook (Fool)
Amit Shah (Oswald)

☆☆☆☆☆ / 5

素晴らしい"King Lear"。Derek Jacobiの全身全霊を注ぎ込んだ演技で、あっという間の3時間だった。大道具は全くない、剥き出しで、壁は木の板に灰色の漆喰を塗りつけただけのステージ。全員、シンプルな黒のコスチュームをまとい、モノクローム以外の色彩と言えば、Gloucesterが目を抉られた時の血の色と、Foolがまとっていたはっぴのようなフロックの薄茶くらいか。嵐の時の風雨や雷を除くと、特に耳をそばだてるような音楽も、あるいは映像等の使用もなく、ひたすら役者達、とりわけLearの演技に観客の注意を集中させる演出だ。Jacobiはそうした演出の意図に十二分に応えた、緩急をつけ、微妙なニュアンスに溢れる繊細な演技。特に、嵐のシーンでは、普通の公演ではフォルテシモで叫ぶ台詞を、ささやくように言って(多分その部分だけ少しマイクで音を拾っていると思った)、かえって観客の注意を引きつけたところは見事な工夫。

色々な大道具、小道具、音楽や照明などの小細工が無いだけに、非常に内面的な"King Lear"になった。全ては、Learの心の動きを写す鏡、という感じだ。逆に、普通の公演で感じるような、"King Lear"の、中世・近代初期のブリテンを連想させる歴史的なディテールとか、嵐のシーンで感じるコズミックな広がり、宗教的な連想などは削り落とされている(その分、テキストで感じられて、この公演では失われた要素も多いということ)。王とその家族、そして忠実な臣下や逆臣との人間関係が劇の中心となる。GonerilやReganは、他の上演では如何にひどい娘達であるかが強調されがちと思うし、マクベス夫人のバリエーションのような感じもあるが、この上演で、特に前半は、2人は我々のまわりにもいる、利己的で計算高い娘として描かれている。特にReganの表情は最初は柔らかであったので、Gloucesterの迫害における悪魔的な変貌で驚かされる。平凡な人間でも、暴力や欲望に取り憑かれた時にどうなり得るか、を示しているようだ。一方、終盤でLearの悲しみに大きく焦点が当てられているので、私には、俳優の演技の良し悪しとは別に、Cordeliaはやや影が薄かった印象だ。ReganやGonerilが比較的普通の娘だったので、清らかなCordeliaとのコントラストが強く出なかったのも一因かも知れない。

それぞれの公演におけるフールのバリエーションは、"King Lear"の見どころのひとつと思う。8月にストラットフォードで見たRSCの公演におけるKathryn Hunterの妖精のような、実にユニークなフールが記憶に新しい。今回は、芸達者のRon Cook。彼はまるで老いたる王の看護夫か介護者のような、心配でそわそわしている、気配りたっぷりのフールで、これもまた工夫に富んだ造形だ。2人目のケントのような、忠臣フールであった。彼は嵐の後、消えていなくなってしまい、批評家や観客を当惑させてきたのであるが、今回の上演では、Learと他のお供の者達がステージ左手に退場するのに対し、フールは王を見送りつつ右手に退場する。王を見送る(見捨てる?)忠臣の心中や如何に、と色々考えさせられるシーンだ。

上演時間がかなり短く、カットされた台詞が大分あるようだが、嵐のシーンは確かに短い。その分、TomとLearの長いやり取りは少なくなっていたと思う。

圧巻だったのは、正気を失ったLearがドーバーにやってきてGloucesterに再開したシーンと、彼のCordeliaを抱きかかえた最後の独白。Jacobiの切々たる台詞運びに目頭が熱くなる。

Jacobi以外で、特に印象に残ったキャラクターや俳優と言うと、既に述べたように、GonerilとReganのやや変わった趣向の造形、そして彼らを演じたGina McKeeとJustine Mitchellが良かった。Ron Cookのフールも新味のある演技だった。

上演全体の意図により、削り落とされた要素は大いにしても、"King Lear"でこれほど感動出来ることはこれからもまず無い気がする。Derek JacobiとMichael Grandageに感謝!




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