2012/06/30

「ヤマトタケル」(新橋演舞場)

6月29日金曜夜は市川猿之助、市川中車襲名披露公演「ヤマトタケル」で新橋演舞場へ出かけた。高い! とても贅沢な切符、しかも千秋楽。切り詰めて生活せざるを得ない今の私にはとても買えない切符だが、本当は妻が行くはずだった。ところが直前になって彼女に仕事が入って行けないことになり、歌舞伎に興味のない私が行く羽目に。もったいないこと極まりない。妻は悔しがることしきり。

私は歌舞伎は数えるほどしか見たことが無く、スーパー歌舞伎は始めてだったけど、絢爛豪華さに土肝を抜かれた。紅白歌合戦の小林幸子の出番をずっと見ているような、と言ったら叱られるだろうか。でもはじめて見た私にはそんな風に見えた。特に最後の宙乗りのところなんかそう。それから、蝦夷征伐に行く途中で火事にあって、それをタケルが静めるところ。赤い布や旗の使い方、そしてアクロバティックな宙返りの連続が凄い。そうした演出にひけを取らない新猿之助の動きのキレの良さ。スポーツ選手ならいざ知らず、役者としては超人的な体力だと感心。海で船がしけに襲われて難破しそうになるところも、日頃、イギリスの舞台や日本での翻訳劇などしか見ていない私には、歌舞伎の布の使い方が実に印象的だった。また、九州での争いの場面のカラフルさもまさにカーニヴァル的で、祝祭的な雰囲気が抜群に乗りが良い。

一方でアクションが止まり、台詞中心の場面になると、安手のセンチメンタリズム満開で、茶の間でリモコンを持っているなら早送りしたいが、なんて思いつつ見ていた。センチメンタリズムは歌舞伎だってそうだし、私の好みはともかくとして、そういうものとして受け入れるしかない。しかし、脚本は梅原猛だそうだが、あの女性の描き方。つまんないねえ。あまりにも古色蒼然としている。古代の女性の描き方だったら、もっと想像力を働かせて、破天荒な格好いいヒロインを想像出来ただろうに。結局、前の猿之助、つまり今の猿翁をひたすら目立たせる為の劇でなくちゃならないんだろう。

終わった時には、私は例によって体調が悪いのを我慢しつつ見ていたので、やれやれ早く帰ろう、と思ったら、それから延々とカーテンコール。そりゃそうだ、千秋楽だから。でも猿翁、猿之助、中車一門のファンでもない私にはかなりの違和感を感じた。それでもまわりの人が皆立ったので、やむを得ずスタンディング・オベーション(苦笑)。緞帳が一旦下りた後またあがると、猿翁が普通の服を着て出て来た。何だか観客を上から目線で睨みつけて、どうだ凄いだろ、と言わんばかり。それまでとても感心して、良い気持ちで見ていたのに、一挙に興ざめの気分になった。ファンには嬉しい猿翁の登場なんだろうけど、私は、こういうお目出度い時には行っちゃいけない客だ。でもありがたいことに妻に高価なチケットを譲って貰ってスーパー歌舞伎を見させてもらい、良い経験になった。

2012/06/28

中世の"shop"にまつわる疑問

前回のポストに書いたように、先日出かけた学会で、中世ロンドンの商工業者の職業別組合、即ち「ギルド」に関するポスター発表を聞いた。その発表者の方に質問した時に名刺をいただいたので、メールを送り、更に質問やコメントをお送りした。その方からご丁寧な返事もいただき、中世の都市における商工業者のお店に非常に興味をかき立てられた。というか、発表を聞かせていただいて、自分が何も知らないことに気づかされたわけである。

中世・近代初期の商工業者は、基本的に生産と販売の両方をやっている。シェイクスピアの生家が良い例で、父親ジョン・シェイクスピアは手袋職人であり、かつそれを販売していた。ストラットフォードの中心部にあるあの小さな家の中で、シェイクスピアの一家が寝起きし、子育てをする一方、主人や職人がせっせと手袋を作っていたのである。

では販売はどうしていたのだろうか。今回の発表者の方からも教えて貰ったのだが、基本的には販売の多くはフェアー(市)で行われていたようだ。しかし、町の中に工房があるのだから、そこの戸口などで売らなかったというのもにわかに信じがたい。但、ロンドンではフェアー以外での日用品の販売を禁じていたとも言われているそうだ。商工業者が常設の「店」を構えて売らないとすると、そもそも、「商店」の概念って要らないじゃないか。

手っ取り早くそのあたりを垣間見ることが出来るのが、"shop"という言葉の使用である。Oxford English Dictionary (OED) とMiddle English Dictionary (MED) でこの語を引いてみると、どちらも初出は同じ年代記(The Chronicle of Robert of Gloucester,  c. 1325–c. 1425)の同じ文例。ただし、OEDでは1297年、MEDでは1325頃 (1300頃)と書かれているのは、その年代記の書かれた時期に関する見解の違いだろう。いずれにせよ、14世紀に変わる前後くらいが初出である。その次の例は両辞書とも14世紀末の、『カンタベリー物語』の「料理人の話」からだ。意外に新しい言葉なんだ、とやや驚く。つまり12世紀とか13世紀には、今我々が考えるような"shop"はほとんど無かった? 勿論、他の英単語とか、ラテン語で、同様の意味を表す言葉が広く使われた可能性はおおいにある。でもちょっと面白い事実。

さてその"shop"の意味であるが、最初の、そして主要な意味は、OEDでは、"A house or building where goods are made or prepared for sale and sold"、そしてMEDでは、"A room or building used as a place of business by a victualler (食品生産者), craftsman, etc."とある。要するに、商品を作ったり売ったりしたところ、というわけである。ただ、この後者の「売る」という意味が中世末期にどのくらいこの語に備わっていたかは分かりづらい。ちなみに、MEDによれば、文例は少ないが、"shop"には、"a booth at a fair"(フェアーにおけるブース、露店)とか、"a workshop"(工房)という意味で使われた例もある。

これは素人考えかも知れないが、"shop"という単語の中世末期の例を徹底して調べ、文脈を検討し、更に社会史研究と照らし合わせて商業とか商店の発達を英語史と社会史の両面から検討すればかなり面白い論文になるんじゃなかろうか?既に誰かやっている? 私はやる予定ありません (^_^)。

更に疑問なのは、手袋とか、洋服のようなものなら生産者と販売者が一致しそうだが、生産と販売がおそらく分離し、分業化されているようなものもある。例えば魚。漁師と魚屋は別だろう。鍛冶で作る道具類など、ロンドン市中の狭い工房では生産しづらいようなものもあるだろう。商工業者の中には、ただ売るだけの人もかなり居たに違いない。また、上流階級のお屋敷に直接納入するような商業活動はどういう人が行っていたのだろうか。やはりこういう"shop"を構えている人達だろうと想像する。更に、商品によっては行商もかなりされていたと思うが、これはどういう人達だろう。

というわけで、先日学会に行ってみて、中世の商工業者について基本的な事を知らないことに気づかされたわけだ。

ところで、"shop"というと、類語に"store"がある。我々日本人も、bookshopと言ったり、bookstoreと言ったりするのではないか。"store"という単語は、現在アメリカ英語では「店」という意味で最も広く使われるが、この意味での用法は、割合最近のものである。イギリスでは、"a department store"のような、色々なものを売る商店を指し、元々は、「貯蔵する」という動詞、「貯蔵する場所、倉庫」という名詞として使われ、それがアメリカでは段々、単に「店」を表す単語になったようである。そう言えば、アメリカのスーパーは、強大な倉庫みたいな「店」も多いね。

(追記)その後、発表者の先生からまたメールを頂戴し、何点か教えていただいた。これまでの研究者によると、ロンドンのような大都市では13世紀から小売り専門の店が存在したようで、マーケットと小売店とが商業を分け持っていたようだ。マーケットは午前中しか開かないらしく、また生鮮食料品はマーケットでのみ売られていたらしい。ただ、まだ色々と分からない事は多いようである。だた先生の言われる「マーケット」と「フェアー」は同一視して良いのか、全く別のものなのか、別だけと重なる部分もあるのか・・・。ひとつ分かると次にまた疑問が出て来た。