2012/07/20

学部の指導教授を思い出す季節

この季節になると学部時代の卒論の指導教授で、亡くなられたN先生を思い出す。卒業後はいつも真夏に会いに行っていたから、夏が来ると先生を思い出すようになった。暑い日は日に何度も行水します、と言われていた。E M フォースターとアイルランドの小説家ジョージ・ムーアの専門家だった。とても心優しい先生だったが、コミュニケーションが下手で、学内でも変わり者と言う事になっていたと思う。授業は、失礼ながら退屈だった気がする。小説も書き、退職されてからもずっと創作を続けて、同人誌になどに発表されていたようだ。

先生は数年会わないうちに施設に入られ、亡くなられていた。成年後見人に指定された弁護士さんが私の年賀状を見て知らせて下さった。私がもの凄く忙しかった頃とは言え、申し訳なく、大変後悔が残る。自宅に度々お邪魔しただけでなく、チケットの高価な演劇に招待して下さるなど、ご夫婦でとても親切にしていただいたのに。

学問上は大学院やイギリスで教わった先生方の影響が大きいが、学部の先生方に受けた影響は、知識では測れない大きさ。N先生は、真面目で、内向的で、人付き会いが下手。二人で座っていても、話題を見つけるのに一苦労だった。大学では変人扱いされていたようで、同僚だった先生から、「変わった方」という評をうかがったが、私には本当に親切な先生で、話は面白くないけど、内面の優しさが自然とにじみ出る方だった。考えてみると、恩師でも同僚でも、N先生のような極めて不器用な方には一度も裏切られたという記憶がない。N先生はいつも驚くほど変わらなかった。今考えると私は不器用なところだけは先生にかなり似ている。学会ではおそらくほとんど無名だったと思うが、それでも、ちゃんと単著で研究書を2冊書かれているところは、私よりずっと偉い。

奥様に先立たれ、お子さんも早く亡くされたので、今は彼の事を思い出す人は少ないかも知れない。でも私にとっては大変大きな想い出を残して下さった。夏が来ると、しきりに汗を拭いていた彼の姿がなつかしい。

2012/07/16

ハロルド・ピンター『温室』(新国立劇場、2012.7.15)

『温室』(The Hothouse) 
新国立劇場公演
観劇日: 2012.7.15   13:00-14:50 (no interval)
劇場: 新国立劇場小劇場(The Pit)

演出: 深津篤史
原作: ハロルド・ピンター (Harold Pinter)
美術: 池田ともゆき
衣装: 半田悦子
照明: 小笠原純
音響: 上田好生

出演:
ルート(所長):段田安則
ギブズ(専門職員):高橋一生
ラム(職員):橋本淳
ミス・カッツ(職員):小島聖
ラッシュ(職員):山中崇
タブ: 原金太郎
ロブ(前所長):半海一晃

☆☆☆☆/ 5

チラシやパンフレットにある紹介文から:

「病院と思われる国営収容施設。クリスマス。患者「6457号」が死に、「6459号」が出産したという、部下ギブスからの報告に、驚き怒る施設の最高責任者のルートは、秩序が何よりも重要だと主張し、妊娠させた犯人を捜し出せと命令するが、事態は奇妙な方向へと動き出していく・・・・。」

ハロルド・ピンター、有名な作家でありながら、私はDonmarで一度だけ見たのみ。それも"Moonlight"というそれ程有名ではない作品。"Homecoming"とか、"Birthday Party"という様な文学史の本に載るような作品は読んだことはあっても見ていない(中味は忘れた・・・)。それで今回これを見られたのは幸運だった。とは言ってもお金の無い私は、最近劇の切符は諦めているので、自分で買った切符ではない。この切符は妻が使うはずだったのであるが、彼女が急な日曜出勤で行けなくなり、私がピンチヒッターで譲り受けたのでした!ありがとう、と言うべきか、お気の毒、というべきか・・・。

パンフレットの大笹吉雄さんの解説によると、ピンターがこの劇を書き終えたのは1958年。但その時は彼自身、気に入らず、初演は1980年になってからとのことだ。オズボーンの『怒りを込めてふり返れ』が1956年。ウェスカーの『大麦入りのチキンスープ』が1958年。そういうイギリス演劇が地殻変動した時代に書かれた作品。また1956年にはハンガリー動乱が起こり、西欧知識人にとって、ソビエト連邦の非人間的な全体主義体制が明白になっていたはず。(一時代前の?)精神病院の恐ろしさも感じさせる。Ken Keseyの'One Flew Over the Cuckoo's Nest' (1962)とこの作品は直接関係は無いだろうが、思い出させた。しかし、私にはそうした作品以上に、オーウェルの『1984』(1949)と、カフカの『審判』を連想させた。

舞台は、小劇場の真ん中にステージを置き、両側から観客席で挟むようなデザイン。ステージは回り舞台となっていて、時にはゆっくりと、しかし時には急速に、常時回転し続けている。劇場中ほとんど黒一色で、ただ机、椅子、ソファーなどが真っ赤。印象的な舞台ではある。しかし、常時動き続ける舞台のおかげで台詞への集中を妨げられたという人もいるだろう。どういう意図なのか、私には分からない。但、回っている部分は、縁取りはないが円形なので、観客がぐるっと舞台を囲んではいないが、半ば円形劇場とも言える。黒と赤の2色にそぎ落とされた抽象的なステージと相まって、中世劇的な雰囲気が自然と浮き上がった。

イギリス演劇は、作者が意図するしないに関わらず、近現代演劇でも、中世の寓意的なモラリティー・プレイの世界を感じさせる作品が多い。前述の、ピンターの"Moonlight"もかなりそうだった。中世劇風に、ルートは暴君 (Tyrant)、ミス・カッツは色欲、ラッシュは道化、ギブスは廷臣、と、適当に当てはめられるかもしれない。もちろん、そう簡単にぴったりした寓意とか役割が当てはめられる訳はない。むしろ、寓意が良く分からず、キャラクターの意味がスライドしていき、はっきりしないところが、高度に中世的と言えるかも知れない。丁度、『農夫ビアズ』のように。

最初、所長のルートが物忘れがひどく、おかしな事を言う一方で、ギブスがしつこい程もっともらしく丁寧なので、これはてっきりルートが狂人で、ギブスは助手を演じてはいるが実はルートの主治医だろうと思ったが、その後の展開はそうでもなかった・・・・。なるほど!と思わせてくれるほど分かりやすい劇ではなかった。

ラムに与えられる電気ショック。当時の(そして今も?)精神医療の暗黒部分を表していて恐ろしい。『1984』もそうだし、『時計仕掛けのオレンジ』、『カッコーの巣の上で』など、戦後、60年代初めくらいまで、外科的な精神医療に関連した文学作品、かなりありそうだ。テネシー・ウィリアムズの姉もこうした治療で廃人同然にされたと言われている。

ただ、ルートは勿論だが、登場する誰もかれも矮小で、小人物で、自己中心的で、事なかれ主義のようではある。そうした小さな人々が集まると、保身や組織防衛(秩序優先)の為に、とんでもない冷酷な結果を生むような状況を作り上げる。今大変な事件になっている大津の虐めや恐喝による中学生の自殺とか、フクシマ原発に関する電力会社や日本の政界のこととか、この劇を見ながら思わずにいられなかった。今の日本は、かなり『1984』だ。この作品の中世劇的な面は、即ち、時空を超える点でもあり、従って、日本人としての私は今の日本の事がつい思い出されるのも自然なんだろう。

ピンターは、ウエストエンドの劇場にハロルド・ピンター劇場という名前の劇場まで出来、取っつきにくい内容にも関わらず、イギリスではかなり人気がある。抑えた表現の裏に潜む暴力と極度の緊張感、そしてそれらの合間に顔を出す絶妙のユーモアがイギリスのインテリを引きつけるようだ。ただ彼は一方ではっきりした左翼で、保守党政権やアメリカのイラク、アフガニスタン侵攻を繰り返し厳しく非難していて、ピンター作品の好きな人でも彼の政治的主張に賛成できない人は多かっただろう。今回見た『温室』は彼のそうした政治的な面がかなりはっきり感じられる作品だと思った。政治を抜きにしてピンターは理解出来ないんだろうね。

俳優さん達は皆上手で申し分ない。特に高橋一生のいやらしいギブズが強い印象を残した。出ている俳優さん達、こういう劇をやれて幸せだな。役者が自分で色々と考えないと演じられない劇だ。きっと俳優として成長するに違いない。段田さんは、今以上成長しようがないかもしれないけど(^_^)。

National Theatre でもIan Rickson演出で2007年に公演したらしい。その時の予告編が今でもYou-tubeで見られる。

2012/07/11

Inspector Rebusシリーズのクライム・ノベル、Ian Rankin, "The Falls"

Ian Rankin, "The Falls"
(2000; Minotaur Books, 2010) 467  pages.

☆☆☆ / 5

毎日寝る前、眠くなるまで数ページ、いや2、3ページの夜も多かったか、その位ゆっくり読んでいたので、もういつ読み始めたのかも思い出せないくらいだが、最後は結構息詰まる展開もあり、読み終わってみるとかなり面白かった。但、途中はかなりスローな展開というか、停滞した感じというか、読むのがとても遅い私には細かい字で467ページというミステリは長すぎ。

Rankinの刑事、John Rebusは、連合王国の刑事物の主人公としては、Ruth RendellのInspector Wexford、P. D. JamesのChief Inspector Adam Dalglieshと並ぶ、最も有名な刑事のひとりではないだろうか。この小説も、いつもながらの手練れの技で、Rankinを幾つか読んでいる人を失望させない。今回の事件は、金持ちの銀行家の一家、Balfour家の娘、Philippaの失踪で始まる。手がかりは乏しく、唯一奇妙な遺留品としては、小さなミニチュアの棺が現場近くで発見されたこと。ところが過去の未解決失踪事件や殺人事件でも同様の玩具のような棺が発見されていたことが分かり、Rebusは連続殺人事件ではないかとの疑いを抱く。もうひとつの手がかりは、Philippaのパソコンに送られていたQuizmasterという匿名の人物からのメール。このメールを追っていくとPhilippaは失踪する前にこのQuizmasterが作り上げたゲームに参加していたことが分かる。棺はRebusが、そしてQuizmasterのゲームはJohnの変わらぬ相棒、Siobhan Clarke刑事が追いかける。QuizmasterはPhilippaの失踪後も謎のメールを送り続け、ゲームのキーを与えて警察を挑発する。Siobhanは段々このゲームに深入りしていき、寝ても覚めてもゲームのことが頭から離れなくなってしまう。一方、Rebusは棺の由来を調べるためにスコットランド博物館の学芸員のJean Burchill博士の意見を聞くが、その縁で彼女と親しくなる。

この小説、警察関係者以外にあまり印象的な人物がいないのがやや不満と言えば言えるだろうか。Balfour家やその周辺の人々に、仮に悪役であってもあまり深みある個性が感じられない。しかし、警察内部の人間関係がかなり良く書き込まれていて、その点には興味を引かれた。特に上役のGill Templer、キャリア指向の強いEllen Wylie、そしてRebus的な一匹狼の生き方と、警察内での出世を目ざすTemplerやWylieのような生き方の間で迷うSiobhanの姿が面白い。

後に余韻が残る小説ではないが、読んでいる間はかなり楽しんだ。色々とエジンバラの地名が出て来るが、John Rebusシリーズを読んでからエジンバラを旅すると楽しいだろうな。

2012/07/06

近代初期イングランドの貧しい学生:リンカンシャーのウィリアム・グリーンの場合

中世末期の聖職者以外の人々の識字について幾らか調べていて、Jo Ann Hoeppner Moranの労作、The Growth of English Schooling 1340-1548: Learning, Literacy, and Laicization in Pre-Reformation York Diocese (Princeton UP, 1985)の第4章、"Literacy and Laicization of Education"を図書館で複写してきて、読んでいる。興味深い資料やエピソード満載で、大変参考になる。その中でも特に印象に残ったエピソードとして、リンカンシャーのウィリアム・グリーンという貧乏な学生に関する記述がある (p. 176)。

このウィリアムは1521年のノリッジ市の記録に登場する。彼はイングランド東部リンカンシャーのWantletという村(?検索しても出てこない地名)の出身。父親は労働者 ("a labouring man"とある)。村の学校で2年間 "grammar"、つまりラテン語を学んだ後、父と5, 6年働く。"sometyme in husbondry and other wiles [while] with longe sawe"(時には農業、他の時には長いのこぎりを使って)とあるので、農業、そして大工か林業などに従事していたのだろう。仕事がひとつではない事から見て、土地持ちの小農民ではなく、農業労働者だろう。その後彼は、リンカンシャーの古い町ボストン(注1)の叔母 (aunt) のところに住んで、働きながら学校に通う。ボストンで彼は聖アウグスティヌス修道会のひとりの会士から"benet and accolet"を授与されたとある(注2)。これは下級聖職者の位であり、おそらくチョーサーの「粉屋の話」に出てくるアブサロンのような仕事だろう。これ以上、何も書かれていないが、それで安定して生活出来るようなものではなかったのだろう。教会の雑用をやるアルバイト僧のような生活ではなかったのかと想像する。その後彼はボストンの商人の家に6ヶ月住む。おそらく、住み込みの事務職員として商用文書等の作成をやったのではないだろうか。しかし彼は勉学への欲求を諦めきれないタイプの人だったのであろう。その後、彼はついに大学進学の為にケンブリッジに移住する。そこで彼はエール(ビールの一種)を運んだり、サフロンを摘んだりといった肉体労働をしつつ大学に通う。食事は学寮で他人の慈善 ("of alms") に頼っていたらしい。その後、彼は教会の定職を求めてローマにはるばる出かけているが、彼の願いは叶わなかったようだ。ケンブリッジに戻った後は、彼の教育を修了する為に(おそらく学士号を得るためか)1年間の学資(注3)の寄付を集める為の許可書を与えられた。しかし実際に集まったのは8ヶ月分の学資だけだった。

他の学資寄付者も見つからず、しかし父親のような肉体労働に戻ることも望まず、万策尽きた彼は更に学費出資者を募集する為の新たな許可書や叙階(聖職就任)に必要な書類を偽造 (counterfeit) したようで、それ故、冒頭に記した様にノリッジ市の記録に名前が残ることになった。市の裁判所 (a borough court) などで告発されたのであろうか。

様々の手段を模索し、奨学金を捜し、不安定な仕事を転々としながら学問を続けようと努力し続けたウィリアム—現代の多くの若き研究者、特に人文科学研究者、と重なるところもある。大変勉強熱心だが就職先が決まってないチョーサー描くオックスフォードの神学生も思い出させる。一方、中世が終わり近代に移り変わる頃、下層階級の農民の息子が学校教育を受け、やがてケンブリッジ大学にまで進学した事にこの時代の変化を感じさせる。

(注1) 中世のボストンは所謂"city"として王室から特許状を与えられた町ではないが、中世後半には貿易港としてかなり栄えた町だった。ここには現在Boston Grammar Schoolという歴史ある中等学校があるが、これは16世紀のカトリック女王メアリー1世が設立したそうである。しかし、その前身となる学校は既に14世紀からあったらしいので、ウィリアムはそうした学校で学んだのだろう。

(注2) "benet" をOxford English Dictionaryで引いてみると、"The third of the four lesser orders in the Roman Catholic Church, one of whose functions was the exorcizing of evil spirits"と定義されているので、"exorcist"の別名で、祓魔師(ふつまし)を指すと思われる。これは下級聖職者 (minor orders / lesser orders) の位のひとつ。"accolet"は古い綴りで、"acolyte"(侍祭)というやはり下級聖職者の位のひとつ。後者は時々目にする語で、司祭の助手としてミサの手助けをしたり、その他教会の色々な雑事を受け持つ。前者は洗礼を受ける者のために、洗礼の前に悪魔払いをしてあげる仕事のようだが、その他には何をしたのか、私はよく分かっていない。フルタイムで働き、生計を立てられるような仕事なんだろうか。そもそもminor ordersの人達の仕事や生活の実態など、まったく分かっていない。詳しい方がいらしたら、コメント欄で教えて下さい。その他、私の間違いの訂正などありましたら、是非お知らせ下さい。

(注3) Moranが書いているのは、"he obtained a license to collect subscriptions for one year towards completing his education"。自分の教育の出資者を求めて寄付を募ったのではないかと想像しているが具体的には良く分からない。

なお、Moranはこの情報を次の学術誌から取ったそうである:Norfolk Archaeology 4 (1885): appendix, pp. 342-44.