2013/06/19

C. J. Sansom, "Heartstone" (2010; Pan Books, 2011)


 ☆☆☆☆★   725 pages

前回のブログでRory ClementsのJohn Shakespeareシリーズの一冊について書いたが、チューダー朝ミステリーとしてClementsの「先輩」にあたるのがこのC. J. SansomのMatthew Shardlakeシリーズ。小説の技量ではこちらの方が明らかに一枚上という印象を持つ。それは主として人物像がより深く、立体的に描き込まれているからだろう。Clementsの"Prince"を読む少し前に、Sansomの近作"Heartstone"を読んだところだったので、大分時間が経ったが、想い出しつつ紹介と感想を書いてみる。

今回の舞台はヘンリー8世の晩年、1545年のイングランド。王はフランスとの戦争を行っており、イングランド軍は南部の港湾都市ポーツマスに集結して敵艦隊の攻撃に備えつつある。主人公Matthew Shardlakeはここ数年、静かに弁護士稼業に専念して、富や権力を持たない一般市民を法律で助ける仕事を行ってきた。彼の主な仕事場はそうした名もない、貧しい市民にも開かれたThe Court of Requests。彼は今ならさしずめ"a legal aid lawyer"というところか。

ある時、Matthewはヘンリー8世の奥方、キャサリン・パーに呼ばれて宮殿に向かう。王妃の侍女Beth Calfhillの自殺した息子Michaelが生前家庭教師として教えていた姉弟EmmaとHugh Curteysの苦境について調査するようにと王妃に依頼される。彼ら二人はSir Edwin Hobbeyという豊かな新興の大地主(商人上がりのジェントリー)の被後見人(wards)であったが、Michael Calfhillの残した言葉によると、姉弟は'monstrous wrongs'(恐るべき不公正)をこうむっている、ということらしい。

Matthewと助手のBarakは、Hobbey家の顧問弁護士で、法律家としての良心は棚に上げて金儲けと地位にばかりこだわるDyrickと共に、Hobbey家の地所のある南部に旅立つ。ところが、南イングランド、ポーツマス近くのHobbey邸に着いてみると、Emma Curteysはすでに天然痘で亡くなっており、Hughと言えば、別段、虐待も不正もこうむっていない、と断言する。しかし、MatthewとBarakは、EdwinもHughも何か隠していると確信し、関係者の聞き取り調査を進める。

わき筋として、Matthewは、かって大きなトラウマを生むような事件を経験しロンドンの精神病者収容所Bedlamに入れられているEllen Fettiplaceという女性が、過去に受けた心身の暴力についてもボランティアで調査をする。彼女は、やはりポーツマスの近くの出身で、強姦の被害者であることが分かるが、これが、Curteys姉弟の件の関係者と重なることをMatthewは突き止め、2つの事件が絡み合ってくる。

この2つの事件の背後には、フランスとの不毛な戦争が暗い影を投げかけている。Matthewはヘンリーの大義なき戦争にへきえきし、またその為に多くの国民が無理矢理徴兵され、命を落とそうとしていることに悲しみと憤りを感じている。彼が以前扱った事件で遭遇した軍人、Captain Leacon(リーコン大尉)に道中偶然再会するが、Leaconがその前年のフランス遠征で見た戦場の悲惨さや、彼の受けた心の傷が生々しく語られる。小説全体から見るとマイナーな役ではあるが、この大尉と彼の率いる庶民達から徴集された兵隊の描写は大変印象的だ。

Hugh、Leacon、Ellen Fettiplace、Edwin、Dyrickなど、多くの登場人物が陰影深く描かれていて、読み応えがある。これが、Sansom作品の大きな魅力だ。

私は当時のイギリスの裁判制度に関心があるので、Matthewが仕事をするThe Court of Requests、そしてDyrickが主に仕事をするThe Court of Wardsという、ふたつのマイナーな裁判所について、少し知るきっかけになり、大変良かった。

私はこれでSansomのMatthew Shardlakeシリーズの感想を書くのは5回目のようだ。このブログでこれが3冊目。右のサイドバーにある旧ブログで2冊。関心をお持ちの方は、Sansomなどの語でサイト内の検索をして下さい。最初の作品は"Dissolution"。この作品はすでに『チューダー王朝弁護士、シャードレイク』というタイトルで集英社文庫から和訳が発売されています。


2013/06/17

Rory Clements, "Prince" (2011; John Murray, 2012)


☆☆☆★★     420 pages

このブログでも以前に感想を書いているRory Clementsのエリザベス朝諜報員("an intelligencer")、John Shakespeareシリーズの2011年の作品。主人公のJohnは、お馴染みWilの兄ということになっている。勿論、William Shakespeareにスパイの兄がいたという史実はない。

今回の作品は、冒頭、Christopher Marloweの死体とそれを取り囲む4人の男の場面で始まる。チューダー朝の大劇作家Marloweはスパイとして活動していたことでも知られている。彼は1593年、ロンドン郊外の宿屋で喧嘩の末、殺害されたということになっているが、その死が単なる酒場の喧嘩故か、または彼の行っていた諜報活動と関連した殺人か、議論があるところらしい。この史実を、架空の探偵John Shakespeareが捜査し始める。

しかし、Marloweの死を遙かに超える重大な事件が起こりつつあった。ロンドンを始めとするイングランド諸都市は、大陸からカトリック勢力の迫害を逃れてきたプロテスタントの移民が増えつつあったが、資本や技術を持ったこれらの移民の多くがイングランド人の職を奪っているという反移民、反外国人感情が高まっていた。その中には、実際に移民達への暴力や犯罪行為を行う者も出て来た。オランダからの移民が集まっているにぎやかな商業地区で、時限装置の付いた大きな爆薬が爆発し、大惨事が起きるが、Shakespeare個人も、それによって大きな喪失を味わうことになる。悲しみを癒やす間もなく、Shakespeareは犯人達の手がかりを求めて奔走する。

更に、海外のカトリック勢力が、こうしたイングランド国内の不穏な情勢を利用しようとし、チューダー王家存続を脅かす一大事になりかねない大きなテロも計画される。これがタイトルの"Prince"と関わってくるのだが・・・・。

幾つもの犯罪や、政治の流れを、そして歴史的事実とフィクションを巧みに織り合わせて、かなり面白い歴史ミステリに仕上がっている。チューダー朝の演劇や歴史に関心のある読者には特に楽しめる小説だ。ちらっとだが、Williamも出てくるし、物語の終わり近くのパーティーでは、Philip Henslowe、William Kempe、Richard Burbage等々の著名な演劇人も名前だけだが、顔を出す。このシリーズではお馴染みのJohnの敵役で、歴史上でも悪名高きカトリック聖職者の迫害者、Richard Topcliffeも憎まれ役らしい活躍をする。

本の末尾に歴史の説明が少しあるのだが、そこに1585年4月4日にスペイン艦隊によるアントワープの攻略で、アントワープ軍の反撃手段として使われた"hellburners"という武器について述べられている。この武器は、最初の「大量破壊兵器」(a weapon of mass destruction)とも呼ばれる恐るべき殺人兵器らしい。Clementsによると、この武器で一瞬にして1000人近い人が殺害されたとのこと。当時からそんな恐ろしい武器が考案され、実際に使われたなんて始めて知った。スペイン無敵艦隊がイギリス海軍に敗れたのも、この時のトラウマが一因ではないかとのことだ。

この作品には外国人への迫害や、大量破壊兵器の使用など、現代に通じる問題もあって、気楽に読める歴史ミステリとは言え、考えさせる面があるのも魅力だ。ただ、Johnには大きな不幸が襲いかかるにも関わらず、私から見ると、人間ドラマにおいてインパクトが足りない気がした。その点で、ほぼ同じ時代を扱ったC. J. Sansomの弁護士Matthew Shardlakeシリーズと比べると、幾らか見劣りはする。

なお私はRory Clementsの以前の作品についての感想も書いています。

2013/06/11

シアター座とカーテン座の跡地にできる上演スペースと劇場


前項のグローブ座のところでThe Theater(以下、シアター座、としておきます)についても少し触れた。これはロンドンとその近郊における最初の演劇専用に作られた常設商業劇場と言われている(1576年開場と推定されている)。しかし、それより少し前に、宿屋(兼酒場)の中庭を利用した一種の劇場などがあったし、仮設舞台を使ったオープンエアの施設は中世からあったものと思われる。少なくとも、ロンドン以外の地方では、色々な形の舞台があった。

さて、そのシアター座であるが、ロンドンの旧市街で今の金融街であるシティーの北、今のロンドン全体から言うと北東部にあるショアディッチと呼ばれる地域にあった。地下鉄Northern Lineとナショナル・レイルのOld Street駅の東側付近である。このショアディッチには、シアター座以外にも、エリザベス朝ロンドンにおける主要劇場のひとつ、The Curtain(カーテン座)もあり、シアター座の目と鼻の先に建っていた。こちらはシアター座の翌年、1577年に開場し、1622年まで営業していた。この劇場は、シアター座を引き払った後の宮内大臣一座(The Lord Chamberlain's Men、シェイクスピアの劇団)が、グローブ座の完成までの2年間使った劇場でもある。『ヘンリー5世』のプロローグの有名な台詞、"This wooden O"(この木で出来たO)が指す劇場とは、カーテン座だと考えられている。またそこには今もCurtain Roadという通りの名前が残っている。このショアディッチあたりは、ロンドン市の行政範囲の外にあるliberty(リバティー)と呼ばれる地区で、その為に市の厳しい規制を逃れることが出来、劇場の興行が許可された。

シアター座とカーテン座があった場所について、今年の2月にガーディアン紙に私の興味を引く記事が出た。この記事に気づいたのは最近であるが。Matt Truemanという筆者によると、カーテン座の正確な跡地は昨年(2012)の大規模な発掘調査によって明らかになっており、また、シアター座の跡地で同様に発掘調査があったのは5年前(2008)とのことだ。ガーディアンのリンクをたどって、それぞれの年に書かれた記事も読んでみた。ロンドン博物館のスタッフが詳しく発掘調査し、昔の劇場の礎石や、土間の跡などを発見したらしい。

そのTruemanの2月の記事によると、シアター座の跡地は、ハックニー区の区議会(Hackney council)に提出された計画案では、250席のオープンエアの上演スペース、及びそれに付置される博物館のような建物が作られ、その博物館では、昔の劇場の跡が見られるように工夫されると言う事だ。この上演スペースは、特定の劇団などが本拠地とするのではなく、音楽など演劇以外の演目も含めて、色々な出し物を提供する計画とのこと。

一方、その近くにあるカーテン座の跡地には、なんと6階建ての劇場が建つ計画だそうで、その建物には、235席のオーディトリアムが入るらしい。6階もあるということは、商店やオフィスなど色々なテナントが入るんだろう。名前はThe Stage。更にそばには、大規模高層マンションも建つらしい。最寄りのシアター座跡地の開発と合わせて、この地域をバービカン・センターみたいな街にしようというのだろうか。ロンドン・グローブ座とプログラムについて交渉をしているらしい。建物については、この記事が詳しい。建築後の予想図をみると、大変大きなビルを建てるようだから、古い街の雰囲気が壊れそうで残念な気もするが・・・。

以下はデイリー・メール紙の6月6日の記事から拝借したカーテン座発掘の様子と、カーテン座の位置:



ロンドンは途方もなく劇場の多い都市である*。更に最近では、ビクトリア駅近くにSt James Theatreという新劇場も出来て、意欲的なプログラムを組んでいるようだ。ガーディアンの演劇批評家Lyn Gardnerはこれ以上劇場が必要なのか、と疑問を呈している。しかし、又劇場が出来ると聞くと、やはり気にはなる。こうした施設を計画している人は、今まであまり陽の当たらなかった東ロンドンの地区へ、ふたつの演劇スペースの設立をきっかけにして商業的な成功を導こうとしているのだろう。しかし、不況と公的支出の縮小が続くイギリスで、新たな小規模劇場が客を集められるのか、運営は難しそうだ。いずれにしても、シアター座とカーテン座の跡地のあたりを一度散歩して、もし跡地が見られるようになっていたら、のぞいてみたいが、今頃は塀で囲まれて工事を始めているところでしょうかね。

* Lyn Gardnerの上記の演劇ブログによると、ロンドン劇場協会(The Society of London Theatres)に属している大きめの劇場だけで52館、アート・カウンシルによると、ロンドン中心部にあるフリンジも含めた大小の劇場は、すくなくとも115館とのことである。近郊(例えばリッチモンドとかキングストンなどにも重要な劇場がある)も含めるとその数はずっとふくれあがるだろう。

2013/06/08

グローブ座の跡


前回のブログでローズ座に行った時の事を書いた。このローズの跡地のある通りはPark Streetで、今のロンドン・グローブ座(正しい英語名は、"Shakespeare's Globe")のすぐ裏の通り。ロンドン・グローブは川縁の通りBanksideと川から離れる方向に走る通り、New Globe Walkの交わるところに立っているが、そのNew Globe Walkを1ブロック、川から遠ざかる方向に歩くとPark Streetと交わる。このPark Streetには、ローズ座の跡地と共に、エリザベス朝の元祖グローブ座の跡地もある。但、今表に出ている劇場の跡地は、実際の劇場の敷地の一部に過ぎず、露出している部分よりかなり広い場所を使っていた。この2つの跡地は、Park Streetを挟んでほとんど目と鼻の先。グローブが出来た時(おそらく1598年)には客を奪い合っていたに違いなく、競争に敗れたのか、ローズ(1587年開館)はやがて閉じることとなる(前項参照)。さて、次の写真はグローブ座の跡地の一部。黒い敷石に"THE GLOBE"と書いてある:



次の写真は跡地の手前にある説明版のひとつ。左側の薄い空色の部分が上の写真で見えている場所。中央の濃い青の部分は現在、ジョージ王朝時代(1714-1830)に作られた建物が建っている。グローブは8角形(octagon)で、円形に近い建物だったが、左の薄い空色の部分の内側にある半円が劇場の建物の大体の外周だそうだ。



グローブ座については、インターネット上でも簡単なものから専門的な解説まで色々と説明が読めるので、ここで素人の私が長々書いても仕方ないが、年号など私自身の復習のために、時間の流れに沿って基本的な事実だけメモしておきたい。

この劇場は、シェイクスピアの所属劇団であった宮内大臣一座(The Lord Chamberlain's Men)が所有していた劇場だが、もともと彼らはロンドンの北部郊外のショアディッチに"The Theater"という劇場(「劇場」という名前の劇場)を1576年に建てて利用していた(これがイングランドにおける最初の演劇専用劇場と言われている)。ところが、この劇場は借地に建っており、地主のジャイルズ・アレンは借地契約の期限が来たと言って、劇場の建物の所有権を主張した。彼は木材などを利用したかったのかも知れない。そのため、リチャードとカスバートのバーベッジ兄弟を中心とした劇団員達は、大工のピーター・ストリートの助力を得て、1598年の12月、街がクリスマス休み中でアレンがロンドンを離れていた28日に、The Theaterの建物を分解した。彼らは、その資材をテムズ南岸のバンクサイドに移送し、翌1599年新しい劇場を建てた。これがグローブ座である。劇団所有の劇場であるから、現在の日本でいうと、俳優座劇場みたいなものか。ちなみにアレンはこの夜逃げ的な移設に憤然として、訴訟を起こしているが、敗訴した。

このあたりのことは、もの凄くドラマチックな気がするのだが、誰か映画にしてくれないかしらと思う。きっと『恋するシェイクスピア』より余程面白くなりそうだ。小説にはなっていないのかな?

その後、グローブではシェイクスピアの戯曲を始め多くの作品が上演され続けるが、1613年、演目であった『ヘンリー8世』のために使った大砲の火花が茅葺き屋根に引火し火事で焼失。しかし、劇団は同じ場所に同様の劇場を再建して使用した(第2次グローブ座)。イングランド中で、清教徒革命により演劇が原則禁止となる1642年まで上演が続く。1644年(あるいはその少し後)頃には清教徒により破壊された。

グローブ座の跡地は1989年に発見され、ロンドン博物館のスタッフなどによって発掘・研究されている。

2013/06/07

ローズ座の遺跡で『ハムレット』を見る(2013年2月17日)


前回のブログで書いたように2月から3月にかけてロンドンに勉強に行って来たが、その時、エリザベス朝に劇場があったローズ座の跡地に出かけた。観光客などで賑わうサウスバンク地区のテムズ川河畔からちょっと入った目立たない通りにある。今興業が行われている新しいロンドン・グローブ座の近くだ(アドレスは、56 Park Street, London SE1 9AS)。ここは、今Rose Courtというオフィスビルが建っているが、その地下室が、ローズ座の跡地として保存されている。さらにその場所にちなみ、地下室の一部が、劇場とまではいかないにしても、小さな上演スペースとして劇の上演やその他の演劇関連のイベントに利用されており、私は2月の寒い日曜日、ふるえながらここで若い俳優数人で上演する簡略版『ハムレット』の上演を見た。何しろ暖房も照明もない真っ暗な遺跡。2月にここで劇を見るのは相当にきつい。でも幸い短くしてあったし、演技も秀逸で、何の大道具小道具もないが『ハムレット』という劇の素の台詞の力を再認識した。この場所では、今はジョンソンの『錬金術師』を興業中で、その後、『マクベス』、『真夏の夜の夢』や『じゃじゃ馬慣らし』などを上演するようだ。真夏ならそんなに寒くないだろうね。今後のスケジュール。


私が見た『ハムレット』は次の様な監督とキャスト:
Director: Martin Parr
キャスト:
Hamlet: Jonathan Broadbent
Claudius / Polonius: Liam McKenna
Ophelia / Gertrude: Suzanne Marie
Laertes / Rosencrantz / Gravedigger: Jamie Sheasby

これだけでやるのだから、相当無理はある。時々見ていて誰をやっているのか分からなくなったりした。しかし、それでも面白かったのは、台詞の力ゆえか。Liam McKennaはテレビドラマの脇役としてお馴染みの顔。

以下の写真はそのローズの遺跡につながる入り口のところ。




エリザベス朝のローズ座について

ついでにイギリス演劇にそれほど関心のない方のためにエリザベス朝のローズ座について僭越ながらちょっと説明。この劇場は1587年に建設され、ロンドンで5つめに出来た演劇専用劇場。今回、自分で取った上の写真の青い飾り板を見て、「そうか!」と分かったんだが(今まで不勉強でした)、ローズ座って、バンクサイドに出来た最初の演劇専用劇場だった。劇場が出来る前の敷地にはバラ園と2つ建物があったらしく、そのうちひとつは多分倉庫というか物置。もう一つは売春宿。当時Roseというのは売春婦を指した言葉でもある。この売春宿を持っていたのがフィリップ・ヘンズロウ(Philip Henslowe)というビジネスマンにして興行主で、彼は食料・雑貨商(grocer)のジョン・チャムリー(John Cholmley)という男と共にこの劇場を建てた。勿論自分で金づち持って建てたわけじゃございませんが。大工の棟梁はジョン・グリッグス(John Griggs)という男だったと分かっている。ヘンズロウという男が書いた"Diary"、中味は会計簿のようなもの、が残っていて、当時の劇場経営の重要な資料となっているが、それにより、ローズ座のこともかなり分かっている。ローズ座の形態は、基本的なスタイルは今のロンドン・グローブ座に似ていたと思われるが、グローブ座よりもかなり小さく、また14面の多角形であったらしい。1592年に改築して、座席を増やしたりしている。主として有力劇団の海軍大臣一座(The Admiral's Men)が本拠地として使用。演目としては、マーローの『フォースタス博士』、『マルタ島のユダヤ人』、キッドの『スペインの悲劇』、シェイクスピアの『ヘンリー4世、第1部』、『タイタス・アンドロニカス』等々が上演された。

しかし、ローズは収容人数が少なく、その後出来たグローブ座とかスワン座に客を奪われたらしい。1600年には海軍大臣一座は新しく出来たロンドンの北の郊外にあるフォーチュン座に本拠を移す。ローズは17世紀に入った1603年頃にはほぼ使われなくなったそうで、その後、1606年迄には取り壊されてしまったかも知れない。

現在の場所がローズの跡地であると分かったのは1989年。その後、ローレンス・オリビエやペギー・アッシュクロフトなどそうそうたる面々も加わった運動の甲斐あって、ローズの跡地が保存されることになった。ロンドン博物館のスタッフによって発掘がなされ、現在のように保存されている。出土した物はロンドン博物館が保存しているそうだ。敷地のほとんどは、ひび割れを防ぐために水が張ってある(だから冬は一層底冷えする)。2007年からは、その敷地の一部を使って劇の上演などが行われている。ローズの跡地を管理し、そこで行われる行事を運営しているのは公益団体、ローズ座トラスト(The Rose Theatre Trust)である。

ローズ座の歴史について、より詳しくはこちらのロース座トラストのサイトをどうぞ(英語)。

ちなみに、『恋におちたシェイクスピア』("Shakespeare in Love", 1998)という映画で使われた劇場のセットはローズをモデルにしていて、当時の劇場の雰囲気を良く伝えている。あの映画は、シェイクスピアが貴族の女性と恋をしたという作り話に基づいているが、劇場のレプリカは当時の資料を良く検討して作られたようで、大変貴重だ。あのセットはジュディ・デンチが買い取ってそのまま保存されていたそうだが、その後、The British Shakespeare Companyという旅回りの劇団に寄付されたとのこと(ウィキペディア英語版による)。ただし、実際に興業に使われたというニュースは聞いていない。

2013/06/03

"Longing"(ハムステッド劇場、2013年3月6日)


(もう一本、春先にロンドンで見た劇です。)

久しぶりにハムステッド劇場に行ってきました。見たのはは"Longing"という、チェーホフの短編小説のアダプ テーション。脚本としては新作です。『3人姉妹』とか『桜の園』とよく似た素材。上流階級の一族が没落し、ブルジョワに屋敷を買い取られる。生活 力の無い夫、現実から眼を背け、逃避的な行動に出るインテリ、逞しいが粗野なブルジョワ資本家、といったチェーホフにお馴染みのモチーフがそのほかにも一 杯です。

チェーホフの大傑作、『かもめ』とか、『三人姉妹』ほど洗練されていなくて、やや荒削りと思いますが、十分に楽しめ、満足していま す。日本でもやると受けるだろうな、と思います。

ロバーヒン(『桜の園』で農園を買い取るブルジョワ)よりもずっと無神経で、鈍感なブルジョワ資本家のドルジコフやら、父親に増して粗野な彼の娘クレオパトラ(変な名前!)やら、そう いったところがユニーク。上流階級の人たちはずっと弱弱しく、時代の変化に迎合し、ブルジョワ資本家に取り込まれるように描 かれています。上流一家の主人セルゲイは、無能で能天気で酔っ払い。財産を浪費し、先祖代々の家屋敷を売り渡し、ついにはドルジコフに雇われた農園支配人に成り下がりますが、それが寧ろ性に合っているようで す。彼の妻ターニャを演じたナターシャ・リトルが素敵でした。もちろん、名優タムシン・グレイグも良かったです。セルゲイを演じたアラン・コックスは、だらしない不器用な男を上手く演じて説得力がありました。彼はフィンバラ劇場の"Cornelius"に主演していたのですが、その時にも大変楽しめる演技を見せてくれました。

オフウエストエンドの劇場としてはかなり立派なセットで、きれいだったです。ハムステッド劇場は、エドワード・ホールが芸術監督になってから、秀作が目立つようですね。

Githa Sowerby作、"The Stepmother"(Orange Tree Theatre、2013年2月21日)


(長い間ブログを書かずに居た間に、2月から3月にかけてロンドンに行っておりました。その時4本か5本劇を見たのですが、そのうち2本についてMixiに感想を書いていたので、遅くなりましたが、そのまま載せておきます。)

ロンドン郊外リッチモンドの小劇場、Orange Tree Theatreで観劇。女性脚本家, Githa Sowerby によって1924年に書かれた、フェミニスト劇と言ってよい作品。Sowerbyは児童文学作家として活躍した人で、バーナード・ショーなどが中心になってやっていた穏健な社会主義団体、ファビアン協会の会員だったそうです。社会的な主張の面白さ に加え、大変しっかりとつぼを押さえたウェルメイド・プレイ。イギリス版イプセン、または、良質のラティガンといったところでしょう か。妻が相続した遺産を妻には知らせずにバカな投資につぎ込んで、破産してしまうという夫に利用された働く女性の話です。第一次世界大戦が終わって少し経った頃の時代に、既に働く女性を取り上げていた点に新鮮さを感じました。イプセンの女性たち と違い、主人公のロイスはあまり逞しくなく、その点ではやや不満が残ります。しかし、一旦結婚すれば妻の財産も労働の成果も夫のものなるという、当時の男性社会の専横さを鋭く告発した劇です。イプセンなどと比べるとやや小粒なのは、善悪がはっきりしすぎ、けなげな女性と横着な夫という図式が分かりやすすぎることでしょうか。そういった点では、ビクトリア朝的な古めかしさを感じさせます。しかし、説得力は十分にあり、観客からはため息やらブーイングやらが度々出ていました。

俳優は皆秀逸。特に憎まれ役の夫Eustaceを演じたChristopher Ravenscroftの憎憎しさの表現が素晴らしかった。

それにしてもこの劇が12ポンド(1600円くらい)で見られるなんて贅沢。ロンドンのフリンジは充実している。

良い作品なので、日本語に翻訳し上演されても大いに楽しめるでしょう。