2013/09/18

『かもめ』(シアター・コクーン、2013.9.16)

最悪の演出
『かもめ』 
シス・カンパニー公演

観劇日: 2013.9.16   13:00-15:10
劇場:Bunkamura シアター・コクーン

演出・上演台本:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
原作:アントン・チェーホフ
美術:島次郎
衣装:伊藤佐智子
照明:小川幾雄
音響:水越佳一
制作:北村明子

出演:
生田斗真 (トレープレフ)
蒼井優 (ニーナ)
野村萬斎 (トリゴーリン)
大竹しのぶ (アルカージナ)
山崎一 (ソーリン)
梅沢昌代 (ポリーナ)
西尾まり (マーシャ)
小野武彦 (シャムラーエフ)
浅野和之 (ドールン)
中山祐一朗 (メドヴェジェンコ)

☆★★★★


シアター・コクーンでチェーホフの『かもめ』を見た。生田斗真、蒼井優、野村萬斎、大竹しのぶ、浅野和之などの豪華な出演者、そして人気の演出家、ケラリーノ・サンドロヴィッチによる演出と台本。この演出家は、私の周辺ではあまり良い評判は聞いてないので期待はしていなかったが、演目は大変好きなので、それなりに楽しめるだろうと思っていた。しかし、前半30分過ぎたところぐらいで早くも、「こりゃ駄目じゃ」!インターバルにたどり着いた時には、これほどひどい上演を見るのは久しぶり、とため息。

若くて上手とは言いがたい生田斗真を除くと、主な俳優は概して問題ないし、脇を固めているのも、浅野和之とか、小野武彦など芸達者。でも演出がひどい。とにかく、チェーホフのテキストが持つ雰囲気を如何にしてぶち壊すか、ということばかり考えているとしか思えない。チェーホフは、ロシア帝政末期の地主階級の没落を背景に、中産階級もふくめ、時代の変化に翻弄される人々の姿を哀愁と暖かいユーモアを込めて描いているので、伝統的にはそういうややロマンチックな、憂いに溢れた雰囲気の舞台となるだろう。でも、今はそうした伝統的な、あるいは新劇的な解釈を超えて、何か新しい、現代的な味付けをしようという試みがあって当然だろう。サンドロビッチのやり方は、徹底的にロマンチックなところを排して、スラップスティック的演技とか、ブレヒトみたいな異化作用を入れて、観客を感傷に浸ることから引きはがそうとしているように見える。それは結構としても、では上演としてどういうものを目指しているのか、観客をどうひきつけるかということが全く見えてこない。ただのファルスにしてしまいたいのか。特に、若すぎるとしか思えない山崎一演じるソーリンにどたばたをやらせ、苦笑い。感動を呼ぶはずのキャラクターなんだけどな。大竹しのぶのアルカージナも突拍子も無い、ブラック・ユーモアとしか思えない金切り声を突然連発。全体に漫画的でふくらみのないキャラクターを並べてしまった。更に最後のニーナの熱い台詞のあたりでは、突然電気が点滅したりして、観客の気をそらすが何故?但し、蒼井優のニーナは説得力を感じた。

けっしてすべて気に入ったわけではなかったが、蜷川幸雄がやはりシアター・コクーンのスタジオで演出した『かもめ』を私は見ているが(1999年、原田美恵子、宮本裕子、高橋洋など主演)、かなり楽しめた。それと比べると、とても比較できるレベルではない。良い俳優、良いスタッフを得て、この惨状!カーテン・コールもどこかそっけなかったが、きっと俳優たちもこの公演が上手く行っていないと分かっているのだろうと思える。

明るく、快活な雰囲気をかもし出す島次郎のシンプルなデザインと小川幾雄の照明は、舞台の出来とは関係なく、印象深かった。ロシア風の重苦しさを剥ぎ落とし、一貫したトーンを作り上げていたと思う。折角の立派なセットの効果が上がらず、もったいない。

ちなみに、Young Vicでは去年の秋、現代ロシアに場所を置き換え、言葉も大幅に今の若者風に変えた『三人姉妹』を上演し、批評家の好き嫌いはあるにしても、一定の評価を得たようだ。サンドロヴッチの試みを日本の批評家たちはどう思っているのだろうか。マスコミやスポンサーに遠慮して率直な評論が出ないし出来ない日本では、イギリスのような論議が見えてこないのがもどかしい。結局制作者が女性に人気のある役者を揃えた時点で劇場が埋まることが予測できて、公演としては成功なのか?

小劇場の公演ならつべこべ言う気はしないが、1万円近くのチケット代を払ってこれでは・・・。つい先日、たった15ポンドで見たフィンバラ劇場の無名の俳優達による慎ましい演目が懐かしくなる。

それで思い出したけど、蜷川演出作品の常連だった高橋洋、2008年にニナガワ・スタジオを退団し、舞台に出なくなった。いい役者だと思ったけどなあ。何か事情があったのだろうが、蜷川の舞台で見られなくなりとても残念に感じている。今回は、野村、大竹、蒼井など、客を呼べる大物俳優は十分そろえたのだから、その他の役では、女性客集めのためのジャニーズ事務所俳優の起用よりも、演劇で地道に修行を重ねてきた若い舞台俳優にチャンスをあげて欲しかった。

2013/09/15

"Fishskin Trousers" (Finborough Theatre, 2013.9.7)


中世の伝説と現代を繋ぐモノローグ
"Fishskin Tousers"

Finborough Theatre公演
観劇日:2013.9.7  19:30-20:45
劇場:Finborough Theatre, London

演出:Robert Price
脚本:Elizabeth Kuti
照明:Matt Leventhall
衣装:Felicity Gray

出演:
Jessica Carroll (Mab, a servant in Orford Castle, Suffolk, in 1173)
Brett Brown (Ben, a scientist on Orford Ness, in 1973)
Eva Traynor (Mog, a primary school teacher, at Orford, in 2003)

☆☆☆ / 5

この夏のロンドン滞在中、最後に見た劇。この小さなフリンジの劇場、Finboroughは、私のお気に入りの劇場で、いつもとても興味深い劇をやってくれる。切符の値段も、フル・プライスで15ポンド以下と、大変気軽に見られる。だからその時の演目が自分に合わない劇でも気にならない。今回は、3人の俳優によるモノローグを織り合わせた作品で、英語の理解に大いに難がある私には、かなり理解出来ないところがあったが、それでも楽しめた。

劇全体の土台となっているのはイングランド東部、サフォーク州のオルフォード(Orford)という町を舞台にした中世(12世紀)の伝説。オルフォードの漁師の網にワイルドマン(半獣半人の怪物)がかかった。普通ワイルドマンというと森の住人であるが、このワイルドマンは、海に住む、男性の人魚のようなもの。最初に登場する人物は、12世紀オルフォードに住む召使いの娘Mab。彼女のモノローグで、このワイルドマンが捕まり、オルフォード城の城主の牢に閉じ込められ、拷問にかけられた経緯が語られる。Mabはこの怪物に同情し、密かに彼を連れ出して海へ戻す。

約800年後の1973年、オルフォードの岬(Orford Ness)では、英軍の最先端のレーダーの研究が行われていて、オーストラリア人の若者で、アメリカの大学の研究者であるBenもチームの一員として派遣されていた。彼は大学時代に学生寮のいじめで亡くなった友人を見殺しにしたという深い罪の意識に苦しんでいた。彼はパブの給仕のMabelと知り合って夜の浜辺にデートでかけるが、奇妙な音を絶えず聞く。彼らは舟で海にこぎ出すが、MabelはBenに彼女が通っている学校の美術の授業のために作っている「魚の皮のズボン」(fishskin trousers)を着るように言う。Benは一種のワイルドマンになって海に戻って行くのだろうか・・・。

更にその30年後、小学校の先生のMogは、妻のある男性と関係を持ち、妊娠しており、ひどく悩んで、自殺を考えつつ海辺に出かける。彼女も、海から上ってくる、忘れがたい叫び声を聞く。

3つの時代の3人の若者が、ワイルドマンの伝説によって結びあわさせる。3人の俳優が交互にそれぞれの物語を語り、最初ばらばらに見えた3つの物語が、少しずつ繋がっていく。中世の伝説と現代が幻想的に溶け合う、とても良く出来た劇だ。何も小道具のない裸のステージで、俳優同士の対話もなく、ひたすら言葉の力でじっくりと観客を引き込む。それを支える3人の俳優の演技というか、語りが素晴らしかった。モノローグの劇はあまり好きでは無いが、今回はかなり満足できた。

ちなみに、この劇のベースとなっている伝説は、ネットで調べてみると、12世紀の年代記、"The Chronicles of Ralph of Coggeshall" (1187)に実際に記されているそうだ。ラテン語原典は、Rolls Series, ed., Joseph Stevenson (1875)にあり、また、近々、Harriet Websterによる英訳も付いた新しいエディションが発売されるそうである。オルフォードのワイルドマンについては、こちらが詳しい

Elizabeth Kutiの脚本も発売されている: "Fishskin Trousers" (Nick Hern Books, 2013)。この本には、標題の作品と共に、Kutiによる2本の一幕劇も収録されている。

2013/09/09

Ian Rankin, "The Impossible Dead" (2011; Orion Books, 2012) 423 pages


スコットランド独立運動過激派を背景にしたミステリ
Ian Rankin, "The Impossible Dead"
(2011; Orion Books, 2012)  423 pages.

☆☆☆☆ / 5

スコットランドのミステリー作家、Ian Rankinの新しいシリーズ、The Inspector Foxシリーズの第2作目。Rankinはまだまだ若いが(1960年生まれ)最近のインタビューで、これからしばらくお休みを取ると言っているので、このシリーズが今後どうなるか分からないが、既に出た2冊とも読んで見てとても気に入った。今後Rankinが書いてくれるなら、続けて読みたいシリーズになった。

エジンバラ警察で、不祥事などを捜査する部門"Complaints and Conduct"のチーフ、Malcolm Foxは、今回、エジンバラ近隣のFife郡の警察署に勤める3名の刑事の汚職の嫌疑を捜査するために派遣される。この3名は、不祥事を起こした同僚のPaul Carterをかばい、情報を隠しているらしい。この事件の中心にいる刑事Carterは既に逮捕され、公判を待つ間留置されていた。彼を汚職の嫌疑で警察に告発したのは、元刑事でPaul Caterの叔父でもあるAlan Carterであった。FoxがAlanの話を聞いた頃、Paulは突然保釈される。ところが、Paulの保釈のすぐ後で、彼の叔父のAlanは何者かに殺害された。当然、恨みを抱いていると見られる甥のAlanに疑いが及ぶ。しかしそれではあまりにも台本通り、と言う気がしたFoxは、Carterが調べていた80年代のスコットランド独立運動の大物の事故死と何らかの関係があるのではないかと疑い、自分もAlan Carterの調査した後をたどって、過去の記録を洗い、証人達に話を聞き始める。そうすると、スコットランド独立運動の過激な一派に関わった者達の、その後の様々な生き方が明らかになってくる・・・。

事件の捜査中、養護施設に預けてあったFoxの父親が倒れて意識不明になり入院し、彼は忙しい仕事の間を縫って病院に通う。父の看護をめぐって、Foxは、やさしく繊細だが劣等感が強く精神不安定な妹Judeとの関係で苦労する。また、昔、警察の研修会で知り合って一晩を共にした人妻、Evelyn Millsとも再会し、相手が今も好意を抱いていることを知るなど、事件の捜査と並行して、彼のプライベートな生活にも波風が立つ。

2013年の今現在、連合王国ではスコットランドで、Scottish Nationalist Party(スコットランド国民党)が安定した政権を続けており、来年にもスコットランドの独立を国民投票にかけると公約しているが、どうなりますか。

非常に複雑に入り組んだプロットを作り上げ、それが登場人物のキャラクターと深く結びついて展開するのは、Rankinのどの作品にも言える特徴だと思うが、この作品でもその腕は全く鈍っていない。更に、ごく普通の常識人のようでありながら、相当に執念深く相手を追い詰めるMalcolm Foxという人物が大変魅力的。煙草も酒もやらず(彼はかってアル中で、大失敗している)、Millsにも惹かれるが相手の家庭を壊すようなことはしない。同僚のKayeを除いては友だちと呼べる人も無いようだ。真面目な警察官であり勤め人で、周囲の同僚や上司には信頼されているようなんだが、何故か、かなり孤独な男。また新しい作品で出会いたい。このシリーズはまだ日本語では出版されていないようだが(?)、当然翻訳されつつあると思うので、読めるのは時間の問題でしょうね。

Malcolm Foxシリーズ第1作目の"The Complaints"についても感想を書いています。

2013/09/07

George Brant, "Grounded" (Gate Theatre, 2013.9.5)


無人戦闘機を操縦する女性パイロット
"Grounded"

Gate Theatre公演
観劇日:2013.9.5  19:30-20:35 (no interval)
劇場:Gate Theatre, London

演出:Christopher Haydon
脚本:George Brant
セット:Oliver Townsend
照明:Mark Howland
音響:Tom Gibbons

出演:
Lucy Ellinson (The Pilot)

☆☆☆ / 5

無人の偵察機が米軍によって使われ出してからかなり経つと思うが、近年は戦闘機など攻撃用にも使われている。ウィキペディアによると、こうした攻撃用無人飛行機(Unmanned Combat Air Vehicle [UCAV] )は「テロとの戦争」において、現在もパキスタン国内などで米軍により使われているそうだ。更に、これらを操縦する軍人の精神的ストレスの大きさも既に問題となっているようだ。この劇はそうした題材を正面から扱ったひとり芝居。非常に緊迫した1時間で、大変良く書かれ、演じられており、私も身を乗り出すようにして見た。しかし、どうしても私には、この作品に限らず、演劇作品としてのひとり芝居の不自然さが引っかかってしまって、その面での不満は残った。とても大事なテーマを扱った劇であり、ひとり芝居では無く、複数の俳優が出る劇であったら、と思った。この夏のエジンバラ・フェスティバルで好評を博してGate Theatreにトランスファーした公演。

主人公は米軍でも珍しい女性の戦闘機のパイロット。大変自信にあふれ、空を飛ぶことを人生最大の生きがいにしている。男達はそんな彼女に恐れをなしてか、なかなか近寄ってこない。しかし、Ericという若者だけが、軍服を着た彼女にオタクみたいに惹かれて、彼女は彼とつき合い、結婚(あるいは同棲?)し、子供を産む。ところが職場復帰した彼女は第一線の戦闘機操縦の仕事からはずされ、ネバダ州の砂漠の真ん中にある基地で無人戦闘機のパイロットとしての勤務を命じられる。空を飛べなくなった彼女はそれだけでもショックであったが、戦場から遠く離れた、平和な米国内の基地で、中東、あるいは中央アジアの戦場を飛ぶ無人戦闘機を操ってターゲットを殺害、あるいは爆撃し、人を殺す、という日常の「業務」(この仕事を皮肉っぽく'chair force'と呼んでいた)が彼女の心をむしばみ始める。ラスベガスに住み、朝起きて、娘のSamを保育所に預け、1時間ほど砂漠の中の道を運転して9時に出勤。そして午後5時まで、画面を見つつ無人戦闘機で敵を追い詰め、射殺し、そして、夕方5時になったら、仕事をやめて、車を運転し、Samを保育所に迎えに行き、家に帰ってEricやSamと静かな夜を過ごす。モニターの向こうの残虐な戦場、静かで冷徹な仕事場、そして平和な日常の暮らしという3つの場面のもの凄い隔たりが二重三重に彼女を追い詰める。最初彼女は、地上勤務の疑似パイロットになったことに差別されたと感じ、仕事に大変不満を感じる。しかしモニターを見つつ敵を追い詰め、爆撃や射殺をしていく作業が、まるでコンピューター・ゲームに興じる一般人のように彼女を捕らえて、彼女は夢中で仕事に打ち込み、家庭をおろそかにするほどになる。しかし、やがてゲームでのように容易に人を殺していくことの罪の意識も生まれている。彼女の心の中では徐々に、ネバダの砂漠と中東の砂漠の境が分からなくなり、通勤で運転する乗用車と無人戦闘機が、更に、標的にしている人達の姿と自分の家族のイメージが重なり始める・・・。

芝居が始まる前、開場した時から主演のEllinsonは小さな舞台の上に仁王立ちになって、入ってくる我々観客の1人1人を睨みつけるように凝視している。Gateの小さなステージ全体が、その彼女をおおうように白い紗の布でおおわれ、それを通して我々はモニターをのぞき込むように、あるいは刑務所や精神病棟の一室をのぞくようにして彼女の演技をみる。彼女がアメリカの基地から遠く離れた人々を遠隔攻撃するのと同じように、傍観者としての私達観客(一般市民)の罪も示されているのだろうか。

脚本を読んだことがなかったので、細部は良く分からないところが多かったが、それでも大変説得力ある劇だった。特にただ1人の出演者のLucy Ellinsonの能力を讃えたい。逞しく、自信溢れたパイロットが、内面から徐々に崩壊していくプロセスを雄弁に演じた。☆を3つにするか、4つにするかとても迷った。ひとり芝居故の不自然さと、ひとり芝居だから生まれた緊迫感、どちらを考慮すべきか、なかなか難しい。

ここで描かれるパイロットは精神に異常をきたすが、こうした業務をまるでコンピューター・ゲーム同様に仕事としてこなして、遠く離れた異国にいる敵を遠隔操作により効果的に殺害し、そしてシフトが終われば平和な日常生活を飄々と過ごしている軍人も多いのだろうか。正気を失わずにそうできる人の方が、ある意味、この主人公より余程異常だ。折しも化学兵器の利用をめぐって、シリア政府軍を米軍が攻撃すべきか、大きな国際問題になっている。オバマ大統領は地上軍は派遣せず、飽くまで爆撃、ミサイル攻撃などに限定するらしいが、無人戦闘機の使用も同じことだろう。血みどろの地上戦は残虐だ。しかし、一方の側に殺人の残虐さを忘れさせるような兵器による攻撃は一層残虐に思えた。