2013/07/28

WOWOWのドラマ「ハリーズ・ロー、裏通り法律事務所」('Harry's Law')



WOWOWでやっている連続ドラマ、「ハリーズ・ロー、裏通り法律事務所」が気に入っている。

文字通り弁護士もの。「ペリー・メイソン」などのような、昔から良くある法廷ドラマ。そして私は法廷を舞台にしたドラマや映画が大好き。丁々発止のやり取りが楽しい。このドラマ、主演のキャシー・ベイツを始め、芸達者が揃っていて、台詞のやり取りを聞いているだけで楽しい。私は普通アメリカのドラマはあまり見ない。刑事ものはけばけばしすぎ、リアリティーに乏しいか、暴力シーンばかり目に付いて見たくないし、そのほかのアメリカドラマもあまりにもつくりもの臭い。ところが、このドラマだけは毎回失望しない。何故だろう。

ベイツ演じる主人公のベテラン女性弁護士ハリー(ハリエットの愛称)・コーンは、正義感の強い弁護士ではあるが、護身用の銃を身近に置き、自分の身は自分の身で守る、概して政府の市民生活への介入は少ないほうが良いという伝統的な共和党員のようだ。人種とかジェンダーの問題ではリベラルだが、決していわゆる人権派弁護士ではなさそうだ。そういう中道に位置する彼女が、やはり色々な意見を持った仲間達や、裁判官、検察官達と共に、毎回試行錯誤しつつ、時には間違いを犯しつつも、色々な社会問題の答を裁判を通じて見出そうとする。どの登場人物も善悪とか、良心的かそうでないかとか、一面的に描かれていないところが良い。裁判の結果も、明らかにハリーの弁護に正義があると思われる訴訟で敗れたり、その逆だったりすることもあり、また、そもそも、ほとんどの裁判において、100パーセント正義とか不正であるとか断言できないというむつかしさが描かれている。娯楽番組なので、弁護士たちの恋愛とか、彼らの家庭問題とか、周辺的なエピソードも沢山あり、「アメリカの法曹とは・・・」とお勉強するような番組ではないんだけど、娯楽番組の枠内で、アメリカの社会問題とか、法律が市民生活でどう生きているのか、あるいは、生かされてないか、いくらかでも学べるのではなかろうか。

私が特に面白いと思うのは、陪審のいる裁判と、居ない裁判の違い。前者は英米の色々な法廷ドラマでもお馴染みで、たとえば「12人の怒れる男」など有名だが、後者は、a magistrate's courtかなと思う。治安判事の裁判である。判事が一人で判断し、判決を出す。したがって、どういう判事に当たるかで、判決も大きく変わりそうで、それを踏まえて弁論の戦術を立てるようだ。どちらの場合も、テレビドラマという性格もあり現実の裁判を反映しているかどうか分からないが、弁護士や検事の説得力、つまりどのくらい雄弁(oratory)をふるえるかでかなり結果が左右される。私は裁判の傍聴の経験がないが、日本の裁判の弁論はどうなんだろう。

今現在やっているシリーズは再放送の第一シリーズのようで、ウィークディに毎日放映していて、録画してぼちぼち見ている。既に見た第二シリーズと比べて、地元の町の人々とのつながり、弁護士の助手をしている黒人の若者マルコムの成長、事務所の周辺で起こる若いギャングのトラブルの対処、ハリーの事務所が建物の2階ではなく、靴屋の店舗の一部となっていることなど、ローカルな人間ドラマが多い。一方第二シリーズ、「続ハリーズ・ロー、裏通り法律事務所」では、そうしたローカルな話題が減って、より一般的な法廷番組になっていた。俳優も新しく2人がレギュラーになり(オリヴァーとキャシーという新キャラクター、この2人はアメリカでは良く知られた俳優が演じていると思う)、その代わり、若いマルコムや靴屋のマネージャーのお茶目なジェナがほとんど出なくなったのは残念。第一シリーズが好評だったので、ギャラが高いが知名度のある俳優でグレード・アップしたのかな。法廷ものとしては第二シリーズのほうが緊迫感があるが、最初のシリーズの身近な、サブタイトル通り「裏通り法律事務所」の雰囲気も捨てがたい。

洋の東西を問わず、テレビ・ドラマのヒーロー、ヒロインは、若いか、せいぜい40才前までくらいのスタイリッシュな美男美女というのが普通だが、この番組は1948年生まれのベイツ演じるハリーが主人公で、準主役級で彼女の忠実な協力者のトニー・ジェファーソンを演じるクリストファー・マクドナルドも1955年生まれ。ふたりの間の世代に位置する私には、共感しやすい嬉しい配役。

2013/07/22

『ドレッサー』 (シス・カンパニー公演、2013.7.21)

シス・カンパニー公演
観劇日: 2013.7.21   13:30-16:10
劇場: 世田谷パブリック・シアター

演出: 三谷幸喜
原作: ロナルド・ハーウッド
翻訳: 徐賀世子
美術: 松井るみ
衣装: 有村淳
照明: 服部基
音響: 加藤温
制作: 北村明子

出演:
橋爪功 (座長)
大泉洋 (ノーマン)
秋山菜津子(座長夫人、コーディリア役)
銀粉蝶 (マッジ、舞台監督)
浅野和之 (ジェフリー・ソーントン、フール役の俳優)
梶原善 (オクセンビー、左翼俳優)
平岩紙 (アイリーン)

☆☆☆☆★

こりゃ楽しい!とずっと思いながら見ることができた。芝居見物の楽しさを十分に味わい尽くした2時間40分だった。

お話はシンプルで、頭のボケかけた私でも筋なんか気にする必要なし。時は第2次大戦中、爆撃の音が始終聞こえるロンドンの劇場の舞台裏。主人公の一人、年寄りの、シェイクスピア劇団の「座長」(なぜか固有名詞がつけられていない)が『リア王』の舞台をつとめようとするが、舞台の始まる前の昼間から街角で正気を失なって病院に担ぎ込まれるわ、その後、楽屋に入っても台詞は出てこないわ、怖くなって、もうやっぱりだめだ、と言い出すわで、一座は大騒ぎ。その老役者を、長年付き人をつとめ献身的に世話してきたノーマンが、なだめたりすかしたりして、なんとか舞台に押し出す。妻でコーディリアを演じる「夫人」(彼女も名前を与えられてない)、20年来の舞台監督で密かに座長を慕ってもいるマッジも、ノーマンとともに座長を慰めたり叱ったりして全力投球。周囲のそうした必死の努力に支えられて座長はなんとか無事に舞台を最後までつとめる。それどころか、今夜は日頃にも増してよい演技ができたようで、大変な拍手喝采を受け、自分でも今夜の自分の演技に満足して、楽屋でもしばし興奮が治まらないほど。しかし、彼の体はその日の、そして長年の酷使に疲れきっていた・・・。

座長を演じた橋爪功と付け人ノーマンの大泉洋の掛け合いが、タイミングがばっちりあって見事。 ほとんどの役者がひどく芝居がかった大げさな演技。私はそういう演技が嫌いなのだが、この劇ばかりは、芝居がかっているところが面白さの源なので、これで二重マルである。橋本功は、特に何もしなくても面白いし、舞台化粧をした顔を見ているだけで絵になるところは、ほとんど歌舞伎役者のよう。大泉洋は、その橋爪にしっかり支えられ、まるでひらひら舞うチョウチョのように動き回りながら、自在に台詞を操っていた。この2人を含め、非常に台詞の多い劇なのに、誰一人台詞を言い損ねたりしないところがすごい。他の脇役も効果的だったが、特に浅野和之のうらぶれたフール役の役者が印象に残る。浅野さんは上手い。私のもっとも好きな日本人俳優のひとり。彼がノーマンをやってもきっと面白いに違いないので(ただし、客は呼べないだろうけど)、今回は割合小さい役で、もったいないくらいだ。

この劇は、座長率いるシェイクスピア劇団がまさに公演している『リア王』と、それを演じている座長以下の俳優やスタッフたちのドラマが、上手く表裏をなすように作られている。正気を失いかけたり、体が段々弱っていったり、専横であったりするリアは、まさに座長自身の姿でもある。そして、座長にさんざののしられたり、こき使われたりしつつ、彼を慕って献身的に使えるノーマンは、リアに付き従ったフール。但し、フールは『リア王』の途中で居なくなるが、こちらのフールは最後まで一緒。最後は彼はコーディリアのようでもあり、あるいは、リアとフールが入れ替わったようでもあった。一方、彼の献身という角度から見ると、ケントやエドガーのようでもあるね。背後でロンドン・ブリッツの爆撃音が響き渡り、『リア王』の嵐や終盤の戦場のとどろきとも重なる。

同じように名優にまつわる劇と言うと、以前に新国立劇場でやったサルトル作の『キーン』を思い出す。あの話は女性関係が大きな笑いの種になっていた。この劇では、座長と若い駆け出しの女優アイリーンとのやり取りが、短くはあるが、結構楽しい。老境を迎えた座長だが、きらきらした若い女性にひきつけられたように見える。彼女と2人きりになると、「部屋の鍵を締めろ」なんて命じて、若い娘の足を触ったり、彼女を抱きかかえたりというエッチじじいぶり。しかし、実は、自分の体力がなくなって『リア王』の終盤で妻演じるコーディリアを抱えるのがしんどくなってきているので、少しでも体重の軽いコーディリアを探しているだけ、とノーマンがアイリーンに種明かしして、笑える。

セットや衣装もとても良い。かなりお金もかかっている。古めかしいイギリスの劇場の楽屋の雰囲気がかなり良く出ている。真っ赤なカーテンが特にそうした古風な劇場の雰囲気にふさわしい。マッジの着ていたツイードのスーツとか、リア王の昔風の衣装や化粧とか、保守的で田舎臭い巡業劇団の雰囲気が上手く出た。

この劇の内容、私には相当に見につまされた。忍び寄る、いや怒涛のように襲ってくると言って良い「老い」、頭も気力も体力も刻々衰えている昨今の私は、「座長」を気楽に笑っている余裕など無い。一方で、座長に一身をささげてきたが、自分自身には何も残らず、フールのように巨星の周りをひらひらとして、やがて主人にも別れを言うことになるノーマンも、職業人として何の成果も上げられず、職場の変化にもついていけずに挫折した自分と重なって見えた。見ている間中楽しかったが、今はじっくり思い出すのが辛い内容だなあ。

とはいえ、芸達者に支えられた楽しい上演。演劇人と演劇好きの観客がカーテンの向こうとこちらでお互いに拍手して楽しんでいるような内向きの楽屋劇で、脚本自体は私が興味を持つタイプではない。出来が悪ければ腹立たしく思っただろうが、すぐれた役者とスタッフの技量が精巧な時計の動きのように噛み合った立派な公演でした。

2013/07/17

'piggesnye'という単語

Oxford English Dictionaryのホームページでは、毎日そのオンライン版の語彙の一部を'Word of the Day'として無料公開している(ページの右側)。また、それを毎日、e-mailで受け取ることも出来るようになっている。それで、7月15日のその'Word of the Day'が、標題の'piggesnye'という単語だった。これ、ちょっとチョーサーをかじった人ならきっと思い出す次の文の一部だ:

She was a prymerole, a piggesnye,
For any lord to leggen in his bedde,
Or yet to any good yeman to wedde. (A ll. 3268-70)
(彼女はサクラソウ、豚の目草[のようにかわいい女」
どんなお殿様がベッドにはべらしたとしても、
あるいは、どんな立派なお家来衆が妻にしたとしてもね。)

出典は、ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』の第2番目の話「粉屋の話」に出てくるアリスーンという大工の若妻の描写の一部で、この若い女性の魅力を表現する言葉の一つだ。彼女の魅力を讃えるにあたって、薔薇みたいな貴族的な花ではなく、'prymrole' (primrose、恐らくサクラソウ?)と'piggesnye'という庶民的な花を例えとして使っているところが上手い。更に、'piggesnye'(豚の目草)は、文字通り、pig's eyeという二つの単語から出来た花の名前で、庶民的であるのに加えて、妙に下品な響きであり、それがこの浮気で油断も隙もならない若奥さんにぴったりの形容となっている。

さて、その'piggesnye'だが、もう死語になっている古い単語であり、私はチョーサーくらいにしか出てこないのかとばかり早合点していたら、OEDによると、これが結構使われているんだなあ。チョーサーのこの箇所を筆頭にして、「特別に可愛がり、愛している少女や女性につける愛称」として16世紀のニコラス・ユーダルやジョン・スケルトン、17世紀の劇作家フィリップ・マッシンジャー、19世紀の桂冠詩人ロバート・サウジー等々が使い、更に、古めかしい言い方としてではあろうが、20世紀のタイムズ紙とかイブニング・スタンダード紙にも登場する。おそらく、チョーサーの「粉屋の話」のアリスーンがあんまり印象的だったんで、そしてこのお話がよく中学高校の教科書の一部として使われたり、大学の英文学の授業で論じられたりするので、多くの一般読者の記憶にもこの単語が残像を留めているのだろう。OEDではチョーサーが初出だし、チョーサーの造語である可能性も考えられる。

更にOEDを見ていくと、2番目の意味として、「特に可愛い、愛された男、少年」の意味でも16世紀から20世紀まで使用例がある。可愛い人を指すのに、男も女もないですな。

ちなみにThe Riverside Chaucerの注によると、'prymerole'も 'piggesnye'も実際にどの植物を指すのか、厳密には確定されていないそうである。前者は、'primrose'に近い綴りだから、サクラソウだろうと言うことになったのだろうか。一読者としては、これらの言葉の語感が与える印象だけで十分だろう。

私はこの「粉屋の話」が大好き!特に、このアリスーンと言う若奥さんは、私のもっとも好きな中世英文学のヒロインかもしれない。元気いっぱいで、いたずらっぽくて、享楽的で、男たちを簡単に手玉に取るずるがしこさ!まぶしい、まぶしい!チョーサーも彼女には相当力を入れて書いていて、彼女の容貌や性質の紹介などに40行弱(ll. 3233-70)も費やしている。それは丁度、中世アーサー王ロマンスなどで、作者が貴婦人の美貌を褒め称える長い描写などを思わせる。つまり、アリスーンは庶民のスーパー・ヒロインなんだと思う。「サクラソウとか、豚の目草のように可愛い奥さん」だ。

このアリスーンと同じくらい私の大好きなヒロインは、同じく『カンタベリー物語』の、5回も結婚して男たちをきりきり舞いさせてきた悪女(?)であるバースの女房。やっぱり、庶民のおかみさんのチャンピオンだ。彼女の名前もアリスーン、またはアリス(アリスという名前はアリスーンの短縮形である。またアリスーンは、今の読み方ではアリソン)。というと、チョーサーの頭の中では「粉屋の話」のアリスーンとの関係や如何に?、もしかして2人は同一人物?、という非常に面白い疑問が出てくるのだが・・・。ちなみにチョーサーがこういう話を構想していた14世紀後半、老いて耄碌した(?)エドワード3世を手玉にとり、彼の愛人として権力を操って、宮廷人たちだけでなくイングランド中から嫌われたのが、アリス・ペラーズという女性だったのもちょっと気になるところ。まあ、アリスーンとか、アリスという名前はマリーのようにありふれた名前ではあるんですけどね。

ついでに言うと、やはり『カンタベリー物語』の「商人の話」で出てくる若奥さんのマイ('May',現代語風に読めばメイ)も、最初は男運が悪くて散々な目に遭うが、そのうち老いぼれた旦那を出し抜いてたくましく人生を楽しむ。合わせて読み比べたいヒロインだ。

2013/07/15

『ジュリアス・シーザー』(子供のためのシェイクスピア・シリーズ)

子供のためのシェイクスピア・カンパニー公演
観劇日: 2013.7.14   15:00-17:00
劇場: あうるずすぽっと(東池袋)

演出: 山崎清介
原作: ウィリアム・シェイクスピア
翻訳/編集: 小田島雄志、山崎清介 
衣装: 三大寺志保美
照明: 山口暁
音響: 角張正雄 
制作: 峰岸直子

出演:
 山崎清介(シーザー、人形操作)、伊沢磨紀(キャルバーニア、他)、戸谷昌弘(シセロー、他)、若松力(アントニー、他)、河内大和(キャシアス)、北川響(オクテーヴィアス、他)、チョーヨンホ(ブルータス)、山本悠生(ポーシャ、他)、長本批呂士(占い師、他)

☆☆☆ / 5

知人で、妻の親しい友人の I さんがこの劇に行かれるはずだったところ、日曜出勤で已むなく諦めることになり、私にチケットを下さった。I さん、本当にありがとうございます。おかげさまで久しぶりの観劇を楽しめました。

この「子供ためのシェイクスピア」シリーズ、10年くらい前には『ハムレット』など2、3作見た覚えがある。イギリスに行ってからは見ていないが、その直前、やはり同じ劇場で『シンベリン』を見ていて、旧ブログに感想を書いていた。

今回、特に趣向が変わった点は無かったように思う。メンバーも、山崎さんや伊沢さん、戸屋さん、若松さんなど、昔から出ている手練の人が多くて安心して見ていられる。また、キャシアスという重要な役をやった川内大和さんは「リュートピア・シェイクスピア・シリーズ」の常連だった方で、なかなか迫力ある演技で印象に残った。一方、ブルータス役のチョウヨンホさんは、台詞があっぷあっぷという印象。シェイクスピアの修行が不足か?謂わば主人公とも言えるブルータスの役は大きすぎたかもしれないのでは?もっとも、チョウさんも含め、新国立劇場の研修所卒業生が4人も出ているのは、新しい舞台俳優の活動の場所としても、このシリーズは貴重なんだなと認識した。

今回、作品がシリアスな悲劇だったせいか、いつも私は気に食わない取ってつけたような駄洒落が少なくてよかった。最後の戦いの場面での、元気一杯の殺陣も迫力あった。夏の暑い時期、もうあまり若くない山崎さんなど体力は大丈夫なのか心配。

毎回きちんとレベルを保ちつつ親しみやすくやってくださり、ありがたいのだが、しかし、時には完全にパターンを壊して、人形も黒い服も手拍子も無しで、新しい「こどものための」シリーズをやって驚かせてくださらないだろうかと無いものねだりもしたくなる。

子供のための、と銘打っているが、日曜の昼間にもかかわらず子供は本当にわずか。子供料金とか、親子料金が設定されてはいるのだが。昔見ていた頃は、結構子供がいたんだけど。今回1度の印象だけではなんとも言えないが、この10年くらいの間に若いお父さんお母さんの層の生活が苦しくなって、観劇は無理になってきたのではないか。私だって、無収入の今はチケットをいただかない限り、この劇を見なかったくらいだから。これでも文化庁の助成事業となっていて、比較的安いチケット料金に抑えられているのでしょうけどねえ(大人5千円、子供3千円、親子1名ずつで7千円)。もっとも、大学生くらいの比較的若い観客が多かったように見えたのは良かった。

あうるずすぽっと、適当な大きさで、どこに座っても見やすくて良いな。

蜷川と埼玉芸術劇場を除くと、シェイクスピアを定期的にやる劇団は少なくなってしまっている。このシリーズが継続しているのは、若い観客の掘り起こしも含めて、本当にありがたい。出来れば、どこか文化の育成と教育に熱心な企業スポンサーなどがついて子供料金を更に安くしていただければと願う。子供は2千円、2人目は千円なんてどうかなあ。子供料金だけでも下げられれば素晴らしいんだが。

2013/07/10

学者は食わねど高楊枝?:チョーサーの描く学僧と彼の同輩たち (その2)


(まだの方は出来れば前項の「その1」をまずお読みいただければ幸いです。)

チョーサーが『カンタベリー物語』の序歌で描くオックスフォードの学僧(the Clerk of Oxford)はお金を稼ぐのは苦手のようだし、また、そもそもそういう仕事に就きたいと思っていないのかもしれず、清貧の貧乏学生のままが性に合っているのかもしれない。友人の先生が大学の授業でこの部分に触れた後、学生に感想をきいたら、その学僧はモラトリアムでしょう、という見事な返事が返って来たそうである。現代日本の大学生からそう言われるなんて、笑えた。但し、この学生も勉強とともに、喜んですることがある:

And gladly wolde he lerne and gladly teche.
(そして彼は喜んで学び、喜んで教えました。)

と、チョーサーは彼の紹介を結んでいる。「喜んで」教えた、たぶん無料で誰かに教えてあげたのであろうか。オックスフォードで随分前に論理学を学んだ、つまりかなり学者としてキャリアを積んできた人であるから、個人教授で、あるいは教会の学校などで教えることも出来ただろうし、そういう機会も既にあるのかもしれない。でも「喜んで」というからには、無償で教えているのだろうか、薄謝くらいは徴収しているのか。チョーサーのスタンダード・エディションである"Riverside Chaucer"の注では、セネカが同様なことを書いていると述べている: ("gaudio dicere, ut doceam")。また、こうした考えは既にプラトンに見られるとも書いてある。

聖書ではどうか。マタイ伝の第10章で、イエスは12人の使徒達を呼び寄せ、伝道の心構えを伝えている。そのまま引用すると:

異邦人の道に行くな。またサマリア人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。行って、「天国が近づいた」と宣べ伝えよ。病人を癒し、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるが良い。財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。

ここで重要なのは、「ただで受けたのだから、ただで与えるが良い」という一節。欽定訳聖書では、"freely ye have received, freely give"となっている。キリスト教の教えの伝統の中には、「知識」(scientia)というものは神の無償の贈り物であって、これは無償で分け与えられるべきであり、まるで食物を売るようにお金を取って商ってはいけない、と言う考え方があるようだ。そもそもローマ帝国が分裂し崩壊した時期から中世の大半の時期の西欧においては、文字を習い知識を受け継いだ階層は聖職者、ほとんどは修道士か教区司祭などであった。彼らが得た知識は、教会、そして究極は神から与えられたのであり、それは、信徒、上記のマタイ伝の言葉で言えば「羊たち」、を導く為の神からの贈り物である。この学僧が示す"gladly wold he learn and gladly teach"という態度は、直接的ではないにしろ、マタイ伝の"freely ye have received, freely give"という教えと関連していると言って良いだろう。

「知識というものは、元来神に与えられたものであるから、売られるべきではない」、という基本的な考えは、大学や大聖堂付属学校の教師の報酬と関連して、12、13世紀に学者たち、とりわけ教会法の学者たちによって盛んに論じられたそうである(注を参照)。具体的には、当時の教会法学者たちにとっては、学生に教えるのに授業料を取って良いかどうか、また徴収するとすれば誰からどの程度受け取るべきか、かなり悩ましかったようなのである。これらの教師のほとんどは聖職者であり、修道会から養われているか、その他の聖職禄を得ている者が大多数であろうから、彼らは、丁度マタイ伝に述べられている12使徒たちのように、無償で教えてしかるべき、という考えもうなずける。しかし、貧しい学生からは授業料を取らないにしても、裕福な学生からは謝礼を受けても構わない、あるいは、金持ちも貧乏人も、その人の収入に応じて何らかの授業料を払うべきである、という折衷的な考えが支配的だったようだ。また、こうした議論の前提となる聖職禄を貰ってない者など、教師が貧しい場合は相応な授業料を要求して構わない、と唱える者もあった。また更に、謝礼の申し出は断る必要はないが、自分から要求するようなはしたないまねはしてはいけません、という説もある。このあたり、その1で触れたように、チョーサーの学僧が支援者からの援助を受け取っていた事を思い出させる。

ちなみに、上に引用したマタイ伝では、「働き人がその食物を得るのは当然である」("the workman is worthy of his meat")とキリストは教えている。この言葉は、ルカ伝10.7、テモテへの第1の手紙5.18でも繰り返される。この「働き人」(the workman)は、知識人ではなく、一般の、広い意味での労働者、例えば農民とか職人、と解釈される。聖書の時代において、頭を使い、デスクで仕事をするホワイトカラーの勤め人など数の上ではほとんどいないも同然であったから、知識を売り買いする労働者なんて計算に入ってはいないだろう。しかし中世後半にはまず教師が出て来て、次に種々の役人・官僚の類、そして法律家など、従来の身分制度の範疇に納まりにくい人々が台頭する。これら知的職業、そして彼らのかなり高い収入レベル、蓄財などをどう考えるか、また別の大きな問題になってくるが、今回のエントリーはここまで。

(注)詳しくは、Gaines Post, Kion Giocarinis and Richard Kay, 'The Medieval Heritage of a Humanist Ideal: "Scientia Donum Dei Est, Unde Vendi Non Potest," ' Traditio 11 (1955), pp. 195-234.

2013/07/07

学者は食わねど高楊枝?:チョーサーの描く学僧と彼の同輩たち (その1)

14世紀イングランドの詩人ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』のプロローグで出てくるオックスフォードの学僧(the Clerk of Oxford)は、学問に全身全霊を捧げている清貧の学者であり、チョーサー作品の伝統的な解釈においては、理想的な学者像と見なされて来たと思われる。私が1970年代に習ったアメリカ人の先生も、彼を大変理想化して解説していた。彼はかなり前に論理学を修めているようなので(unto logyk hadde longe ygo)、長期間大学に在籍しているようだ。今で言えば、博士課程の学生か、またはポスドクと呼ばれる博士号を取得後、任期付や非常勤の教職などをしている研究者のような人と比較出来るだろう。古今を問わず、こういう人たちの生活が極めて不安定で苦しいのは同じのようだ。この学僧は熊手のようにやせた馬に乗っているが(As leene was his hors as is a rake)、良い馬を借りる費用がないのだろう。彼自身もうつろな表情をしており、太ってもいない、と書かれているが、ちゃんと栄養のあるものを食べているのだろうか。彼の上着も古くてすり切れ、糸が目立つ程だ(Ful thredbare was his overeste coutrepy)。現代の日本や欧米では、こういう種類の人たちは大学の専任教員になることを望みつつも、職が決まらないまま、非常勤講師や任期付講師の職で長く生活しておられる方も多数いる。中世イングランドの場合、こういう学者にとって目指す安定した仕事と言うと、大学はオックスフォードとケンブリッジしかなく、その教職は限りなく少ないので、何らかの聖職者ということになる。多くの人は豊かな地域の教区司祭志望だろう。また、もともと修道士で大学に来たりする人も多かったようなので、そういう人は修道会に戻るのだろう。しかし、チョーサー描く学僧は、

For he hadde geten hym yet no benefice,
Ne was so worldly for to have office.
(というのも、彼は聖職禄を受けてもおらず、
また、世俗の職に向くほど世渡りも上手くなかった。)

聖職禄(benefice)は、中世カトリック教会の何らかの仕事、多くは教区司祭など、を指す。しかし、世渡りが下手なのか、就活に熱心でないのか、オックスフォードまで出ているのに彼には教会の仕事がない。また"office"もないとあり、世俗の仕事にもありつけないか、あるいは最初から学問とは関連の薄いそういう俗な仕事を嫌がっているのだろう。民間への就活をためらう文学部大学院の学生のように。当時の大学出というと大変な知的エリートであるから、大学ではアリストテレスの哲学などを勉強していても(実際、この学僧はアリストテレスが大好きらしい)、王室(つまり中央政府)とか、大貴族付きの事務職として雇われることはしばしばあるだろう。ウエストミンスターには、大法官府(The Exchequer)とか、財務裁判所(The Chancery)といった役所もあり、そういうところでも雇われる可能性があっただろう。更に、もう少し妥協すれば、ロンドンや他の幾つかの大きな都市には、大金持ちの大商人がかなりいて、彼らも事務官を必要としていたし、またギルドと呼ばれる同業者組合も事務官を抱えていた。当時は今の大学と違い、MBAや何とかビジネス学科なんて臆面もなく金儲け目的の実学部門はなかったので、例え神学や哲学を修めていても、それらの学者のラテン語の読み書きや知的能力が買われて商人に雇われ、会計簿とか、契約書を読んだり作成したりしても不思議はない。でもこの学僧はそうは出来なかった。つまり、

For hym was levere have at his beddes heed
Twenty bookes, clad in blak or reed,
Of Aristotle and his philosophie,
Than robes riche, or fithele, or gay sautrie.
(なぜなら 彼は寝台の側に黒や赤の装丁のアリストテレスの本20冊を持つ方が、
豪華な服や胡弓や華やかな琴を持つよりも
好ましいことだったからです。)

金儲けするより、本を読んでいたかったわけだ。ちなみに、ここにある"robes"という語は、おそらく「お仕着せ」の意味も含蓄していると思うので、就職してご主人からいただく職場のお仕着せのことも考えさせる。脱線すると、日本の事を考えても分かるが、この頃のちゃんとした服というのは、大変高価だった。日本のサラリーマンだって、戦後しばらく、ほとんどの人が近所の仕立て屋さんで背広を作っていた頃は、お父さんの背広の新調は、家計に取って、一大出費だったわけだ。高価なものだから、遺言状で遺産として残されるアイテムのひとつとしてもしばしば見受けられると記憶している。従って、ちゃんとしたお仕着せが雇い主から配布されることは多かったようだ。騎士などの場合、有力な貴族から与えられれ、その主従関係が分かるような紋章の入ったお仕着せ(livery)を来て、虎の威を借るような振る舞いに出ることもあった。

この学僧がまだ手に入れていないとある聖職禄(benefice)は、中世の多くの人々にとって非常に重要な収入源だった。これは教会の無数の役職に付いて来る謂わば「給料」。中世人の多くは土地からあがる収入によって暮らしていた。王侯貴族、騎士やジェントリーと呼ばれる上流階級の地主などだ。また、富裕な商人や役人、法律家なども土地を持って、そこから穫れる農作物の売り上げ、小作料、地代等々を得て、他に生業を持っていても、それを土地からの収入で補完したり、あるいは、土地の収入のほうが元来の生業よりも儲かっていた場合も多いだろう。一方、地主ではなく、それほど豊かでもない中流の人達の収入と言うと、この聖職禄がかなり重要な割合を占めていただろう。聖職者だから、大半の人は結婚は出来ないが、一生涯、禄を受け取る、つまり終身雇用してもらえる、という魅力で、多くの人が苦労して学問を積み、教会に入ったことと思う。時代はずっと後だが、あのプレイボーイ、ジュリアン・ソレルを思い出せば理解しやすい。一方、貧しい下級聖職者の場合、結婚することもあり得た(注1)。また、先ほど書いたような公務員やその種の事務職員の仕事も存在した。しかし、そうした仕事をしている事務職員の多くも、実際は聖職者であり、禄を受けていたのである。前述の大法官府などの事務官(Chancery clerks)なども、そのかなりの人々は独身の聖職者だった。おそらく、彼らが王室から貰う世俗の給与だけでは不十分で、聖職禄も必要だったのではないか。王室(the Crown)の公務員などは英語で"annuity", ラテン語で"annuitas"、と呼ばれる年間給与などを王室から受け取っていた(年金であるが、退職後に貰うのではなく、現役の労働の対価でもある)。しかし、これがエリート知識人のお給金の割にはどうもかなり低額だったらしい。また、中世の王様は戦争を年中やっているので、財政は火の車のことが多くて、こうしたお給金も途絶えがちになる時もあったようだ。これは私見だが、そもそも中世においては、定期的に払われる「給料」という概念がそれほどはっきり定着していなかったと言えるのではないか。また、王室の財政も、長期的に大きな官僚機構をしっかり支えるほどには、安定性にも、計画性も欠けていたのだろう。そこで、王が実質的な給与の財源として使ったのが聖職禄である。これは教会の役職ではあるが、実際は直接日頃から教会の仕事をしていない人、名誉職としてそうした役を得ている人、実務を代理人にやらせている人など、色々な、謂わば「不在」聖職者にも配分されるのであり、その配分権限の多くを王室が握っていたはずである。偉い人は、複数の聖職を兼務し、実務は代理司祭にやらせて滅多に自分の教区に近寄らなかったりした(注2)。一方聖職禄を得ていない事務官も沢山いたが、彼らもやや少ない俸給を他の手段で補おうとした。今であれば公務員の普通の仕事の一部、書類を作るとか手続きを先に進めると言ったことの代価として、彼らは私的な手数料を取ることが多かった。今で言えば、医者に渡す心付けと似通っているだろうか。王室はこうした事務官に役職と幾らかの俸給を与え、事務官はそれらの役職の「名前」を使って、役所を利用する国民から一種の私的手数料を徴収するわけだ。今だったら汚職になるかもしれないが、中世イングランドにおいては当然のものとして行われていた。いや、パブリック・サービスの概念が極めて乏しかったので、こうした私的営利行為が、国の業務の中に組み込まれていたのだろう。

話を元に戻すと、このオックスフォードの学僧は、聖職にも、聖職禄にも、世俗の職にもありついていない。彼はどうも支援者から何かしらの援助、いわば奨学金、を貰っているらしい:

But al that he myghte of his freendes hente,
On bookes and on lernynge he it spente,
And bisily gan for the soules preye
Of hem that yaf hym wherewith to scoleye.
(しかし、彼が友人たちから得たものはすべて
書物と学問のために使いました。
そして、学校で学ぶ為に援助してくれた人々の魂のために
熱心に祈ったのでした。)

この中世版の奨学金であるが、出資者にとっては、全く利他的なものとばかりは言えないだろう。これはその人たちの魂の為に祈るという具体的行為に対する対価と取って差し支えないだろう。日本で言うと、交通安全とか、商売繁盛の為に、神主さんに祈祷してもらうようなものだ。中世においては、死後に人の魂はその人の現世において犯した罪に応じて煉獄で罰を受けると信じられていたので、教会とか礼拝堂を寄進する、聖職者に自分の魂の安寧の為に祈ってもらうなど、罪の深さを軽くするような行為に対して豊かな人々はお金を惜しまなかった。そういうわけで、貧乏学生を助けてあげたいという善意もあろうが、自分の、あるいは自分の亡くなった近親者などの魂の為に祈ってもらう、という「実利」もあったに違いない。

さて随分長くなって、折角の日曜日をほぼ一日使ってしまったので、突然ですが、ここで中断。でももう少し書こうと思っていることがあるので、この後は、いずれ「その2」を書くとしましょう(^_^)。こうして、当然知っているはずのことでも文字にしてみると、私がそうだろうと思っていただけで実は曖昧な知識とか、分からないことが幾つも出て来て、今後の勉強の課題になります。なお、これは学術論文ではないので、私の適当な推測も混じっています。従って学生諸氏はレポートなどの参考にしないように!もし私の誤りに気づかれた方があればコメントにて是非お教え下さい。また、その他のコメントや素直な感想も歓迎です。なお、商用の書き込みを防ぐため、現在コメントは承認制としておりますので、表示までしばらくお待ちください。

(注1)司祭、助祭、副助祭などの更に下の、「下級聖品」(the Minor Orders)に含まれる四階級には結婚が許されていた。

(注2)これは、同じく『カンタベリー物語』の序歌における教区司祭の肖像の中で、皮肉を込めて言及されている:

He sette nat his benefice to hyre
And leet his sheep encombred in the mere
And ran to Londoun unto Seinte Poules
To seken hym a chaunterie for soules,
Or with a bretherhed to been withhold
(彼[教区司祭]は彼の任地を他人に預け、
教区民をぬかるみの中で迷わせたまま、
ロンドンのセント・ポール寺院へ駆けつけて
死者の魂の為にミサを唱えたり
あるいは同業組合に雇われたりするような人ではありません。)

この司祭とは正反対に、自分の教区で少ないながらも安定した禄を得ている一方で、そこをアルバイト聖職者に安い給金を出して任せ、お手当の多い都会のギルドの礼拝堂付き僧となるなど、しばしばあったことだろう。

また、聖職禄が場合によっては如何に便宜的な給与配分の手段であるかは、修道士が教区司祭の禄を受けることがあったという事実からもよくわかる。

(上の絵は『カンタベリー物語』の代表的な写本であるエルズミア写本の挿絵にあるオックスフォードの学僧。やせ馬が描かれている。手に持つ本も赤い。)