2014/01/26

放送大学の井口篤先生の論文:「伝えるということー公開遠隔教育、ICT、そして教養教育の苦境ー」を読んで 

世界の大学が、そして大学における人文科学の教育・研究さえも、数値化され経済的利益に繋がらないと存在価値が失われそうな昨今だ。そして、組織としての大学、学習の場所としてのフィジカルな大学という場も、MOOC(インターネット上の無料の大学コース)やその他のデジタル教育によって、無用と言われかねない時代になっている。日本の放送大学やイギリスのOpen Universityは、その性格上、まさにそうした大きなうねりの中心で揉まれていると言っても良い。 

そのような場所から、日本の放送大学の専任教員として、そして中世英文学という、正に「数値で測れない」、「お金にはならない」学問分野の研究者として、デジタル時代における人文科学の存在価値を論じた井口篤放送大学准教授の論文に、大変感銘を受けた。 

特別に新しい事が書いてあるわけでは無いが、中世における大学の成立、19世紀における人文教育の革新などを踏まえ、また、アラン・ベネットの傑作戯曲『ヒストリー・ボーイズ』における名物教師ヘクターの言動や、古典学者ジョージ・スタイナーの、ニューヨーク大学の夜間成人学級での素晴らしい体験、マイケル・クッツェーの『エリザベス・コステロ』の一節などを引用しつつ、学問的かつ文学的に、人文科学教育の存在意義を探っている。若い先生で、教育学がご専門でもないのだが、古今の名作に目配りした広い教養と視野に感銘を受けた。まさに井口先生自身の広く深い教養が、人文学の価値を証明していると言っても良いだろう。 

英語なので、日本では多くの読者は獲得出来そうも無いのが残念。日本語でも発表してほしいと思った。 

論文のPDFはこちらからダウンロードできる

※ICT: Information and Communication Technology

2014/01/19

無料のオンライン大学講座(MOOC)

2、3年前、MOOCと略される大学の無料オンライン講座 (Massive Open Online Courses) を知り、凄い時代になったな、と思ったが、今やあまねく知られることとなった。今日1月19日の朝日新聞日曜版Globeの大学特集でも、議論の出発点として、冒頭の記事で取り上げている。オンラインで無料講座が配信され始めれば、莫大な授業料を払って従来の大学に入学する意味とは何か、当然問われざるを得ない。しかし、この現象はMOOCで突然始まったことではない。イギリスのOpen Universityとか、日本の放送大学などを始めとする放送メディアを使った安価な高等教育は既に定着しており、更に、オンライン講座で国内は勿論、世界の大学の学位が取れる環境もかなり整ってきている。特に人文社会分野では、かなり広く専門的な分野の勉強が出来る。しかし、MOOCの新しいところは、これらの講座が無料であることだ。

但、MOOCに加わっている大学も何の目的もなく無料にしているわけではないだろう。これらのオンライン授業を入り口にして、自分の大学に世界中の優秀な学生を引きつけようとしていたり、志願者数を増やそうとしたり、大学の宣伝と考えていたりと、社会へのサービスであると共に何らかの功利的な動機はあるだろうと思う。

MOOCによって日本の一般的な大学が大きな影響を受けるだろうか。ある程度の影響はあるだろうが、脅威を感じるほどでは無い、と私は思う。現在の学部教育は、小学校以来の全人的な教育の最終段階という意味が非常に強い。例えかなり大人数でも、対面授業で教師と学生がお互いの顔を見、声を聞きつつ、同じ時間と空間を共有することで成り立っている面が大きい。これをオンラインで代替することは出来ないだろう。一方、大学院レベルの学位や授業、あるいは、学位を欲しい訳ではなく、特定の技能とか資格取得に特化した教育を受けたい社会人などにとっては、MOOCは大変便利だろう。但、そうした「おいしい」分野をまるごと無料で受講させるほど、大学もお人好しではないと思う。まずは、入門講座などを無料配信し、残りは有料講座でどうぞ、ということになるのでは? あるいは、講義を視聴するだけなら無料だが、練習問題やレポートの添削まで付くと有料、修了証や認定証を出すと更にエクストラの費用、といった具合になるかもしれない。あるいは、受講生から料金を取るのではなく、企業や公共機関をスポンサーとして、広く無料で教育を行うということも考えられる。例えば福祉関連の講座などでは、ボランティアや専門のケアワーカーとして地域に貢献できる人材を養成したい地方公共団体とのタイアップなど考えられる。

さて中世英文学でもMOOCはあり、一部利用したいと思わないでもないが(例えばこれ)、画面を1時間以上見ていると目が痛くなり頭痛もしてくる私としては、オンライン講座はフィジカルな面でダメだわ。オンラインでは、紙に皆印刷しない限り、興味深い中世関係のブログを読むくらいで精一杯。それも長めの英文ブログは印刷してから読んでいるくらいなんです。

2014/01/10

カンタベリー大聖堂図書室が所蔵する最も古い印刷物

カンタベリー大聖堂図書室にある一番古い印刷物:Ackerman von Böhmen, (『ボヘミアの農夫』、 別名 Der Ackermann und der Tod、『農夫と死に神』、作者はおそらくJohannes von Tepl (c. 1360- c. 1414) )が、大聖堂のウェッブサイトで公開され、また解説されています。解説者はフランス文学研究者で書物史の専門家でもあり、ケント大学の引退された先生のDavid Shaw博士。

この刊本は1463年頃、現在のドイツ南部のババリア州の都市、バンベルグ(Bamberg)で、ドイツ人の印刷業者、アルブレヒト・プフィスター(Albrecht Pfister (c. 1420 ‎‎‎‎‎‎‎‎‎‎– c. 1466) )によって印刷されました。但、カンタベリーにあるのは上記のウェッブサイトに掲載されている1葉(2ページ)のみです。プフィスターという人はバンベルグ市でおそらく10冊程度、印刷物を刊行していて、その最初の本がこれだそうです。彼は、ヨーロッパにおいて、ラテン語以外の近代語(彼の場合、ドイツ語)の書物を始めて印刷した人で、また、印刷物に木版画を組み込んだのも彼が最初だそうです。この本にも木版画が入っているのですが、残念ながら、カンタベリーの1葉には含まれません。プフィスターは、この他に、ドイツ語とラテン語で、聖書の絵本とでも言うべき本『貧者の聖書』(Biblia Pauperum)などを印刷しています。 

有名なグーテンベルグのラテン語聖書の刊行が1455年ですから、1463年刊とは、かなり古い本です。ちなみに、1460年頃のバンベルグにおいて、プフィスターはグーテンベルグと何らかの関係があったとも考えられるそうです。しかし、使った活字は、グーテンベルグ聖書とは異なった字体をもっているようです。 

フランスの国立図書館ビブリオテック・ナショナルにはプフィスターの書物(断片では無く)が保存されていて、ウェッブで公開されています。こちらは版画も付いています。

面白そうなので、この本の現代英語訳もいつか読んで見ようと思います。こちらのサイトにあります翻訳、およびこのサイトの作成者はMichael Haldane博士。