2014/07/10

NHKハートネットTV「曖昧な喪失の中で ―福島 増える震災関連自殺―」

7月7日火曜日に放送されたNHKハートネットTV「曖昧な喪失の中で ―福島 増える震災関連自殺―」を録画しておいて、今日10日に見た。タイトル通り、福島県で震災関連自殺が増え続けているが、その背景や、具体的に亡くなられたある男性のケースを報告している。今回はスタジオ・ゲストの話などはなく、一種のドキュメンタリー番組となっている。 

番組ホームページから引用すると: 

「内閣府自殺対策推進室による統計『東日本大震災に関連する自殺者数』によれば、福島県の自殺者数は、2011年が10人、12年が13人、13年が23人。同じ被災県、岩手、宮城と比較しても、福島県の増加傾向は顕著です。」 

今年もこの放送までの震災関連自殺者は、岩手、宮城での各1人に対し、福島では6人。岩手、宮城では、11、12、13年と後になるにつれて自殺者数は顕著に減少しているのに、福島は上記の様に増え続けている。明らかに、原発事故による放射能汚染、失われ帰還することの出来ない故郷、そしていつ終わるとも知れない避難生活、全く見えない将来、等々の要因が、福島だけ自殺者が増え続けている理由だろう。更に、地域で治療にあたる精神科医の先生によると、放射能汚染の避難に伴って、時間が経つにつれて問題が複合化し多岐にわたるようになり、一層避難者を苦しめているようだ。例えば、避難者の子供が新しい環境になじめずいじめにあったり、経済的な問題、職の問題、親の介護なども生じる。今回番組が取り上げられた自殺者、五十崎喜一さんのケースでも、彼の母親が避難生活の中で認知症になり、徘徊が始まったことで、息子さんを追い詰めた面もあるらしい。また、彼は原発事故前は、その福島原発で働いていたそうだ。だからこそ、奥様によると、一旦事故が起きたら収束は極めて難しいことを自分自身良く分かっていたので、一層絶望されたのかも知れない。 

番組の紹介ページ 
再放送は15日火曜日午後1時5分。 

国民の注意を故意にこの不都合な現実から逸らすかのような自民・公明政権の集団的自衛権への深入り。新聞やテレビを埋め尽くす安全保障問題や中韓との対立、オリンピック招致やワールドカップの狂騒・・・故郷から遠く離れてひっそりと暮らす避難民や、雨漏りしカビだらけの狭くて不健康な仮設住宅で、進む老いと向き合う老人達は、どう感じておられるだろうか。

2014/07/08

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀:地域の絆で、“無縁”を包む」

7月7日(月)のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」は「地域の絆で、“無縁”を包む」と題して、豊中市社会福祉協議会のコミュニティ・ソーシャルワーカー・勝部麗子さんを取り上げた。その仕事ぶりがドラマ『サイレント・プア』の主人公のモデルとなった方である。ひとりひとりの困窮者、ひきこもりの方などに細かく暖かい目を注ぎつつ、各種行政サービス・NGO・近隣住民との橋渡しをする。同僚を指導し、公務員とてきぱきと交渉する実務家の顔と、困窮者と共に涙を流す人情家の顔を併せ持つ人。ドラマ『サイレント・プア』が単なる作り話でなく、本当にこの人の日々の活動を元に作られていると感じられた。所謂「ゴミ屋敷」を、孤立していた本人を説得し、近所の住民も動かして一緒に手を携えて片付けるのは、『サイレント・プア』の第1回と同じだった。

21世紀に最も必要とされている日本人の姿だと思う。再放送は10日木曜深夜(日付が変わって金曜早朝)。

2014/07/04

NHK ハートネットTV「シリーズ 施設で育った私」

NHK Eテレ、「ハートネットTV」、今週火〜木曜日(7月1〜3日)は「シリーズ、施設で育った私」だった(再放送は8〜10日午後1:05より)。

最近、テレビの定時ニュース番組をあまり見なくなった。首相と副首相、官房長官の顔を見たり声を聞いたりすると気が滅入るから(固有名詞を自分のブログに書きたくないほど)。と言うわけで、その代わりに必ず見るのが(というか、以前から良く見てはいたが)、Eテレの「ハートネットTV」。食事を食べたり作ったりする時間に重なるので、録画して見る時も多いし、再放送で繰り返し見ることも時々ある。福祉の番組だが、しばしば他のドキュメンタリーではかなわない現場密着のミクロの視点で、貧困や差別、障害者やマイノリティー、外国人などに関する諸問題を取り上げる。今日本のテレビで私が最も良い印象を持っている番組。又、老人になりつつある私自身にとっては、介護のテーマが取り上げられる時も大いに参考になる。司会の山田賢治キャスターの語り口も暖かく、また、ゲストの人選も、学問的な専門家、現場で仕事をしている施設職員やNGO管理者、そして関心を持っているタレントなどを上手く組み合わせて、親しみやすく、かつ実際的にする工夫が見える。

さて今回は、虐待や貧困、育児放棄などで、施設で成長することを強いられた若者の自立の難しさを追ったシリーズ。いつもながら、福祉や教育の谷間を照射する大変良いシリーズだった。親に捨てられたり死に別れたりして精神的にトラウマを抱える難しい子供達。しかし、法令上は18歳で大人と見なされ、児童養護施設などから放り出される。外の世界に出された彼らを待っているのは、ホームレス、空腹からの窃盗と刑務所行き、女性の場合の売春や風俗産業、といった救いようのない状態(もちろん、そうならない人も沢山いるだろうけど)。大学進学も難しく、また社会人になっても貧困にあえぐ。そもそも、ちゃんとした家庭の子でも、ほとんどは、18歳ですぐに国民健康保険に入るとか、光熱費を手配するとか、部屋を借りるとか、収支を考えて支出し、健康な食生活をするなど出来ないだろう。ましてこの子達は破壊的な家庭環境を経ているわけだから。

希望を持てる事例を中心に紹介しつつ、懸命に努力する現場の職員、NGO、地域の篤志家などの奮闘を追っている。こういう番組を見ると、地域の中小企業の良心的な経営者が、施設出身の子とか、精神障害者、犯罪歴のある人など、他で嫌がるような若者の雇用に大きな役割を果たしてくれているのをつくづく感じる。地方自治体も場所や問題によって、色々と施策を試みている。しかし、国をあげての取り組みのあまりに薄いことには愕然とする。今日も今日とて、首相肝いりの教育再生会議とかいうところで学校教育の枠組みを変える事を発表していたが、そんなことより、こういう風に社会の片隅で親に捨てられたりして苦しむ若者の為に、国家全体で一定のサービスを提供できるようにお金を使って欲しいと切に思った。軍備にお金をかけている余裕はない。

私は歳を取れば取るほど、保守もリベラルも天下国家を論じるエリート政治家・学者・財界人が信用出来なくなってきた。国の進む方向を考える人達は、勿論マクロの視点で社会を考えることが必要だが、その際まずは社会の底辺(他の適当な言葉が見つからず恐縮です)で日々の生活に格闘している人々、そういう人達を支えようとしている末端のNGOや公務員、施設の職員などの目線を併せ持って、政策と税金の使い道を考えて欲しいものだ。