2015/01/25

日本の古文書

昨日市民講座の前後に控え室でお会いした若い先生は、日本史の研究者で、古文書の講座を担当されているとのことだった。彼女はなんと江戸時代よりも前(だったと思う)の本物の古文書を持って来ていらして、その一部を講座で受講者と解読されているようだった。かなり長い巻物で、何百年も前の、縁があちこち欠けたり、少し破れている古い和紙、そして驚くほど鮮明な墨の色!中身は分からなくても見ているだけで感激だった。悔しいけど、自国の歴史や文学を研究されている方のレベルの高さが羨ましかった。イギリス演劇研究でも、写本の上演資料をかなり読めれば、国際的に通用するレベルの研究も夢でないが、今からどんなに頑張っても一生無理・・・。

それで思い出したのだが、以前、うちの近所のカフェで休憩していたら、となりの若い学生が日本語の古文書を懸命に読んでいた。多分日本史か日本文学の授業の宿題などだろう。それを見た私はえらく感激して、カフェを出るときにその人につい、「凄いですねえ、写本が読めるなんて!がんばってください」と声をかけてしまった。

こういうことがあると、中世文学は良いけど、中世英文学でなくても充分に興味を持てたかな、と一瞬思うな。

市民講座担当

先週から5回シリーズで社会人向け有料市民講座を担当している。ほぼ一週おきで、3月まで続く。毎回90分、遅れて始めたり、切りの良いところだからと早めに終えたりするわけには行かないから、予定の時間目一杯しゃべる。5回という事は、全部で7時間半。また、それだけ話す材料を準備しておかなければならない。話ばかりで退屈にならないように、ビジュアルの資料も用意する必要がある。雑談みたいな話でも喜んで下さる方もいるが、相手は人生経験豊かな大人で、長年海外で働いた方、留学された方などもちらほらおられ、とても厳しい質問や注文を出される方もたまにいるし、自分もうっかり初歩的な間違いをすることもあるので大変緊張する。初日の前夜はよく眠れなかった。90分話した後、疲労困憊していた。頑張ったが、パソコンが上手く動かなくなって写真も映せず、話し方もせかせかと落ちつきなくて、上手くいかなかったなあ、と後悔しきり。

今回話す内容については、これまで論文を書いたり、大学の授業で扱ったりしているので、ある程度予備知識はあるが、これから毎回、更に勉強しつつ講義ノートを作って行かなけばならない。正直言って一週おきでも準備が間に合うかどうか不安である。

この社会人講座もこれが確か6回目。このための準備は大変勉強になるので、余裕があるときはやり甲斐を感じることが出来る。他人から何かを期待されることがない今の私には、大学の職員さんや受講者の方々などに喜んで貰えると大変嬉しい。今回の講座を引き受けたのは去年5月で、その時には今頃は既に博士論文を提出できているだろうからじっくり腰を据えて準備する時間がある、と能天気な予想を立てていたが、今になってみれば論文執筆がいつ終わるとも知れぬ泥沼、というのが現実だ。論文の行き詰まりを考えると、公開講座をやっている余裕はないのだが、講座担当日は予定どおりにめぐって来る。3月まではしばらく博士論文の勉強から離れて、この講座の準備に集中せざるを得ない。

2015/01/04

NHKアーカイブ「戦後70年 吉永小百合の祈り」

正月4日の日曜の午後、NHKアーカイブ「戦後70年 吉永小百合の祈り」を2時間弱見入ってしまった。 彼女がライフワークとして各地で、そして長崎や広島でも続けてきた老若男女の被爆者の詩の朗読を伝える番組。朗読する吉永さんのことより、彼女の読む詩の重さ、それらの詩の意味するものに打ちのめされる。特に、被爆した子供たちの詩、親や兄弟姉妹を目前で失っていった小さな小学生などの詩には、計り知れない重さがあり、涙が自然とこぼれる。

後半で紹介された詩では、被爆のすぐ後、重傷者のうめき声も響く焼け跡のビルの一室で出産した女性のことがうたわれている。赤ん坊を取り上げた助産婦は、その直前まで痛みでうめいていた重症の女性だった。彼女は新しい命の誕生を見届けたのち、亡くなられたそうだ。

更に2011年の震災以降、吉永さんは、原爆の詩と一緒に福島の被災者の詩も朗読している。平和利用という名のもとに日本人が長崎・広島の惨事とは関係のないものとして受け入れた原子力が、多くの人の故郷を破壊し、彼らを漂浪の民にしてしまった事を忘れてはならない、と彼女は言う。

彼女は団塊の世代の、最も知的なアイドル。街をデモで埋めた同世代の男女が、やがて高度成長の波に飲み込まれ、経済第一のエコノミック・アニマルに甘んじて若い日の理想を失っていく中、「これからもずっと『戦後』であり続けてほしい」、「戦争を忘れないように次世代に粘り強く継承したい」と努力を続ける彼女に敬意を表したい。

彼女の今年の大きな仕事は、山田洋二監督の「母と暮らせば」(松竹映画、2015年12月公開)。原爆投下後3年を経た長崎を舞台に、原爆の残した深い傷を描く作品のようだ。

私も含め、組織の一兵卒になりきり、もみくちゃにされ、景気に一喜一憂し、我を失ってきた戦後の日本人も、少しでも吉永さんを手本にしたい。歳を重ねて人はその人の元の姿に戻るようでもあり、またその人の人生で得てきたものを、良くも悪しくも表に出すようでもある。吉永さんは、姿かたちだけでなく、年輪を経て一層美しい。団塊の世代にとって、今後も素晴らしいアイドルでありつづけるだろうな。

これからもずっと「戦後」であることを意識して生きようと呼びかける吉永さん。一方、「戦後レジームからの脱却」を呼びかける日本の首相、原発とその輸出、武器輸出、ギャンブル振興を国策として推し進めようとする政府・・・。吉永さんはどう思っておられるだろうか。