2015/03/30

ウィリアム・シェイクスピア『十二夜』(青年団リンクRoMT)

ウィリアム・シェイクスピア『十二夜』

観劇日:2015年3月29日(日)14:00-16:45

青年団リンクRoMT公演
翻訳:河合祥一郎
演出:田野邦彦
劇場:アトリエ春風舎

出演:
ヴァイオラ:李そじん
セバスチャン:磯谷雪裕
オーシーノ:佐藤誠
マルヴォーリオ:太田宏
サー・トービー:永井秀樹
マライア:荻野友里
フェステ:菊池佳南
サー・アンドリュー:亀山浩史
フェイビアン:伊藤毅


久しぶりに観劇をし、楽しい休日を過ごした。見たのは若い俳優がほとんどの劇団。私は初めて見た。SNSで評判が良いようなので、行ってみた。若い人たちの意欲が感じられる元気いっぱいの公演だった。台詞もしっかり入っていて破綻がなく、奇をてらわないオーソドックスな舞台だった。特に後半、マルヴォーリオ役の俳優の名演があり、楽しめた。彼の役どころは誰がやってもある程度面白い筋書きではあるが、彼は間の取り方が抜群。

小規模劇団の公演であるので、やはりセットや衣装は非常に簡単で、この劇の祝祭的な雰囲気を醸し出すのは難しかったのは仕方ないだろう。クリスマスの祝祭喜劇であるから、なんとかそのあたりのざわめいた雰囲気と、宴の後のメランコリックな気怠さなどが欲しいところだが、セットも音楽も衣装も大した費用がかけられない以上、ちょっと難しい要求かな。

ステージの向こう側を映画館の座席のようにしつらえて、そこでフェステがスナック菓子を食べながら手前のステージの役者を見たりするところは目立つ工夫だった。ただ、その工夫に明確なメッセージとして訴えるものがあったかのか、私には理解できなかった。むしろ向こうにも客を入れて、ステージを観客で両側から囲んではどうか、と思いつつ見ていた。

台詞はほぼ間違いなく言えているんだが、何だか、味わいがない、と思ったら、多分言いにくいところ、観客がわかりにくいところを、大幅カットしてしまったのではないだろうか。そのせいだと思うのだが、イングランドのルネサンス劇特有の華やかで装飾的なイメージの世界が広がらない。まあ、親しみやすいシェイクスピア、というところか。こういうグループに求めても仕方ないだろうけれど、シェイクスピアって、日本で言えば歌舞伎みたいなもの。イングランド文化と上演の伝統、そしてなんと言ってもその豊穣な詩的言語によって、つづれ織りのような美しさが醸し出される。そういうものに敬意を払った上で、よく考えて新しいことを盛り込んで欲しいなあ、と思った(日本で見ると、いつも思うんだけどな)。

ヴァイオラをやった女優さんは台詞がややたどたどしかった。主人公だけに残念。オーシーノは、何だか柄が悪くて、公爵という感じがしないが、これは河合訳のせいもあるかもしれない(?)。貴族階級と使用人との超えがたい壁が態度と言葉使いで表現できないと・・・。サー・トービーとフェステは深いニュアンスを込めた演技を要求される役柄だと思うが、十分役を消化できず、台詞をなぞるので精一杯という感じがした。フェステ、味わい深い役柄なんだけど、今回私には魅力感じなかったな。

この小さな劇に入った途端、ロンドンのフィンバラとか、ゲイトのような小劇場を思い出して、懐かしい気持ちとともに期待が膨らんだ。しかし、公演自体はそうしたロンドンの小劇場の演目のクオリティーとは、今回はとても比べられない。この違い、どこから来るのかしら。

しかし、蜷川の舞台じゃないんだから、うるさいことは言うべきじゃないだろう。大劇場の客寄せアイドル俳優ならいざしらず、別に仕事を持って生活している若い方達が、頑張ってここまで作り上げたことに大きな拍手をしたい。また、日本で良くある、シェイクスピアの権威に挑戦するとか言って何か突拍子もないことをやったりせず、作品の基本的なストーリーを生かしたのも良かった。高校生や大学生など、若い人たちに気軽に見て欲しい公演だった。 

2015/03/27

NHK「こころの時代〜宗教・人生〜『この軒の下で』」:東八幡教会牧師 奥田知志さん


少し前になってしまったが、3月14日土曜日の午後1時過ぎ、お昼を食べながらテレビをつけたら、つまらない番組が並ぶ中で、NHKの宗教の時間「こころの時代」が放送中で、福岡県の東八幡キリスト教会の牧師、奥田知志さんが出られていた。

奥田先生はNHKの「プロフェッショナル」などでも取り上げられた、カリスマのある、行動力に溢れた社会運動家でもあり、今は随分有名な方。北九州市を日本でホームレス支援では最も進んだ自治体のひとつにした功労者。しかし、ここまで来るには、市当局の無理解、いや市との争い、教会をおろそかにしているという信徒からの非難、助けられず死んで行ったホームレスの人への罪の意識、等々、様々な公的、私的葛藤を乗り越えてこられた。地べたを這うような活動の中で宗教者としての理想を追い続け、しかも街の一教会の牧師としての義務も果たされてきた方。昔からの信者の中には、とてもついて行けないと教会に来なくなった方もおられるそうだが、そういうことも悩みつつ、何とか色んな人を弱者を助ける運動に巻き込んで、その活動を通してキリスト教徒としての生き方を信徒と共に求めようとしておられる。ホームレス支援の話をしつつ、自然と聖書の言葉、キリストの行いへの言及を口にされるという、信仰と行動がひとつになった人。

彼が言っていることや書いたものを読むと、相当にリベラルな人で、今の政府の政策もはっきり批判している。というか、彼の様な弱者の立場に立ったら、格差を拡大している今の政治には批判的にならざるを得ないだろう。でも日本中から講演の依頼があり、自治体からも研修の講師として招かれ、NHKでもこのように取り上げられる。福祉への取り組み方において考えの違う人でも、彼の信仰に基づいた無私の活動には人間として尊敬せざるを得ないからだろう。

奥田先生が始めたNPO法人、「抱撲」(ほうぼく)のホームページはこちら

NHK ハートネットTV、シリーズ「20代の自殺」 「生きるためのテレビ2」(全2夜)

NHK ETV、3月24日、25日の午後8時から放送された標記の番組を見た。

 日本では、若者の死因の第一位は自殺だそうである。去年からETVの福祉番組、ハートネットTVでは何度か若者の自殺の問題を取り上げている。番組には1000通も反響のメールが寄せられているそうで、その中には、自分も自殺をしようとしたという人からのものも多いようだ。今回は2夜にわたり、自殺を考えたり、自傷行為を繰り返したりした若者自身が登場して、自分の経験を語った。日本の社会の息苦しさが良く分かる番組だった。番組での証言や紹介された例から、同性愛や性同一性障害、学習障害などを持つ子供・若者への差別が特に若者を苦しめていると感じられた。

自殺を考える多くの人が、自分は社会にとって「迷惑」なんだ、と思い込んでいた。つまり、話し相手や相談できる人がいない、共感を寄せてくれる人がいないのである。迷惑をかけてもいないのに、自分は社会に要らない人間と思い込み、自傷行為や自殺に至る。集団生活になじめず、暗い子だったりすると、子供の時は酷くいじめられる。大人になると、まったく友人、知人がいなくて孤立する。就職も難しく、就職してもまわりに溶け込めないうちに、つまはじきにされ、鬱病になったり、仕事に出られなくなったりする。それで思ったのだが、この国は、若者に「若者」らしさを期待しすぎるのではないか。明るさ、ポジティブ、生命力、若々しさ、等々を持った若者でないと、「若者」と認めてくれない。農業や職人の仕事、単純労働などが大変少なくなり、大多数が高学歴にもなって、オフィスで事務職をしたり、色々な営業活動に従事したりする今、ほとんどの人に、現在の高度企業社会に適した積極性、明るさ、自己表現能力、知的な器用さや俊敏さなどが求められる。これが内向的だったり、不器用だったり、多少の学習障害を背負い、急速な環境の変化についていけない人達を追い詰めている。逆に、不器用で地味な人柄だが、真面目にコツコツ努力するような人は評価されづらい世の中になってきたと思う。自殺や若者の悩みを越えて、今の日本の姿を考えさせる番組だった。

最近私はNHKのニュースがとても信用できず、ほとんど見なくなった。しかし、ウィークディ午後8時のこの福祉の時間だけは、ある意味、ニュース番組としても関心を持って視聴できる。貧困の問題、ジェンダーや性的少数者の差別の問題、孤独死など東北の被災地の問題、ギャンブル依存の問題など、日本社会の色々な問題が政治性を越えて、人間的な視点で取り上げられているから。

番組のウェッブ・ページ

2013年のものだが、ハートネットTVプロデューサーが語る番組の意義と気をつけていること。

イギリスITVのドラマ『ブロードチャーチ』

イギリスの民放、ITVが制作し、「ドクター・フー」の人気俳優ディヴィッド・テナントが主演するクライム・ドラマ。来月(4月)、WOWOWで放映されるようだ。私は2月に英語版DVDで見た。

ひとつの殺人事件について、1シリーズ全8話で追いかけるという長編(民放なので、1話が45〜50分くらいか)。イギリスのドラマは、1~3話でストーリーが終わる場合が多いが、このようなスタイルは、「キリング」や「ブリッジ」、「スパイラル」などのヨーロッパ大陸のクライム・ドラマの影響かと思う。

南イングランドの小さな田舎の保養地で、一人の少年の遺体が発見される。最初は平穏で和やかに見えた町だったが、事件の捜査を通して、その隠されていた入り組んだ人間関係が徐々に明らかになっていく。こういう展開は、クリスティーのミス・マープルとか「ミッド・サマー・マーダー」等と似たイギリス伝統のクライム・ドラマのスタイルと思う。

主人公のハーディ警部補(ディヴィッド・テナント)は、過去に重大殺人事件の解決に失敗して大きな負い目を背負っており、この田舎町にやってきたのも、謂わば左遷されてのようだ。精神的トラウマを抱えていて、時々制御が効かなくなる。一方、彼の部下となったミラー巡査部長(オリヴィア・コールマン)は、とても温厚で、まわりの人に気を遣うバランスの取れた人物。自分がやりたいと狙っていた警部補の仕事を、外からやって来たハーディに取られて悔しがるが、プロの刑事らしく彼と協力し、懸命に働く。家庭的で、仕事と共に子供や夫との生活をとても大事にもしている。被害者の少年の一家は彼女の隣人で、親しい友人でもあり、この殺人に強いショックを受ける。こうした刑事達の個人的な生活も巻き込んで、事件は錯綜する。

DVDには付録としてスタッフや俳優へのインタビューが付いているのだが、それを見て分かったのは、監督とプロデューサー、シナリオ・ライターを除き、役者やスタッフの多くは、最終回前まで誰が犯人かを知らずに演じていたそうだ。皆、この人物が犯人か、いやあの人物だろう、と、犯人になりそうな役を演じている俳優自身を含めて、色々想像しながら演じたとのこと。それが一層俳優の演技をニュアンスに富むものにしたのかもしれない。ちなみに、この最後まで犯人を知らされずに俳優が演技する、というのは、北欧ドラマ「キリング」でも使われた趣向だ。

一人一人の役者の演技が素晴らしい。テナントも良いが、オリヴィア・コールマンの表情豊かな演技が特に楽しめる。他に、舞台にも良く出る名脇役ディヴィド・ブラッドリーやテレビドラマで定評あるポーリーン・カークのいぶし銀の演技に惹かれれた。他の魅力としては、ドーセットの美しい景色とひなびた海辺の町の様子も出色(北部の海辺を舞台にした人気シリーズ「ヴェラ」を思い出した)。クライム・ドラマとしては、欠点を探すのが難しい。最近、イギリスでは第2シリーズも放映され、DVDも発売されたようなので、そちらも楽しみだ。ロンドンに行ってドラマを見ることが出来ず、たまに通販で買うDVDを見る他ないのが残念!