2018/11/20

学会発表準備中

来月初めに学会発表をすることになっていて、今その準備中。とは言ってももう間もなくだから、原稿もハンドアウトも一応出来ている。ほとんどの内容は Ph.D 論文に基づいているので、草稿を書くのにはそう苦労しなかった。しかし、大体の原稿が出来てからも関連文献を読み、問題点がないか確認していると、いくつか今まで気づかなかった点や自分の知識が不足している点が見つかり、焦っている。まあ、すべての学会発表は謂わば中間報告。30分では言えることも限られているる。ある程度の完成を見るのは印刷物にする時なので、口頭発表段階ではいくらかの問題が残ったままなのは仕方ない。後に残らない口頭での発表は、聴き手からご意見をいただいて改善していくためのプロセスと考えるのが正しいだろう。

私の場合、口頭発表にしろ論文にしろ、歳を取るにつれて一段と自分の能力や知識に関する自信がなくなり、自分の考えを他の研究者に問うことが出来なくなっている。研究者は研究結果を論文や著書で発表するのが仕事の大事な部分だ。アカデミアの外の人達は、論文も書かない怠け者の教授達をしばしば批判する。確かにそういう方も一定数いるとは思うが、私のように、論文を書きたいがなかなか実力が伴わず書けない、自信がない、という人もかなりいるだろう。私は、そもそも若い頃から自分の能力に何の自信もなかった。しかし、フルタイムの教員として多忙を極めていた間は、日々の校務や授業準備で精一杯。体力がないのでいつも疲労感をひきづりつつ仕事をしていて、研究について悩む余裕はおろか、研究する余裕もろくになかった。そういう生活に疲弊し、仕事を辞めて、博士論文を書いた。しかし、その間に何度もつまづき散々苦しんで、自分の浅学と非力を痛感し落ち込んで、一層論文のための勉強が滞った。イギリスの指導教授にも、君は自分の研究について自己評価が低すぎる、とよく言われたものだ。

専任教員を辞めた今は、なかなか論文を書けなくても、もっと業績を作れ、と上の人から𠮟咤(+激励)されなくてすむので、やや気が楽である。

さて、発表はどうなりますら。聴いて下さる方々は、将来ある若い人々なら鍛え甲斐もあるが、老人を今更鞭打っても仕方ないと思われて、色々と間違いや足りないところがあっても、大目に見ていただけるとは思うが・・・。

2018/11/11

中世劇に使われる「サイクル劇」という名称

12月始めにやる予定のイギリス中世劇に関する研究発表の原稿を書いていて、気になることがあった。2,3度、「サイクル劇」という言葉を使っていたが、この語は中世劇を表すためには段々使われなくなっている。中世から伝わったとされる英語による4つの大きな劇の集まり、ヨーク劇、チェスター劇、タウンリー劇、Nタウン劇は、長年、サイクル劇(cycle plays)と呼ばれてきた。サイクル劇と呼ばれるに至ったのは、天地創造から最後の審判に至る聖書の物語、つまりゼロから始まりゼロへと戻るこの世界の循環(サイクル)を数多くの短い劇で表現しているからである。これら主要4大「サイクル劇」のうち、ヨーク劇とチェスター劇はイングランド北部の2つの都市に残る様々の記録と現存する写本がほぼ符合しており、サイクル劇と呼んでも問題ない。しかし、タウンリー劇とNタウン(N-town)劇は、それぞれ1写本しか残っておらず、それらの写本がどの都市(あるいは町や村)で上演に使われたか分かっていないばかりか、そもそも写本とほぼ同様の形で上演されたかどうかも怪しい。写本として単に読まれるためだけに劇が集められた可能性もある。「タウンリー」(Towneley)は写本の名前であり、「Nタウン」は写本の中にあるこれが上演された町の名前であるが、「N」というのは恐らく空欄を現すために使われた文字ではないか、つまりそこに特定の町の名前を入れる代わりに使われた文字と考えられている。「○○タウン」みたいなもの。これら2つの写本に含まれる多くの短い劇は、ヨーク劇などのような一貫したデザインを基にして書かれた(あるいは、集められ編集された)劇ではなく、色々な場所で書かれたり上演されたりしていた劇の脚本を、天地創造から最後の審判という聖書の物語に沿って選択し、1つの写本に集められたわけだ。つまり、この2写本は複合写本(composite manuscripts)であり、短い劇のアンソロジーなのである。写本のレベルで見ると、確かに 'cyclic form' を取ってはいるが、全く別の目的で色々な作家により書かれた作品を「演劇作品集」として集めたに過ぎない。

そこで権威者によるスタンダードな研究の総括として、1994年の Cambridge Companion to Medieval English Theatre (ed. Richard Beadle) を見てみると、ヨーク、チェスター、タウンリーに関する章のタイトルでは、'cycle' という名前が使われているが、Nタウンでは、'The N-Town plays' という名称になっている。更に、2008年に出たこの本の第2版では、タウンリー劇の章も、初版と同じ筆者、Peter Meredith の執筆だが、'The Towneley pageants' という名称に変えられている。更にヨーク劇についても、筆者で本全体のエディターでもあるRichard Beadle は、'The York Corpus Christi Play' というタイトルに変更している。「サイクル劇」という名称の背後にあるアイデアそのものが学問的に使いづらくなっている証拠だろうか。このあたりは、私ももっと勉強が必要だ。とりあえず、今回の研究発表では「サイクル劇」とか、「サイクル」という名前を使わない事にした。

これに関連して、手元にある日本語の英米演劇史や英文学史、シェイクスピア概論などの教科書を幾つか見てみた。私はあまり新しい本を持っていないのも一因だが、中世劇に関してかなり古色蒼然とした記述も目に付く。近年日本語でこの分野の本が出ていないことも一因だろう。更に、英文学史などで初期の演劇について執筆することの多いシェイクスピアを含むルネサンス演劇研究の研究者で、中世劇についてもある程度研究をしている人が少ないかほとんどいないことも原因だろう。

イギリス中世劇に関して最も信頼に価する素晴らしい日本語の概説書は松田隆美先生や石井美樹子先生他6名の優秀な研究者による『イギリス中世・チューダー朝演劇事典』(慶應義塾大学出版会、1998)だが、何しろ20年も前に出た本であり、現在の英米の研究状況とはかなりずれている。「聖史サイクル劇の発生と発達」というセクション(pp. 3-8)も、「サイクル劇」という言葉の適用範囲も含め、修正したほうが良い点が幾つかある。これを読んだ方が文学史の本を書いたりすると、そのまま不確かな情報が広まることになる。これから文学史や演劇史の執筆や編集をされる方は、少なくとも、上記 Cambridge Companion to Medieval English Theatre (ed. Richard Beadle)の Second edition (2008) のイントロダクションくらいは読んで、基本的な知識をアップデートする必要がある。

イギリス中世劇について、近年の基本的な知識の変化については、まだ書きたいことがあるが、私自身勉強不足であり、取りあえずは自分の研究発表の原稿を書くのに大忙しなので、そのうちまた(^_^)。