2018/12/19

ハートネットTV「平成がのこした宿題 (4) 自殺ー生き心地のよい社会へー」

先日来、ETVのハートネットTVで「平成が残した宿題」というシリーズが放送され、セクシュアル・ハラスメント、ジェンダー格差、ひきこもり、などと共に、自殺が取り上げられた。平成の間に自殺で亡くなられた方は約80万人。少ない年でも2万1千人以上、多い年は3万4千人を超える人が自ら命を絶った。

自殺者の陰には、彼らの遺族がいる。亡くなった人と同じくらい苦しんでおられるご家族が80万人の何倍かいらして、一生そのトラウマ、そしておそらくは家族を死なせてしまったという罪悪感、を抱えて生きていかねばならない。

この30数年の間に私が知り合った人々の中にも、自殺した人が3人いる。3人とも、親しくつきあっていて個人的なことを話せるような関係ではなかったが、何か声をかけたり、メールを出したりして悩みをやわらげる機会は無かったものか、後悔が残る。

番組では色々な自治体やコミュニティー、NGOなどの取り組みが成果をあげて、近年自殺者数が目に見えて減りつつあることが紹介されていた。出演者が言われている事だが、自殺とか鬱病といった問題は、日本では「素人が関わることではなく、専門家に任せるべき」と考える人が多くて、結果的に苦しんでいる人々をほったらかしにしてきたそうだ。しかし、今成果を上げている方策は、一般の人達が地域で声かけをして、自殺予防に繋げているそうだ。

2018/12/09

シェイクスピアの晩年を描く映画、 'All Is True' 、来年以降公開

シェイクスピアがストラットフォードで過ごした晩年を描く映画、 'All Is True'  が出来た。ケネス・ブラナーがシェイクスピアを演じ、彼自身が演出。奥さんのアン・ハサウェイを演じるのはジュディ・デンチ。更にイアン・マッケランも出演。脚本はベン・エルトン。来年2月に英米で公開されるそうだ。

以前にシェイクスピアの晩年を描いた劇、エドワード・ボンドの 'Bingo: Scenes of Money and Death' をロンドンのヤング・ヴィック劇場で見た。彼の悩みの多い、メランコリックな日々がとても興味深く描かれていた。天才シェイクスピアだけではなく、市井の一個人として家族などに振り回される父親だった。その時の感想。さて、今回の映画がどうなるか楽しみ。

シェイクスピアがストラットフォードに残した家族を描いた劇としては、Peter Phelanの 'The Herbal Bed' と言う作品もある。これは、劇作家の死後の彼の娘スザンナを主人公にした劇で、シェイクスピアは登場しなかったと思う。シェイクスピア関連の劇と言うより、17世紀の田舎町の比較的豊かな平民の家庭を描いた劇として見るのが正しいだろう。私は感想を書き残してないのだが、多分1990年代にウエストエンドの劇場で見て、結構面白かったというおぼろげな記憶がある。機会があったらまた見てみたい。

2018/12/06

学会発表を終えて

先週末(11月30日、12月1-2日)、学会で名古屋に行ってきた。30日は学会の委員会、1日と2日は学会本番だった。その前からずっと体調が悪く、胃腸が荒れていて、3日間、腹部の不快感をこらえつつ過ごした。30日の新幹線の中では、気分が悪くてずっと目をつぶって我慢している有様だったし、特に12月1日は私自身が口頭発表したので、どうなるか大変心配した。実際、途中気分が悪くなりそうな瞬間があったが、何もなくて無事に発表を終え、ほっとした。帰ってきたらもの凄く疲れが溜まっていて、木曜日の今日になっても、未だにそれが取れてない感じがする。

私の発表は予定通りに終わった。何度も練習して、せめて時間はしっかり守り司会者に迷惑をかけない事だけはいつも心がけている。今回も制限時間の30分の前後で収まり、おそらく誤差は1分以内だったと思う。その点は満足。司会をして下さったのは、私よりずっと若い、働き盛りの中世演劇の専門家の先生。これまで直接お話ししたことがなかった方で、今回知り合えて良かった。中世劇の専門家は大変少なく、若い先生は他にはおられないので、彼からは今後も色々と教えていただきたいと思っている。発表後の質疑応答も、大変学識豊かな権威者の先生方から質問やコメントをいただき、ありがたく、かつ参考になった。

但し、発表した本人としては、以前にも書いた事があるが、自分の発表がどういう風に受け取られたのか知るのは難しい。学会発表をすると、大体は「ご苦労さま、面白かったです」と苦労をねぎらってもらえるのが常。でも、それ以上の突っ込んだコメントをもらうことや率直に批判してもらえることは少ない。面白いと言われても、どこがどう面白かったのかも、よく分からない。過去においても、大きな学会で発表し、何人もの方に好意的なコメントをもらい、望外に良い感触を得たはずなのに、発表原稿をまとめて査読誌に投稿してみると、修正意見もなく、一刀両断にされて掲載拒否、ということもあった。だから、「ご苦労さま」的な反応はまさにそれだけのこと、と思うことにしている。率直な感想を言って貰うには、もともと親しい交友があり、しかも専門分野も近くて内容が理解出来る人である必要があるだろう。しかし、私ほほとんどひとりで中世演劇を勉強してきたから、そういう友人はいない。ただし、今回は発表当日前後、体調の上で大変辛かったので、自分自身に対して本当に「ご苦労さまでした」と言ってやりたい(^_^)。

今回も何人かの若い研究者の発表を聞いたり、懇親会等で話したりした。近年の若い研究者や働き盛りの方々の優秀さには、いつもながら舌を巻く。多くの競争をくぐり抜け、内外の最もレベルの高い大学院の博士課程、そして専任職に進まれているのだから当然だ。彼らの多くが、そもそも頭の回転が早く、メンタルも強く、また競争心もプライドもある、という印象を受ける。一方、私の世代の文学研究者は、私自身がその典型だが、会社や役所の勤め人にはなりたくてもなれないという落ちこぼれで、内向的で人前に出るのが苦手、社会的にはかなり不器用な人がかなりいた。だから文学部に行き、こつこつと勉強して何とかその分野で生きながらえたという人種。今はそういう人では、研究者の世界では全く生き残れない。文学研究を含め、アカデミアのどの分野でも、研究者は競争を勝ち残る卓越した能力と強い精神が必要だ。今だったら、私は大学卒業度どうしているだろうか。教育・研究職なんて望むべくもないから無理にも何らかの勤めにでているだろうけど、私でもやれることがあっただろうか。