2019/03/28

"The Son" (Kiln Theatre)

"The Son"

Kiln Theatre 公演
観劇日:2019.3.16 14:30-16:15 (no interval)
劇場:Kiln Theatre

演出:Michael Longhurst
脚本(オリジナルは仏語):Florian Zeller
翻訳:Christopher Hampton
デザイン:Lizzie Clachan
照明:Lee Curran
音楽・音響:Isobel Waller-Bridge

出演:
John Light (Pierre, the father)
Laurie Kynaston (Nicolas, the son)
Amanda Abbington (Anne, the mother)
Oseloka Obi (nurse)
Amaka Okafor (Sofia)
Martin Turner (the doctor)

☆☆☆☆ / 5

今回のイギリス滞在で最後に見たのは、フランスの劇作家Florian Zellerの新作。前日に見た"Downstate"にも劣らぬ強烈な説得力を持った公演だった。

Upper middle classの豊かそうな家庭における精神不安定な男の子(15才くらいか)と父親の関係を中心に描いた家庭劇。父母の離婚、父親の再婚が引き金になって父子の行き違いからくる争いが生まれ、それが息子の精神を不安定にしていく。自傷行為、自殺未遂、精神病院への強制的な入院、そして退院はするが、その後に起こる悲劇。息子の立ち直りと無事の成長を願う父の思いが切ない。息子を救おうともがく父親、しかしその父の愛情や心配が息子にはストレートに伝わらないどころか、ことごとく圧力となって彼にのしかかり、一層心を病んでいく。見始めたときは、ちょっと退屈な家庭劇かな、と勘違いしたが、最後は圧倒的な迫力で打ちのめされた。父親を演じたJohn Light、母親役のAmanda Abbingtonなど、テレビドラマでも良く見る俳優が出ていた。少年役のLaurie Kynastonは実に素晴らしい演技。また、Lizzie Clachanの純白のパネルを効果的に使ったセットが緊張感溢れるこの家庭の心象風景そのもの。白い床、白い壁やドアで舞台を統一し、その真っ白の中で、感情を爆発させた息子が衣類や持ち物、その他飾り棚とか鉢植えなど、平和な日常生活の小物をぶちまけ、家庭の破滅を象徴する。特に期待していなかった公演だけに度肝を抜かれた。これだからイギリスでの観劇は止められない。

しかし、帰宅後しばらく考えていると、欲を言うと、あの劇は何が言いたいんだろう、という疑問は残った。いくら誠実に愛情を注いでも良い方向に向かない息子に対する父親の焦燥と不安は良く伝わるが、息子の精神の不安定は良く説明されないまま(子供が何を考えているか理解出来ないという典型的な親の視点に立っているからか)。冷たくて杓子定規の医師の姿に、現在の精神医療の問題もちょっと触れられている気もするが、大した扱いではない。クライマックスに向かって緊張感を盛り上げる手法は、こういうシリアスなテーマを扱うにはややあざとい感じもした。ドラマとしての緊張感を創り出すために、観客に考えさせることをやや犠牲にしているような気がした。休憩なしの1時間45分では、こうしたことを深く掘り下げることは出来ないだろう。とは言え、凄い緊迫感の劇。

私はストールの見やすい、良い席のチケットを買ったが、34.5ポンド。私にとっては安い価格ではないが、それでも大変お得だ。

これで今回のロンドンでの観劇は終わり。全部で14本見た。私が準備を始めるのが遅くて、見たいと思った劇の切符が売り切れている場合もあったが、大体において希望した劇は見て、良い劇も多く満足だった。渡英の何ヶ月も前から上演予定の演目に気をつけてないと面白い劇を見逃すことになるのだが、ついつい出発直前に慌てて切符を買うことになってしまいがち。次回は気をつけよう、と今は思っているが・・・。

時差が大きいと体調管理に苦労するのは昔からだが、近年は加齢のために一層ひどくなり、滞在中ずっと体調が悪くて苦しかったし、帰国後も調子悪い。それでも、帰国すると、また行きたいと思わせるのが、イギリス演劇の魅力。研究のほうは昨年博士課程の卒業式に出て、その後、部屋に積み上げていた研究書など沢山処分し、もうお仕舞いという感じになった。今の一番の生き甲斐は、日頃倹約しておいてこうして偶にイギリスに劇を見に行くことかも知れない。

2019/03/27

"Downstate" (Dorfman Theatre)

"Downstate"

National Theatre 公演
観劇日:2019.3.15 19:30-21:55
劇場:Dorfman Theatre, National Theatre

演出:Pam MacKinnon
脚本:Bruce Norris
デザイン:Todd Rosenthal
照明:Adam Silverman
音響:Carolyn Downing
衣装:Clint Ramos

出演:
Glen Davis (Gio)
K Todd Freeman (Dee)
Francis Guinan (Fred)
Tim Hopper (Andy)
Ivy (Cecilia Noble)
Felix (Eddie Torres)
Effie (Aimee Lou Wood)
Em (Matilda Ziegler)

☆☆☆☆☆ / 5

この劇が性犯罪を扱った劇であるとは知っていて、重苦しい作品だろうと予想はしていたが、想像以上にシリアスだった。最初はどういう場所で何が起こっているのか分からなかったが、性犯罪、特に未成年を被害者とする犯罪、で法を犯し、刑期を終えた人々が数人で暮らすグループホームが舞台となっている。皆それぞれ個性豊かだが、これと言って異常なところはなく、むしろ穏やかな人々に見え、高齢で車椅子を使っている住民もいる(Fred)。そこに丁度被害者のひとりAndyと彼の妻がやって来ていて、彼を子供の時にレイプしたFredと一種の和解の話し合いをしているが、まわりの住民の立てる雑音や話し声で度々さえぎられ、上手く進行しない。また、Fredもにこやかに「解ったよ」とは何度も言うが、まるで他人の昔話を笑いながら聞いているような表情で、彼に真の反省や懺悔の気持ちがあるとは思えない。こんな事で和解なんて出来るわけない、と観客としても思うが、案の定、Andyの内面にはもの凄い怒りが蓄積していることが後で分かる。その後、この地区を担当する保護観察官Ivyがやって来て、住民のひとりに図書館に行ったことについて注意したり、色々と聞き取りをしたりする。そこで分かるのは、刑期を終え、一応法的には罪を償った元性犯罪者達も、自由になってからも、実に様々な制約を課されていて、塀の外の世界も一種の牢獄であると言う事実だ。例えば、劇中の人物も、携帯電話は駄目、インターネット接続も駄目、図書館に近づくことも駄目、規則を破ると、身体に追跡装置の装着をしなければならなくなる。まだ若いGioは自分のビジネスを始めようと計画しているが、社会は彼らが普通に生活することを許さない。グループホームの窓ガラスは割れたままテープで補修してあるが、ショット・ガンで撃たれたためだ。時々電話が鳴るが、嫌がらせ電話だと分かっているので誰も取らない。

後半ではAndyがまたやって来て、Fredに自分が作った反省の誓約書を突きつけてサインしろと迫る。Fredは大人しく聞いて、深く悔いていると言い、サインしようとするが、FredをかばうDeeが「彼は刑期を終え、罪は償った。彼に再度刑を科すのか」と抵抗して、Andyと激しい口論となる。劇の幕切れでは自殺者まで出る。台詞を追い切れないところも多々あったが、それでも圧倒的な迫力で観客に迫る。今回の渡英で見た最高の舞台。

性犯罪の被害者(特にこの劇に描かれたような子供の時に被害を受けた人達)や殺人事件の被害者家族の多くは、犯人を一生許せないという事実、その一方、犯人を更正させ、正常な社会人として社会に復帰させるという(先進国の)法における理念。このふたつの間にある大きな隔たりと矛盾をえぐる。被害者から見ると、子供をレイプしたような性犯罪者は一生苦しみ続け、気が狂って自殺するくらないでないと許せないのかもしれない。まともに更正して、立派なビジネスマンになり、幸せな家庭を築いたりしたらどう思うだろう。登場人物のひとり、Gioはそういう方向を目指しているかも知れない。自分の罪の重さに一生苦しみ続けるような人生を送るならば、気が狂ってもおかしくないだろうと思う。答のない問いをこの劇は突きつける。

2019/03/26

"Blood Knot" (Orange Tree Theatre)

"Blood Knot"

Orange Tree Theatre 公演
観劇日:2019.3.14 14:30-16:30
劇場:Orange Tree Theatre, Richmond

演出:Matthew Xia
脚本:Athol Fugard
デザイン:Basia Binkowska
照明:Ciarán Cunningham
音楽・音響:Xana

出演:
Nathan McMillan (Morrie)
Kalungi Ssebandeke (Zach)

☆☆☆☆ / 5

渡英した際には必ず出かけるOrange Tree Theatre (Richmond)にAthol Fugardの劇を見に行った。Finborough Theatreで見た"A Lesson from Aloes"に続いてFugardを2本見ることになったのは偶然だったが、この劇作家のことをより良く知ることが出来た。また、演出したのは、前の日に私を大変楽しませてくれた"Eden"の演出家でもあるMatthew Xia。更に、照明担当のCiarán Cunninghamも共通している。

アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国の都市、ポート・エリザベスが舞台。腹違いの兄弟、Morrie (Morris)とZach (Zachariah) がひっそりと助けあいつつ暮らしている。Zachが勤めに出て肉体労働をし、Morrieは家に居てZachを主夫のように甲斐甲斐しく世話している。Morrieはとても色が白くて、白人としても暮らしていける。一方、Zachは黒人としか見えない。Morrieは長年Zachとは分かれて育ち、より良い教育を受けているようで、文字も読めるが、Zachはほとんど読めないようだ。2人は世間から孤立した生活を送っているが、ある時Morrieが新聞でペンパル募集欄を見つけ、Zachの名前で応募する。その後、若い白人女性から返事があり、手紙を交換し始める。但、実際に手紙を書くのは、文字を書けるMorrie。この女性の兄は警官とわかり、2人は怖じ気づく。当時の南アでは人種を越えて男女交際するのはタブーであり、増して彼女の兄が警官であれば、トラブルとなるのは明らかだから。やがて、ペンパルの女性がポートエリザベスにやって来るという手紙が来る。Zachは色の白いMorrieが自分の代わりに相手に会ってはどうかと言い、立派な帽子、スーツ、シャツ、ネクタイなど、彼らの貧しい暮らしにはそぐわない衣服一式を買ってくる。それを着てみたMorrieはまるで白人のような威圧的態度に変化し、Zachに召使い、あるいは奴隷に対するように横柄な口をきく。結局、その女性は白人男性と結婚式を挙げることになり、ポートエリザベス訪問はなくなったが、この出来事で、2人は膚の色の濃淡で作られる違いを強く自覚することとなった。

良く出来たプロットと2人の熟達した俳優による息もつかせぬ濃密な舞台で、かなり楽しめた。南アのアクセントを取り入れた言葉使いだったが、私でも物語の流れを見失わない程度には理解出来て良かった。但、南アフリカ共和国がアパルトヘイトを脱した今、元々この劇にあったであろう切実さの多くは失われているかも知れない。その一方で、いまだに人種や膚の色の濃淡による差別も厳然として残っていることを思い出させる意味もあるだろう。

大変良い公演で、リビューでも褒められているのに、空席が多くて残念だった。観客はほとんどが白人の高齢者。マチネだったし、リッチモンドという土地柄もあるかもしれない。

2019/03/25

"Eden" (Hamstead Downstairs)

"Eden"

Hamstead Theatre 公演
観劇日:2019.3.13 14:45-16:45
劇場:Hamstead Downstairs

演出:Matthew Xia
脚本:Hannah Patterson
デザイン:Jasmine Swan
照明:Ciarán Cunningham

出演:
Laurietta Essien (Alison)
Mariah Gale (Jane)
Sean Jackson (Bob)
Yolanda Kettle (Sophie)
Adrian Richards (Golf Caddie, Journalist, etc.)
Michael Simkins (Chase)

☆☆☆☆☆ / 5

Hamstead Theatreの中にある小さなスタジオ劇場。私はこの公演をシニア料金で見ることが出来、たった10ポンドしかかからなかった。しかもプログラムは無料配布。2,3見たリビューはあまり良くなかったので期待はしていなかったら、意外や意外!とても楽しめた。私の好きなタイプの劇。今回の渡英で観た劇の中でも、最も満足できた公演かも知れない。

シナリオを書いたHannah Pattersonが劇の発想としたのは、スコットランド、アバディーンシャーで実際にあったゴルフ場の開発とそれに伴う自然破壊や贈収賄疑惑。開発をしているのは、The Trump International Golf Links、つまりドナルド・トランプの会社。この事件をベースに、Pattersonは、反対運動を最後まで(死に至るまで、というのも彼は癌を患っているから)貫徹するBob、その娘で地質学研究者のJane、開発会社社長のChase、Chaseの部下で、土地買収の実務に当たる地元出身の女性Sophieの人間関係を通じて、開発によって引き裂かれる人々の複雑な気持ちを描く。Chaseの情け容赦ない傲慢さ、どんな人でも金と物欲を操作すれば動かせるとする彼の考え方が、信念に忠実に生きるBobと対比される。一方、JaneやSophieは仕事と愛情のせめぎ合いで苦悶する(ふたりは、Sophieが町を出る前は恋人同士だった)。町の経済的発展を考えつつも、Bobにも同情する市議会議長のAlisonも良い人物造形だ。

俳優は皆巧みな演技。Chaseを演じたMichael Simkinsはロンドンの演劇界の常連のようだし、Mariah GaleやYolanda Kettleもイギリスのテレビなどで脇役として活躍中。こういうしっかりした俳優の演技を直接劇場で、しかも一番高いチケットでも14ポンドで楽しめるなんて、素晴らしい!脚本のHannah Patterson、演出のMatthew Xiaの名前も、憶えておきたい。

"Shipwreck" (Almeida Theatre)

"Shipwreck"

Almeida Theatre 公演
観劇日:2019.3.12 19:00-22:00
劇場:Almeida Theatre

演出:Rupert Goold
脚本:Anne Washburn
デザイン:Miriam Buether
照明:Jack Knowles
音響:Paul Arditti
音楽:Max Perryment
衣装:Lisa Aitken

出演:
Khalid Abdalla (Yusuf)
Fisayo Akinade (Mark)
Raquel Cassidy (Jools)
Risteárd Cooper (Lawrence, Richard)
Elliot Cowan (Jim)
Tara Fitzgerald (Teresa, Laurie)
Adam James (Andrew)
Justine Mitchell (Allie)

☆☆☆ / 5

トランプ政権下のアメリカを描く新作。ニューヨークに住むリベラルな男女数人が週末を過ごす別荘に出かけるが、大雪でそこに缶詰めになって、延々とトランプについて議論する:何故彼が選ばれてしまったのか、誰が彼に投票したのか、等々。その合間に、他の切り口から、現代アメリカに関する独立したエピソードが挟まれる。繰り返し出てくるのは、アメリカの白人農家の養子になったアフリカの黒人の若者(つまり昔からいる黒人ではなく、新移民のアフロ・アメリカン)。また、悪魔のスーパーマンみたいな扮装をしたトランプとジェイムズ・コーミーFBI元長官のやり取りなど。休憩を含めて3時間にわたる長編。ひとつのドラマに収斂していく作品ではなく、どんどんトピックが拡散していき、まとまった形で終わらない。興味深い劇だったけど説得力には乏しい。アルメイダには珍しく空席も目立ち、観客の評価も高くないようだ。


2019/03/24

"A Lesson from Aloes" (Finborough Theatre)

"A Lesson from Aloes"

Finborough Theatre 公演
観劇日:2019.3.10 15:00-17:00
劇場:Finborough Theatre, London

演出:Janet Suzman
脚本:Athol Fugard
デザイン:Norman Coates

出演:
Dawid Minnaar (Piet)
Janine Ulfane (Gladys)
David Rubin (Steve)

☆☆☆ / 5

ロンドンに来たら必ず行くことにしているフィンバラ劇場の公演。いつも満足できるクオリティーを見せてくれる。

アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国において、人種差別に異を唱える劇を書き続けたAthol Fugardの1978年の劇の再演。題名は『アロエからの教訓』。アパルトヘイトの時代、労働組合運動に参加することから政治的活動にも関わっていった白人男性Pietと、精神を病んでいくその妻Gladys、そして、有色人種(カラード)の運動仲間Steveの複雑な関係を、たたみかけるような台詞の連続で描く。劇の始まる時点では、PietとGladysは既に組合や政治活動から遠ざかった老人夫婦で、昔の記憶を反芻しつつ、世間から孤立した生活を送っている。Gladysは精神病院に入ったこともあり、今も不安定。彼女の病状がひどかった頃、Pietは政治活動に入れ込んでいて、妻の世話が十分でなかったかも知れない。やがて、組合運動の仲間だったSteveが訪ねてくるが、Pietがかって官憲の内通者であったのではないか、という疑いがふたりの間に大きな不信を残している。

3人の俳優は大変な迫力のある演技を見せてくれた。しかし私の英語力では、台詞が早すぎ、アクセントのある英語を聞き取るのも難しくて、大まかな筋を追うことさえ出来ず、何を話しているか全く分からないところが多々あり、満足に鑑賞出来たとは到底言えない。脚本を読んでから見るともっと面白かっただろうなあ、と残念。

なお、俳優のひとりDawid Minaarはアフリカナーらしく、アフリカーンスのウィキペディアに紹介があった(読めないけど)。いずれにせよ、3人とも演技は素晴らしかった。David Rubinはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで教育関連の仕事をしている俳優らしい。

"Medea" (International Theater Amsterdam at Barbican Theatre)

"Medea" (Barbican Theatre)

International Theater Amsterdam 公演
観劇日:2019.3.9 19:45-21:05 (no interval)
劇場:Barbican Theatre

演出:Simon Stone
脚本:Simon Stone, after Euripides
デザイン:Bob Cousins
照明:Bernie von Velzen
音響:Stefan Gregory
翻訳:Vera Hoogstad, Peter von Kraaij
ドラマツルグ:Peter von Kraaij
衣装:An D'Huys

出演:
Marieke Heebink (Anna)
Aus Greidanus Jr (Lucas)
Eva Heijnen (Clara)
Leon Voorberg (Christopher)
Fred Goessens (Herbert)
Jip Smit (Marie-Louise)
Puma Kitseroo (Gijs)
Faas Jankers (Edgar)

☆☆☆☆ / 5

現代版ギリシャ悲劇。エウリピデスの戯曲の大まかなプロットを現代アメリカで実際にあった母親が自分のふたりの子供を殺害するという事件に重ね合わせている。非常に実験的な印象を与える公演。舞台は真っ白の「なにもない空間」。ピーター・ブルックの『真夏の夜の夢』のようなステージ。しかし、時々その舞台を上下に区切り、上半分をスクリーンにして、下の舞台で演じている俳優の顔などをクローズアップして映したりする。昔見たルパージュの公演でもこうした映像の使い方をしていた記憶がある。何だかNTライブを見ているような錯覚を感じた。夫婦を演じる2人が激しく口論し、怒鳴り合い、そして時にはつかみ合いをする。もの凄い緊張感に充ちた劇。ギリシャ劇として思い描くような儀式的な雰囲気は感じない。『エブリマン』のような道徳劇的な雰囲気もある。あまり好きなタイプの劇ではなかったけれど、大変興味をそそられた公演で、見た甲斐はあった。

2019/03/23

"The Price" (Wyndham Theatre)

"The Price"

観劇日:2019.3.8 19:30-22:10
劇場:Wyndham Theatre

演出:Jonathan Church
脚本:Arthur Miller
デザイン:Simon Higlett

出演:
David Suchet (Gregory Solomon, furniture dealer)
Brendan Coyle (Victor Franz, policeman)
Adrian Lukis (Walter Franz, surgeon)
Sarah Stewart (Victor's wife)

☆☆☆☆ / 5

今回のロンドン滞在で唯一のウェストエンドの商業劇場での観劇。David Suchetの名演を楽しめて、無理をした甲斐はあった。滅多に上演されることのない作品だが、ミラー作品に多い父と息子達の相克のテーマを扱う。但、その父親は既に亡くなっていて劇には登場せず、ふたりの息子達、VictorとWalterが、死んだ父の遺産である家具を古物商に売却をする過程で、父親の後ろ暗さ、息子達に対する金銭上の不誠実が明らかになり、息子達は苦しむ。彼らは家具を売る事を通じて、父のことだけでなく、自分達の人生をふり返り、兄弟の間に残る鬱積された不満や罪悪感を吐露することになる。その古い家具を買い取りに来るのが、ユダヤ人商人Gregory Solomonで、演じるのはDavid Suchet。いつもの様に素晴らしい演技でうならせる。Solomonという名前が示すように、彼は一種の賢者であり、また抜け目のない商人でもあって、その真意を測るのは難しく、Suchetがその奥深さを充分に伝えていた。兄のVictorは父の世話をするために犠牲になって、地味な暮らしをしてきた。一方、弟のWalterは大学に進学し外科医になって豊かな暮らしをしており、兄に対して罪悪感を感じている。VictorとWalterを演じるBrendan CoyleとAdrian Lukisも大変説得力があり、そうした優れた演技に支えられた公演だった。ミラーの脚本はいつも女性の影は薄く、Walterの妻を演じたStewartはややもったいなかったが、それでも彼女は実力を発揮して、存在感はあった。贅沢な商業劇場で、ベテランの芸達者達による名演を味わった一夜。高級レストランで芳醇なワインを飲んだような感じ。但、私はお酒は飲めないんですけど(^_^)。

こういう公演を見ると、台詞を大事にするイギリス演劇の良い伝統をつくづく感じる。

"Agnes Colander: An Attempt at Life" (Jermyn Street Theatre)

"Agnes Colander: An Attempt at Life"

観劇日:2019.3.7 19:30-21:30
劇場:Jermyn Street Theatre

演出:Trevor Nunn
脚本:Harley Granville-Barker, revised by Richard Nelson
デザイン:Robert Jones
照明:Paul Pyant

出演:
Naomi Frederick (Agnes Colander)
Matthew Flynn (Otho Kjoge)
Sally Scott
Cindy Jane Armbruster
Harry Lister Smith (Alexander Flint)

☆☆/ 5

"Preface to Shakespeare" 等の啓蒙書でも知られる演劇人、Harley Granville-Barkerの埋もれたままになって上演された事がなかった作品を大御所Trevor Nunnが発掘し演出した。去年、Theatre Royal, Bathで始めて上演されたプロダクション。物語は、イプセンの『人形の家』で、ノーラが旧弊な夫を捨てて家を出た後どう生きたかを描いたような話。

物語のセッティングはイギリスとフランス。主人公のAgnesは彼女を裏切った夫を捨てて3年が過ぎ、画家として新しい生活を始めている。彼女と同棲しているOtho Kjogeは家父長的で彼女を独占しようとし、彼女を慕う若者のAlexander Flintは、彼女を人形の様に理想化してやまない。折角夫を捨てて自由を獲得したように見えたAgnesだが、女性を一人前の人間として扱えない男達に囲まれて、独立した芸術家としての未来が描けない。

ということで、発想は大変面白いが、台詞がまったく噛み合わず、何だか抽象的な議論を延々と聞かされている感じで面白くなく残念。Granville-Barkerは、検閲されるのを恐れてこの劇を上演しなかったと言われているようだが、作品自体にも大いに問題があると自覚していたのではないだろうか。

"Tartuffe, the Imposter" (National Theatre)

"Tartuffe, the Imposter"

National Theatre 公演
観劇日:2019.3.6  14:15-16:15
劇場:Lyttelton Theatre, National Theatre, London

演出:Blanche Mcintyre
脚本:Molière (a new version by John Donnelly)
セットデザイン、衣装:Robert Jones
照明:Oliver Fenwick
音楽・音響:Ben and Max Ringham

出演:
Denis O'Hare (Tartuffe)
Pernelle (Susan Engel)
Olivia Williams (Elmire)
Hari Dillon (Cleante)
Kathy Kiera Clarke (Dorine)
Enyi Okoronkwo (Damis)
Kitty Archer (Mariane)
Kevin Doyle (Orgon)
Geoffrey Lumb (Valere)
Matthew Duckett (Loyal)

☆☆☆☆ / 5

今回の渡英では2本の翻訳劇を見たが、2つともフランスの作品。これはナショナル・シアターらしい豪華なセット、優れた演技陣、そして古典の現代的で斬新な解釈を見せてくれ、かなり楽しめた。

現代の成金の家庭にセッティングを移したモダン『タルチュフ』。John Donnellyによる"a new version"とあり、イギリスで古典を上演する時によくあるように、台詞も英訳するだけでなく、相当に書きかえているのではないかと推測する。

その家の主人、Orgonと彼の母親Pernellに怪しげな新興宗教のグルみたいな男Tartuffeが言葉巧みに取り入っている(何故こんな奴に、とちょっと納得いかないところは問題あり)。Orgonは自分だけでなく、一家の他の者達、娘のMarianeや妻のElmire、Elmireの兄、Cleante等々もTartuffeを信奉するようにと仕向けるが、他の者は納得しない。特にCleanteはTartuffeの詐欺師ぶりを暴こうとする。Orgonは娘をTartuffeに嫁がせようとし、また、全財産を彼にわたすという契約までしてしまい、一家は破滅へと向かうが・・・。最後はOrgonも目を覚まし、事情を察知したPM(首相)の権力により、官憲が介入してOrgon一家は救われる。

面白い演出として、ところどころの場面でホームレスみたいな人達を配置していた。Cleanteは2,3のチャリティーの理事をやっていると言っていたが、金満家のリベラルOrgon一族に対し、Tartuffeをホームレス達のような無産者階級から這い上がってきたペテン師と位置づけているのではないだろうか。チェーホフ等、ロシアの古典のプロダクションでも時々見られる演出だろう。

私には、Tartuffeが単なるチンピラにしか見えなかった。彼のキャラクターが、もう少し魅力的にならなかったものかと思う。何故Orgonがこれほどまでに彼に入れ込んでしまったのか、イマイチ分からない。

劇が始まったとき、Orgon家の居間のセットの豪華さとけばけばしさに思わず息を呑んだ。ああいうセットは、日本では例え商業劇場の資金があってもまず見られない。デザイナーのRobert Jonesのセンスの良さに感服。あれだけでも見る価値があったと思えるくらい。

2019/03/22

"Edward II" (Sam Wanamaker Playhouse)

"Edward II"

Shakespeare's Globe 公演
観劇日:2019.3.5 14:00-:00
劇場:Wanamaker Playhouse, Shakespeare's Globe

演出:Nick Bagnall
脚本:Christopher Marlowe
デザイン:Jessica Worrall

出演:
Tom Stuart (Edward II)
Beru Tessema (Gaveston)
Katie West (Queen Isabella)
Richard Bremmer (Archbishop of Canterbury / Spenser Senior)
Richard Cant (Earl of Lancaster)
Polly Frame ()
Jonathan Livingstone (Mortimer Senior)
Colin Ryan (Spencer Junior)

☆☆☆ / 5

Sam Wanamaker Playhouse で続けて劇を見ることになった。"Richard II" は有色人種の女性だけ、更に多文化を反映した実験的な上演だったが、こちらは打って変わって、背景や衣装など、エリザベス朝らしい雰囲気を出したトラディショナルな上演。こういう上演は今やかえって珍しいので、まさにコスチューム・ドラマを見ている気分だった。役者は有名な人は出てないようで、演技で特に印象深い人はいなかった。Gaveston はやや毒気に欠けるし、Edward はまるで正直者のようにも見えかねない。まあでも戯曲自体が面白いので楽しめた。

"Richard II" (Sam Wanamaker Playhouse)

"Richard II"

Shakespeare's Globe 公演
観劇日:2018.3.3 13:00-15:30
劇場:Sam Wanamaker Playhouse (Shakespeare's Globe)

演出:Adjoa Andoh & Lynette Linton
脚本:William Shakespeare
デザイン:Rajha Shakiry

出演:
Adjoa Andoh (Richard II)
Dona Croll (John of Gaunt)
Leila Farzad (Queen)
Shobna Gulati (Duke of York)
Sarah Niles (Bolingbroke)
Indra Ové (Mowbray / Northumberland)
Sarah Lam (Duchess of Gloucester 他)

☆☆☆☆ / 5

俳優は勿論スタッフもすべて女性、更に全員が有色人種で、多国籍、多文化の背景を担う人々だけで作られた公演。アフリカ系、中近東系、インド等南アジア系、そして東アジア系からなる混成カンパニーだった。彼らは皆、それぞれの文化を反映した民族衣装のような服を着けていた。身体表現や、台詞の言い方、言葉のアクセントなどもそうした点が残され、あるいは強調されて、にぎやかな、多文化のデパートみたいな公演になっていた。但、その分、一貫したまとまりには欠ける気がした。ディレクターの一人は王Richardとして主役も務めるAdjoa Andohn。カンパニーの中には、シェイクスピアは始めてと感じさせるような、あまり演技が出来ていない人もいたが、Andohの演技はとても上手く、説得力があったし、身体の使い方も白人とは違い、ユニーク。歌舞伎がすべて男性だけでやるように、女性だけのカンパニーにも全く違和感感じなかったし、このようにして女優達がシェイクスピアの台詞を体験することが出来るのは良い事だ。テレビ・ドラマの脇役などでしばしば見るベテラン俳優も含まれており、演技は概して良かった。

Sam Wanamaker Playhouse には始めて出かけた。ロウソクだけで照明をするステージを始めて見ることが出来て、興味深い経験だった。普通にしていたら、俳優の顔の表情はとても見づらい。ステージはとても狭く、大きく動き回るスペースはないので、暗がりの中で俳優が立って台詞を言っている、という感じ。俳優は自分自身でロウソクや松明を持って自らの顔を照らしつつ台詞を言うことも多かった。この舞台はかなり狭くてアクションを見せることが難しい。その分、台詞に頼る面が大きいと思った。またアクションに時間を使わないので、大きな舞台でやるよりも上演時間が短くなっている気がした。

"The Cost of Living" (Hamstead Theatre, London)

"The Cost of Living"

Hamstead Theatre 公演
観劇日:2019.3.2 15:00-16:45 (no interval)
劇場:Hamstead Theatre

演出:Edward Hall
脚本:Martyna Major
デザイン:Michael Pavelka

出演:
Emily Barber (Jess)
Jack Hunter (John)
Adrian Lester (Eddy)
Katy Sullivan (Ani)

☆☆☆☆ / 5

しばらくロンドンに劇を見に行ってきた。いつも書いているが、私は極端に記憶力が悪いので、見た劇のことをもうかなり忘れてきたが、そのうち何を見たかもすっかり忘れてしまうので、備忘録として、出演者や今思いだせる印象等を簡単にメモしておきたい。本当は見た直ぐ後に書くべきだったんだけど、今回は体調悪かったりひどく疲れていたりで、劇を見に出かける以外はろくになにもせずに横になっている日が多かった。

さて、最初に見たのは、障害者とそのケアをする人という組み合わせを二組描いたアメリカの戯曲。Aniは交通事故で歩けず、トラック・ドライバーの夫Eddyにお世話になっているが、とても激しい性格で、誰彼構わずいつも罵っている。しかしEddyはとても穏やかな人で、何と言われようとも怒らずに黙々と彼女の世話をする。一方、Johnはお金持ちの家に生まれた博士課程の学生で、貧しい若者のJessを専属のケアラーとして雇用している。台詞はかなり難しかったが、物語の流れはシンプルなので劇の意図は理解出来たと思う。2つの物語は独立して交互に演じられるが、最後にケアラーの二人が偶然知り合いになって終わる。ケアラーの人達のほうが弱い立場。特に、金銭的に苦しんでいて、ケアをされる人と、する人の立場の違いと、身体の弱さ/健常が複雑に交錯して、小品だが、味わいのある良い劇だった。Adrian Lesterの陰影ある演技、特にモノローグが見応え、聞き応えあって楽しめたが、しかし、彼がワーキング・クラスのトラック・ドライバーには到底見えないし聞こえないという矛盾もあった。日本でもよくあることだが、障害者や老人のケアをする人々は、経済的にはケアされる人以上に弱い立場にいることも多い、と気づかされる。なお、障害者の役を演じるふたりの俳優も障害者だった。