2009/12/26

Christ Church Gate, 2009年12月








カンタベリー大聖堂の敷地("the Precincts", 日本で言う「境内」です)に入る主な門が、この写真のChrist Church Gateです。メインストリートから狭い路地(例えばMercery Lane)を通って10メートルくらい行くと少し広くなった場所 (Butter Market) に出て、そこにこの、塔のような門がそびえています。かなり細かく、一部彩色された浮き彫りがあり、綺麗な門です。完成は1517年頃(本により、記述が異なります)、ヘンリー8世の治世です (1509-47)。宗教改革間近な時です。スタイルはゴシック様式ですが、この写真で分からないのですが、下の方の装飾柱のスタイルはギリシャ風で、ルネサンスのスタイルを一部見せているとのことです。真ん中にある青いブロンズの彫像はキリスト。

もともとこの門の建造が計画されたのは、ヘンリー7世の長男アーサーと、アラゴンのキャサリン (Catherine of Aragon) との結婚を記念してのことだそうです。しかし、アーサーは早死にし、弟がヘンリー8世となり、またキャサリンはその弟と再婚を強いられました。他のカトリック時代の宗教建築同様、17世紀に清教徒により色々な装飾が破壊され、現在は修復された部分が多いようです。上述のキリストのブロンズ像も1990年にはめ込まれたものだと言うことです。それ以前の像は清教徒によって破壊され、その部分は空洞になっていたそうです。私が始めてカンタベリーに行った時には無かったのかな。このキリスト像は手をさしのべて、礼拝者を歓迎しており、"Welcoming Christ"と呼ばれており、ドイツ人の彫刻家Klaus Ringwaldの作品です。キリスト像の下方に、帯のように模様が見えますが、これらは紋章をかたどった盾 (heraldic shields) の列で、チューダー王家のシンボルが彫られているようです。両側のふたつの小塔 (turrets) は18世紀に破壊され、1930年代に再建されました。

この門の前にあるButtermarketは小さな広場ですが、中世のカンタベリーは街全体が大変小さいので、このスペースでも一番大きな空き地だったかも知れません。ここは、200年前まではBullstakeと呼ばれていたそうです。bullは去勢されていない雄牛、stakeはそれを繋ぐ杭です。ということは、ここで「雄牛いじめ」 (bull-baiting) が開かれていたということでしょう。雄牛いじめは、繋いだ雄牛に犬をけしかけて戦わせる残酷な見せ物ですが、中世から近代初期にはイングランド全土で広く行われていました。市の城壁の外ではなく、大聖堂の前の広場でそのような事が行われていたのでしょうから、大変驚きです。これに類似した見せ物に、「熊いじめ」(bear-baiting)があります。シェイクスピアの戯曲中にも、こうした見せ物への言及があり、当時の演劇との関係を追求した論文さえあります。

今、この門の右は、写真でも見えるかと思いますが、 スターバックス・コーヒーです。広場の建物の多くは、土産物屋やレストラン、カフェになっていますが、この門が出来た頃も同じでした。宿屋が軒を並べ、巡礼達を泊めていました(今も当時の建物の一部が残っています)。それらの宿屋の1階には酒場兼食堂になっており、また土産物を売っているところもありました。当時の巡礼地の土産物としては、巡礼バッチとか、カンタベリーの有り難いお水を入れる小さな器などがあったようです。カンタベリーのお土産物は、イングランド各地、そして大陸でも多く見つかっており、当時のカンタベリー巡礼の広がりを今に伝えています。

1枚目の写真は、Mercery Laneという路地から、Buttermarketの向こうに見える門を撮ったものです。Mercery Laneはmercer(織物商)が軒を並べていた通りということです。日本でも昔はそうでしたように、中世の街は同じ職業の人が集まって商売をしていました。Mercery Laneと並ぶ通りには、Butchery Lane(肉屋 [butcher] の通り)もあります。織物商は中世の商人でも最も豊かな職業で、従ってこのような大聖堂の前の一等地に店を構えていたのでしょう。中世には、この辺りは、巡礼の人々、聖職者、商人、そして買い物をするカンタベリー市民や近郊の町や村の人々でごった返していたかと思います。今もここは観光客やカンタベリー市民で賑わっています。

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