2022/04/30

【イギリスの小説】 C.J. Sansom, "Tombland" (2018)

 C.J. Sansom, "Tombland" (2018; Pan Books, 2019) 866 pages

評価:☆☆☆☆☆ / 5

 C.J. サンソムによるチューダー朝ミステリ、法廷弁護士マシュー・シャードレイク(Matthew Shardlake)シリーズの7冊目で、最新刊(とは言っても2018年刊)。私はこのシリーズは全部読んでおり(ブログで感想も書いている)、この作品も随分前にペーパーバックスを買ってあったのだが、何しろ、小説本文で約800頁、解説も含めると866頁という大冊で、英語になると一層読むのが遅い私には、なかなかな手が出ず、読み始めてから約40日かけてやっと読了した。それだけ長くかかると、最初に読んだ辺りは段々忘れてきて、放り出しそうになることが多いが、この小説は一貫して面白くて、ゆっくりとだが着実に読み進み、最後は読み終えるのが残念に思ったくらいだった。

 今までの作品の評判を見ても、イギリスの中世・初期近代歴史ミステリ・シリーズの中でも、このシリーズは最も評価が高いのではないだろうか。ミステリとしての筋書きの面白さと共に、歴史小説としても充分に楽しめ、歴史的な背景の記述も正確と言われている。作者のサンソムは、歴史学で博士号も取っており、また事務弁護士としてのキャリアも長いので、法律にも詳しいはず。今回は、特に歴史小説としての面が強く、私は非常に満足した。一方、ミステリとはあまり関係ない部分も長くて、主にそうした面を期待する読者にはやや不満かも知れない。

 今回、物語が起こるのは1549年、まだ12才にしかならないエドワード6世の治世。但、実権を握るのは護国卿、サマセット公エドワード・シーモア。マシューは、当時16才で、後に女王となるエリザベス・チューダーの屋敷に呼び出される。エリザベスの母方の遠縁の親類、ノーフォークの地主ジョン・ブーリン(John Boleyn)の長く行く方不明だった妻エディスの惨殺死体が見つかった。エリザベスは信頼するマシューにこの殺人事件の真相を解明するよう命じる。マシューは弁護士見習いの助手ニコラス・オヴァートン(Nicholas Overton)と、事件のあったノーフォークの主要都市(当時、イングランド第2の都市)ノリッジへと向かう。その頃、以前マシューの助手を務めていたジャック・バラク(Jack Barak)も巡回裁判(assize court)関連の仕事でノリッジに滞在していて、マシューと再会し、事件の解明に協力する。題名の"Tombland"はノリッジの中心部、マシュー達が宿を取った街区の地名である。しかし、その後描かれる血なまぐさい動乱を象徴する様なタイトルでもある。

 この年、ノリッジとその近郊では「ケットの乱」(Kett's Rebellion)と呼ばれる民衆の大反乱が起こり、ノリッジも反乱軍に占領される。マシュー達も否応なくこの反乱に巻き込まれる。彼は反乱の首謀者ロバード・ケットに拘束され、反乱軍の法律顧問としての仕事を強要される。護国卿サマセット公は2度に渡り軍を送って、反乱を鎮圧しようとし、激しい戦闘となる。そうした戦乱の中でもマシューは粘り強くエディス・ブーリンの殺人捜査を続ける。

 巻末に60頁にわたってケットの乱についての解説があり、またその後にかなり詳しい文献の説明もあって、作者が相当深くリサーチをした上で書いた事が分かる。チューダー朝史の一コマを描いた啓蒙的な歴史書としても読める一冊だ。特に後半のケットの乱を描いた部分は力が入っていて、本筋の殺人事件を忘れるほど。マシューは法廷弁護士という知的エリートで、生まれながらの貴族とかジェントルマンという上流階層ではないが、新興の"middling class"と呼ばれる豊かなエリート層。また助手のニコラスは、親の命令に逆らって勘当されているので今は財産は全くないが、元々ジェントルマン階層の家の生まれ。この、完全な庶民でもなく、また伝統的なジェントルマンとも言えない2人が、反乱軍の人々と彼らと敵対する政府やジェントルマン階層との間に挟まれて思い悩む様子が大きな見どころ。

 巻末の解説を読むと、ケットの乱がノーフォークにおける孤立した民衆反乱ではなく、1540年代に起こった様々の社会問題によりイングランドの多くの庶民の不満が沸騰点に達して、起こるべくして起こった反乱であったことが理解出来る。主要な原因としては、「コモン」と呼ばれる共有地の、大地主たちによる一方的占拠(「囲い込み、enclosure」と呼ばれる)による農民の生活苦がある。更に、天候不順による不作、スコットランドでの不毛で不人気な戦争の戦費を賄うための増税、不良な貨幣の乱発に端を発したインフレ、政府による急進的なプロテスタント政策の押しつけ等々、他の要素も重なった。そして、これらの問題はノーフォークでだけでなく、特に南部や中部の多くの地方で共通していたので、反乱も各地で起こっていた。こうしたことも、作品に取り入れられているので重厚さが増しており、また歴史の勉強にもなった。ミステリとしてはもちろん、歴史小説の好きな方にもお勧めしたい本。

 なおこのシリーズは集英社文庫で翻訳出版が進んでおり、既に3作品の翻訳が出ているので、この作品もやがて日本語で読めることになると思う。是非より多くの方に読んで欲しい。

2022/04/02

退職者の新年度

 今日は2022年4月2日。昨日、新聞やテレビでは新入社員関連の記事とかニュースなどが伝えられている。新年度と言っても無職の私には何の変化もなく暮らしているだけなので、せめてブログで今年度何をするか(あるいは、しないか)について書いて気分を変えることにした。

 私にとって今年度の大きな変化としては、先日のブログでも書いたように、1科目だけやっていた非常勤講師職がなくなったことだ。教員生活の完全な終わりということで感慨深かった。一昨年の前期以来、コロナウィルス流行のおかげでほとんどがオンライン授業であり、また昨年度後期は担当科目の履修登録者がゼロだったので、この2年はキャンパスに行くことは少なかったが、それでも非常勤講師としての所属があり、図書館やオンライン資料が利用できること、そして少額とは言え毎月一定のお小遣いが入って年金を補えたことは大きかった。これからは図書館で内外の学術書を借りたり、他大学から論文のコピーを取り寄せてもらったり、オンラインの有料データベースや辞書、オンライン・ジャーナルなどを閲覧したりも出来なくなるので、実験などが不要な文学研究とは言え、研究活動は事実上難しくなる。非常勤先大学の紀要という論文出版の手段もなくなる。大した業績はあげていない、否はっきり言って最底レベルの研究者でしかない私だが、研究を取るとほとんど何も残らない人生を送ってきたので、これはかなり辛い状態だ。勉強する事以外に趣味も乏しく、大学や学会でつきあってきた人を除き、友だちはいない。しかも、留学するために早めに退職したので、職場や研究上での知人・友人とはもう通信もほぼなくなった。ここで、頭を切り替えて、新しく人生を始めるつもりで頑張らないといけないと思っている。とは言ってもこれから新たな趣味を見つけて打ち込むような才覚も体力もないので、今までやってきたことの中から好きなことを育てていこうと思っている。

 まずは勉強。論文の投稿や研究発表は出来なくても、そして新しい研究資料は手に入らなくても、自分で勉強する事は出来る。幸い、読んでいない研究書や中世の文学作品のテキストが沢山積んであるので、それらを丁寧に読むだけで充分余生を送れそうだ。チョーサーもラングランドもガワーも中世劇やインタールードも読んでいない作品や詳しく勉強していない作品だらけだ。研究資料としては古すぎる本でも、私個人の勉強のためには充分だ。

 私は学部生時代は大変な映画ファンだった。3年生の時には大学の授業をさぼって映画に行ってばかりいて、沢山単位を落としてしまい、4年生で大忙しになったくらいだ。今やシニア料金が利用できるので、どんどん映画に行こうと思う。毎月、2,3本、あるいはもっと多く、見たい。

 このブログでも特に留学中にはよく感想を書いていたように、演劇も大好きだ。特に英米演劇は専門とも近いので、劇のチケットは高価なので費用は結構痛いけれども、たまには出かけたい。

 その他、専門外の読書(特に英米の小説やミステリ、歴史書など)、ラテン語初等文法の復習、海外ドラマ(妻がNetflixに入っているので利用させてもらう)などもある。もちろん、生活全体で言えば、家事や病院通い、日々の買い物など必要な用事もあるので、老後生活、けして暇ではない。ボケ防止のためにも、だらだらせず、また体に無理をせず、そして、(フルタイムの職を早く退職したので少ない)私の年金に見合ったレベルで、できるだけ楽しく充実した生活を送りたい。