2022/02/14

原基晶『ダンテ論—「神曲」と〈個人〉の出現』の書評が朝日新聞に掲載

原基晶『ダンテ論—「神曲」と〈個人〉の出現』(青土社)の犬塚元教授による書評が朝日新聞(2022年2月12日朝刊)に掲載



 昨年11月26日、随分以前から予告され、多くの読者が心待ちにしていた原基晶先生の『ダンテ論』が青土社から出版された。私は出版前から予約していて、発売当日に本屋に取りに行った(アマゾンを使いたくないので、日本語の本は出来るだけ近隣の本屋から取り寄せることにしている)。

 日記を見ると私は『ダンテ論』を11月30日に読み始め、遅くとも12月13日以前に一旦読み終わっている。その後感想をブログに書こうと思い、思いついたことを断片的に書き始めたが、途中で挫折。この本、大変読み応えがあるのだが、抽象的な議論が特に苦手な私には、難解な部分が多い。前半(1-4章)は作品の時代背景、詩人ダンテや彼の周辺の人物の伝記的事実の洗い直し、テキストについての文献学的議論など具体的なことが書いてあり、比較的分かりやすく、興味を持って読めたが、後半(5-7章)ではつまづき、表面をなぞるだけの読書になって不消化のままだ。それで12月の半ばから2回目を、今度は書き込みしたり、メモを取ったりしつつ熟読していて、未だに読み終わっていない。またその間、しばらく挫折し、正月前後は他の本を読んでいた(英語の本を1冊読了した)。本書は私に向いてないからもう読むのは止そう、と思ったこともあるが、しばらく日を置いてもう少し読み進むと、また面白いところに出会い、未だにだらだら読んでいる。

 さて、私がそういう風にてこずっている『ダンテ論』の書評が先週の土曜日(2月12日)の朝日新聞朝刊読書欄に掲載された。グーグルで検索して見る限りにおいて、これが新聞・雑誌における本書の最初の書評のようだ。一応リンクを貼っておくが、購読者のみ読める。もちろん、大新聞の書評であるから、数多くの出版物の中で、特に取り上げる価値があると書評委員から見做されたわけで、書評が載っただけで賞賛を意味するが、書評の内容においても絶賛と言って良いだろう。評者は法政大学法学部教授で政治学・政治思想専攻の犬塚元先生。著書から見ると、ヒュームの政治学などを特に研究されているようだが、近代政治思想の専門家ということで、ダンテの政治思想にも力点がある原先生の『ダンテ論』書評に適した評者だろう。

 書評は「この本の魅力は、要約だけでは伝わらないはずだ」という一文で始まり、すぐに改行されている。即ちこの文は短い書評の副題的な役割の文であり、また、そのイントロダクションでもある。最初から、「私の書評では到底伝えきれないので、皆さんご自分で読んでくださいね」と宣言しているわけで、狡い文だ。ある意味、新聞書評の短さでは言いたい事を伝えきれないと正直に告白しているとも言える。そのあと、書評の中心部分では主に前半、特に第3章に焦点を当てて、原先生のフィロロジカルなテキスト分析の魅力を分かりやすく述べていて、読者が本書を手に取りたいと思うようにいざなっている。但、東西の古代・中世の古典を研究している人々からすると、写本やテキストに関する文献学的な前提はかなり共通している。ダンテという、世界文学の中でずば抜けて多くの研究がなされてきた詩人であるから、目配りすべきことは非常に多く、かつ精密でなければならず、原先生の鮮やかな手際を評者は絶賛し、「『創られた伝統』を越えてという要約だけでは、本書の凄(すご)みは語り尽くせない。例えば第3章。『神曲』冒頭3行だけを論じる圧巻の章だ」と書いている。

 本書の真の魅力であり「凄み」は5章以下の後半にあると私は思うが、そこを短い書評で伝える事は出来ないので、山本先生は最後に書く、「著者は、ダンテの時代の注釈書を手がかりに、アレゴリーとして、自らの読み方を示していく。こうして私たちは、『神曲』の優れた翻訳者の、作業の舞台裏に招待されたわけである」と。「招待されて」いるんだから、皆さん、読みましょう、というわけだ。実に上手にまとめられた書評で、私には到底こうは書けない。短い書評のお手本みたいな文章だと思った。

 この書評を読んで、一段と『神曲』と原先生の『ダンテ論』への関心が高まった。これが良い書評の果たすべき役割だろう。

 なお、私自身の感想もこのブログで書きました