2020/03/02

研究と教育の関連

米国のボストン・カレッジという大学の中世英文学の教授、エリック・ウェイスコット (Eric Weiskott) さんの学術ブログを愛読している。先日、彼の最近のブログ・ポスト、'Tyrannical Curriculum'を読んだ。この文章で、ウェイスコット教授はカリキュラム上の要請と中世英文学の研究・教育の関係について書いている。内容をざっと紹介すると:

米国の大学で中世英文学を講じるときにはどうしてもまずは最も名前の知られているチョーサー『カンタベリー物語』や『ベーオウルフ』などをやらざるを得ない。その他の作品も、著名度や作品の長さ、授業時間の都合で限定される。そうしたことが、研究対象となる作品にも反映される。一方で、中世イングランドにおいて実際に広く読まれた作品、文学史や文化史上非常に重要な作品がほとんど授業で取り上げられないという問題が起きる。例えば『農夫ピアズ』の後3分の2、ウィクリフ派聖書、リチャード・ロールやガワーのラテン語作品、フロワッサール、等々である。学生と授業でチョーサーのような同じ作品を繰り返し読む事で、先生達は新しい発見をし、学生の意見に教えられ、自分達の研究論文に繋がることは多い。しかし、そのようにして研究が進展する一方で、授業の要請とは外れた多くの作品があまり顧みられないまま眠っている。

勿論通常の古典的作品から外れた作品をシラバスに載せることもあるが限られている。また、大学院生のTAや若い契約講師は与えられたカリキュラムをこなすだけで、作品を選ぶ自由はない。研究者の中には、研究で扱う作品は授業で扱う作品とは全く別という人もいるが、なかなか困難な選択だ。

さて、日本ではどうだろう?中世英文学の研究者の大多数は教養課程の英語を教えている。更にその内容は、TOEICや英検の準備だったり、英作文だったりし、教科書を自ら選べない人も多い。日常の授業に真面目に取り組む方は、英語教育に関する最近の学術情報を学び、学会で勉強し、授業法や教材の研究をする必要もある。結局、英語教育も専門分野の研究も、どちらも中途半端にならざるを得ない。教えている学生に真剣に接している人ほど、研究内容と授業はまったく乖離した状況で、国際レベルとは行かなくても、国内で注目されるような専門研究を続けるのも非常に困難と言えるだろう。日本でもアメリカでも、レベルはかなり違うとは言え、研究と教育を上手く結びつけることは難しい。

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