2013/07/22

『ドレッサー』 (シス・カンパニー公演、2013.7.21)

シス・カンパニー公演
観劇日: 2013.7.21   13:30-16:10
劇場: 世田谷パブリック・シアター

演出: 三谷幸喜
原作: ロナルド・ハーウッド
翻訳: 徐賀世子
美術: 松井るみ
衣装: 有村淳
照明: 服部基
音響: 加藤温
制作: 北村明子

出演:
橋爪功 (座長)
大泉洋 (ノーマン)
秋山菜津子(座長夫人、コーディリア役)
銀粉蝶 (マッジ、舞台監督)
浅野和之 (ジェフリー・ソーントン、フール役の俳優)
梶原善 (オクセンビー、左翼俳優)
平岩紙 (アイリーン)

☆☆☆☆★

こりゃ楽しい!とずっと思いながら見ることができた。芝居見物の楽しさを十分に味わい尽くした2時間40分だった。

お話はシンプルで、頭のボケかけた私でも筋なんか気にする必要なし。時は第2次大戦中、爆撃の音が始終聞こえるロンドンの劇場の舞台裏。主人公の一人、年寄りの、シェイクスピア劇団の「座長」(なぜか固有名詞がつけられていない)が『リア王』の舞台をつとめようとするが、舞台の始まる前の昼間から街角で正気を失なって病院に担ぎ込まれるわ、その後、楽屋に入っても台詞は出てこないわ、怖くなって、もうやっぱりだめだ、と言い出すわで、一座は大騒ぎ。その老役者を、長年付き人をつとめ献身的に世話してきたノーマンが、なだめたりすかしたりして、なんとか舞台に押し出す。妻でコーディリアを演じる「夫人」(彼女も名前を与えられてない)、20年来の舞台監督で密かに座長を慕ってもいるマッジも、ノーマンとともに座長を慰めたり叱ったりして全力投球。周囲のそうした必死の努力に支えられて座長はなんとか無事に舞台を最後までつとめる。それどころか、今夜は日頃にも増してよい演技ができたようで、大変な拍手喝采を受け、自分でも今夜の自分の演技に満足して、楽屋でもしばし興奮が治まらないほど。しかし、彼の体はその日の、そして長年の酷使に疲れきっていた・・・。

座長を演じた橋爪功と付け人ノーマンの大泉洋の掛け合いが、タイミングがばっちりあって見事。 ほとんどの役者がひどく芝居がかった大げさな演技。私はそういう演技が嫌いなのだが、この劇ばかりは、芝居がかっているところが面白さの源なので、これで二重マルである。橋本功は、特に何もしなくても面白いし、舞台化粧をした顔を見ているだけで絵になるところは、ほとんど歌舞伎役者のよう。大泉洋は、その橋爪にしっかり支えられ、まるでひらひら舞うチョウチョのように動き回りながら、自在に台詞を操っていた。この2人を含め、非常に台詞の多い劇なのに、誰一人台詞を言い損ねたりしないところがすごい。他の脇役も効果的だったが、特に浅野和之のうらぶれたフール役の役者が印象に残る。浅野さんは上手い。私のもっとも好きな日本人俳優のひとり。彼がノーマンをやってもきっと面白いに違いないので(ただし、客は呼べないだろうけど)、今回は割合小さい役で、もったいないくらいだ。

この劇は、座長率いるシェイクスピア劇団がまさに公演している『リア王』と、それを演じている座長以下の俳優やスタッフたちのドラマが、上手く表裏をなすように作られている。正気を失いかけたり、体が段々弱っていったり、専横であったりするリアは、まさに座長自身の姿でもある。そして、座長にさんざののしられたり、こき使われたりしつつ、彼を慕って献身的に使えるノーマンは、リアに付き従ったフール。但し、フールは『リア王』の途中で居なくなるが、こちらのフールは最後まで一緒。最後は彼はコーディリアのようでもあり、あるいは、リアとフールが入れ替わったようでもあった。一方、彼の献身という角度から見ると、ケントやエドガーのようでもあるね。背後でロンドン・ブリッツの爆撃音が響き渡り、『リア王』の嵐や終盤の戦場のとどろきとも重なる。

同じように名優にまつわる劇と言うと、以前に新国立劇場でやったサルトル作の『キーン』を思い出す。あの話は女性関係が大きな笑いの種になっていた。この劇では、座長と若い駆け出しの女優アイリーンとのやり取りが、短くはあるが、結構楽しい。老境を迎えた座長だが、きらきらした若い女性にひきつけられたように見える。彼女と2人きりになると、「部屋の鍵を締めろ」なんて命じて、若い娘の足を触ったり、彼女を抱きかかえたりというエッチじじいぶり。しかし、実は、自分の体力がなくなって『リア王』の終盤で妻演じるコーディリアを抱えるのがしんどくなってきているので、少しでも体重の軽いコーディリアを探しているだけ、とノーマンがアイリーンに種明かしして、笑える。

セットや衣装もとても良い。かなりお金もかかっている。古めかしいイギリスの劇場の楽屋の雰囲気がかなり良く出ている。真っ赤なカーテンが特にそうした古風な劇場の雰囲気にふさわしい。マッジの着ていたツイードのスーツとか、リア王の昔風の衣装や化粧とか、保守的で田舎臭い巡業劇団の雰囲気が上手く出た。

この劇の内容、私には相当に見につまされた。忍び寄る、いや怒涛のように襲ってくると言って良い「老い」、頭も気力も体力も刻々衰えている昨今の私は、「座長」を気楽に笑っている余裕など無い。一方で、座長に一身をささげてきたが、自分自身には何も残らず、フールのように巨星の周りをひらひらとして、やがて主人にも別れを言うことになるノーマンも、職業人として何の成果も上げられず、職場の変化にもついていけずに挫折した自分と重なって見えた。見ている間中楽しかったが、今はじっくり思い出すのが辛い内容だなあ。

とはいえ、芸達者に支えられた楽しい上演。演劇人と演劇好きの観客がカーテンの向こうとこちらでお互いに拍手して楽しんでいるような内向きの楽屋劇で、脚本自体は私が興味を持つタイプではない。出来が悪ければ腹立たしく思っただろうが、すぐれた役者とスタッフの技量が精巧な時計の動きのように噛み合った立派な公演でした。

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