2009/11/29

"Our Class" (National Theatre, 2009.11.28)


ポーランド人によるユダヤ人虐殺と戦後史
"Our Class"
National Theatre公演
観劇日: 2009.11.28 14:30-17:40
劇場: Cottesloe, National Theatre

☆☆☆☆ / 5

演出:Bijan Sheibani
脚本:Tadeusz Słobodzianek
翻訳:Ryan Craig
美術:Bunny Christie
照明:Jon Clark
音響:Ian Dickinson
音楽:Sophie Solomon
振付:Aline David

出演:
Sinead Matthews (Dora)
Lee Ingleby (Zygmunt)
Amanda Hale (Rachelka, later Marianna)
Justin Salinger (Abram)
Paul Hickey (Menachem)
Jason Watlkins (Heniek)
Rhys Rusbatch (Rysiek)
Edward Hogg (Jakub Katz)
Michael Gould (Władek)
Tamzin Griffin (Zocha)

ポーランドは第2次世界大戦以前、東欧でも恐らく最大級のユダヤ人・コミュニティーを持っていた。そこではイディシュというゲルマン語系言語が話され、優れた文化が育まれた。アメリカに移住し、後にノーベル賞を受賞したIssac Bashevis Singerはそこで生まれた作家である。そのポーランドのユダヤ人社会が、ナチス・ドイツによる大量虐殺により、壊滅的な打撃をこうむったのは日本人でも良く知っているとおりだが(アウシュビッツの収容所はポーランドにある)、そうした虐殺はあくまでドイツ人によるとされてきた。しかし、近年の調査で、ナチスによる虐殺だけでなく、ポーランド人自身による積極的な虐殺がなされたことがわかったようである。この劇は、1,600人くらいのユダヤ人が納屋に集められ、ポーランド人達により火をつけられて殺されたとされるJadwabneという小さな町を主な舞台にしており、虐殺へ至る経緯と、関係した人々のその後の個人史を辿る。

作者Tadeusz Słobodzianekは、Jadwabneの町の子供達、クラスメート、が成長して、第2次世界大戦前後の暗い時代に、どう行動したかを描く。幼なじみ同士であるが、ある者は虐殺され、他の者は虐殺者となる。また、昔のクラスメートにレイプされる女性、生きるために仕方なく好きでもないクラスメートと結婚し、ユダヤ教を捨て、カトリックに無理矢理改宗させられる女性もいる。ユダヤ人迫害を昔からの恨みや欲望に利用する男達。しかし、中には、幼なじみのユダヤ人を救おうとして危険を冒す者も出てくるが、その場合も単なる正義感やヒロイズムだけで割り切れない、複雑な感情が絡んでいる。救う者と救われた者の関係も、男女であれば曲折を極める。迫害したポーランド人も、生き残ったユダヤ人も、誰一人として幸せな戦後の生活を送ったとは言えない。

数多くの場所や長い年月を映す劇であるから、リアリズムにするには無理がある。踊りや歌、音楽を交えて、全体にブレヒト風と言えるかもしれない、寓話風な演出。ちょっとコンプリシテを思い出すような部分もあった。Cottesloeの小さな舞台には椅子以外にはセットや道具類は置かれず、四方を観客席が囲む。出演者は出番でない時も、ステージの端に座って、裁判で自分の番を待つ証人が他の証人を見つめるように、演じられる出来事を凝視している。言葉とジェスチャーだけで、ユダヤ人の虐殺や暴行シーンを表現するが、息を飲む緊張感があり、大変力強い劇である。作者は、登場人物を、迫害する者、された者という2つに単純化しない。勿論事件の責任はポーランド人にあるのだが、ナチスの侵攻、そして、それに代わってポーランドを支配したソビエトと共産主義政府といった独裁的権力の移り変わりの中で、多面的にこの事件の関係者を描いている。しかし、暴力の連鎖の中で、常に最も苦しむのは女性であるということが、強調されていたと思う。

残念なのは、個々のクラスメートが戦後をどのように生きたかを辿る部分が劇の約3分の1を占め、そこがあまりにも長く、説明的になっていること。それまでに高まっていた緊迫感が、劇が終わる頃にはしぼんでしまった感じがした。Jadwabneの虐殺の後遺症は、その後もずっと続いていることを示すためには必要な部分ではあるが、もっと簡潔にならなかったものかと思う。

個々の俳優の技量の高さを証明する、見事に歯車の噛み合ったアンサンブル劇。特に印象に残ったのは、ポーランド人に助けられ、カトリックに改宗させられ、名前まで変えられて苦しい戦後を送るRachelka / Marianna (Amannda Hale)、虐殺を先導し、ファシスト的メンタリティーのみなぎるZygmunt(Lee Ingleby)。そして、虐殺に立ち会い、時代に流されて生きつつも自己正当化を繰り返し、やがて念願のカトリックの教区牧師になってもっともらしい言葉を並べるHeniek(Jason Watkins)など。Lee InglebyはBBCの刑事ドラマ"George Gentley"で若く野心的な刑事役でも印象的だった俳優。

ユダヤ人虐殺を全てナチスの責任に帰し、また自分達をナチスやソビエト共産主義の被害者と考えて戦後を過ごしてきた多くの東欧国民は、ドイツ人のような加害者としての戦後の清算を十分に済ませていないようだ。冷戦が終わった後に自国民のユダヤ人迫害の加害者としての役割が明らかになると、それを否定し右傾化する傾向も見られ、現在、東欧諸国における国粋主義的政党の台頭にも繋がっている。今後、東欧へ開発途上国からの移民の流入もあるだろうから、こうした傾向は一層高まるかも知れない。Jadwabneの事件を起こした社会の病魔は、現代も完全に癒えずに続いているとすると、この劇は今のヨーロッパにとって非常に切実な作品である。

同じように、戦禍や原爆の恐ろしさを強調する一方で、個人としての国民の加害責任と反省を曖昧にしてきた日本人も、同じような病巣を抱えていると思う。特に、異なる文化との共生の経験に乏しい我々は、一旦マイノリティーとの摩擦が加熱すると、世代に関わらず、激しい外国人嫌悪に走らないとも限らない。私にとっても学ぶことの多い劇だった。

2009/11/27

詩人ジョン・キーツの恋と死  "Bright Star" (映画, 2009)

詩人キーツの恋と死
"Bright Star" (2009)

☆☆☆☆☆/5

Director: Jane Campion
Screenplay: Jane Campion
Costume: Janet Patterson
Music: Mark Bradshaw
Director of Photography: Greig Fraser

出演:
Ben Winshaw (John Keats)
Abbie Cornish (Frances 'Fanny' Brawne)
Paul Schneider (Charles Brown, Keats' close friend)
Kerry Fox (Mrs Brawne, Fanny's mother)

映画館で映画を見るのは本当に久しぶり。この前はいつ見たか思い出せない。この映画は今年の公開。カンヌでも上映された。新聞やテレビのニュース・ショーなどで紹介されていて、関心を持ち、見てみたいと思っていたが、ロンドンに用事があったので、その帰りに見た。

John Keats (1795-1821)の死の前の2年くらい、その間にあった彼と隣人のFrrances "Fanny" Brawneとの恋愛を大変落ち着いたタッチで描く。詩人Andrew Motionのキーツの伝記に触発されて、作られたとのことだ。特に大きな事件が起こるわけではない。従って、Keatsや彼の詩にまったく関心を持っていなくて、ただの恋愛ドラマを見に来た人はとても退屈に思うかも知れない。Keatsが住んでいたロンドン郊外のハムステッドの村の日常的な暮らしが坦々と描かれ、その生活の中で二人の愛が静かに成長してゆく。しかし愛が膨らむのと反比例するかのように、Keatsの結核は悪化。友人達の助力により、イタリアに転地療養するが、その地で客死する。結末は非常に悲しい。

Kestsは大変貧しかったので、母親からは結婚は難しい、と言われる。また、Keatsと同居している親友のCharles Brownは彼の保護者のような存在だが、KeatsとFannyの仲が深まっていくことに嫉妬を感じているようにも見える。そうした障害はあったが、しかしそうした世間的なことが大きな問題に発展する前に、詩人の命が尽きてしまった。

素晴らしく美しい画面。19世紀初めであるが、Jane Austinドラマで感じるような、コスチューム・ドラマの作りもの臭さがほとんど感じられず、今起こっていることのようにリアルに映った。Keatsが大変貧しいことも一因だろう。主演のBen WinshowとFannyを演じたAbbie Cornishが自然で、それ程美男美女として描かれてないのもとても良い。室内のシーンはフェルメールの絵画を見ているような感じの時もあり、外の景色はコンスタブルの作品のようでもある。移り変わる自然、花や昆虫と戯れる2人が美しい。そしてKeatsの健康をむしばんだ冬の冷たい雨や雪も、厳しい自然の美しさを見せてくれる。また、2人のまわりで遊んだり楽器を弾いたりしているFannyの妹と弟が可愛らしい。自然や家族が2人の心と共振して、静かな音楽を奏で続ける映画。Fannyはとてもお洒落な女性で、着ている服が大変素敵。また庶民の服なので、今でもそのまま着られそうな服ばかり。新聞のファッション記事でもこの映画が取り上げられていた。

随所にKeatsの詩が挿入されるが、残念ながら私のリスニング力では聞いただけでは味わえず、悔しい。DVDが出たら是非買って、繰り返し見たい作品。帰ってからKeatsの詩を読んで、記憶の中でも映画を味わっている。映画のサイトは:
http://www.brightstar-movie.com/

2009/11/24

BBC Drama, "Little Dorrit" (DVD)


BBC Drama, "Little Dorrit" (2008, DVD)

2008年に放送されたBBCのコスチューム・ドラマ(時代劇)、"Little Dorrit"のDVD版。原作はチャールズ・ディケンズ。全14回の長丁場。但、基本的に30分で、最初と最後の回だけ1時間なので、全部で8時間。出演は、

Matthew Macfadyen (Arthur Clennam)
Claire Foy (Amy Dorrit)
Tom Courtenay (William Dorrit, Amy's father)
Judy Parfitt (Mrs Clennam, Arthur's mother)
Andy Serkins (Rigaud, also called Blandois)
Eddie Marsan (Mr Pancks, a rent collector)
Emma Pierson (Fanny Dorrit, Amy's elder sister, a music hall singer / dancer)
Anton Lesser (Mr Merdle)
Amanda Redman (Mrs Merdle)
Alun Armstrong (Jeremiah Flintwinch, Mrs Clennam's servant)
Sue Johnson (Affery Flintwinch, Jeremiah's wife)
Ron Cook (Mr Chivery, a gatekeeper of Marshalsea Prison)
Russell Tovey (John Chivery, son of Mr Chivery, also a gatekeeper of Marshalsea)
Ruth Jones (Flora Finching, the former sweetheart of Arthur Clennam)
その他大勢出演

スタッフは、脚本:Andrew Davis、演出:Dearbhla Walsh, Adam Smith, Diarmuid Lawrence(長いので複数の人で演出するんですね)。

日本の大河ドラマほど長くはないが、BBCが大変力を入れ、多額の予算をかけて作ったに違いない大作。出演者も豪華だし、Marshalsea Prisonのセットなども、BBCの歴史ドラマはいつもそうだが、大変良くできている。

19世紀のイギリスでは、借金を返せない債務者の為の特別の監獄があった。それがMarshalsea Prison。ディケンズの父親もそこに入っており、彼は子供時代の一部をそこで過ごした。この作品の主人公、Amy Dorritは、このMarshalseaで生まれ、そこで育った、月並みな表現で言うなら、薄幸の少女。しかし、毎日年老いた父親をけなげに世話し、かつ、Mrs CLennamやMrs Merdleなどのお金持ちの家に出入りして裁縫をするなどして働いている(彼女自身は囚人ではないので、自由に監獄を出入りできる)。その彼女の前に、親切な若い紳士Arthur Clennamが現れる。彼はアジアで父親と共に長年ビジネスに携わってきたが、近頃帰国したばかり。父は向こうで亡くなったが、亡くなる前に、むかし彼がしたらしいひどいことの償いをしてほしいと、イギリスに残っていたMrs Clennamに伝えるよう息子に言い残した。この昔の汚点が、どうもDorrit家の貧困と何か関係がありそうだ、と気づいたAruthur Clennamは、自分が何か償いが出来るかも知れないと思ってDorrit家の人々に近づき、借金取りのPancksの助けを借りて彼らの貧困の原因を探り始めると、あれこれ思わぬ事が分かってくる・・・。Dorrit家の運命の変転に伴い、彼ら自身も周りの人々も大きな変貌を遂げる。

こういうドラマは「絵」を見ているだけで結構楽しい。加えて、私の最も好きな2枚目俳優、Matthew Macfadyenが出るとなれば尚更。彼はもう若くはなくなったが、スターにしては、実にすがすがしい雰囲気を持っていて貴重だ。Tom CourtneyやAnton Lesserなど大ベテランも出演している。特に、世をすね、ひがみにひがんで意固地になっているけれど、プライドだけはやけに高いWilliam Dorritを、Tom Courtneyが実に上手に、嫌らしく演じている。その他のキャラクターもディケンズらしく皆とても個性的で、楽しい。特に面白く見たのは、借金取りのMr Pancks (Eddie Marsan)。『不思議の国のアリス』から迷い出たみたいな、突拍子もない、騒々しいキャラクターだが、心の中には純粋なものを持っていて、愛すべき人物。Amy Dorritを甲斐なく慕い続け、最後には恋仇のArthurを助けまでするJohn Chivery (Russell Tovey)もかわいい好男子。Amyの属っぽくて気取ったお姉さんのFannyも楽しい人物 (Emma Pierson)。Arthur Clennamの昔の恋人だったが、今やとても不格好で騒々しい未亡人になっているFlora Finching (Ruth Jones) も、個性たっぷり。

主役のAmy Dorritを演じるClaire Foyは、他では見たことのない、新人と言ってもよい役者。映画やドラマの主役としては、かなり地味な雰囲気の人。イギリスの街角を歩いていれば、直ぐ出会いそうな、近所の女性、という感じ。例えばKeira Knightleyのような美人でもなく、華やかさもない。しかし、監獄に住む少女の役にはぴったりだ。

物語の大きな展開を導くのは、19世紀の金融の大混乱。金融に政府や国際機関による規制のなかった時代、国内外の資金の予測できない動きや、いかがわしい投資が、国の経済を揺るがし、人々の暮らしを脅かすことが度々あったのが、この作品でよく分かる。Clennamが彼の友人Daniel Doyceの発明を使って始めた会社が成功する。彼は有力者のお墨付きを信じて行った投資に大失敗して破綻するが、パートナーのDoyceがロシアで行った事業の大成功によって二人の会社は救われる。産業革命が進行する時代の、慌ただしい経済の動きを象徴している。

長いドラマだが、最後までじっくり楽しめた。30分の部分は、やはり1時間ずつ2回まとめて見た方が楽しい。


2009/11/23

Poliakoffの新作映画、"Glorious 39"の情報


前項でBill Nighyについて触れたので、彼の出る新しい映画についても書く。私が過去見たテレビドラマの中で最も印象に残っているもののひとつにStephen Poliakoffの"Perfect Strangers"がある。ある一族の人々が自分達の過去の記憶をたどるのを描きながら、個人の歴史と国や世界の大きな歴史の交錯を見せてくれる大変繊細でありながらスケールの大きな作品。Claire SkinnerとMatthew Macfadyenのまぶしいように美しいカップル、Michael Gambon, Toby Stephens, Lindsey Duncanなど豪華な出演者で、堪能させる。そのPoliakoffの久しぶりの映画作品、"Glorious 39"がこの週末ロンドンで封切られたそうで、BBCのAndrew Marr Showで、GalaiとPoliakoffがゲスト出演して、紹介していた。イギリス資本による純粋のイギリス映画。出演は、Bill Nighy, Romola Galai, Eddie Redmayne, Julie Christie。


時と場面は1939年のイギリスの貴族の館。第2次世界大戦の直前だ。イギリスの首相ネビル・チェンバレンのナチス・ドイツに対する宥和政策(Appeasement)を支持する貴族の話らしい。スリラーとして、お話も面白くできているようだし、セッティングは美しい貴族の館で、エンターティメント性は高い。しかし、内容は非常にシリアスな点もあるようだ。Poliakoffは父方がロシア系ユダヤ人の血筋であり、こういう題材には非常に鋭い感覚を持っていると思う。


PoliakoffはNighyを大変高く評価していて、この作品を書いている時から彼を主役に起用するつもりであったとのこと。Romora Galaiは最近立て続けに良い役を射止めており、舞台だけではなく、映画やテレビでも大活躍。Keira Knightlyの次の大スターになりつつあるというような事をAndrew Marrも言っていた。それ程美人でもないが、演技力が評価されているのだろう。私も"Emma"を見て感心した。彼女は父方の家系はハンガリー系ユダヤ人で、その点で、この作品の歴史的背景やPoliakoffを他の人より良く理解出来るかも知れない。


戦前のイギリスの上流階級は、共産主義に非常に恐怖を感じていた。その一方で、ナチスのような全体主義には寛容であった。またユダヤ人の迫害などは差して気にしてはいなかったことなどが背景にあるそうだ。更に当時のイギリスの諜報機関がかなり出てくるようだが、これは日本の特高とまではいかなくても、超法規的な諜報活動を展開し、個人の迫害、精神的、物理的暴力の使用なども辞せず、恐るべき組織だったようである。


以上、間接的情報ばかり。本編はもしかしたらイギリスで見るかも知れないが、見られなければそのうちDVDで見てみたい。


(追記)上記を書いた後、リビューを2,3、読んで見たが、あまり好評とは言えないようだ。美しい映像らしいが、今ひとつ盛り上がりに欠けるようだ。ただ、映画の批評というのは、批評する人に色々な視点があって、劇評以上に鵜呑みに出来ない気がする。Poliakoffの作風が大好きな私にとっては、やはり一見の価値がありそうだ。

2009/11/22

"The Power of Yes" (Lyttelton, National Theatre, 2009.11.21)


金融危機の発生を解剖する
"The Power of Yes"
National Theatre公演
観劇日:2009.11.21 14:15-16:00
劇場:Lyttelton, National Theatre

☆☆☆ / 5

演出:Angus Jackson
脚本:David Hare
美術:Bob Crowley
照明:Paule Constable
音響:John Leonard
音楽:Stephen Warbeck

出演:
Anthony Calf (The Author)
Jemina Rooper(Masa Serdarevic, a journalist)
Malcolm Sinclair (Myron Scholes, an academic economist)
Nicolas Tennant (Jon Cruddas, MP / Paul Mason, a television journalist)
Simon Williams (a lawyer)
Clair Price (a Financial Times journalist)
Jeff Rawle (Thom Huish, an advisor, Citizens Advice Bureau)
Bruce Myers (Geroge Solos, a hedge fund manager)
David Marsh (a banker)
Jonathan Coy (the 1st chair of the Financial Services Authority)
その他多数。総勢20数名がCast一覧にリストアップされている。


David Hareの"Virtical Hour"のブロードウェイ公演に出演したBill Nighy(ビル・ナイ)は、ガーディアン紙のインタビューでこう言っている、"Hare is 'one of those people like Bob Dylan, I never want him to die. I was thinking the other day, I hope he doesn't die or anything. Because there's gonna be this horrible David Hare-shaped hole in the world like there will be with Bob Dylan. I really dig him, profoundly.' " (ヘアは、私にとってボブ・ディランみたいな人で、絶対に死んで欲しくない。この前ふと考えていたんだけど、私は彼が永久に死んで欲しくないんだ。もし彼が死んだら、ボブ・ディランでもそうだけど、世界にデヴィッド・ヘアの形をした空洞がぽっかり空いてしまうと思う。本当に私は彼が好きでたまらんよ。)

David Hareはまだ現役でどんどん新作を出しているにもかかわらず、既にアカデミックな研究書も出始めた。何しろ、ケンブリッジ大学出版会から、"A Cambridge Companion to David Hare"なんて本も出ているから、シェイクスピアやマーローなみ? 

私はDavid Hareの作品を見るのはまだこれが3作目だと思う。話題を集めた"Stuff Happens"と近作の"Gethsemane"。社会の最も緊急性のある問題を正面から取り上げる果敢さには非常に感心する。日本の劇作家で、こういう事が出来る人がいるだろうか。テレビドラマではたまにNHKで経済問題を取り上げた秀作があるが(例えば『ハゲタカ』)。また、今回のような硬派の経済問題を扱った作品で、National TheatreのLytteltonの大きな客席をほぼ満員にするイギリスの演劇の観客層の厚さにも驚く。日本の場合、大劇場を満員にするためには、20代30代の女性観客に頼らざるをえず、内容も彼女たちに合わせ、役者も2枚目の男性俳優を主役に据えざるを得ないのが現状ではなかろうか。

さて、今回の作品の素材は、目下の金融危機の発生について。大変劇にはしにくい材料だ。Hareが選んだ方法は、ペンと手帳を持った、Anthony Calf演じる作家自身が、なぜ金融危機が起こったかを様々な関係者に取材して回る、という方法。つまり劇を書くプロセスそのものを、劇にしたわけである。経済学者、銀行家、ジャーナリスト、政治家、投資家、末端のトレーダー、その他様々の人々が作家と会い、彼らが見て考えた金融危機の原因と実体について話す。こうして、金融危機が多様な視点から解剖される。大変多くの証言を積み重ねて、事件の全体像を浮かび上がらせるという試みは、"Stuff Happens"でも見られた。今回もある程度は成功していると思う。しかし、金融システムがどうして破壊されたか、という「説明」である。どうしても教室での経済の講義のような、無味乾燥な部分があり、退屈した時もある。また、皮肉に満ちたユーモアがふんだんに散りばめられているようで、観客席では笑いも多かったが、これは私の弱点故だが、英語が十分に分からない私には辛かった。

それでも終盤はかなり盛り上がった。特にClaire Priceの演じたFinancial TimesのジャーナリストがRoyal Bank of Scotlandの前の経営者のFred Goodwinの貪欲さを厳しく指摘するところなどは、大変説得力があり、引き込まれた。実名で著名な銀行家を糾弾するという台詞そのものが迫力満点だが、Claire Priceのたたみかけるような台詞回しも息を飲んだ。並み居るベテラン俳優を圧倒する骨太い名演だった。透明な雰囲気を持つ、繊細な感じの美人だが、台詞に女性にはなかなか見られない力強さがある。昨年の"The White Devil"で感心したが、この作品で見て、実力ある俳優だと再認識。

劇評では、ドラマチックではないという批判が多いようだ。もっとドラマチックにするためには、例えば前述の『ハゲタカ』でのように、金融危機を何人かの人の人間ドラマにしてみせれば良いだろう。例えば、好景気に踊ったトレーダーの成功と破滅とか、金融危機によって一瞬にして家を失い多額の借金を抱えた中流の家庭とか、会社を潰された小企業の社長の自殺とか、そういうエピソードを繋げば感動的な作品になりそうだ。でも、よく考えてみると、Hareはそんな作品を目ざしていたのではなく、金融危機の全体像を大きく掴み、政治家や銀行家を告発したかったに違いない。その意図や良し、しかし、説明的になりすぎ、"Stuff Happens"の時ほどは成功していないと思った。

2009/11/18

BBC drama, "Garrow's Law – Tales from the Old Bailey"


法廷を舞台にしたコスチューム・ドラマ
BBC drama, "Garrow's Law – Tales from the Old Bailey"

今やっている連続ドラマの中で唯一私が毎回楽しみに見ているのが、この"Garrow's Law"です(日曜夜9時、BBC One)。おそらく18世紀末頃ののOld Bailey(ロンドンの中央刑事裁判所)を舞台にした歴史・法廷ドラマ。大岡越前イギリス版? でもずっと本格的な歴史ドラマです。William Garrow(1760-1840)という人は、そんなに有名な人ではないようですが、実在した法廷弁護士(Wikipedia英語版に記述あり)。イギリスの現在の弁護のやり方が出来ていく時代に、一定の貢献をした法律家の一人のようです。18世紀が始まった頃の刑事法廷では、基本的に訴追する側の検察官が罪状を申し立て、証人を喚問したり、証拠を提出したりし、それを聞いた陪審員が有罪無罪の判断をその場で即決、裁判官が直ぐに刑を言い渡す、ということでした。テレビで見るだけでははっきり分かりませんが、恐らくその時間は1時間、いや30分もかからなかったかも知れません。恐るべき即決裁判(summary justice)。弁護側はほとんど発言を許されず、証拠の提出や証人の反対尋問もしないのが当然とされていたようです。

そういう時代に、この(ドラマの中の)William Garrowは先例を破って法廷で厳しい弁論を繰り広げ、独自の証拠を提出したり、証人を喚問したり、また、反対尋問で検察側の証人を切り崩したりして、大活躍。一躍時の人になります。でも世渡りが下手で、気短か。色々な人とぶつかり決闘までするし、野心家で目立ちたがりという俗なところもり、更に道ならぬ人妻との恋をしたりと、教育番組的ドラマではなく、歴史絵巻としての楽しさもたっぷり。

私は法制史とか、昔の裁判や法律家は専門分野とちょっと重なるので、大変興味深く見ています。200年ほど前の英国の裁判が如何にいい加減で非人間的なものであったか、驚きです。また、当時の庶民の様子や、階級差のことなども垣間見えます。

主演のGarrowを演じるのはAndrew Buchan(私は知りませんが、なかなかのハンサム。舞台でも活躍してきたらしい)。彼を助ける事務弁護士(solicitor)は舞台やテレビでお馴染みのAlun Armstrong(最近ではBBCの"New Tricks"や"Little Dorrit")、検察官にAidan Mcardle(RSCの歴史劇などで見ました)。Garrowが惹かれる国会議員の妻Lady Sarah HillにLyndey Marchal(ちょくちょく見かける、ちょっと陰りのある役が似合う女優さんです)。

惜しいことに全4回のみ。あと1回だけ。でも第2シリーズもあるらしい。もちろんDVDも発売予定です。写真はBuchanとArmstrong。番組のウェッブ・サイトは:
http://www.bbc.co.uk/programmes/b00nvt7z

(追記、2009/11/24)
先日全4回が終わった。それ程シリアスではなく、日本の時代劇みたいな感じで進行した。毎回かなり楽しめた。William Garrow役のAndrew Buchanの軽快な台詞、特に法廷での丁々発止のやりとりが特に楽しい。各回ひとつの事件が取り上げられ、同時進行のサブ・プロットとしては、GarrowとLady Sarahの恋愛感情の発展がある。更に、裁判への取り組みをめぐり、Garrowの先生役の事務弁護士(solicitor)であるJohn Suthhouse(俳優はArmstrong)との考えの違いも毎回表面化する。第3回はLady Sarahとの関係に力点が置かれすぎて、やや焦点が定まらない感じであったが、最終回は言論の自由を訴える被告が登場し、国家のあり方に関係する大きな裁判を扱っていて、シリーズのクライマックスに相応しかった。是非第2シリーズが実現することを期待したい。

2009/11/13

"Life Is a Dream" (Donmar Warehouse, 2009.11.12)


古典の醍醐味を満喫!
"Life is a Dream"
Donmar Warehouse公演
観劇日: 2009.11.12  14:30-17:00
劇場: Donmar Warehouse

☆☆☆☆☆ / 5

演出:Jonathan Munby
原作:Pedro Calderón de la Barca
翻訳:Helen Edmundson
美術&衣装:Angela Davis
照明:Neil Austin
音響:Dominic Haslam
音楽:Dominic Haslam and Ansuman Biswas

出演:
Dominic West (Segismundo, a prince of Poland)
Rosaura (Kate Fleetwood, Clotaldo's daughter)
David Horovitch (Clotaldo, a courtier and gaoler of Segismundo)
Lloyd Hutchinson (Clarion, Rosaura's servant)
Malcolm Storry (Basilio, the king of Poland)
Rupert Evans (Astolfo, a courtier)
Sharon Small (Estrella)

Calderónの"Life Is a Dream"は、イギリス演劇における"Hamlet"に比肩されるような、スペイン・ルネッサンス演劇の傑作のひとつだそうである。休憩も入れて2時間半の上演時間では"Hamlet"の重厚さには及ばない気がするが、長年スペイン国民に愛され、又多くの人に研究されてきただけのことはある名作だと思った。これを一流の俳優とスタッフによる今回の公演で見ることが出来、大変幸運だった。

舞台はポーランド。王Basilioは息子Segismundoがやがて王位を簒奪するという予言を受けて、息子が生まれると直ぐに死んだことにして、塔に幽閉し、忠実な廷臣Clotaldoに監視させていた。Segismundoはこの非人間的な環境で育ち、鎖に繋がれた野獣のような男に成長している。しかし、Basilioは息子が真っ当なプリンスとして振る舞えるかも知れないという一抹の希望を持っていた。Clotaldoに命じて息子に強い薬を飲ませて眠らせ、王宮に運んでSegismundo自身にも伏せていたプリンスとしての素性を明らかにする。突然自分の持つ権力を知り、有頂天になったSegismundoは、彼をたしなめた家来を殺しかけ、また、Clotaldoの美しい娘Rosauraを強姦しようとする。息子の正体が野獣のようであると知ったBasilioは、再び彼に強い薬を飲ませて眠らせ、牢獄に連れ戻して監禁する。目が覚めたSegismundoは、王宮での一日が一体何であったのか自問すると、Clotaldoは全てはSegismundoが夢で見たことだと説明し、Segismundoもそれを信じる。しかし、彼は夢の中ではあっても自分のしたことの非道さを顧みて、もしまた同様の夢を見ることがあれば、同じ過ちは犯さないと心に誓う。

民衆は王Basilioに叛旗ををひるがえし、Segismundoを塔から解放して、反乱軍の頭領になって欲しいと説得する。Segismundoは、今回もまた夢に過ぎないと疑って、なかなかその気にならない。しかし最後には折れて、彼らと共に王宮に攻め入り王を追い詰める。しかし、前回の「夢」を見た時は違い、今回の夢の中では、彼は成長したプリンスとしての高貴さと寛容さを示した・・・。

以上のメイン・プロットと共に、Rosauraが、かって彼女を捨てた貴族Astolfo(王の廷臣)に仇討ちをするというサブ・プロットが重ねられて進行する。

第2幕の最後にあるSegismundoの独白が、この劇の魅力を存分に語ってくれるので、それを引用したい:

I dream I am a powerful prince:
I dream I cower within these walls.
And both are true, both are lies.
What is this life? A trick? A story?
An episode of passion?
A shadow, a delirium?
A vast imperfect fantasy,
Where even the greatest good of all,
Is nothing but futility?
Why do we live? What does it mean?
When dreams are life, and life's a dream.

(以下は私の拙訳)
私が偉大なプリンスだという夢を見る。
この壁に閉じ込められた夢も見る。
どちらも真実、どちらも偽り。
この人生は一体何? からくり芝居か、物語か。
一時の熱情。
まぼろしか、うわごとか。
至高の善さえも無に帰してしまうような
遠大で不完全な幻想か。
夢が人生で、人生が夢であるならば、
我々は一体なぜ生きているのか。人生に何の意味があるのか。

西洋文学の様々な主要モチーフがこだまする劇である。『オイディプス王』でも見られる予言と父殺し、「王の鏡」(Mirror of Princes)としての文学、虐げられた野蛮な貴族/貴族的な野蛮人(noble savage)、塔に幽閉された貴人、運命論と個人の自由意思の相克、そして勿論、夢と現実の交錯と物語(dream vision)、等々。

シェイクスピアとの親近性を大変感じた。Segismundoはキャリバンと似ているし、また、劇全体の夢の構造が、魔法で作られた世界である"Tempest"と共通する。SegismundoとBasilioの関係はHamletとClaudiusを想起させる。"Hamlet"でもうかがえる運命と自由意思の問題は、宗教改革の大きな争点でもある。

更にSegismundoの台詞にはシェイクスピア作品で盛んに使われる「世界=劇場」のイメージも存在する:
Let this peerless, valiant man,
enter the theatre of the world,
step out upon its mighty stage
that I might wreak my vengeance.
Let them see Prince Segismundo . . .
(He awakens.) But where am I?

この比類無き、勇敢な男に
世界という劇場に入場させよ、
その力強い舞台に進み出させよ、
そうして私は仕返しをしてやるのだ。
プリンス・セギスムンドを見せてやる・・・
(彼は目覚める) しかし私はどこに居るのか。

ほとんど道具類を使わない裸のステージだが、明暗をはっきりさせた、ベラスケスの絵のような照明が大変効果的。俳優も皆申し分ない。特にSegismundoのDominic Westはnoble savageを荒々しく魅力的に演じていた。演出のJonathan Mumbyは昨年見た"The White Devil" (Menier Chocolate Factory) の演出家。古典をオーソドックスに演出する腕に特に秀でているようだ。

世界が劇場であり、また人生が夢ならば、劇場という夢もまた人生。良い夢の名残を思い返しつつ、11月の冷たい霧雨の降るウエスト・エンドの街を歩いて駅へ向かった。

2009/11/08

"Pains of Youth" (National Theatre, 2009.11.07)


古いヨーロッパのデカダントな青春群像
"Pains of Youth"
National Theatre公演
観劇日: 2009.11.07 14:30-17:00
劇場: Cottesloe, National Theatre

☆☆/ 5

演出:Katie Mitchell
脚本:Ferdinand Bruckner
翻訳:Martin Crimp
美術:Vicki Mortimer
衣装:John Bright
照明:Jon Clark
音響:Gareth Fry
音楽:Paul Clark


出演:
Leo Bill (Petrell)
Sian Clifford (Lucy)
Laura Elphinstone (Marie)
Cara Horgan (Irene)
Jonah Russell (Alt)
Feoffrey Streatfeild (Freder)
Lydia Wilson (Desiree)


見始めて15分もたたないうちに嫌になり、この劇は私には駄目だ、と思ってしまった。若い俳優達の英語が早口でちんぷんかんぷん、キャラクターの特徴もつかめず、誰が誰かもよく分からない。最後まで見たが、一体この劇は何が言いたいのか、何を観客に感じて欲しいのか、さっぱり分からずじまい。英語が理解出来ない以上に、内容にも興味が持てず、フラストレーションの溜まった観劇となった。

場所は1923年のウィーン。同じ家に出入りする数人のブルジョワの若者達やメイドの間で繰り広げられるデカダントな恋愛(?)や欲望の絡み合いを描く。誰が誰とどうなっているのかは、よく分からないまま終わってしまった。バイセクシュアリティーや自殺願望も混じる。退廃した雰囲気としては、コクトーの『恐るべき子供達』のそれをちょっと思わせる。

演出や音楽、衣装、セット、照明などは大変スタイリッシュに統一されていて、素晴らしい。特に現代音楽と思われる背景の音楽、素早い場面転換とその間に使われる冷たい照明などのアクセントが印象に残った。若い役者達も演技が大変達者だと感じた。

20世紀初めの古いヨーロッパにおける、デカダントな若者の恋愛模様をスタイリッシュに描いた作品、ということだろうか。若者群像を描くことで、ある時代の雰囲気を鮮やかに浮かび上がらせる作品というのは、文学や映画などでよくある。日本で言えば、石原慎太郎などの太陽族の小説とか、『8月の濡れた砂』など、思い浮かぶ。しかし、それらの多くは直ぐに輝きを失ってしまう。時代や国を超えてアピールをするには、普遍的なもの、歴史の証人としての力などが必要だと思う。この作品をリバイバルする必然性はあったのだろうか。Mitchellと彼女のスタッフの腕は冴えていたが、作品そのものが、両大戦間のウィーンというファッショナブルなオブラートに包まれ、スタイリッシュな演出で飾られていても、風俗的興味以上の力を持っていないように思えた。自分の年齢のせいもあり、そもそも青春ドラマに関心が持てないということも大きいかも知れない。ちなみに、批評は、Independent紙の絶賛(5つ星)を始めとして、概してかなり好評だ。私が見る目が無いと言うこと?

2009/11/06

トマス・モアと彼の娘の伝記:John Guy, 'A Daughter's Love' (2009)


トマス・モアと娘の深い絆
John Guy, 'A Daughter's Love'
(2008; Harper Perennial, 2009)

☆☆☆☆/5

オックスフォード大学の歴史学の教師であり、チューダー朝の歴史のスタンダードな概説書'Tudor England' (Oxford UP, 1990)の著者でもあるJohn GuyによるSir Thomas Moreとその娘Margaret Roperの父娘の伝記。トマス・モア(Thomas More)はイギリス・ルネサンスを代表する知識人で『ユートピア』などの著作で広く知られるが、また、書斎の外では弁護士として働き、実力者トマス・ウルジー(Thomas Wolsy)に仕え、更にWolsy失脚後、大抜擢されてヘンリー8世により大法官(The Lord Chancellor)に任命された。しかし国王ヘンリーの離婚や宗教改革に同意せず、ロンドン塔に監禁され、断頭台に送られたことは、名作映画『我が命つきるとも』('A Man for All Seasons')で多くの日本人にもお馴染みだ。

彼はデジデリウス・エラスムスの親友であり、エラスムスと共にルネサンスの代表的人文学者の1人であった。彼の周辺に集まった知識人はモア・サークルと呼ばれ、劇作家で印刷業者のジョン・ラステルなど含まれる。彼の子供達は非常に文化的な家庭に育ち、また彼は学者を家庭教師に雇って、男女の区別をせず自分の子供に高度の古典語教育を施した。中でも長女のマーガレットは父親も驚く秀才に育ち、10代のうちに既にギリシャ・ラテン語を修め、古典を自由に読みこなし、エラスムスのラテン語の著作を翻訳し、後に出版できるほどになった。

トマスはしばしば意に反して政治の世界で取り立てられ、多忙な生活を送り、ロンドン郊外の自宅にも滅多に帰れない日が多かったようだ。マーガレットは度々彼に手紙を送って留守宅の様子を知らせる。更に彼がヘンリーの逆鱗に触れて投獄された後は、ジョン・ラステルなど友人、家族や親類が保身のために彼から離れて行く中、彼女だけが頻繁に面会に行き、彼を最後まで精神的に支える。妻のアリスは現実的な人で、彼が王の離婚や教会改革に反対し続けるのが全く理解出来ず、彼の投獄中面会に行ったのは一度きりであった。代わって、マーガレットが、トマスの知的、精神的理解者として、自らも身の危険を冒して、最後まで彼を励まし続けた。又、彼の死後、さらし者にされていた彼の遺骸(頭蓋骨)を引き取り、埋葬したのも彼女である。

著者のGuyは、あまり想像には頼らず、トマスの著作、彼やマーガレット、エラスムスなど、周辺の人々の手紙などに直接語らせる方法で、大変堅実に人間ドラマを盛り上げる。膨大な第一次資料を駆使しつつも、学術書のドライな叙述に陥らず、トマス・モアやマーガレットの人間像を温かい目で描いている。特に終盤のモアの投獄から死刑に至る過程は大変緊迫感があり、感動的である。

マーガレットは、散逸しないように父親の著作を収拾し編集して、ジョン・ラステルの息子ウィリアム・ラステルと共に、出版の準備をした。しかし、著作集の出版に漕ぎつける前に39歳の若さで病に倒れて亡くなった。今トマス・モアの多くの作品、そしてとりわけ手紙が読めるのは、マーガレットの力によるところが大きいとのことである。

ちなみに、Peter Ackroydのモア伝、'The Life of Thomas More' (Vintage, 1999)も大変良い本で、勧めたい。チューダー朝には本当に色々と興味深い人物が多くて、伝記を読むと面白い。

2009/11/01

"Mrs Kleine" (Almeida Theatre, 2009.10.31)


激烈な母娘の葛藤を描く
"Mrs Kleine"
Almeida Theatre Company公演

観劇日: 2009.10.31 15:00-17:30
劇場: Almeida Theatre

☆☆☆ / 5

演出:Thea Sharrock
脚本:Nicholas Wright
美術:Tim Hatley
衣装:Jackie Galloway
照明:Neil Austin
音響:Ian Dickinson

出演:
Clare Higgins (Melanie Kleine, a famous psychoanalyst)
Nichola Walker (Paula, a Jewish refugee)
Zoë Waites (Melitta, the daughter of Melanie Kleine)

Melanie Kleineはウィーンで生まれ、ブダペスト、そしてベルリンで精神分析を学び、やがて精神分析学者となる。1926年にはイギリスに移住し、その後も著名な精神分析学者として活躍し続ける。パンフレットの解説によると、、一般にはフロイトほどは知られていないが、同僚の心理学者に与えた影響は甚大だそうである。劇の舞台は1937年のロンドンの彼女の自宅居間。大陸ではファシズムが台頭し、ユダヤ人が迫害され始めていた頃。劇の始まりでは、メラニーは、ロンドンの自宅にユダヤ人精神分析医で、大陸から逃れてきたが生活に困っている女性パウラを迎え、秘書として雇う相談をしているところだ。

早速仕事に取りかかり、タイプライターを打っているパウラを残し、メラニーは最近ハンガリーで無くなった息子ハンスの葬儀に出席するためブダペストに旅立つ。仕事中のパウラのいる部屋にやってきたのが娘のMelitta。彼女も又精神分析医である。母親メラニーは何でもコントロールしないと気が済まない性格である。更に、母は同業の権威者でもあるので、母娘の関係は相当に屈折していることは直ぐに伝わる。やがて夜になり、メラニーが思いがけず帰って来て、親子はパウラを挟んで、母と娘であると共に、精神分析医同士として、激しい議論を繰り広げる。とりわけこの2人の間には、ハンスの死の謎がわだかまっている。彼の突然の死は、自殺ではなかったのか。メラニーの母親としての責任や愛情をめぐり、メリッタはメラニーにわだかまっていた感情をぶつける。

なかなか面白い素材だ。成功した、子供にとっては偉すぎる親にたいし、ずっと不満を抱き続けてきた子供が大人になってそれをぶつける話は、我々の身の回りにも、文学や映画演劇などにもよくありそうだ。イングマール・ベルイマン監督、イングリッド・バーグマン、リブ・ウルマン主演の『秋のソナタ』も母娘の葛藤の話だった。この作品では、心理学者の親子というひねりがはいる。親子はお互いを分析しあうが、それによって相手をコントロールしようとしているようだ。更に、それを見ている秘書のパウラが、いつしか、反抗するメリッタの代わりに、メラニーの従順な娘のような存在になっていき、一層複雑になる。冷静な科学者同士の分析的口調、母として娘としての感情的な爆発が入り交じる、正に丁々発止の会話劇。

リアリズム劇であるので、ロンドンの豊かな家の居間を再現してあるだけだが、全体を強く赤味を帯びた壁、家具、カーテンなどで統一して、家族の精神的な闘いの激しさを象徴している。それぞれの役柄に合わせた洋服、一夜明けた後の朝の光線の強さ、窓の外にぼんやり見える庭の緑など、実に細かいところまで配慮の行き届いたセット、衣装、照明であった。

3人の役者は名演。Clare Higginsは、私は多分ステージでははじめて見るが、大女優として有名な人らしい。パウラを演じたNichola Walkerは、昨年"Gethsemane" (National Theatre)でも見た人。イギリス人には珍しい(?)、地味で内気な女性の役がとても似合う人。私の好きなタイプの緊迫した台詞劇であり、もっと面白く感じても良いと思いつつ、私はあまりのめり込めなかった。中年男性の私には、母と娘のこのような争いは感情移入できにくい。また、このような激烈な言葉の戦争は、日本人の私には、どうしても現実感を持って受け取れないということもありそうだ。我々はこういう激しい議論を延々とするということは、なかなか無いと思うので(?)、つい距離を置いて、「眺める」姿勢になってしまう。とは言え、役者達の名演を充分楽しんだ。