『テンペスト』
新国立劇場公演
観劇日: 2014.5.31 13:00-15:30(休憩含む)
劇場: 新国立劇場
演出: 白井晃
原作: ウィリアム・シェイクスピア
翻訳: 松岡和子
美術: 小竹信節
衣装: 勝柴次朗
照明: 井上正弘
音楽: mama!milk
☆☆☆ / 5
色々工夫があるプロダクションだったが、面白くない。新国立劇場はかなり予算もあり、広い人材を集められるから、こちらも期待するのだが、その期待には応えてくれなかった。
ヴィジュアル面で、小道具・大道具は贅沢。工夫は多い。エアリアルは車椅子で入場。障害に加え、足を固定されている感じで、謂わば足かせをはめられて、飛べないエアリアル。プロスペローの奴隷ということだろう。一度エアリエルは、つり上げられて「宙乗り」をするが、歌舞伎、あるいは、「エンジェルズ・イン・アメリカ」を思い出す。キャリバンの方は普通だった。嵐のシーンから舞台を無数の段ボール箱で一杯にし、それを動かしつつ嵐を表現。最初は新鮮だったが、それをそのままずっと舞台に置いて利用。その段ボールの中からは本が取り出され、舞台の脇にも本が積み上げられている。これが「プロスペローの本」というわけだ。最後にはその段ボールと本が片付けられる。大手書店かアマゾンの倉庫みたいな感じ。ヘルメットをかぶった男やエプロンをつけた女がそれらの箱を整理している。薄暗く、舞台裏、という印象。メルヘンチックなのどかな感じが醸し出されるが、それでかえって眠くなる。発想は面白いが、何だか地味過ぎ。箱の数は多すぎるし、色も、例えばピンクやグリーンや群青の箱がステージを一杯にしたら、なんて考えた。
後半、ミランダ達の結婚が近づくと、舞台は一気に明るくなってミラーボールの光が舞うダンスホールに早変わりする。「真夏の夜の夢」みたいだと思った。「テンペスト」って「真夏の夜の夢」に結構似ているな、と再確認。ここでやっと目が覚める思い。それまでずっと眠い。
上演時間が休憩を除くと正味2時間ちょっとくらいだろうか。シェイクスピア作品としてはあまりに短くないだろうか?部分的なシーンのカットではなく、台詞が全体的にかなりカットされていると思う。それで、台詞に含まれるあの素晴らしいシェイクスピアのイメージの世界がちっとも伝わらない。何だかとても言いやすいよう枝葉を取り除かれてしまっているようだ。これがつまらない事の最大の原因と思う。
演技陣、素人の私から見ても上手くない。多くの人が台詞の強弱や緩急に乏しく、やっと台詞を言っている感じを受ける。特に碓井将大のエアリエル、台詞を棒読みしている印象。古谷一行のプロスペローも単調だ。長谷川初範(アントーニオ)や羽場裕一(セバスチャン)などのベテランが脇役で出ていて、あまり目立たないが、活用されていない。若い恋人2人(高野志穂、伊礼彼方)は地味で魅力が乏しい。下手でももっとカリスマのある人を、と思った。キャリバン(河内大和)、トリンキュロー(野間口徹)、ステファノ(桜井章喜)の3バカトリオもまったく笑えない。段ボール箱の山の隙間からかくれんぼみたいに出たり入ったりするんだが、劇の筋を知らない人から見ると、なにやってるの?という感じじゃなかろうか。
俳優は皆、一生懸命やっているし、演出やデザイナーも色々工夫しているのだが、空回りという印象は否めない。やはり、台詞をカットしすぎたのだろう。またカットしないと上手く言えないのかもしれない。シェイクスピアの台詞は四方八方に植物が生い茂り絡まり合ったEnglish gardenが見せるような美しさで、日本語でも経験が非常に大事だと思う。歌舞伎ほどとは言わないが、400年以上前の作品だからたとえ翻訳でやるにしろ、俳優にも一定の訓練と作品への理解が必要だ。演出家自身も、どういう台詞回しをして欲しいか、しっかりしたヴィジョンが必要で、またプロダクション公演でも、それを実際に言えるような俳優を日頃から自分のチームとして集め、自分の考えを浸透させておく必要がある。そう考えると、日本のプロダクション公演で、レベルの高いシェイクスピアを期待するのは本当に難しいと改めて感じた。俳優も演出家も、少なくとも毎年シェイクスピアをやると良いと思うけど・・・。蜷川の場合、脇役にシェイクスピアを繰り返しやってきた俳優を揃えて、若い主役の足りないところを上手く補っているし、また、経験の乏しい俳優もベテランの演技から学びつつ稽古が出来ているだろうと推測するが、今回は上手く行ってないように思う。
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