2016/02/06

裁判費用は誰が持つべきか: ディヴィド・ラスバンドさんの死とその裁判

以下、ガーディアン、テレグラフ、BBCなどで読んだ記事の紹介:

2010年に北イングランドのニューカッスル郊外のイースト・デントンで、警察官ディヴィド・ラスバンドさん(David Rathband)は、警察官を狙っている危険な犯罪者ラウール・モート(Raoul Moat}の潜む現場と知らず、銃も所持せずに出動していて、モートに銃で撃たれた。ラスバンドは大怪我を負い、失明した。それ以降、ラスバンドは色々なチャリティ活動などもして立ち直ったかに見えたが、内心は複雑で家庭生活は崩壊していったようで、妻とは別居した。そして、2012年についに自殺。彼の親族は、警察の上司が、そのような危険な現場であることをラスバンドに知らせなかったことで、彼は無警戒でパトカーに座っており、モートから銃撃されるという結果に至ったとして、警察上司の過失(negligence)があったと考え、裁判に訴えた。

昨日2月5日、ニューカッスルの高等法院(The High Court of Justice)は判決を下し、警察には過失がなかったとした。その結果、訴えを起こしたラスバンドの親族は、21日以内に、弁護士料金などの訴訟費用として少なくとも10万ポンド(約1700万円)を警察に賠償することを命じられた。仮払い(interim payment)とあるので、もしかしたら、最終的にはもっと高額になるのかもしれない。

ガーディアンの記事はこれ

ラスバンド巡査の自殺の遠因となった最初の銃撃に関しては、私は詳しいことは分からないが、家族が警察上層部の管理者としての責任を追及するのは無理もないことと思える。しかし、家族が敗訴したからと言って、相手側の1700万円もの訴訟費用をその家族が支払うなんて、夫や兄弟を失った人達にとっては、あまりに酷で、無茶苦茶。それこそ、破産、そして鬱病や自殺さえ引き起こしかねない。まるで中世の裁判だ。実際、これは、中世以来、つまり中世のイギリス王室によって王座裁判所(King's Bench)とか、民事裁判所(The Court of Common Pleas)が成立し機能し始めた13世紀以来続く制度で、訴訟費用の支払いは、負けた側がするという原則に基づいている。一方、日本では、原告も被告も、それぞれが自分達の訴訟費用を払う。アメリカも同じらしい。

イギリスの制度だと、不当な目に遭っている側が勝訴した場合に限れば、訴訟費用も払って貰えるので大変良いが、今回のラスバンドさんの事件のような場合は、傷に塩を塗るようなことになる。お金の無い人は訴訟を諦めさせる仕組みに見えるが、現実には、訴訟費用の多くが、裁判の公的補助(Legal Aidと呼ばれる)、保険金、所属団体の援助(労組など)によって払われているという報告もあり、個人負担が少ない場合が多いようだ。でも今のキャメロン政権は、Legal Aidの予算の大幅削減を予定しており、一般市民の法へのアクセスが大変狭められる、とマスコミでも論議になっている。一方、日本の制度でも、勝っても負けても訴訟費用はかかるので、それはそれで、お金のない一般市民やNGOにとっては訴訟が起こしづらいという問題点は残る。上記のような制度だから、イギリスにおいては、訴訟コストの及ぼす影響が大きな問題になっており、詳細な検討が行われてきたようだ。むしろ日本において、訴訟コストの問題が真剣に討議されていないのが気になる。古いけれど(2003年)、イギリスの訴訟費用支払い制度がはらむ問題に関する日弁連の調査報告書がウェッブで見られる。

私の専門上、大昔の話になるが、中世や近代初期以来、イギリス王室の裁判は、基本的に訴訟に関わった人たちが費用を負担する。当時は、弁護料はもちろん、裁判官や書記の費用までも訴訟を起こした人達から徴収した料金でまかなった。つまり、国家による公的サービスでもあるが、国や地方の領主による営利事業としての一面もある。王室裁判所も色々あるだけでなく、教会や州、荘園も裁判所を持っているので、色々な裁判所が連立し、民事訴訟などを、まるでお客を奪い合う企業のように取り合う面もあった。15世紀の『パストン家書簡集』などを見ていると、同じ訴訟を同時に複数の裁判所で起こすということもしばしば起こった。そういうシステムだから、とにかく資金力を持った人が強い。まあ、これは時代や国を問わず、いつどこでも言えることではあるが。

一方で、今も昔も、小さな犯罪を扱う裁判の多くは、地元の有力者などといった非法律家が、治安判事(magistrate)として審理し、判決を出している(magistrate's courts)。少額の民事訴訟は各地方の州裁判所(county courts)で裁かれ、費用はあまりかからない。また、一般市民も、陪審員としてボランティアで参加している。近代初期くらいまでは、地方の裁判の多くは、謂わば地域の住民集会としても機能してきて、税の徴収とか道路の修理のような行政的な問題も話し合われた。地域の人々が集まって、色々な反社会的行為や、住民間のもめ事を、互いに意見を出し合い、解決する仕組みとも言える。だから、費用も、裁判にかけてもらう側で負担するという発想が出てきた面もある。

裁判というのは、長い歴史をかけて徐々に作られた制度。常識的に見ても色々な問題があり、先進国の間でさえ、国によって大きく違うものだな、とつくづく思う。それにしても、ラスバンドさんの遺族は巨額の訴訟費用を払わされることになるのだろうか。

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