2010/01/06

Blackfriars, Canterbury








旧ブログでも写真を載せていたカンタベリーのBlackfriars僧院。12月に写真を撮ったので、再度掲載する。これはDominican Priory(ドミニコ修道会の小修道院)。ドメニコ会修道士が黒い服を着ていたため、この名で広く呼ばれている。大小8つ前後の建物があったようだが、今は2つしか残っていない。ドミニコ会士は1221年にはカンタベリーにやって来て、大司教Stephen Langton(在位1213-28)の前で説教をしている。1236年には彼らの小修道院を建設している。下の写真の建物は1260年建設のrefectory(食堂)とのこと。中世末期、30人くらいの修道士が滞在していたようだが、その多くは、旅の途中にここに泊まった人であっただろう。現在この建物は地元の名門私立学校、King's SchoolのArts Centreとして使い続けられている。壁はフリント石(火打ち石にも使われる非常に硬い石)を積んで出来ている。屋根は当時の王、ヘンリー3世によって寄進された。場所はスタウアー川(The River Stour)を挟むように湿地帯に建っており、中世においては、あまり良い場所とは言えなかったことだろう。もうひとつの建物は、訪問者を泊めるguest hallだったようだ。この2つの建物は元のPriory(小修道院)のごく一部。四角い中庭を囲む4つの回廊状の建物(cloister)が立っていたとされている。丁度、オックスフォードやケンブリッジの学寮(college)みたいになっていた。

参考資料:
Marjorie Lyle, "Canterbury: 2000 Years of HIstory", revised ed. (Stroud, Gloucestershire: Tempus, 2002) この本はカンタベリーの歴史を適当な長さにまとめてあり、大変便利。この街に関心のある方にはお勧めします。

ちなみに、Blackfriarsというと、演劇好きには、ルネサンス期ロンドンにおける代表的な室内劇場でもある。この劇場は宗教改革以前、Saint Paulの南西方向、テムズ川に近く、ドメニコ会の小修道院があった。その建物の一部を利用して作られた劇場なのでこの名前になった。2期に分けられ、1期は1576-84年頃まで。2期は1597-1642年の清教徒革命勃発まで。但し、1期と2期は同じ建物ではない。第1期にはいくつかの子供劇団 (Children's Companies) が使用。第2期には、Shakespeareの所属した劇団、King's Menが使用した。

なお、単にドメニコ会修道士を指す場合には、ふたつの単語で、Black Friarsと書くようだ。


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