2010/01/08

Greyfriars, Canterbury








Blackfriarsのあとは、カンタベリーのもう一つの修道院遺跡、Greyfriars (フランシスコ修道会の小修道院)。これも川縁にあり、この建物はご覧の通り、川をまたいで建っている。フランシスコ会士が最初にカンタベリーに現れた記録は1224年、その後1267年には、彼らの修道院が建立されたようだ。現在残っているのはひとつの小さな建物だけだが、Blackfriars同様、かなり大きな、回廊(cloister)を持った修道院だったようである。現存する建物がどういう用途で使われていたかはよく分からない。 ウェッブ資料では、chapelとするものや、dormitory(寝所)とするものがあった。しかし、暖房もほとんどない時代、薄着の修道士達が長い冬の夜をどうしのいだか・・・。さぞ大変だったことだろう。亡くなる人も多かったに違いない。庶民も同じではあるが。写真は2009年12月に撮った。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。H2といいます。先日は拙ブログに訪問いただき、ありがとうございます。

    こちらでカンタベリーの写真に魅入ってしまいました。本当に中世そのままという感じなのですね!残っているものなのですねえ。
    でも、この小修道院、なぜわざわざ川を跨いでまで建てる?という気はしますが(笑)。

    J・J・ヨルゲンセンの『アシジの聖フランシスコ』という評伝によると、フランシスコ会士は1224年9月にイギリスに渡ってカンタベリーに住み着いたが、同年11月にはオックスフォードに移ったとあるんです。
    でも、こうしてカンタベリーに小修道院があるということは、オックスフォードからまたカンタベリーに戻ったということになるのでしょうか?などと思ってしまいました。

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  2. H2さま、コメントありがとうございます。

    Greyfriars僧院ですが、1224年に出来た建物はおそらくこれではなく、別の場所、でもやはりカンタベリー市内、にあったようです。その後、1267年か、70年頃にこの場所に移転したと思われますが、ウェッブサイトにより複数の記述があり、年号ははっきりしません。そのあいだずっとカンタベリーに修道士がいたかどうかはわかりません。なお、本文にもありますように、この建物は大きな敷地にあった建築物のひとつに過ぎません。全体が残っておれば、教区教会等と比べると、割合大きな寺院だったと思います。当時の托鉢修道会の豊かさがしのばれます。カンタベリーは、スタウアー川が枝分かれして流れており、水辺になる場所が結構多いんですね。また、中世の町は城壁で囲まれた狭い空間ですから、概して市中は土地はかなり貴重だったので、こういう建て方になったのかも知れません。もうひとつの私見としては、キッチンとか寝室の場合には、色々とながしたりするのに便利かと。でも本当のところ、私には分かりません。

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