2010/01/12

Whitefriars, Canterbury, No. 2

前項を掲載した後、Whitefriars Shopping Centreのオフィシャル・サイトを見つけた。そこにこの街区の歴史について、割合詳しく書いてあったので、まとめてみたい。サイトを直接見る方は:

http://www.whitefriars-canterbury.co.uk/about-whitefriars/







Whitefriars地区はカンタベリーのその他の地域同様ローマ時代からかなり開発された街区だった。考古学調査で3世紀頃の3つの建物が発見され、これらは町のエリートの住居だったと考えられている。このあたりにはローマ時代の城壁もあり、その城壁についた小塔(a Roman wall turret)の跡も見つかった。また、この場所から4世紀頃の、8人のローマ時代の人の遺骸が見つかっている。折り重なるようにして、ぞんざいな有様で埋められていたようであり、正式のローマの埋葬とは違うようだ。

アングロ・サクソン時代の名残も見つかっている。敷石の道路 (cobbled roads) や木造の建物の痕跡である。この時代に、今日のカンタベリーの街の通りの輪郭が形を成し始めたのかも知れない。

しかし、この地区の遺跡の中心は、何と言っても聖オースティン会(聖アウグスティノ会)のホワイト・フライヤー僧院(Whitefriars)そのものである。この僧院ができたのは1324年。教会、回廊 (cloister)、施療院 (infirmary cloister)、台所、食堂 (refectory)、寝所 (dormitory)、便所 (latrine)からなっていた。また2メートルかそれ以下の壁があった。便所には、恐らく修道院が閉鎖された後に、陶器など色々なものが投げ込まれていて、興味深い発掘品があったらしい。

1538年、この僧院はヘンリー8世により閉鎖された後、Sir Henry Finchという人物の屋敷となった。その後、どのような変遷を辿ったのか分からないが、19世紀末にはグラマースクール (The Simon Langton Girls and Boys Grammar Schools) があった。

第2次世界大戦時に繰り返し爆撃を受け、この地区の歴史的建築は姿を消した。その後、商業的な建物が作られる。現在のショッピングセンターは1980年代に計画され、長い準備期間を経て1999年から2005年まで工事が行われ、現在の形が出来上がった。その工事と並行して、地区の考古学調査が、カンタベリー考古学協会 (Canterbury Archaeological Trust) により、地域の多くのボランティアや学校の生徒達の協力を得て行われた。ちなみにこの考古学協会のディレクターはポール・ベネットさんで、私もレクチャーを聞いたことがある。

もしドイツ軍の爆撃がなかったらきっとカンタベリーにはWhitefriarsを始め、もっと色々な歴史建造物が残ったことだろう、と思わざるを得ない。でもそれはイギリスの、いやヨーロッパの多くの都市について言えることだが。

上の写真はFacebookで見つけた発掘時のサイトの写真。

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