2010/11/10

Sara Paretsky, "Bleeding Kansas" (2007)

アメリカの病巣をえぐるパレツキーの本格小説
Sara Paretsky, "Bleeding Kansas" (Hodder & Stoughton, 2007) 480 pages

☆☆☆ / 5

Sara Paretskyはシカゴの女性探偵V. I. Warshawskiを主人公としたシリーズで日本でも大変人気が高く、翻訳もかなり売れている。彼女は今回取り上げた2007年のこの作品まで、全ての長編小説がWarshawskiシリーズだと思うので、おそらくこれが最初の本格的な小説(間違っていたらすいません)。長年プランを温め、自分の出身地であるカンサス州の農村部を舞台に、アメリカ合衆国の心臓部(the heartland of America)に巣くう問題を描いた作品。文学作品としての深みにはやや欠ける気がするが、アメリカ社会の病理を描くリベラルな視点が、探偵小説以上に発揮されている。また、Warshawskiシリーズでもお馴染みの力強い、緊迫感あるシーンも随所にあり、楽しめる。

(要旨) 物語は、カンサスの田舎町Lawrenceの近くに慎ましい農場をかまえるSchapen家とGreiller家の二つの家族を中心に進行する。両家族共に、1850年代からこの地におり、南北戦争(1861-65)の前後には助けあって、奴隷解放勢力を加勢した歴史があり、Greiller家のリベラルな妻Susanはそれを誇りとしているが、一方、Schapen家は1970年代頃より極めて保守的となり、現在は原理主義的キリスト教の教会に属している。保安官補を務めるArnie Sharpenはリベラルな都会人を憎悪しており、一家の女主人とも言うべきArnieの母、Myra Shapenは、狂信的なタカ派の原理主義者であり、自家のウェッブサイトで、リベラルな隣人Greiller達を明に暗にこき下ろす。Arnieは妻に逃げられたが、二人の息子、高校のアメリカン・フットボールのスターで暴力的傾向のあるArnie Juniorと、この一家で唯一文化的で、詩を作り音楽を愛するRobbie、がいる。Greiller家の方は、穏やかで素朴な農夫のJim、進歩的で情熱的な妻のSusan、そして高校の人気者の息子Chipと成績優秀で、子供ながら細かい気配りも出来て何かと父母の世話をするローティーンの娘Laraの4人家族。

隣同士として農場を営む2家族は、常日頃からことごとく非常に考えが違う上に、Myra Shapenは攻撃的な性格で、何かにつけてGreiller家を挑発している。そういう一触即発の環境の中に、ニューヨークから反戦主義者で非キリスト教徒のGina Haringが引っ越して来る。Susanはそれまで自分が精魂込めて育てていた有機農場を放り出して、Ginaとイラク戦争反対の活動に奔走する。反戦活動に没頭して家庭を顧みない母に反発したChipはSusanと大げんかした挙げ句、家を出、皮肉なことに、軍に志願する。Ginaはその他にも、Greiller家に様々な波紋を及ぼして、一家はバラバラになりそうだ。また、そのGreiller家の危機にMyra Shapenがつけ込んで非難を繰り返す。そんな中、自分の家族に違和感を覚え続けていたRobbie ShapenがLara Greillerに恋心を抱いてしまったから、事は一層複雑になり、カンサスの田舎を舞台にした"Romeo and Juliet"のようなサブ・ブロットが現れる。

小説全体の筋書きの上でもうひとつの大事な要素は、Shapenの農場に生まれた赤い子牛が、ユダヤ・キリスト教の伝統において伝えられている「完璧な赤い子牛」 (a perfect red heifer) と目される、ということが一部のユダヤ教の聖職者によって言われたこと。これがマスコミで取り上げられ、Shapen農場は一躍、地域の話題の中心になり、かなりの富をもたらすと予想されることになった。しかし、私が宗教的なモチーフに理解が足りないせいかも知れないが、この点が、いまひとつ小説の主要な要素としては説得力に欠け、作品全体の力を弱めている気がした。

私はSara Paretskyの長編小説、及び短編集は、最新作の"Hard Ball"を除きほぼ全部読んでいるはず。いや3つ4つの作品は2度読んでいる。その位好きな作家。彼女の作品は、素晴らしく魅力的なヒロイン、V. I. と、主人公、および作者の社会正義への飽くことない探求、そしてシカゴというダイナミックな町とそこに住む人々の魅力に満ちている。今回はそのシカゴという背景も、V. I.も出てこず、従来のParetsky作品のファンにはちょっと拍子抜けするかもしれない。しかし、探偵小説のWarshawskiシリーズでは表現しきれないParetskyの社会派作家としての面が強く押し出された秀作である。とりわけ、今回の中間選挙で、先日このブログでも触れたTea Party Movementに象徴される超保守派の台頭が見られたように、今のアメリカの政治状況の根っこに常にあるアメリカの白人大衆の保守主義が描かれ、時宜を得ている。これは昨今始まったものではなく、南北戦争前後の混乱期から1970年代のヒッピーの時代、そして今も続くイラン戦争を始めたアメリカにいたるまで、長い歴史を背景として綿々と続いていることが先祖達の日記や、昔の新聞記事なども挿入して示されており、作者の工夫が見える。

一方、現在のSchapen家とGreiller家の葛藤を描くにあたっては、ParetzkyはこれまでのWarshawskiシリーズで磨いた腕前を発揮する。LaraがShapenの農場の牛小屋に忍び込むシーンや終盤にRobbieがLaraを探し回るところなど、緊迫したアクション・シーンは、いつものWarshawskiシリーズで見られる腕前が発揮され、息をつかせない。Laraは、元気いっぱいで、フェアーで、知的な女の子。時々すねるが、立ち直りも早い。つまり、ミニV. I.みたいな感じで、V. I.ファンとしても読んでいて特に楽しめる。

但、読み終わってみると、シリアスな小説としてはそれ程の深みは感じられない。また小説の構造上大事な要素である「完璧な赤い子牛」のモチーフが珍奇に感じられるだけで説得力がないのが残念だ。しかし、草の根のアメリカに巣くう根深い病根を描いた作品として、アメリカ社会に興味のある人には面白い作品。Laraを始めとする個性的なキャラクターや生気溢れるアクション・シーンなどで、エンターテイメントとしても満足できる。

旧ブログで私は一作品、V. I. Warshawskiシリーズについて書いています。その、"Fire Wire" (2005)の感想はこちら

(追記)『ブラッディ・カンザス』という題で早川書房から邦訳が出ていました。山本やよい訳。"bleed"というのは「血を流す」という意味ですが、「ブリーディング」というカタカナ語はまず使われないし、多くの読者は意味も分からないでしょうから、「ブラッディ」(血まみれの)という時々カタカナでも使われる語に差し替えた苦心の邦題なのでしょう。ただ、"bleed"を理解する、英語がかなり分かる読者には違和感があるかもしれません。映画や舞台の字幕や吹き替えなど特にそうですが、意訳とは難しく、英語の出来る読者や視聴者は不満を感じがちなものです。私は、プロとして訳をつける人のご苦労は想像しますし、タイトルなどでは出版社の営業上の意向が大きいとは思います。しかし、個人的には、日本語を使うことにこだわり、「血を流すカンザス」、あるいは「血まみれのカンザス」などを使って欲しかったとは思いますが、出版社としては、多少意味不明でもカタカナ言葉の方が読者の注意を引きやすいとの判断なんでしょう。苦労しても日本語を工夫する努力が欲しいとは思いますが・・・。




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