2013/08/21

"Strange Interlude" (National Theatre, 2013.8.20)


文字通り「奇妙なインタールード」
"Strange Interlude"

National Theatre 公演
観劇日:2013.8.20  19:00-22:15 
劇場:Lyttelton, National Theatre

演出:Simon Godwin
脚本:Eugene O'Neill
セット:Soutra Gilmour
照明:Guy Hoare
音響:Christopher Shutt
音楽:Michael Bruce

出演:
Anne-Marie Duff (Nina Leeds)
Darren Pettie (Edmund Darrell)
Jason Watkins (Sam Evans, Nina's husband)
Charles Edwards (Charles Marsden)
Patrick Drury (Professor Henry Leeds, Nina's father)
Geraldine Alexander (Mrs Amos Evans, Sam's father)
Wilf Scorlding (Gordon Evans, Nina and Sam's son)
Emily Plumtree (Madeline Arnold)

☆☆☆ / 5

人生は「奇妙なインタールード」だと、主人公のNina Leedsが言う事が2度あったと思うが、この劇自体も、"a strange interlude" と言えるだろうか。同じような台詞で、『マクベス』の終わりの「人生は歩く影法師」を追い出す:

Life's but a walking shadow, a poor player,
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more. 

「奇妙な劇」のようなNina達の人生、そしてそれを描いた「奇妙な劇」、2重に「奇妙」。オニールの発想の原点はどこにあったのか知らないが、実際、私にはこの劇はシェイクスピアなどのルネサンス劇を思い出させた。少なくとも、20世紀のリアリズム劇とはかなり違う。

劇は、大学教授の娘で主人公のNinaが、第一次大戦でフィアンセのGordonを失った時から始まる。この後の彼女の一生は、成就しなかったGordonとの愛の残像を追い求めることに費やされたとも言える。すさんだ気持ちに安らぎを与え、安定した家庭を持って人生を立て直すために、彼女は平凡だが自分に夢中の勤め人、Sam Evansと結婚する。一方、Ninaの父親を慕っていたマザコンの作家、Charles Marsdenも彼女に想いを寄せているが、Ninaは全く相手にしない。その後彼は、一生Ninaの傍観者であり併走者として、彼女とSamの回りをうろうろしつつ、劇全体の語り手(an expositor)、兼、フールの役を演じ続ける。

Samは退屈な男ながらも愛情溢れ、Ninaは彼の子を宿し、ふたりは幸福をつかんだように思えた。しかし、NinaはSamの母から、夫の一家には狂人が続出し、Samの父を始め、ほとんどがその為に亡くなったか、精神病院で一生を終えたことを知らされる。これを聞いてNinaは夫との幸せな家庭を維持する為に、大胆な試みを思いつく。つまり、妊娠した子を堕胎し、その後、別の男性の子を宿そうと決心する。その相手として選んだのが、医者のNed Darrellである。医者として、科学的にこの「実験」に協力をしてくれる人物とにらんでNinaが選んだNedであったが、ふたりの関係は本人達の当初の意図に反して肉体だけに終わらず、2人は深く愛し合うようになり、その後の人生設計を大きく揺るがす。NinaはNedの子を産み、最初の恋人の名を取ってGordonと名づけるが、Samは自分の息子と思い込み夫婦はそれまで同様に生きていく。一方傷心のNedはその後の人生の多くを海外でNinaから遠く離れて過ごすことになる・・・。

といったプロットで、簡単に言うと、Ned、Sam、そしてCharlesの3人の男が、魅力的なNinaに振り回されるというお話。劇としてstrangeなのは、台詞の多くがモノローグで、しかも、そのかなりの部分が観客にしか聞こえない"aside"(わき台詞)だということ。これはたびたび観客に直接語りかけるルネサンス劇ではお馴染みの手法だが、20世紀のリアリズム劇では禁じ手ではなかろうか。現代の物語をシェイクスピアみたいな調子でやったらどうなるか、という実験とも言えるだろう。わき台詞が入る度にメインの台詞のトーンを掘り崩すような働きをする。それが一種の異化効果を生み、悲劇的な背景や出来事が多いにも関わらず全く悲劇にはならず、喜劇になっていく。最初の1時間弱は、私はこのペースに慣れず退屈に感じたが、インターバルが近づく頃には、段々と、不思議なくらい面白くなっていたし、観客からも度々笑い声が上がった。Samは妻の堕胎とか子供の出自を知らない哀れな天然のフール、Charlesは頭は良いが救いようがないくらい気弱なフール、そしてNedは色男のフール、に見えた。Ninaは、不運にも見舞われたし、悪気もなかったのだが、結果的に3人の真面目な男達をきりきり舞いさせて、彼らの人生を狂わせた、謂わば、ファム・ファタールだし、伝統的反女性主義の悪女像そのものではないとしてもそれに接している。そういう意味では、19世紀的な女性観というか、古めかしい劇である。Samが自分の息子が実子ではないことに気づかない(?)とか、血筋に精神病患者が沢山出ているからといって堕胎をするとか、現代の観客には信じがたかったり、受け入れられない点もあり、1928年というこの劇の古さを感じる。その一方で、出生前診断により、異常が発見された胎児の堕胎などが行われるようになった今、笑い事で済まされない問題も含まれている。また、Tennessee Williamsと同様、O'Neillにとっても狂気が重いテーマだったんだろうと認識させられた。

Anne-Marie Duff、上手い! 無邪気さと打算が奇妙に入り交じった魅力的女性像を上手く作り上げた。彼女は、テクニックを超えて、何だか俳優になるために生まれてきたような天然の巧さというかな、そういう才能を感じさせる女優だ。他の俳優も好演していたが、特にCharles Marsdenを演じたCharles Edwardsの絶妙なわき台詞が印象に残る。演じる役者としては、手腕の発揮出来る面白い役柄だろう。一方、Samを演じたJason Watkinsは、馬鹿なお人好しぶりをやや強調しすぎでは、と感じた。

この劇はカットしないと5時間かかるそうで、2日に分けて上演されたこともあったらしいが、今回はインターバルを除くと約3時間に収めてあった。長いらしい、と覚悟して行ったが、そうでも無かったし、特に中盤は時間を忘れる面白さだった。但、私には、1回見れば充分、という劇ではある。リビューをパラパラ見ると、Financial TimesのIan Shuttleworthは2つ星を付けている一方、TelegraphのCharles Spencerは5つ! この実験を上手く行っていると見るかどうかで、好き嫌いが分かれそうだ。リビューがこういう風に大きく別れたことは、かなり変わったコンセプトで書かれているか、演出されている証拠だろう。今回の上演チームは、スタッフも俳優も上演が大変難しい劇と上手く取り組んだと思う。National Theatreでなければ出来ない冒険だ。なお、Robert Z. Leonardが監督、Norma Shearer、Clark Gableなどが出ているハリウッド映画もある。109分という短さだから、原作戯曲の3分の1以下にカットされている。

(蛇足)少し前の席にレイフ・ファインズが座っていて、回りの人は皆きょろきょろ。意外と小柄に見え、目立たない人だったなあ。昔、『コリオレーナス』の舞台で見た時は大きく見えた。

2 件のコメント:

  1. ライオネル2013年8月22日 10:26

    ジェームズ・マカヴォイの奥様、アンヌーマリー・ダフって妖精みたいですよね~
    (この芝居、高度そうですね~)
    映画の彼女って好きです。
    レイフが見に来てたんですね~
    私も、レイフだけでも観たかった!!!(笑)
    昨年、リトルトンで「医者のジレンマ」見たときに、ナナメ後ろに、ルパート・ペンリー=ジョンーンズが、ご夫婦でいらして、見とれてしまいました。

    返信削除
    返信
    1. ライオネルさま、コメントありがとうございます。

      ダフがジェイムズ・マカヴォイの夫人とは知りませんでした。彼女は美人じゃないですが、それが役作りの上でかえって幸いしている、と本人がいつか読んだインタビューで言っていました。あまりきれいだとやれる役が限られてきますから。私はナショナルの"Saint Joan"で非常に感心しました。Old Vicの"Cause Célèbre"も良かったです。

      レイフ・ファインズ、映画ばかり目に付きますが、また舞台に出て欲しいものです。

      削除