世界の大学が、そして大学における人文科学の教育・研究さえも、数値化され経済的利益に繋がらないと存在価値が失われそうな昨今だ。そして、組織としての大学、学習の場所としてのフィジカルな大学という場も、MOOC(インターネット上の無料の大学コース)やその他のデジタル教育によって、無用と言われかねない時代になっている。日本の放送大学やイギリスのOpen Universityは、その性格上、まさにそうした大きなうねりの中心で揉まれていると言っても良い。
そのような場所から、日本の放送大学の専任教員として、そして中世英文学という、正に「数値で測れない」、「お金にはならない」学問分野の研究者として、デジタル時代における人文科学の存在価値を論じた井口篤放送大学准教授の論文に、大変感銘を受けた。
特別に新しい事が書いてあるわけでは無いが、中世における大学の成立、19世紀における人文教育の革新などを踏まえ、また、アラン・ベネットの傑作戯曲『ヒストリー・ボーイズ』における名物教師ヘクターの言動や、古典学者ジョージ・スタイナーの、ニューヨーク大学の夜間成人学級での素晴らしい体験、マイケル・クッツェーの『エリザベス・コステロ』の一節などを引用しつつ、学問的かつ文学的に、人文科学教育の存在意義を探っている。若い先生で、教育学がご専門でもないのだが、古今の名作に目配りした広い教養と視野に感銘を受けた。まさに井口先生自身の広く深い教養が、人文学の価値を証明していると言っても良いだろう。
英語なので、日本では多くの読者は獲得出来そうも無いのが残念。日本語でも発表してほしいと思った。
論文のPDFはこちらからダウンロードできる。
※ICT: Information and Communication Technology
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