2015/09/08

ユージン・オニール『夜への長い旅路』(シアター・トラム、2015.9.7)

『夜への長い旅路』 

企画・制作:梅田芸術劇場
観劇日:2015.9.7   18:30-21:00 (休憩1回)
劇場:シアター・トラム

演出:熊林弘高
原作:ユージン・オニール
翻訳・台本:木内宏昌
美術:島次郎
衣装:原まさみ
照明:笠原俊幸
音響:長野朋美

出演:
益岡徹 (ジェイムズ・ティローン)
麻実れい (メアリー、ジェイズの妻)
田中圭 (ジェイミー、長男)
満島真之介 (エドマンド、次男)

☆☆ / 5

ユージン・オニール(1883ー1953)によるアメリカ演劇史上最高傑作と言われる事もある名作の上演。私は原作を読んでないが、そのまま上演すると5時間はかかるという大作らしい。オニールの自伝的作品で、エドマンドがオニールの分身だそうだ。しかし、亡くなった赤ん坊が名前だけ出て来て、その子はユージーンでもある。

映画やテレビが主流になる前の時代、商業的に成功した舞台俳優だったジェイムズ・ティローンとその一家がジェイムズの妻メアリーの麻薬中毒の問題を中心に苦しむある一日の様子を、朝から夜遅くに到るまでを長々と描く、文字通り「夜への長い旅路」。ジェイムズは人気俳優で、広いアメリカを劇場から劇場へ、旅回りの毎日。妻は、自分の音楽への夢を捨て、旅先の安ホテルで夫の帰りを待つ生活を長く続けていた。ジェイムズは、収入は多いだろうが、吝嗇で家族にはケチなことばかり言う。それなのにいい加減な不動産投資に乗せられて借財を作ったりしており、家屋敷は抵当に入っている。妻は昔、息子のユージーンを失って以来、麻薬中毒に苦しんで、最近まで施設に入院していたが、今は家に戻っている。しかし、家族は彼女が今日にもまた麻薬を始めるのではないかと気が気ではない。一方、長男ジェイミーは酒浸りで、まともな社会人生活を送れておらず、エドマンドは咳ばかりして、結核を疑われており、この日、専門医から正式な診断を告げられることになっている。そうなれば、彼は療養所行きで、その後には死が待っているかも知れない。4人は、それぞれ、昔抱いていた夢が破れていったことを思い出しつつ、互いに今の不幸の責任を押しつけ合い、いがみ合う。時間が経ち、夜になるにつれ、家族の窮地は刻々と深まっていく・・・・。

古典的な三一致の法則(劇の時間と劇中の物語の時間が一致し、1つの場面で行われる形式)をほぼ守る長尺の劇。但、実際は、5時間を越えるテキストそのままの上演は滅多になく、かなりカットせざるを得ないようだ。そこで今回の上演だが、どのくらい時間がかかるのか知らずに見始めたところ、あっという間に休憩時間。その時点で、1時間。そこでロビーの貼り紙を見て、休憩を含め2時間半、正味2時間15分程度の公演と知った。道理で、さっさと話が進む。しつこい会話劇と思ったのにあっさりしたものになっている。謂わば、「夜への短い旅路」。原作を読んでいない私が偉そうなことは言えないが、5時間もある劇を半分以下にカットしてしまって、それで、この作品を上演しました、と胸を張って言えるのだろうか、と思った。カットのせいかどうか分からないが、物語の背景がかなり薄くしか語られない印象だし、ユージーンの死にまつわるメアリーのショックも、いまひとつそのインパクトが伝わってこない気がした。

原作ではコネチカットの海辺のティローン家の屋敷が舞台。今回のステージは、ほぼ何もない、裸の、幅広い廊下みたいな舞台で、奥に扉がある。両側には砂地みたいな場所があり、戸外を示す。モダンな、一種の「何もない空間」で、意図的にこの劇の時代や地域の背景を切り捨てて、ユニバーサルな家族の劇に仕立てようという演出上の意図を感じた。衣装も、麻実れいはドレスだが、益岡徹はしわくちゃのスーツみたいなもの(上はベストだけだったか)、若い2人は現代のカジュアルウェア。ボディータッチが多く、息子達が取っ組み合ったりして、20世紀初頭の人々の振るまいとは思えない。ジェイムズとメアリーの間にある教養とか育ちとか感受性の差なども、あまり伝わらない。もっとそういうことをうかがわせる台詞が沢山あるはずと思った。演技の問題と台詞のカットが重なってか、息子2人の生活感やキャラクターの違い、特にエドマンドの繊細さが感じられない。それでもオニールは面白くて、後半はある程度引き込まれた。しかし、ずっと、「こんなはずじゃない」という気持ちが続いた。

この劇はオニールが自分自身の家族と人生を通じて、今昔のアメリカという国の夢とその挫折の原型を描いている点に、その説得力の源があると思う。夢、成功、欺瞞、嘘、犠牲・・・、そういったものが家族を追い詰めるプロセスが、長い時間見ている間に、観客にじわじわと、真綿で締められるように迫ってきて、最後には、苦しいほどの悲痛な気持ちを与えて終わる。つまり、『セールスマンの死』とか、『欲望という名の電車』同様、アメリカン・ドリームの挫折を描いた傑作と言える。しかし、今回、アメリカ的なものが感じにくいユニバーサルな家族劇にしてしまい、この点はすっかり霞んでしまった。それで得たものはあったのだろうか。

初日だから、台詞や俳優同士のタイミングに多少の問題はあったようだが、これは仕方ないだろう。このブログでも良く書いているように、私も俳優の演技を見る目には、全く自信がない。その上で、若い2人の俳優はものたりないと感じた。田中圭は、アル中の人生破綻者には見えず、荒れてはいても、格好良すぎるお兄さんのままだ。満島真之介は台詞が棒読みみたいに単調なところが時々あったし、重い結核で苦しんでいるには元気に見えすぎる。ジェイムズを演じる益岡徹は、ジェイムズのキャラクターが要求する家長としての権威、力強さ、虚勢が出ていただろうか。そして、麻実れいだが、立ち姿が美しい実に見栄えのする俳優だが、それだけに、麻薬中毒で崩れていく人物としてのリアリティーには決定的に欠けていた。最後は狂ったオフェーリアのような滅びの姿だったが、美しすぎる。

珍しいオニールの作品を上演して貰った事に感謝したいし、一定の満足感はあった。しかし、期待があるだけに、物足りなさも大いに感じた。飽きるぐらい、退屈するくらい、3時間半はやってほしいな。

2 件のコメント:

  1. ライオネル2015年9月10日 11:17

    大阪公演もあるので、友人が、「見る?」と聞いてきました・・・割引ができるとかで・・・・
    公演は4回、土日月日で、平日も昼公演のみです。
    土日は東京へ行くので・・・・・月火の平日に仕事を休んでまでは、行けないと返事しましたが・・・・
    以前、新国立劇場小劇場で津嘉山さんと三田和代さんで、最前列の真ん中で見たにもかかわらず、ほとんど寝てしまいました。女中さんが登場すると目がさめるのですが・・・・
    それで、私にはこの戯曲は鬼門です(笑)
    デビット・スーシェも演じていましたね。
     しかし、カットというより、カタログのような公演ですね。

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    1. ライオネルさま、いつもコメントありがとうございます。

      私は原作を読んでないのでどこでどのようにカットしたかは分からず、偉そうな事は言えませんが、今回、あまりにも短いのに驚きました。シアタートラムは小さな劇場ですが、関西公演はずっと大きな劇場のようですね。俳優にとってはスペースの変化に適応するのが難しそうです。

      新国立の鵜山仁演出の公演は2000年末にありましたね。私も見ておりまして、とても強く印象に残っており、オニールの素晴らしさを実感した公演でした。津嘉山、三田のふたりはもちろん良かったですが、息子達は、浅野、段田という配役で、2人とも説得力がありました。ただ、上の感想で新国立劇場の公演について触れなかったのは、特に息子役2人は、長い舞台の経験に裏打ちされた俳優さん達と比べるのは、フェアじゃないと思ったからです。

      今回、とても短くされたのは残念ですが、演出家には何か私には分からない意図があるんでしょう。難しい作品に、大してギャラも取れないだろうに敢えて出てみようという若い人気俳優のおかげで、沢山の人がオニール作品が見られるし、日頃劇を見ない若い人も来て、演劇のすそ野も広がるんですから、大変良かったと思います。セットや照明も、私の好みではなかったですが、よく考えられ、お金もかかっていますね。私も、多少好みとははずれても、見られて嬉しかったです。

      デヴィッド・スーシェの公演は妻が見ていて、もの凄く良かったと言っていました。

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