2010/06/09

"After the Dance" (National Theatre, 2010.6.7)

主人公Joanの悲しみが胸を打つ
"After the Dance"

National Theatre公演
観劇日:2010.6.7  19:30-22:30(インターバル2回を含む)
劇場: Lyttelton, National Theatre

演出:Thea Sharrock
脚本:Terence Rattigan
美術:Hildegard Bechtier
照明:Mark Henderson
音響:Ian Dickinson
音楽:Adrian Johnston
振付:Fin Walker
衣装:Laura Hunt

出演:
Nancy Carroll (Joan Scott-Fowler)
Benedict Cumberbatch (David Scott-Fowler)
Faye Castelow (Helen Banner)
Adrian Scarborough (John Reid)
John Heffernan (Peter Scott-Fowler)
Giles Cooper (Dr George Banner, a medical doctor)
Nicholas Lumley (Williams, the butler of the Scott-Fowlers)
Jenny Galloway (Miss Potter)
Pandora Colin (Julia Browne)
Richard Teverson (Arthur Power)

☆☆☆☆☆ / 5

私の大好きなTerence Rattiganによる、上演されるのは大変珍しい作品。Rattiganが最初の出世作で、軽喜劇の"French without Tears" (1936)を書いた後、1939年に満を持して発表した第2作。批評家には好評だったそうだが、ヨーロッパにおける第2次世界大戦開戦の直前で、戦争の開始と共に人々は劇どころではなくなったのか、早々にクローズしたとのこと。Rattiganはその事に傷ついたのか、自分の作品集に含めず、彼の生前は陽が当たらないままだったという(やっと2002年に、Oxford Stage Companyによって再演されたそうである)。

時代設定は公開時とほぼ同じ、両大戦の間。場所はロンドンの高級住宅地Mayfairにあるupper middle-classのScott-Fowler夫妻のフラットの広々とした居間。2人は結婚して13年、30代前半であろう。夫のDavidには沢山の家産があるようで、執事を雇い、大がかりなパーティーをし、そして自分は働かず、他人から見ると退屈な歴史書の執筆をして毎日を過ごしている。毎日昼間から強い酒を飲み、だらしない生活である。妻のNancyはそういう夫の暮らしに合わせて、何とか彼を退屈させまいと腐心して、賑やかにふるまう日々。彼の家には、50年配のJohn Reidという、Davidのライフスタイルにぴったりの居候が居る。一日ソファーに寝そべり、酒を飲んだり居眠りしたりしては、時々冗談を言って、寄生虫の暮らしを楽しんでいる。彼は、劇の人物の中では、シェイクスピアになぞらえれば、王侯貴族の館に侍る一種のクラウンであるが、多くのクラウンがそうであるように時々鋭い忠告や警句を発して、David夫妻やそのまわりの人々の冷静な観察者としての役割を果たす。

Davidの秘書役を務めている生真面目な甥のPeter Scott-FowlerにはHelen Bannerというガールフレンドがいて、Davidの家に頻繁に出入りしている。HelenはDavidの自堕落な暮らしぶりが、彼の健康と執筆の仕事を阻害し、彼の人生そのものを破壊しつつあることを心配し、自分の弟の医者を連れてきてDavidを診察させ、彼に酒を止めさせる。また、彼の研究と執筆を手伝って、新しい著作に取りかからせようと説得にかかる。実はHelenはDavidを愛していたのだった。

Davidの中にある2つの人格が、JoanとHelenという2人の女性によって異なった方向へ引き裂かれる。古いDavidは、Nancyとの夫婦生活を快適だが愛のない、2人にとって都合の良いものと思っており、簡単に離婚をしてHelenと新生活を始められると誤解した。しかしNancyの内面はDavidの思っているものとは全く違って居た・・・・。

豪華なセット、照明や衣装、音楽等に細かく気が配られて、時代の雰囲気を良く伝えていた。破壊的な戦争の後、そして迫り来る次の戦争(夫が徴兵に遭って出生するという夫婦も出てくる)、嵐の前の束の間の時間を、次の何かを待っているかのように、刹那的に、無為に過ごす人々。先日感想を書いたStephen Poliakoffの映画、"Glorious 39"と同様の背景である。実際、この劇が初演されたのも1939年だった。

俳優の演技は皆大変良かったが、強いて言えば、David Scott-Fowlerを演じるBenedict Cumberbatchは、役柄がテキストで示されているのと比べ、やや真面目すぎる印象を受けた。彼は酒と浮気の怠惰な日々を送っているような感じがしない。Nancy Carroll演じるJoanは大変哀切で、心に響く演技。理解のない夫や表面的な享楽にしか目の行かない友人達に囲まれて、Joanの限りない優しさが、深い寂しさをかもし出す。しかし、現代の、アメリカナイズされ、アグレッシブになった多くのイギリス人に、このような心の動きが理解されるだろうか。Carrollは、2月にRSCの"Twelfth Night"のロンドン公演(Gregory Doran演出)でも見た。独特のカリスマがあり、繊細な雰囲気をかもし出していて、"Twelfth Night"の時も思ったが、大変記憶に残る女優だ。Adrian Scarborough演じるJohn Reidは、見事なクラウンぶり。いささかメランコリックなところも、シェイクスピアのクラウンを思い出させる。最後に居候暮らしをやめて真面目なサラリーマンになることに決めて、Scott-Fowlerのアパートを去る時は、ピエロが廃業して背広とネクタイに着替えてさっていくかのようだ。ひとつの時代の終わりを感じさせる。

先日見たSimon Grayの"The Late Middle Class"と比べてみると面白い。戦争を挟んで、それ程時間は経っていない(15年弱程度か)のだが、その間にイギリスが如何に大きく変わったを感じさせる。Poliakoffの前述の作品でも言えることだが、第二次世界大戦前の英国の、最後の輝きの一端を見せてくれた。Rattiganは大変緻密に登場人物の心のひだを描くが、決して冷徹な心理解剖ではなく、観客が登場人物それぞれに温かい共感を抱くのを許す。Nancyの押し殺した悲しみと孤独をを理解出来るのは、クラウン役のJohn Reidと、観客だけだ。また、Rattiganは平穏な日常が一瞬にしてガラスが砕けるように破局に陥る様を描くのが上手い。そういうところが、イギリスのチェーホフとも言われる所以だろうか。チェーホフが20世紀ロシアを代表する劇作家だとすれば、Rattiganも20世紀半ばのイギリス演劇が生んだ大劇作家だと思う。良い役者と演出家を揃えれば、オーソドックスな演出で、かならず大きな感動を呼ぶ上演となる作品をいくつも書いている。Terence Rattiganへの私の偏愛を満足させてくれた、最高の公演だった。

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