2011/02/06

『十二夜』(シアター・コクーン、2011.1.21)

きれいな舞台だが、台詞には大いに不満
『十二夜』

Bunkamura 公演
観劇日: 2010.1.21   19:00より
劇場: 東急文化村シアター・コクーン

演出: 串田和美
原作: William Shakespeare
翻訳: 松岡和子
潤色: 串田和美
美術: 串田和美
衣装: 串田和美、他
照明: 齋藤茂男
音楽: つのだたかし
音響: 市来邦比古
制作: 森田智子

出演:
松たか子 (ヴァイオラ)
石丸幹二 (オーシーノ)
りょう (オリヴィア)
荻野目慶子 (マライア)
大森博史 (サー・トビー・ベルチ)
片岡亀蔵 (サー・アンドルー・エイギュチーク)
串田和美 (マルヴォーリオ)
笹野高史 (フェステ [フール])
真那胡敬二 (船長、アントーニオ)

☆☆ / 5

演出、潤色、美術、衣装がすべて串田和美による、串田ワールド。セットや照明がとてもきれいな、パステル色のロマンチックで、ファンタジックな舞台。夏の終わりの海辺。おそらくヴァイオラ達がのっていて、海岸で座礁して、うち捨てられた船が遠景に見える。客のいない小さな野外舞台がぽつんと立っていて、その上や周辺で芝居が進行する。仮設舞台の向こうに水面が広がり、チェーホフの『カモメ』を思い出させた。アイデアとしてはなかなか面白いし、きれいな絵になっている。生演奏もふんだんに使い、雰囲気を盛り上げる。音楽などから、どこか日本の昭和50年代後半から60年代初め頃を想像させる。串田の少年期の懐かしい光景だろうか。まるで、劇全体がそうした時代の紙芝居の影絵でも見ているかのような印象を与える。しかし、野外舞台上でかなりのアクションが進行して、せっかくの大きな舞台を縮こまって使ってしまった感はあった。野外舞台から始まって、大きな舞台に広がり、また野外舞台に戻る、という風に、一旦野外舞台を片付けるとより良かった気がするが・・・。また、この劇をメルヘン的にするのは、いささか陳腐な感も否めない。

松たか子もその可愛らしい舞台に良くマッチした、(ワンパターンだが、いつものような)永遠の少年のような少女、というような雰囲気。役者さんも串田を除いて良かった。串田は、体調が悪いのか、声が通らなくてずっとしゃがれていて、台詞が良く聞こえなかった。そもそも、マルヴォーリオは非常に高慢で、主人の権力を笠に着て他の者達を苦しめるからこそ、やっつけられるところが面白いのだが、串田のマルヴォーリオは最初の高慢さ、怖さがほとんど感じられないので、鼻をへし折られるシーンでは痛快さや滑稽さ以上に、哀れみを感じてしまった。ましてや、それでなくとも残酷な牢獄シーンなど、白ける。

ヴァイオラと彼女の兄の両方が最後に出てくるところは、この劇の演出上むつかしい選択を迫られるところ。今回は、松たか子に二役をやらせたのだが、終幕は大変不自然で無理があった。まあ、何をやっても不自然さは消しがたいので仕方ないが。

私にとっては、大問題は台詞を大幅にいじっていること。シェイクスピアの豊かな言語のイメージが広がらない。分かりやすくて、はじめて見る観客には良いかもしれないが、台詞が間が抜けていた。特に前半、かなり退屈した。言葉をいじると、シェイクスピアはつまらなくなると言う見本みたいな上演だった。なるべく優しい日本語の単語を選びつつもちゃんと訳すか、いっそストーリーだけ使って、あとは全部新たに書き直せば良いと思う。中途半端に手を加えて、「シェイクスピアもどき」にするのが最悪だと感じた。松岡訳をそのまま使えば、きっと☆が最低でも3つ、おそらく4つになったかもしれない舞台だが、大変残念だ。

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