先日3月4日は、今年の「懺悔の火曜日」Shrove Tuesday (Pancake Day) だった。翌6日は「聖灰水曜日」Ash Wednesdayで、四旬節の始まり。Shrove Tuesdayは仏語圏ではMardi Gras(英訳すると、Fat Tuesday、太った火曜日、いや脂肪の火曜日、というべきか)、イタリア・スペイン・ポルトガル語圏では「カーニバル」(英語では、carnival、謝肉祭)となる。
"shrove"は多分動詞"shrive"の過去形から来ている。"shrive"は司祭が「懺悔を聞く」、あるいは「(懺悔を聞いた後)償いの苦行(penance)を課す」といった意味。既にアングロ・サクソン時代の古英語から英語にある、外来語ではない所謂「本来語」で、古英語の不定詞では"scrifan"と綴った。
カトリック圏ではカーニヴァルは好きなものを飲み食いする無礼講の日、という印象があるが、今イギリスではそれはない(と思う)。但、イギリスでも、カトリック時代の中世末期にはそういう傾向はあったみたいだ。道徳劇MankindはShrove Tuesdayの無礼講を背景としている、という解釈をした論文もある。Shrove Tuesdayが終わると禁欲のLent(四旬節)に入る。中世イングランドの代表的なロマンス『ガウェイン卿と緑の騎士』(Sir Gawain & Green Knight)で、主人公ガウェインが謎の城主ベルティラックの城にたどり着いたのは四旬節だったと記憶する。肉が食べられない期間なので、「申し訳ないが、お魚しかお出しできない」というような台詞があった。
Shrove Tuesdayは英語圏ではPancake Dayとして知られている。四旬節(Lent)の間に食べるのを控えられた食物として、肉類だけで無く、卵や乳製品も食べない場合が多かったようで、そのため、四旬節の直前にパンケーキを作って卵やミルクを平らげようとしたことがPancake Dayの名称と関係しているようだ。
Shrove Tuesdayには世界各地で大食いとか無礼講の慣習が残るが、イングランド各地では、Pancake raceという催しが行われる。これは日本で言うとパン食い競争みたいなもの。フライパンとパンケーキを手に持って駆けっこをする一種の障害物競走+仮装行列。男女ともにエプロンをするとか、男性も主婦みたいに女装するとか、それぞれの土地で、ルールが決められているようだ。Pancake Day raceの映像がたくさんネットにアップされており、ロンドンの一例がYouTubeにある。
また、Pancake Dayには恒例のフットボール(サッカー)の試合が行われる場所も幾つかある。プロの試合では無く、町の人々が独自のルールに則って行うお祭りだ。中でも有名なのは、12世紀かそれ以前に始まったとされるダービシャーのアッシュボーンのRoyal Shrovetide Football。この町では、通りも野原や畑も人家の庭も、果ては小川の流れに浸かってまで、町全体を競技場として、何十人もの男達が2つのチームに分かれて午後2時から10時まで、死力を尽くしてひとつのボールを取り合う。以前、テレビのドキュメンタリー番組で見たことがあるが、フットボールとは言っても、蹴るだけで無く、何でもありのラグビーみたいだった。詳しくはウィキペディア英語版に解説あり。日本にも、玉取祭とか、玉せせり、というお祭りがあるが(福岡県の筥崎宮など)、民俗学的共通点がありそうだ。
四旬節とか、カーニバルというと、私が思い出すのは、ピーテル・ブリューゲルの名作絵画、「カーニバルと四旬節の争い」(1559年)である。絵の真ん中に二人の人物が対峙している。右には、魚をのせたパン焼きに使うしゃもじを持つ痩せ細った男(いや女?)(四旬節の象徴)。左には、串刺しにした肉を持ち、酒樽にまたがった太った男(カーニバルの象徴)。人間生活の2つの面(禁欲と放縦)、がせめぎ合っている。まるでトーナメントに出て来た騎士が槍を構えて相手を威嚇するように、互いに肉の焼き串と、魚をのせたしゃもじを相手に向けている。彼らの周囲では、ありとあらゆる人々の日常の営みが繰り広げられているが、その人達もまた、この「カーニバルと四旬節の争い」を生きている。痩せた「四旬節の寓意」の周りにいる人達は、四角いワッフルだの、まるいパンケーキなんかを食べているし、この人物の足下の台にもパンケーキとプレッツェルが置いてあり、Pancake Dayとの繋がりを思い出させる。ミルクや卵がたっぷり入ったパンケーキやワッフルに対し、プレッツェルは卵もミルクもイーストも要らない質素な四旬節の食物。カーニバルはお祭りであるから、それらしい催しも描かれている。左手前の4、5人は仮面をかぶり、風変わりな服装をしており、仮装行列である。絵の丁度中央には、縞模様の服と角のついた帽子をかぶった道化らしき人がいる。1番左の建物(酒場)の前で、弦楽器の伴奏付きで行われているのは演劇だそうで、その劇のタイトルや詳細も研究されて分かっているようだ。ちなみに、イングランドで宿屋兼酒場(Inns)の中庭を利用したステージでの上演が始まったのも、ブリューゲルの絵と同じ頃の1557年前後。その他、素人でも近代初期の民衆の暮らしについて色々と想像を膨らませられる、見ていると時間を忘れる一枚だ。
この「カーニバルと四旬節の争い」は、西欧文化における伝統的テーマで、文学においてもラブレーの『パンタグリュエル物語』第4の書など、かなりの例があるようだ。季節の祭としてのカーニバルと、文学や説教の寓意(アレゴリー)における禁欲や放縦が結びつけば面白い作品が出来そうであるし、そういう視点で色々な作品の解釈が可能だ。バフチン的解釈とも言えるだろう。例えば、ロナルド・ノウルズ『シェイクスピアとカーニバル—バフチン以後』という研究書もある。第5章は、「シェイクスピアの “カーニヴァルとレントの戦い” ―フォールスタッフの場面再考(『ヘンリー四世』二部作)」というタイトルだ。私は読んでないが、ちょっと覗いてみたい本である。
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