2011/07/01

十字架に付けられた"boke" (2): 兵士達の識字能力

6月26日のブログで書いた中世聖史劇のTonweley Cycleの1場面について、更に付け加えたい。(もしまだの方は、まずそちらをざっと読んでいただけると幸いです。)

この聖史劇のシーンでは、4人の兵士(テキストではTortorと指定されており、これはキリストのtorturer[拷問者])を指す)が、十字架のキリストの頭上に付けられた紙、又は板、に書かれた文に気づいて以下の会話をしている。

[4 Tortor]
Go we fast and let vs look
What is wretyn on yond boke,
And what it may bemoan.
(さあすぐに行って見てみよう
あの本に何が書かれているかを、
そしてそれが何の意味かを。)

[1 Tortor]
A, the more I look thereon,
A, the more I thynke I fon -- [confounded]
All is not worth a beyn!
(ああ、よく見ればよく見るほど、分からん!
何が何なんだか、ちんぷんかんぷん。)

[2 Tortor]
Yis, forsothe, me thynk I se
Theron writen langage thre:
Ebrew and Latyn
And Grew, me thynk, writen theron,
For it is hard for to expound.
(いや確かに、3つの言葉でかかれているようだぞ:
ヘブライ語、ラテン語、それにギリシャ語だ。
だから意味を取るのは大変だな。)

[3 Tortor]
Thou red, by Appolyn.  [by devil, a swearing]
(お前、さっさと説明しろよ。)

[4 Tortor]
Yee, as I am a trew knyght,
I am the best Latyn wright
Of this company.
I will go withoutten delay
And tell you what it is to say.
Behald, syrs, witterly!  [intelligently]
Yonder is wretyn 'Iesus of Nazareyn,
He is king of Iues,' I weyn.
(まさに俺が真の騎士であるように、
ラテン語も俺たちの中では一番出来るからな。
もったいつけずに、何が書いてあるか
言ってやろう。
さあ聞くが良いぞ、耳を澄ましてな!
あそこには、「ナザレのイエス、
彼はユダヤ人の王」とあるんじゃ、分かったか!
(Stevens and Cawley edition, Play23, ll. 578-97))

さて、この部分は聖書ではどうなっているか。前回既に触れた以外のことはほどんどないが、この部分は主として、ヨハネ福音書19:19-20を元にしているようなので、その部分を引用しておく。

「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上にかけさせた。それには『ユダヤ人の王、ナザレのイエス』と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。それはヘブル、ローマ、ギリシャの国語で書いてあった。」 (John 19:19-20)

参考までに、欽定訳聖書ではこうなっている:

And Pilate wrote a title, and put it on the cross.
And the writing was, JESUS OF NAZARETH, THE
KING OF THE JEWS. This title then read many of
the Jews: for the place where Jesus was crucified
was nigh [near] to the city: and it was written in Hebrew,
and Greek, and Latin.

中世において読まれたのは英語の聖書ではなく(この頃聖書の英訳は禁止されていた)、ラテン語聖書であるが、そのラテン語のウルガタ聖書では次の様になっている:

scripsit autem et titulum Pilatus et posuit super crucem
erat autem scriptum Iesus Nazarenus rex Iudaeorum.
hunc ergo titulum multi legerunt Iudaeorum quia prope
civitatem erat locus ubi crucifixus est Iesus et erat
scriptum hebraice graece et latine

Johnでは兵士ではなく、勿論騎士でもなく、多くのユダヤ人 (multi . . . Iudaeorum) となっているが、限られた劇の出演者では、この位の変更は良くあると言える。また、英語の聖史劇ではユダヤ人群衆とローマ兵の区別はほとんどされていない場合が多い。

さて、前置きが長くなったが、ここで私が大変面白いと思うのは、この4人の兵士の識字能力 (literacy) である。中身がちゃんと分かるのは4番目の兵士だけのようだ。1番目の兵士は全くお手上げで何も分からないと認めている。彼は字は読めないのだろう。2人目の兵士はこれが3カ国語で書かれていることは理解しているが、内容は'hard'と言って、分からないようである。3人目の兵士については、1行しかしゃべってないので、おそらく字は読めないだろうと推測するのみ。4人目の兵士は、ヘブライ語とギリシャ語は分からないと推測されるが、ラテン語を読める。

これを純粋にキリストの亡くなった頃のエルサレムの出来事とした場合、言語はどうなるのか、私はよく分からないし、調べていないが、少なくとも新約聖書はギリシャ語である。しかし、兵隊が総督ピラトの元で働くローマ兵だとしたら、ラテン語を話しているかも知れない。一方、現地のユダヤ人などを兵士として雇っているとしたら、ヘブライ語だろうか。

しかし、これは中世末期のイングランド、ヨークシャーで書かれた劇であるので、丁度現代イギリスや日本のシェイクスピアの多くが現代服をつけ、現代風のマナーで演じられるように、様々の「中世化」(medievalisation)がなされているのは言うまでもない。ここにいるのは、実際は第4の兵士が自らを指して言うように、中世末期の'knyght'(騎士)なのである。騎士と言えば、身分はかなり高く、もちろん農民やほとんどの都市住民よりも豊かな階級であるが、4人騎士がいて、そのうちの一人だけが、極めて簡単な'Iesus Nazarenus, Rex Iudaeorum' (ユダヤ人の王, ナザレのイエス)という程度のラテン語を読めたという言うわけである。4人だけだが、ここでは識字率25パーセント。上記拙訳はある程度意訳してあるが、第4の騎士はかなり自慢げである。ラテン語の識字は、騎士が自慢できる程度に珍しかったということだろうか。また、彼は、自分が'Latyn wright'だと言っているが、wrightは特別のスキルを持っ者というニュアンスだろう。

さて、ここから色々と難しい問題が出てくる:
1. では彼らは英語の文は読めたのか。それとも書き言葉は全く駄目だったのか。
2. イングランドのやっと字の読める程度の人々が、ギリシャ文字やヘブライ語の文字をそれと認識できたのか。
3. そして勿論、実際のイングランドの中世末期における騎士階級の識字率はどのくらいだったのか。

正直に言って、どの問いにも答を持ち合わせていない。識字の問題には大変興味があるのだが、まだ専門の文献をほとんど読んでいない。更に、中世末の識字は、専門的に研究している歴史家にとっても、根拠に出来る資料が少なくて大変困難な問題である。一例としては、例えば、裁判の証人のサインなどで、自分で名前を書いている者と、名前の代わりとなる印(十字や花丸みたいな形が多いようだ。末尾の写真も参照)を書いている人の割合を非常に多くの記録に当たって調査したりするようだ。しかし、自分の名前だけサインできたからと言って、それで実用的識字能力があるとは到底言えないのは歴然としている。

1.については、実際に使われた書き言葉は、かっての日本の漢文のように、ラテン語が主であったので、「読み書き」の能力は即ちラテン語の読み書きを指した。しかし、この劇の書かれた15世紀頃より、英語が書き言葉としてもかなり広く使われるようになりつつあり、特に平民や女性においては、ラテン語は使えないが英語では簡単な読み書きが可能な人が増えつつあったのではないかと思える。

2.については、ほとんどの人は、かなり教育のある聖職者も含め、ギリシャ文字やヘブライ語の文字を見たことも無く、それと認識できなかったと思われる。ギリシャ語やヘブライ語の教育が大学などで成されるのは16世紀、ルネサンスになってからであり、この時代は、イングランドにはそうした文献もほとんどなかったはずだ(但、ラテン語訳のギリシャ古典などは読まれていた)。この部分は、Johnの記述に沿ってこのような台詞となっているのではないか。

3.はと言うと、どうなんだろう。中世の間は、識字率は人口の10パーセントを大きく下回る程度だったはず。但、騎士階級は土地財産の譲渡や管理、各種の裁判における法的な役割(有力者は治安判事などを勤めることも多い)などのために、文書をかなり扱う必要はあった。しかし、豊かな騎士や大貴族は専門職である書記を抱えていて、自分で文書を読み書きする必要はない。逆に商人、特にロンドンの富裕な商人などは、文書能力に長けているのが当然となりつつあった。都市では平民向けの学校も発展していた。一方、大貴族やジェントリー階級の屋敷には子供の世話係、つまり家庭教師やお抱えの聖職者がいて、子供の教育が任せられたが、その中心は武術や狩りなどになることも多かったようである。

簡単な結論を言うと、騎士達のラテン語識字能力は、こういうやり取りが観客に自然に響く程度に珍しかったと言うことだろう。中世の識字については、かなり前から関心を持っているテーマ。私は歴史学専攻ではなく、それ自体については初歩的な知識しか持ち合わせていないが、文学作品のより良い理解のために、今度も勉強してみたい。

簡単な研究ノートのような感じで、堅い内容になりましたが、ご意見、ご感想などありましたら、歓迎します。


上の写真はウィリアム征服王 (William the Conqueror) やその妻Matilda、Thomas, Archbishop of YorkやLanfranc, Archbishop of Canterbury等の聖職者数名が署名したウィンチェスター協約 (The Accord of Winchester, 1072) の一部。十字がサインである。但、この文書に関しては、ここに署名した人々は文字が書けないのではなく、当時の法的文書の書式に沿って十字のサインをしたようである。



上は、読み書きの出来なかったジャンヌ・ダルク (Joan of Arc) の手紙。下にサイン('Jehanne' )がある。本文は、彼女が文字の書ける人に口述筆記したようだ。彼女は文字が書けなかったが、サインすることだけは覚えたと見られている。こういう人も多かったに違いない。

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