2011/06/29

"Treasures of Heaven" (British Museum exhibition, 23 June-9 Oct. 2011)

中世ヨーロッパの聖者信仰と聖遺物
"Treasures of Heaven: Saints, Relics and Devotion in Medieval Europe" (British Museum exhibition, 2011年6月23日〜10月9日)



標題の大英博物館の特別展に昨日(6月28日)、行って来た。私は中世のイギリスにおける聖者信仰、特に巡礼について個人的な興味を持っている。専門的に深く研究するという程ではないにしても、本を読んだりすることはある。これは私がカンタベリーに住んでいたことや、『カンタベリー物語』に関心を持っていること(こちらは専門上)によるものだ。今回の展覧会は私にとって大変参考になった。そのままにしておくとすぐ忘れてしまうから、メモを残すことにした。

この展覧会は、聖者信仰をローマ帝国期の非キリスト教信仰の時代時代から現代に至るまで辿った展覧会だが、ほとんどの展示物は中世のものである。

展示物の多くは聖遺物(relic)の入れ物、聖遺物入れ(reliquary)である。多くの金や象牙で作られ、宝石の散りばめられた豪華なreliquriesが展示されている。棺のような形をしたものが多い。聖者の骨などを入れることが多かったから、これらは小さな棺と言っても良いものだろう。逆に、聖遺物を修めるために建立された寺院の場合は、建物全体が一種のreliquaryと言えるそうであり、パリのシテ島にあって、聖ルイ(ルイ9世)が13世紀中葉に建立したサント・シャペル (Sainte Chapelle)はその典型だそうだ。この寺院は、キリストが被った荊の冠を収めるために作られた。この荊冠を買うためにルイ王は(私の記憶は不確かだが)確か王室の国家予算の半額にあたる巨額を費やしたと書いてあったと思う。その位聖遺物は当時、重要なものだったわけである。*

relicというと、やはり遺骨が一番重要だが、キリストの場合は昇天して骨は残っていないのであるから、十字架、それからキリストの衣類、荊冠等となる。聖者の場合は、骨、直接身につけたもの、特に殉教に関連のある物品、聖者の血が流れた物(例えば聖トマス・ベケットの殺害に使われた剣)などが重要。日本の仏教でも似たような面は色々とあると思う。少なくとも、仏舎利は信仰の対象となっている。

reliquaryの中には、棺型でなく、様々な他の形の物も含まれるが、特に手の形をしたものが沢山あった。大抵、人間の手よりも少し小さい、子供の手、それも肘より先くらいの形をしている。聖職者がその、聖遺物が収められた手で信者を触り、その御利益を分け与えたのであろう。材質は銀が多かったと思う。聖遺物箱の中には、小さな隙間が空けられているものもあり、そこから信者は中の遺物を間接的に触れることが許された場合もあるようだ。間接的というのは、布きれなどを手に持って、その布きれで聖遺物を触れるというようなこと。

大変面白かったのは、聖遺物入れの中には、ミニチュア・コレクション・ボックスみたいなものもあること。子供向けの鉱物標本ボックスを見たことがあるだろうか。あのように、様々の、多い場合は何十種類もの小さな聖遺物が集められ、仕切られたコンパートメントに入れられ、それぞれ小さな羊皮紙の名札が付けられているのである!それぞれの遺物は、小指の爪ほどの小さなもの。中心部には一番貴重な聖遺物、つまり十字架のかけらなど、が入れられたコンパートメントがある。こういう「聖遺物セット」はどういう風に利用されたのだろうか。

また、多くのreliquaryは持ち運びに便利なアクセサリーの形状をしている。小さな十字架とか十字架状のペンダント、ブローチ、メダルなどである。縦5センチに満たない大きさの黄金の十字架の中心部に、更に十字に組み合わされた"the true cross"(本物の十字架)よりなる十字の小さな木片が埋め込まれていたりする。もちろん、これが本当に"the true cross"であるかどうかを保証できないが。** 富裕な王侯貴族などが身につけたのだろうか。

中世ローマ・カトリック教会は、教会の祭壇(altar)には聖遺物が入っていなければならないと指定した(この伝統は、現在も大体において守られているようだ)。その為、非常に多くの聖遺物が必要とされたのである。但、聖者の数も膨大であったから、何とか行き渡ったのであろう。また、そうした祭壇の中には持ち運び可能のもの(portable altars)もあった。展覧会に出品されたそうしたポータブルの祭壇の中には、小さいながら何十種類もの聖遺物が収められた豪華なものもあった。

冒頭の写真は、木製の彫像になっているが、この中に聖遺物が入っており、これもreliquaryである。日本でも、仏像の中に仏舎利とか経文をいれることは多いのではなかろうか。

各地の大きなカテドラルや修道院は、聖遺物を数多く収集した。それがその寺院の格式を高め、巡礼を集めたり、お布施や各種の寄進を集めたりして、その寺院のサバイバルと経済的成功に繋がるからである。聖遺物の激しい争奪もあり、また盗難もあったようである。勿論、偽物も相当数、出回っていたことだろう。王室や大貴族にとっても聖遺物の所有はその権威を高めるものであったし、王は神から地上における権力を与えられた者であるから、聖遺物が王に宗教的な力、神に任じられた者としての裏付けを与えた。更に、聖遺物は他国の王や大貴族との取引材料として使われる時も多かったようだ。特に、パレスティナやコンスタンティノープルの十字軍国家は聖遺物を西欧の王侯貴族に分け与える見返りとして、様々の利益を受けたようである。

日本の仏教寺院に行くと、仏様以外に、観音様だの、昔の偉いお坊さんの彫像だの、たくさん拝むものがある。また、それぞれの仏様の前にはちゃんと賽銭箱も置いてある。中世ヨーロッパも同じようで、キリスト以外に、拝む対象として色々な聖者が祭ってあった。例えば中世のカンタベリー大聖堂などは、巡礼者はキリストに祈りに行くのではなく、トマス・ベケットに祈りに行くのである。

巡礼のお土産物としても巡礼バッチもかなり展示してあった。また、巡礼地のありがたい聖なる水を入れる小さな金属製、あるいはガラスの容器 (flask, vial) もあった。今回初めて見たのは、巡礼バッチを作るための鋳型。こうしたバッチの値段はどのくらいしたのだろうか。庶民が容易く買えるレベルだったのだろう。こうしたものの生産が巡礼地の繁栄を支え、職人や労働者が集まったのろう。他にも色々とご当地土産があったに違いないと思うのだが。水には、例えばカンタベリーの場合、それにベケットが流した血の名残があって欲しいという気持ちもあるだろう。また、場所によっては、その土地に異教時代からあった泉への信仰の名残もあるかも知れない(というのは私の推測だが)。そもそも聖者信仰の原動力の1つは、異教の神への信仰が、キリスト教の聖者として受け継がれたものであり、マリア信仰でさえ、ある程度、古い地母神信仰に基礎をおいているとされている。

特別展なので12ポンドの入場料がかかる。また入場時間は指定されるが、ウェッブで予約できる。更にこの展覧会に関連した講演会なども開かれている。

この展示会のカタログ、"Treasure of Heaven" (British Museum Press)が出ている。非常に詳しい、専門的な豪華本で、図版も多いが、値段は、ペーパーバック版でも30ポンド。専門家向きだろう。その他では、展覧会の解説書とは銘打っていないが、British Museumの中世部門の専門学芸員、James Robinsonがこの展覧会に合わせて出版した本、"Finger than Gold: Saints and Relics in the Middle Ages" (British Museum Press) が事実上、展覧会の解説書にもなり、便利のようである。取り上げてある展示品は、British Museumの所蔵品に限られる。値段は、9.99ポンド。博物館のショップにたくさん置いてあるが、展覧会に行けない方で興味のある方も、インターネットで購入できる。

Guardianのサイトにこの展覧会の、10枚の写真が載っています。私の文章よりも、写真の方がずっと雄弁です。

下のコメント欄で読者のmiuraさんが教えて下さいましたが、BBC Fourでこの展覧会にちなんだ特集番組、"Treasure of Heaven"がありました。私もiPlayerで見てみました。素晴らしい番組です。展覧会に出ている聖遺物と聖遺物入れが詳しく解説されています。但、iPlayerでも7月3日(日)までしか視聴できません。再放送などあると良いですね。DVDになったら日本の人も見られるのにな。

*Wikipediaによると、この費用は135,000リーブルだと言うこと。この額は王室の年間予算、つまり年間国家予算の約半分に当たる巨額だとのこと。一方、サント・シャペルの建設費用は40,000リーブルだそうである。ルイは、コンスタンティノープルにあったラテン帝国の最後の皇帝、ボードワン2世から、これを購入した。なお、「ラテン帝国」とは、東ローマ帝国を滅ぼした第4次十字軍がコンスタンティノープルに立てたカトリック帝国。

**聖遺物として残る十字架は、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母、ヘレナが紀元326-28年にパレスティナで聖遺物の収集を行った折、エルサレムで発見したと言われている。それが細かく切り刻まれて、聖遺物としてキリスト教圏に広く行きわった、ということになっている。

2 件のコメント:

  1. 友達から教えてもらったのですが、BBC Four のこの番組、ご覧になりました? 私も一度行ってみたいです。

    http://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/b012248j/Treasures_of_Heaven/

    学会発表応援しています!(違う記事のことですみません)

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  2. こんにちは。コメントありがとうございます。この番組知りませんでした!教えて下さり、ありがとうございます。勿論見てみます。

    学会発表と言えば、ずっと(多分1ヶ月以上)見てなかったフェィスブックを久しぶりに開いたら、もうアメリカに行かれ、発表されて、帰国されたのですね。きっと実り多いご発表、そして楽しい旅だったことでしょう。いつか機会があればお土産話を聞かせていただきたいと思います。Yoshi

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