2011/06/27

十字架に付けられた"boke"(1): "book"という単語の意味するもの

15世紀に書かれたタウンリー・サイクルの聖史劇(聖書の物語を題材にした劇)の磔刑のパジェント (Play 23, "Crucifixion") を読んでいて、"book"という単語についてちょっと面白いことがあったのでメモ。

まず聖書から。福音書でイエスを磔刑にした後、十字架の彼の頭上に罪状書きを掛けることになっている。マタイ伝では:

そしてその頭の上の方に「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。(27:37)

他の3つの福音書にもこれへの言及はあるが、私の関心を引くのはルカ伝:

イエスの上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札がかけてあった。(23:38)



この絵画で、十字架に貼り付けてある「札」の"INRI"とは、Iesus Nazarenus, Rex Iudaeorum (ユダヤ人の王, ナザレイエス)のこと。

私はこの「札」に興味を引かれる。これはどういう英語で表されているのか。

欽定訳聖書(The Authorised Version)において、Matthewは:

And set up his head his accusation written, THIS IS JESUS THE KING OF THE JEWS. (27:37)

Lukeでは:

And a superscription also was written over him in letters of Greek, and Latin, and Hebrew. THIS IS THE KING OF THE JEWS. (23:38)

つまり、どこにも「札」という和訳と同じ語はなく、superscritionとあるだけ。これは「上書き」、「表題」といった意味が一般的な語である。しかし、中世の人々は聖書はラテン語で読んでいたのであるから、ウルガタ聖書(標準的なラテン語聖書)の該当箇所はどうなっているかというと:

et inposuerunt super caput eius causam ipsius scriptam hic est Iesus rex Iudaeorum (Matthew, 27:37)

erat autem et superscriptio inscripta super illum litteris graecis et latinis et hebraicis hic est rex Iudaeorum (Luke, 23:38)

英語同様に、"superscriptio"とある。

さて問題のタウンリー・サイクル(Towneley Cycle)の聖史劇だが、キリストを磔刑にした兵士達は、この"superscription"について結構長々と話しており、その部分は約50行ほどある。まず、第1の兵士がその札に注意を向ける:

How, fellows, se ye not yond skraw? (l. 572)
(おい仲間達、あそこの書き物が見えないか。)

"skraw"というのは、scroll、つまり巻物などであるが、ここでは紙、つまり羊皮紙のことだろうか。

その数行後、今度は第4の兵士が言う:

Go we fast and let vs look
What is wretyn on yond boke,
And what it may bemean. (ll. 578-80)
(さあすぐに行って見てみよう
あの本に何が書かれているかを、
そしてそれが何の意味かを。)

という具合に、ここでは同じ書き物をbookとしているのである。この箇所の"boke"を、Stevens & Cawleyのedition (EETS S.S. 13, 14)のグロッサリーではscrollとしている。

更に第3の兵士は総督ピラトに向かって言う:

Pilate, yonder is a fals tabyll;
Theron is written naught bot fabyll. (ll. 602-03)
(ピラトよ、あそこに偽りの札がかけてある、
それには作り話しか書かれていない。)

と、ここでは同じものを"tabyll"と呼んでいる。これは上記のグロッサリーでは、panel (of wood)としており、他の箇所ではtabletという意味もある。つまり木の札の様な物が想像できる。物理的に見れば、十字架に貼り付けるわけであるから、上の絵画のように堅い木の札を釘などで打ちつけるのが理屈にかないそうだ。しかし、中世・ルネッサンスの絵画などでは、紙のように見えるものを打ちつけた場合も散見される:


つまり劇の作者や観客から見ても、これらの絵を描いた人から見ても、ラテン語聖書の"superscriptio"の物理的形状ははっきりしていなかったように思える。中世・近代初期においては、反逆者など大罪を犯した者の処刑された死体(あるいは、死体はバラバラに引き裂かれていることもあったので、特に頭蓋骨か)を木に縛り付けたり、釘で打ちつけてさらしたのであるが(これを"gibeting"と呼ぶ)、そう言う時に死体の主の正体と罪状を示す札などが付けられたようである。それは具体的にはどのようなものだったのだろう。

"book"という単語は古英語からある("boc")。現在では、閉じられ表紙をつけたものにこの語が適用されると思うが、かっては、広く書きものを指す言葉だった。Merriam-Webster Unabridged onlineでの最初の意味を2つ引用する:

a) (obsolete)  a formal written document; especially : a deed of conveyance of land(土地譲渡証書)
b)  a collection of written sheets of skin or tablets of wood or ivory

b)の意味では、今の本に近くなる。OEDでも、最初に書かれている、今は廃れた意味(Obs.)として:

A writing; a written document; esp. a charter or deed by which land (hence called bócland) was conveyed. Obs.

であるから、ここで十字架に"book"が掲げられていても問題ないわけである。但、特に"charter"(土地譲渡証書、王の特許状、憲章、宣言、等)などとしているところが気になるが・・・。

さて、これからは私ははっきりは分からなくて知りたいことなのだが、"book"という単語がいつ頃から「書かれた紙を綴じたもの」という意味でしかほとんど使われなくなったのだろうか。古英語でも既に"boc"は綴じた本を表したと思うが、では、単なる「書かれた紙」にはほとんど使われなくなるのはいつの時代だろうか。今でも「帳簿」といった意味では広く使われるが。

何かお考えのある方がおられれば教えて下さい。単なる感想でも、もちろん結構です。

2 件のコメント:

  1. こんにちは~。余談からはじめると、私もMerriam-Webster Unabridged申し込みました。個人的には医学ドラマもたくさん見るのでMedical Dictionaryがついているのがうれしいです。今色々クリックして遊んでいるところです。

    INRIについては、「ユダヤ人の王」を皮肉って書いたものだと聞いていたのですが、4文字でその意味が伝わるなんて、すごい!みたいな間抜けなことを思ってました。略語だったんですね。このポストではっきりと意味が分かって大変ためになりました。

    Merriam-Webster Unabridgedですが、いつから使われ始めたか、Dateで分かるようになってますよね。でもbookはさすがに古くから使われているからか、Dateは書かれていませんね。

    私は中世や古代のことは本当にざっくりしか知らないので感想になってしまうのですが、言葉というものはやっぱり"モノ"の出現や変化、消滅とともに変わるものですから、bookは最初は広く使われていた表札のことを指していたのが、羊皮紙の出現で羊皮紙を綴ったものを指すようになり、紙の出現と印刷技術が発達して現在の「本」が広まるとまたそのような「紙を綴ったもの」を指すようになったのではないでしょうか。10年後はe-bookのことをbookと言って今のbookはpaper-bookのようになるかもしれません(笑)

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  2. Bookwormさま、色々と丁寧なコメントありがとうございます。

    Merriam-Webster Unabridged Onlineが役立ちますように祈ります。私もなかなか重宝しています。オンライン辞書の中で、一番よく使っていると思います。

    e-bookとbookのことですが、おっしゃるように今後この単語もどう変わるか興味深いですね。英語でも日本語でも、mail / メイルという単語は、その語義が揺らいでいるように思います。

    bookは、古英語(アングロ・サクソン時代の英語)よりずっとある単語で、又、物理的な「綴じた本」もその時代には既に広く存在していましたので、その頃から綴じた本を表していました。しかし上にも書いたように、当時のbookの定義は今より広かったようですね。その場合、羊皮紙である必要はないでしょう。これも上の例が示すように、石や木の板(tablet)もbookになり得ただろうと思えます。この語の語義について、本格的な、通時的研究を誰かがしている可能性が高いですが、私は知りません。本の歴史は1つの研究ジャンルとして確立されていて、一般向けから専門書まで色々な書籍も出ていますし、国際学会もあります。

    そちらのブログは毎日の様に更新されているので大変ですね! しかも私みたいに暢気な学生ではなく、お仕事をされているようですから! お疲れになりませんように。 Yoshi

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