2011/06/12

Terence Rattigan, "Cause Celébrè" (Old Vic, 2011.6.11)

男性社会のダブル・スタンダードを描く
"Cause Celébrè"

Old Vic Theatre公演
観劇日:2011.6.11  14:30-17:10
劇場:Old Vic

演出:Thea Sharrock
脚本:Terence Rattigan
セット:Hildegard Bechtler
照明:Bruno Poet
音響:Ian Dickinson
音楽:Adrian Johnson

出演:
Anne-Marie Duff (Alma Rattenbury)
Timothy Carlton (Francis Rattenbury, Alma's husband)
Oliver Coopersmith (Christopher Rattenbury, their son)
Jenny Galloway (Irene Riggs, maid of the Rattenburys)
Tommy McDonnell (George Wood, servant of the Rattenburys)
Niamh Cusack (Edith Davenport)
Simon Chandler (John Davenport, Edith's husband)
Freddie Fox (Tony Davenport, their son)
Lucy Robinson (Stella Morrison, Edith's sister)
Rory Fleck-Byrne (Randolph Brown)
Patrick Godfrey (Judge)
Nicholas Jones (O'Conner, defence barrister for Alma)
Richard Clifford (Croom-Johnson)
Richard Teverson (Caswell)
Rory Fleck-Jones (Montagu)
Michael Webber (Sergeant Bagwell)

☆☆☆ / 5

Rattiganの戯曲、そしてAnne-Marie DuffとNiamh Cusackという大変個性豊かな女優が2人揃い、楽しみにしていた公演だったが、いささか期待外れだったというのが正直な感想。それでも最後はかなり引き込まれ、見て良かったと思った。この戯曲のメインプロットは1930年代半ばに現実に起こった殺人事件に基づいている(裁判が行われたのが35年)。また、書かれたのは晩年Rattiganが癌に犯され、死が近づいた頃。実際、この劇の初演の年に亡くなっている(1977年)。更に、元々BBCのラジオ・ドラマとして書かれ、闘病で苦しみつつ、それを他人の手も借りてステージ用に書き直したそうである。そうした幾つかの条件が不利に働いたのかも知れない。基本的なプロットやコンセプトは申し分ないが、キャラクターのディテールの書き込み不足ではないだろうか。休憩を除くと2時間20分程度の劇だが、もっと長くても良いと思う。

メイン・プロットは、上記のように現実の事件に基づく。かなり歳を取った夫を持つ若い妻Alma Rattenbury (Anne-Marie Duff)が家の中の雑事をする召使いの求人に応じてやって来たGeorge Wood (Tommy McDonnell) に会って、採用するところから劇は始まる。Georgeは17才。しかし年よりも成熟して見えるという設定。一方、Almaは30代の終わりで、20歳以上年上。しかし、2人は高齢でで耳も遠い夫Francisをそっちのけにして関係を結ぶ。ただ、このあたりの経緯はわずかしか演じられず、何故そうなってしまったのか良く分からない事が不満。後の裁判で明らかになるが、Georgeはやがて横暴になり、Almaを束縛するようになる。ある時、Almaと夫のFrancisが仲むつまじそうに見えたのに激しく嫉妬し、半狂乱になったGeorgeは、Francisを金づちで殴り殺す。後半は、GoergeとAlmaの裁判のシーン。裁判の焦点は、Almaが殺人の共犯であったか、つまり、彼女に殺人罪が適用されるべきかどうかである。

Rattiganの全くの創作であるサブ・プロットでは、Almaの裁判で陪審員を務める女性Edith Davenport (Niamh Cusack) が描かれる。彼女は上品なミドルクラスの家庭の主婦で、夫Johnと一人息子Tonyと暮らしている。陪審員に選ばれたと通知があった時、彼女は何とかその仕事を逃れようとする。裁判所で、自分はAlmaについて新聞記事を読んで彼女への嫌悪感で一杯になっているので、陪審員として公平な判断ができない。従って陪審の勤めから免除して欲しいと主張するが、認められず、やむを得ず裁判に参加する。一方、彼女自身は、夫が繰り返し浮気をしているのを知り、離婚をしようとしている。息子Tonyも母親を捨てて夫の方を選ぼうとしており、彼女自身の人生も大きな転機を迎えている。

この2つのプロットは上手く補完し合うように計算されている。Almaはやや幼い、常識外れのところがあり、それで年齢や階層の違いにも関わらずGeorgeと直ぐ親しくなる。それ以前にも、メイドのIreneを友達として扱っており、老いぼれたFrancisを大事にするのも、そういう彼女の愛すべきナイーブさ故である。しかし、世間は、そして新聞は、彼女を邪悪な、魔性の女であると、激しく糾弾する。殺人を犯したか犯してないかということ以前に、彼女が20才も年下の男と関係を結んだというのがどうしても許せないのである。裁判では、検察官は、殺人事件の裁判ではなく、彼女の道徳犯罪を裁いているような弁論を展開する。裁判官も、彼女の弁護士も、「彼女が如何に汚らわしいかは別にして、あくまで殺人の共犯であるかどうかを証拠に基づいて判断するように」と陪審員に強調し、裁判所全体が男社会のモラルに縛られていることが分かる。

一方、Edithの夫Johnは、結婚を何とか元の鞘に収めたいとして、妻を説得する。Edithは、夫との肉体関係に興味を示さず、「私は結婚のその面には関心がないの」と姉に言う。夫のJohnはそれを口実にして自分の浮気を正当化し、更には、よりを戻せても自分が時々浮気をすることは許されるべきだ、と当然のことであるかのように公言する。更に、殺人犯のGeorgeと同じ年頃の息子のTonyは、父親にくりかえし売春宿に連れて行ってくれとせがみ(物語の設定は1930年代)、ついにはそれを実行したようで、性病を貰ってくる。Edithは最初、ビクトリア調以来の保守的なミドルクラスのモラルに凝り固まった人のようで、Almaについても大変汚らわしいと感じていたのだが、こうした男達のダブル・スタンダードを身をもって味わううちに、180度考えを変え、最後には、他の陪審員を説得して、Almaの無罪判決を導くこととなる。

当時の社会における、男性に好都合なダブル・スタンダードを、2人の女性の運命を通して明らかにしていて、なかなか面白い筋書きだ。勿論、今は時代が違い、罪を犯してない女性にこれほどひどい扱いをすることは、日本でさえないだろう。しかし現在のイギリスや日本でも、中高年の男が成人になるかならないかの若い娘とスキャンダルを起こしても珍しいとも思われないが、40才前の女性が高校生と関係を持ったりしたら、男性の場合とは、世論やマスコミの見方は相当に違うのではないだろうか。あるいは、この劇のAlmaやEdithのケースの様に、結婚生活で何らかの理由によりセックスが無い夫婦において夫が浮気を繰り返したらとしたらどうだろう。彼はだらしないと笑われる程度か、あるいは、それは妻のせいだ、と今でも言う人も多いかも知れない。一方、男性が不能で女性が不満を感じて浮気をしたらどうか。今でも、ふしだら、とか、家庭を壊す悪妻、夫への理解がない、などと非難されるのではないか。ダブル・スタンダードはまだ無くなってはいない気がする。

Rattiganらしい内容に好感を持ちつつも、残念ながら、私にとっては舞台が盛り上がりに欠けていたのは否めない。私が座っていたのが安い席で、ステージから遠く、しかも柱で視界が一部さえぎられたのも災いしただろう。もっと良い席での観劇、あるいは、小さな劇場での上演だったら大分違った感想になったかも知れない。既に書いたように、AlmaとGeorgeの関係の書き込み不足も一因と感じた。更に、Anne-Marie Duffはボーイッシュで中性的な感じの俳優であり、この劇でもそういう印象だが、この役柄ではもっとフェミニンな印象を出した方が良かったのでは無いだろうか。一方、彼女自身と周囲の人々(姉、夫、息子)のミドルクラスの倫理観の狭量さと葛藤するNiamh Cusakの演技は、たいへん説得力があった。やはりRattigan自身の生い立ちにより、こうしたキャラクターの方が、よりリアリティーを持って書き込めるのかも知れない。Cusakは、天性の表情の豊かさを持った女優で、いつ見ても感心する。他の配役では、Nicholas Jones演じる気取った法廷弁護士、そっけないが内面の暖かさを感じさせるJenny Gallowayのメイド、そして、伝統的な倫理観を代表するLucy Robinson演じる冷たい姉など、楽しめる演技だった。

セットは大変立派で、広いOld Vicの舞台を行かし、ステージの上に2階にあるもうひとつのステージを作ったり、舞台に2つの場所を設定して、照明を当てる場所によって、映画のフラッシュ・バックに近いスタイルで見せたり(これは脚本でも指定されている)と、工夫のある上演だった。

Edithの始末に負えない馬鹿息子Tony役で出ていたFreddie Foxは何処かで見たと思ったら、今BBC 2で放映中の心理スリラー"Shadow Line"に、若いギャング(かつおそらく高級娼夫)の役で出演していた。美しいブロンドの若者。彼はEdward Foxの息子で、Emilia Fox(ドラマ"Silent Witness"等)の弟。父親もダンディだが、美男美女の姉弟。

(追記)
ふとブログのサイド・バーを見ると、ラベルの「イギリスの演劇」が100だった。イギリス演劇関係で100ポスト書いたと言うこと。もちろん、毎回、観劇の感想ではなく、演劇についての情報や演劇台本を元にした映画についての文章なども含まれるが、しかし大多数は観劇の感想だ。旧ブログでは、「演劇(イギリス) (45)」となっており、合わせて145。

イギリスにいる間、週に1本は見ている。かなり心配な健忘症故、内容は直ぐに忘れてしまうが(だから書くのだが)、こうして感想を残しておくと自分でもよく読み返し、以前に見た舞台がよみがえる。でも、全く忘れて、「えっ、本当に見たのかな」、という時もあって、自分の老化が恐ろしいが・・・。

観劇の感想を通して、自分が何を考えてきたかも良く分かる。舞台は私の人生の先生だ。イギリスでは日頃人と接することが少ない私にとって、舞台の上の人々が世界のことを教えてくれる。そう思うと、汗をかき、声を張り上げて演じてくれる役者さんやそれを支えるスタッフの方々に、お礼を言いたい気持ちで一杯になる。

今夜は一種の記念日みたいな気持ちになった。100ポスト目が大好きなラティガンの演目だったのも嬉しい。

2 件のコメント:

  1. ライオネル2011年6月12日 23:19

    公演終了が近いので、もう見に行かれないのかなと思いましたが、行かれたのですね。

    後の方の席で、観ずらかったで用ですが、私のように前過ぎても、首が痛かったです。
    それに、舞台装置の二回部分は、はるか遠くって感じんでしたね。
    私はオールドベーリーでの弁護士たちの会話でダレました。
    ジョージとアルマの関係が、もう一つ分かりにくくて、彼が横暴になる過程がみえないのと、アロマとそういう関係になるほどの魅力もかんじませんでした。
    私も、この舞台が★4つついているのが不思議でした。
    ラティガンは病床で書いた作品なんですね。
    実話を脚色したようですが。

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  2. いつもコメントありがとうございます。

    カンタベリーから通った頃は、マチネでも帰りの時間を考えてしまったのですが、ロンドンに来て以来、色々な劇場に行きやすくなり、見るものが沢山あるので、AlmeidaやDonamar以外は、劇評が出てから切符を買うようになりました。従って、いつも楽日近くになってしまいます。今回は楽日でした。夜の部がありましたので、最後から2番目の公演。心なしか、カーテンコールの時、役者さん達、嬉しそうでした。

    Old VicとHaymarketはほとんどのストレートプレイには大きすぎですね。余程スケールの大きいアンサンブル劇なら良いですけど。やはりもうちょっと高い席を買えば良かったかな、と幾らか後悔しています。

    劇評では、あまり面白くない、というものもありました。しかし、ミドルクラスのイギリス人にとっては、身近なテーマであり、日本人とは感じ方が違うと思いますので、とても気に入った人も多かったと思います。私のまわりの観客もかなり満足そうに見えました。私自身もかなり満足なんです。でも、Rattiganの他の戯曲と比較すると、もっと面白くなったはず、という残念な気持ちがあります。個人的には大変好きな俳優さんなんですが、Anne-Marie Duffには向いてない役のように思えます。法廷シーンも普通はもっと盛り上がりそうなのに、おっしゃるようにいまひとつだったです。でも弁護士のNicholas Jonesは個性豊かな脇役で、いつも楽しめます。

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