2011/06/19

Richard Sheridan, "The School for Scandal" (Barbican Theatre, 2011.6.18)

Alan Howardの出演と面白い味付けで充分楽しめた!
Richard Sheridan, "The School for Scandal"

Barbican Centre 公演
観劇日:2011.6.18  14:15-17:25
劇場:Barbican Theatre

演出:Deborah Warner
脚本:Richard Brinsley Sheridan
セット:Jeremy Herbert
照明:Jean Kalman
音響:Christopher Shutt
音楽:Mel Mercier
Song Writer:Duke Special
Movement:Joyce Henderson
衣装デザイン:Kandis Cook
衣装スーパーバイザー:Binnie Bowerman
ビデオ:Steven Williams

出演:
Alan Howard (Sir Peter Teazle)
Katherine Parkinson (Lady Teazle, his wife)
Matilda Ziegler (Lady Sneerwell, Sir Teazle's neighbour)
Aidan McArdle (Joseph Surface)
Leo Bill (Charles Surface, Joseph's younger brother)
Gary Sefton (Snake, Lady Sneerwell's friend / Sir Harry)
Cara Horgan (Maria, Sir Teazle's ward)
Vicki Pepperdine (Mrs Candour)
John McEnery (Rowley)
John Shrapnel (Sir Oliver Surface)
Stephen Kennedy (Crabtree)
Harry Melling (Sir Benjamin Backbite)
Adam Gillen (Moses, a Jewish money-lender)
Christopher Logan (Trip, servant of Joseph Surface)
Joseph Kloska (Careless)
Laura Caldaw (Lady Teazle's maid)

☆☆☆(3.5位)/ 5

この公演に関してはかなりはっきりと好き嫌いが分かれ、有力劇評家はかなり辛い点数をつけ、あるいは酷評をしていることは先日ブログで書いた。それでへそ曲がりな私はかえって見たくなり、やっと楽日に見に行った。今年の新年には同じくSheridanの代表作のひとつ、"The Rivals"をHaymarketで見ているのだが、台詞がさっぱり分からなくて完全な空振りだった。何しろ洒落たウィット溢れる台詞を売りものとする劇作家であり、18世紀だから、結構難しい。それで今回は前もってテキストを買って読み始めたが、2ページも読むと眠くなり、直ぐに挫折・・・(これは後で後悔。やっぱり真面目に読んでおけば良かった)。ウィットを競うような喜劇、私は関心を持てない。公演を見た今でも、個人的にはテキスト自体は大して面白いとは思えない。でもかなり酷評されたDeborah Warnerのステージングは、私には大変楽しかった。それを見た方には分かりやすいが、National Theatreの"Mother Courage and Her Children"の時の雰囲気にかなり近い感じがする。スタッフも、照明、音楽、作曲などは同じメンバーだ。色んな布とかパネルなんかで、"Act II, Scece 1 Lady Sneerwell's room"なんて知らせたり、ロックの大音響を響かせたり、背景に大きな映像を映したりする。また、衣装は18世紀の服と現代服を混ぜて使っているが、このあたりはシェイクスピアの上演などでも良くあること。全体として見ると、それ程ビックリさせるような味付けではなく、Rupert Goold程でなくても、ルネサンス劇上演なら大抵の演出家がやる程度の現代的な演出であり、劇の内容と自然に溶け込んでいたと思う。今年の1月に見たPeter Hallの"The Rival"は、これと比べると古色蒼然としていて、古典の名作を神棚に供えた、という感じか。そういうオーソドックスな公演も必要だと思うが、私には今回の味付けの方がずっと面白い。

但、私にはどちらも英語で細かいウィットを理解するのは難しすぎたのだが、"The Rivals"を見た時にはかなりコンスタントに客席から笑い声が上がっていたと思うが、今回は終わり近くの屏風のシーンあたりまでは観客が静かだったのはどうしたことだろう。テキストの違いなのか、上演スタイルが災いしたのか。Warnerの演出が、劇の魅力と逆行する方向で働いたと書いていた劇評家もいたと思う。BBC TwoのReview Showの評者のひとりは、Sheridanのテキスト自体は、英語の劇でベスト10に入る名作のひとつで、言葉が素晴らしい、と言っていたが・・・。ウーム、その魅力は私にはわかりません・・・。前半は、そうしたウィット溢れた台詞の応酬が主で、私はかなりうとうと。英語が右から左に流れていく、という感じだったが、後半は、プロットが煮つまってきて楽しくなり、笑えるところもあって、最後には十分に楽しい気分で見終わり、大いに満足して帰宅。

プロットの主な柱は2つ。ひとつは、年配の独身者だったSir Peter Teazle (Alan Howard) が田舎の慎ましいおぼこ娘を仕留めたつもりだったが、結婚してみたらこのLady Teazle (Katherine Parkinson) が贅沢で、反抗的で、流行ばっかり追っていて、若い男と浮気さえしかねない、(彼から見ると)手に負えない悪妻に変身してしまって往生しているという話。Chaucerの"The Merchant's Tale"の18世紀版である。問題は、Sir Peterはいつも奥さんに腹を立てているのだが、それでも彼女を愛して捨てられないということ。

もうひとつの大きな柱は、Sir Teazleの旧友で、アジアでの事業で大金持ちになったSir Oliver Surface (John Shrapnel) がイングランドに帰ってくるが、子供がいないので甥達、Joseph & Charles Surfaceのどちらに遺産の大半を残してやるか、自分の正体を隠し、Stanleyという貧しい老人や、Mr Premiumという金貸しに化けて彼らと会い、人格の品定めをする、という話。Charlesはとんでもない放蕩者 (libertine) と見られていて、彼の家のパーティーではさながら『十二夜』のSirToby Belchである。一方、Josephの方は立派な身だしなみと態度で、相続人にふさわしいように見えるが、2人とも中身は見かけとはかなり違っていて、Charlesが暖かい慈悲の気持ちを持ち、Sir Oliverへの愛着を忘れていないのに対し、Josephは冷酷で自己中心的な守銭奴だった。

この2つ目のプロットに、お金持ちの若い娘で、Sir Teazleが後見人をしているMariaのお婿さん探しが絡む。やはりJosephとCharlesが候補として上がってくるが、放蕩者のCharlesよりもJosephのほうが遙かに有利に見えるが・・・。

こうしたプロット全体を包むのは、Sir Teazleの隣人、Lady Sneerwellと彼女のサークルの常連、Mrs Candour, Crabtree, Sir Benjamin Backbite, Snake, Joseph等、が繰り広げるゴシップ合戦。その中に笑いが散りばめられていると思うが、これが私の英語力ではなかなか・・・。

Deborah Warnerの意図は、このLady Sneerwellのグループのゴシップ合戦を、現代のセレブリティー/タブロイド文化と関連させて、劇を18世紀のかび臭い装飾に飾られた古典から、現在のイギリス人に身近に感じられる公演に変身させることだったようだ。作品の真価を損ない、上手くいっていない、と感じた人も多かったようだが、何の先入観念もない私としては、面白かった。Peter Hallみたいにやられたら、また熟睡してしまっただろう(笑)。

「何幕何場、場所はどこ」と書いたパネルなどを出すのは、分かりやすいだけでなく、全体を紙芝居みたいにして、フィクション性を高める面白い効果がある。ただ、皆がやり出すと陳腐になると思うが。

演技はベテラン俳優を中心に大変しっかりした伝統的な演技だった。Alan Howardは台詞回しが凄い! 彼は既に73歳とのことだが、彼の演技だけでも十分に見る価値のある公演だった。私は大昔、BBCテレビのシェイクスピア・シリーズで彼がコリオレーナスをやったのを見て、能力の高い俳優の凄さを痛感したことを思い出す*。Leo BillのCharlesは、Tシャツにジーンズのような衣装で、台詞も現代の若者の日常的な話し方みたいな味付け。基本的にその意図は結構なのだが、あのどもるような言い方だけはどうにかならないものか。非常にぎくしゃくして聞きづらい。Young Vicの"The Glass Menagerie"の際も、そのデフォルメされた台詞回しに大変違和感を感じた。ああいう言い方がかえって良いと思う人も多いだろうが私は大いに白けた。他の俳優では、Sir OliverのJohn Shrapnelの良く響く声、Aidan McArdle(RSCでRichard III)も、しっかりした台詞回しと豊かな表情で楽しませてくれた。脇役の人達もカラフルで、個性豊かな演技。装置の豪華さもそうだが、NationalやRSCの大規模なアンサンブル公演と比べて、演技も隅々まで引けを取らない出来だ。

始まる時は、数人の俳優が並んで出て来たり引っ込んだりしてファッションショーみたいなスタイル。客席に手を振ったりして、観客とのコミュニケーションをはかろうとする。大したことではないが、雰囲気造りは良い。なかでも、そうした脇役の1人として出て来たLady SneerwellのメイドのLaura Caldawは、大した用も台詞もないのにステージに出ている時がとても多くて不思議だった。一見して目をひく美人で、スタイルが大変良く、ちょっとした身体表現が目立ち、ステージの華やかさを増していた。プログラムのキャストの紹介を見ると、俳優ではなく、プロのダンサーだった。彼女が持つ、俳優にはない身体的なセンスを生かそうという演出家の意図だろう。

この劇を見て、中世以来のイギリス演劇の伝統が綿々と18世紀まで続いていると思った。なにしろ役柄のリストを見れば寓意的な名前が何人も出て来る。つまり多くの登場人物がVices(悪徳)なのであり、これが一種の近代「道徳劇」であることは一目瞭然だ。ちょっと言葉を古くすれば、チューダー・インタールード風になるかな。更に、シェイクスピアでも結婚候補者の品定めは散見されるモチーフと思うが、インタールードでは、"The Marriage of Wit and Science"や"Fulgens and Lucres"のように複数の劇で見られ、ひとつの伝統を形作っていると言っても良い。結婚というモチーフは、世俗化した道徳劇において、カトリック的救済への道程に取って代わったモチーフのひとつと言えるだろう。更に、Charlesのキャラクターからは、「帰ってきた放蕩息子の劇」 (prodigal son plays) の伝統との関連もうかがえる。また、これは演劇に限らないが、既に触れたように、年寄りの夫と若い妻の結婚の不釣り合いは、中世文学以来頻出するテーマ。(以上、私のこじつけとも言えます。)

*Alan Howardは、病気のためもあり近年ほとんど演劇の仕事をしていなかったようだ。私もステージで見たのは初めて。しかし、今回生で見て、Ian McKellenとかPartrik Stuart、Michael Gambon等と並んで、世代を代表する男性の名優として評価されるべき人だろうと思った。演技は良く分からない私ではあるが、台詞の言い方が一段高いところのレベルにある気がする。彼に関心を持たれる方はこの記事もどうぞ(英語)。不必要なくらい車椅子に乗ったシーンが多いのがやや不自然と思ったが、役の上のことだけでなく、Howardの体力を考えての演出かも知れない。これからも元気でステージで活躍されることを切に祈る。

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