駆け足だが、原作の多くをカバーした力作
"Morte D'Arthur" (アーサー王の死)
Royal Shakespeare Company公演
観劇日:2010.8.18 19:15-23:00
劇場:The Courtyard Theatre, Stratford-upon-Avon
演出:Gregory Doran
脚本:Mike Poulton
原作:Sir Thomas Malory
セット:Katrina Lindsay
照明:Tim Mitchell
音響:Jonathan Ruddick
音楽:Adrian Lee, Simon Rogers
ムーブメント:Struan Leslie
殺陣:Terry King
衣装:Sabine Lemaîre
Dramaturg*: Jeanie O'Hare
出演:
Sam Troughton (Arthur)
Forbes Masson (Merlin)
Kirsty Woodward (Guenever)
Noma Dumezweni (Morgan le Fay)
Joseph Arkley (Kay)
Simone Saunders (Igraine)
James Howard (Ector)
Oliver Ryan (Gawain)
Dharmesh Patel (Agravain)
Peter Peverley (Mordred)
Gruffudd Glyn (Gareth)
Jonjo O'Neill (Launcelot)
Debbie Korley (Nimue)
Christine Entwisle (Morgawse)
David Rubin (King Uriens)
David Carr (Leodegrance)
☆☆☆ / 5
8月18日からStratford-upon-Avonに3泊4日で出かけ、昔から親しくしていただいている老夫婦のお宅に泊まり、旧交を暖め、また、日本から来ておられるシェイクスピアの専門家の先生方に何人かお会いした。更に、Royal Shakespeare Companyの劇を毎晩1本ずつ、3本見た。これは着いた日の夜に見た1本目。
15世紀の作家、トマス・マロリーによるアーサー王物語の集大成『アーサー王の死』("Morte D'arthur")の劇化である。脚本はRSCの、好評だった『カンタベリー物語』でも本を書いたMike Poulton。マロリーの、15世紀に書かれた原作は、それまでの英・仏語の多くのアーサー王ロマンスをひとつにまとめようとした大作。様々なエピソードが彼独特の簡素な、説明の少ない文体で綴られている。それを、4時間近いとは言え、1本の劇にまとめようというのは壮大な試み。結果から言うと、成功とも失敗とも言い難い。次から次に出来事が演じられ、ひとつひとつのエピソードの意味を充分つかめないまま終わってしまう可能性がある。沢山の人物が出てくるが、個々のキャラクターの膨らみや発展は乏しい。マロリーの作品や他のアーサー王ロマンスについてある程度予備知識のある人には、頭の中にあるイメージと比べて見ると面白いと思うが、そういうもののない観客にはどうだろうか。劇評や、観客の評価もかなり大きく別れるようだ。
アーサー王ロマンスの文学作品の多くは、大きくふたつに分類することが出来る。ひとつは、アーサー王が生まれ、王と知らずに育てられ、やがて王であることを知り成長し、円卓の騎士団を作る。そして、グイネヴィアとの結婚。やがて、妻や妻の愛人ラーンスロットとの軋轢がきっかけになり、宿敵モードレッドとの対決を経て王室の崩壊へと繋がる、というアーサー王宮廷の物語。
もうひとつの流れは、クレティアン・ド・ドロワなどフランス語作家の多くの作品がそうであるように、アーサー王の宮廷を出発点とし、パーシヴァルとか、ガウェイン、ラーンスロットなどの個々の騎士の冒険や恋愛を事細かに描く、1人の騎士を中心とした物語。マロリーの『アーサー王の死』は前者のモデルを骨組みとして、王朝史を基本的に追いつつ、中盤では、後者の流れのような聖杯探求やトリスタンの悲恋物語など、王以外の騎士の活躍もかなり盛り込んで、アーサー王伝説の集成となっている。
そのような大作であるので、原作の内容はもの凄く盛りだくさんなのだ。その代わり、個々のキャラクターの心理を細かく掘り下げることはなく、まるで年代記の様に淡々と出来事を描いてある。これを一本の演劇にするのは至難の技だろう。Mike Poultonの脚本は、与えられた時間内で(約3時間45分、インターバル2回を含む)、出来るだけ原作の物語を追うことを目ざしている。その結果、大変忙しい、駆け足の印象を与えることになった。2度のインターバルを挟み、3部構成になっている:
1. The Fellowship of the Round Table (円卓の騎士達)
2. The Adventures of the Sangrail(聖杯探求の冒険)
3. The Morte D'Arthur(アーサー王の死)
マロリーの原作自体に、そのまま利用できるような演劇的な会話文が少ない上、中世の文学作品には珍しく散文で書かれているので、シェイクスピアのように、語られる言葉の美しさを愛でるチャンスがほとんど無いのは弱点である。もしもっと説得力のある劇にしたいならば、マロリーの原作を土台にしつつも、Poulton独自のキャラクターの解釈、エピソードの切り捨てや拡大を行い、Poulton自身が創作したアーサー王物語の再構築を行うことも出来るだろう。しかし、Poultonと演出家のGregory Doranはそのようにマロリーから離れることはしたくなかったようである。演劇化の困難を知った上で、出来るだけのことをしたいということだろう。
私の印象では、前半は物語をたどるのに忙しすぎて、やや単調だった。私は、PoultonとDoranが原作をどのように劇にするかに興味があるので、それだけでも見る価値があったが、そうでない一般の観客はつまらないと思う人も多いかも知れない。一方、後半は、原作においても、ラーンスロットとグィネヴィアの不倫を火種に、モートレッドの積年の怨念が重なって王朝の崩壊をもたらすという物語の流れがすっきりしており、ドラマチックな盛り上がりを見せた。ガーディアン紙のマイケル・ビリントンは、マロリーがこれを書いた15世紀のバラ戦争、そしてそのバラ戦争について幾つかの作品を描いたシェイクスピアとの繋がりを感じることが出来たのが収穫と述べていたが、それもうなずける。また、PoultonとDoran自身も、2回目のインターバルまでは、マーリンやモルガン・ル・フェイなどの魔術師と人間が交わる一種の神話として、しかし、最後のエピソードは、イングランド史に繋がる現実的な歴史として描いているように思われた。
このような劇の性格からして、役者が台詞を上手く語って実力を見せつけるようなシーンは少なく、特に目立った人はいないと感じた。しかし、大事な役柄でありながら、グィネヴィアを演じたKirsty Woodwardが単に人形のようで生気に欠け、ラーンスロットとアーサーの2人の破滅の原因となった魅力ある人物に見えなかったのが残念。
次から次へと戦いのシーンが繰り広げられるのだが、そのほとんどでは、いちいち刀を打ち合わせるのではなく、一種の剣舞として演じてあり、剣が立てる音は効果音として挿入される。このあたりは、日本の歌舞伎や時代劇の影響らしい。その他、リアリスティックではなく、様式化された動きを随所に取り入れているのは、日本の演劇から多くを学んでいるGregory Doranらしい工夫だろう。歌舞伎や能、文楽に詳しい方が細かく検討すれば、この公演に色々な発見があるのではないかと思った。
長い劇であるが、中世英文学を専攻している私にとっては、飽きずに見ることが出来、後半はかなり楽しめた。
*National TheatreやRSCのスタッフ・リストには、dramaturgという人が良く含まれている。これは、劇作家や劇の時代背景などについて専門的な資料調べをして、演出家や俳優を助ける役割らしい。謂わば、劇団所属の研究者。特にこういう作品では重要な役割を担うと思う。
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