2010/08/06

"Earthquakes in London" (National Theatre, 2010.7.2)

劇場全体を包み込むパフォーマンス
"Earthquakes in London"

National Theatre & Headlong Theatre公演
観劇日:2010.7.2  19:30-22:30
劇場:Cottesloe, National Theatre

演出:Rupert Goold
脚本:Mike Bartlett
セット:Miriam Buether
照明:Howard Hrrison
音響:Gregory Clarke
音楽:Alex Baranowski
振付:Scott Ambler
衣装:Katriana Lindsay
映像:Jon Driscoll, Gemma Carrington
Dramaturg: Ben Power

出演:
Lia Williams (Sarah, an MP and a minister)
Jessica Raine (Jasmine, Sarah's younger sister)
Anna Mdeley (Freya, Sarah's another sister, pregnant)
Bill Paterson (Robert, Sarah's father and a scientist)
Tom Goodman-Hill (Colin, Sarah's husband?)
Bryony Hannah (Peter)
Geoffrey Streatfield (Steve)
Tom Goodwin (Simon)
Anne Lacey (Mrs Andrews)
Michael Goold (Carter, a CEO of an airline company?)
Tom (Gary Carr, Jasmine's friend)

☆☆☆ / 5 

まったく予備知識のない新作の劇の場合、私の英語力で歯が立たない公演も時々あって、残念ながら今回はそのケース。帰宅後リビューなどを読んで幾らか筋書きを後追いして、部分的に「なるほど」と思ったり。でも分からないままのところも残っている。こればかりは仕方ない。最初からリビューを色々読んでいくと先入観念に捕らわれやすい。また今回は上演期間が始まって直ぐだったので、リビューも出てなかった。出来れば脚本を買って読んでおけば良いんだけど、余程期待の大きい作品や古典などでない限りそこまでする時間もないし、切りがない。

しかし、いつも新奇な事をやって驚かしてくれるRupert Gooldのことであるから、今回もまずステージの様子だけは記録しておきたい:

劇場に入った途端、バーかクラブかと一瞬目を疑った。1階は通常のステージや座席が全て取り払われて、幅が1メートル強くらいのS字型をした真っ赤な大きなステージが設置されている。謂わば、曲がりくねった花道みたいな感じ。それを囲んで、バーの止まり木みたいに観客の椅子(これも赤いシート)が配置されている。更にその後ろには手すりがあって、そのあたりにも立ち見の客が配置される。壁際には1列だけ真っ赤なベンチシートがある。

長方体の劇場空間の長い平面の2階、3階にギャラリー席があり、そこは通常の劇場の様になっている。一方、短い方のふたつの平面には四角い空間がうがってあって、ボックス・セット式のステージになっている。つまり、下の土間(ピット)は観客の間を縫うようなS字型のステージ。それを見下ろすように壁に小さな四角のステージがふたつあり、主なアクションはそらら3つのステージ上で展開する。更に、壁の四角のステージのひとつの上に、もうひとつ壁に長方形の切れ込みが入れてあり(かなり上方だ)、そこにも人物が現れる時があった。また、階下では、地面の上、立ち見の観客の間に俳優が交じって演技する時も度々ある。全体としては、四角い劇場空間全体が、客席とステージの区別がほとんどなく、パフォーマンスが起こることになる。

また、壁に掘られたボックスのようになっているふたつ(正確には3つ)のステージはカバーされることもあり、また、2,3階の観客席の間も(つまり観客の足下の部分や3階席の上方)、パネルが張ってあって、そうしたところは、しばしば映像が映し出されている。

色んなところでどんどん演技が行われ、時にはほぼ同時にふたつのステージでアクションが進行し、更に映像も映されている。私は1階の壁際に1列だけ作られたシートに座っていたが、首を上に右左にと動かして、忙しい、忙しい!

最初劇が始まる時は、裸に近い若い俳優達がS字のステージ上と、観客席の間で踊り出す。いかがわしいクラブのストリップショーみたいに見えるが、ポルノ的なコスチューム・パーティーという仕掛けらしい。そういうところに出入りして、政治家の姉Sarahを苛々させているのが、19歳の娘Jasmine。そして、段々、本筋に入っていって、Sarahの父親のRobertは今は老人だが、何十年も前に地球温暖化に警鐘をならした科学者。Sarahは若い頃は過激な運動をした活動家で、今はMPになって、航空機の使用を厳しく制限するなどの政策を推進しようとしているが、その彼女を航空会社の経営者は籠絡しようと試みている。彼女のもう一人の姉妹Freyaは妊娠し、間もなく出産だが、この破局に近づいている世界に我が子を産み落として良いものかどうか、ノイローゼになるほど悩み、自殺を考えかねないほど。父Robertはかって、航空会社からの資金、つまり賄賂、を受け取り言うべき事を言わなかったのを後悔しており、地球がどうなるかも分からない時代に赤ん坊を生むべきじゃないとまでFreyaに言っている。それにSarahやAnnaとそれぞれの夫との関係、Jasmineのボーイフレンドなどもからみ、Sarahの一家の家族の問題をコアにして、温暖化で終末的状況に近づきつつある地球の事を考える劇、という構造だ。

中身をあまり理解出来ずに見ていたから、欲求不満が高まって、楽しい観劇とは言えなかった。また、あまり座り心地の良くないシートで、分からない劇を3時間見続けるのは辛い。しかし、Rupert Gooldのステージングを目撃するだけでも行った意味はあると思う。ただ、もし温暖化への警鐘をしっかり訴えてインパクトある劇を作りたいのなら、こういう"busy"なステージングをするよりも、もっと観客にじっくりと訴えかけ、考えさせる上演にした方が良いと思うが。Gooldという人は、新鮮な上演をやらないと気が済まない人なんだろう。もう一回見ると楽しめるかも知れないけど、そこまでしたい劇じゃない。

Rupert Gooldの最近の大成功した公演として、"Enron"があるが、彼は大きな社会問題をありとあらゆるビジュアルな目新しい仕掛けで見せるのを得意としているようだ。見ている間はそこそこ面白いが、率直に言って、私には説得力がなく、はったりの劇に見える。説教臭くなるのを嫌っているのだろうが、単なる装飾過多に映る。むしろ、David Hareのように不器用でもストレートな台詞と演技の力で語りかけてくるほうが私には好ましい。地球温暖化は大きな問題である。また、それをめぐって、政治家、官僚や、学界、経済界、環境NGOなどの間で、厳しい駆け引きが繰り広げられている。途上国では、温暖化の為に災害が続発し、多くの人名が失われつつある。ストレートな社会劇としての脚本に基づいた作品も見たい。

7月2日の新聞によると、パキスタンの大洪水では1100人以上の人が亡くなったのではないか、ということだ。これから調査が進むと、更に死傷者の数は増える可能性が高いだろう。また、同じ紙面では、アフリカのニジェールにおける干ばつと、農作物の被害、そして膨大な数の人々の飢餓も報じられている。ロシアでは干ばつによる大規模な山火事の被害が広がり、また穀倉地帯では穀物生産の5分の1が失われ、小麦価格の世界的な上昇が予想されるとの事だ。この夏の日本の酷暑もそうだが、世界中で異常気象、干ばつ、気温の上昇、洪水、山火事等のニュースが途切れることはなく、そうした災害で非常に多くの人々が亡くなりつつある事態だ。地球温暖化による終末的状況は、すでに世界各地で現実のものになっている。劇の台詞の中に、「地球上で安定的に持続可能な人口は10億人。今の地球には60億人が存在する。だからこれから50億人が淘汰されるだろう」という意味の、黙示録的言葉があったのを思い出す。この台詞が当たっているのかどうかはともかくとして、それを引き起こした原因については異論があったにしても、温暖化により世界的な大混乱が既に始まっているのは確かだ。夏が暑くなって辛い、で済まされる問題ではない。

中世ヨーロッパでは、1348年から3年程度の間に、全人口の3分の1以上の人々がペストの大流行で亡くなったと言われる。ヨーロッパ人に免疫のない新しい病気がアジアから入ってきたためだが、一方で14世紀前半の過度の人口膨張が大きな要因のひとつでもあるという説もある。現代も、同様に、自然の厳しい調整機能が働きつつあるのかも知れない。


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