2010/09/11

『イリアス』(ル・テアトル銀座、2010.9.10)

1万円払って3時間の退屈を買いに出かけた。
『イリアス』 



観劇日: 2010.9.10  18:30-21:40
劇場: ル・テアトル銀座

演出: 栗山民也
原作: ホメロス
脚本: 木内宏昌
美術: 伊東雅子
衣装: 前田文子
照明: 勝柴次朗
音楽: 金子飛鳥
音響: 山本浩一

出演:
内野聖陽 (アキレウス、ギリシャの英雄)
池内博之 (ヘクトル、トロイ王の息子)
高橋和也 (オデュッセウス、ギリシャの知将)
馬淵英俚可 (アンドロマケ、ヘクトルの妻)
新妻聖子 (カッサンドラ、トロイ王の娘、予言者)
チョウ・ソンハ (パトロクロス、アキレウスの親友)
木場勝巳 (アガメムノン、ギリシャ軍の大将)
平幹二朗 (ブリアモス、トロイ王)

☆☆ / 5

豪華な舞台。一流の役者と栗山民也など最高のスタッフ。美しいセットと照明。生演奏による音楽。でも全く面白くなく、胸に響かない。どうしてこうなるんだろう、私が鈍感なせい?と、しばらく考え込む。それもあるかもしれないけれど、やはり脚本が悪いんだろうと思わざるを得ない。

以下は公式ホームページからの粗筋:
ある日、ギリシア軍の総大将アガメムノンと英雄アキレウスが戦利品の女ブリーセイスを巡って争いになり、アガメムノンの横暴な仕打ちに怒ったアキレウスは戦線を離脱してしまう。しかし、敵国トロイアの名君プリアモスの子ヘクトルが、祖国の名誉と存亡を賭けて決死の猛襲をかけてくる。英雄アキレウスを欠いて、敗走を重ねるギリシア軍を見かねたアキレウスの親友、パトロクロスはアキレウスに戦闘へ戻るよう懇願するが、断られてしまう。そこで、パトロクロスはアキレウスの鎧を借り、自ら身につけ敵に向かっていくが、トロイア軍のヘクトルによって殺されてしまう。親友の死を知ったアキレウスは、復讐を果たすためアガメムノンと和解し戦線に戻ることを決意、ヘクトルとの一騎打ちに臨む・・・。

ホメロスの大叙事詩を、アキレウスとヘクトルを中心とした主要登場人物のダイアローグやモノローグと、その間を説明するコロス(全て若い女性)の台詞、更に歌や演奏で埋めている。一種のドラマティック・リーディングみたいな面もある。ラシーヌのギリシャ劇のような単調さがあるが、古典とは違い、言葉の美しさは感じない。

劇が始まってまず気になったのが、音声がマイクで拾ってあり、しかも拡大しすぎであること。大変うるさい。非常に耳障りで、役者によっては、耳鳴りがするほどだ。とくに、パトロクロスをやったチョウ・ソンハの甲高い声には本当に閉口した。これだけで既に白けさせられた。役者達、特に内野と平は、大きな声で大見得を切るシーンが多いが、マイクで拡大すると、しつこくて、無理にビフテキを何枚も食べさせられているような気分。全体に、台詞の多くがフォルテッシモで言われているところが多く、始終大声でわめかれても、感動することが出来ない。戯曲自体に詩を感じること、美しさがないので、それを俳優が色々と工夫して言っているのだと思うが、伝わってこない。そう言うなかで、良かったと感じたのは、馬淵英俚可のアンドロマケ。絶叫調の他の役者の演技にかえって引き立てられる得な役柄。池内博之のヘクトルも、若いながらなかなか良い。内野の、俺を見てくれ、という演技よりも迫力を感じた。内野もハンサムで、立派な体躯、声も猛々しく、トビー・スティーブンスを思わせた。身体以上に演技が大きく見えて、こういう劇にふさわしい役者だと思うが、脚本がつまらないのでは空振り。

音楽は妙にメロドラマチックな、歌謡曲みたいなところがあり、乾いたギリシャの物語には似合わないし、安っぽい印象を強めた。

どうしてオリジナルのギリシャ悲劇の翻訳を上演しないのだろう。例えそれ程上手く行かなくても、ギリシャ悲劇をやれば、少なくとも脚本は面白いのに。でなければ、ラシーヌでも良い。スターを揃え、その顔ぶれを考えながら、適宜台詞の量を調整して書いたから(平さんはこれくらいしゃべらせなくちゃ、とか)、無理があるのではないか、と言う意見を聞いたが、そうなんだろうか。

最近、同様に、大劇場での台詞中心のスペクタクルとして、ロンドンで"Danton's Death" (National Theatre)を見た。素晴らしい台詞のdeliveryで圧倒されたが、その元になっているのは、既に定評のあるゲオルグ・ビュヒナーの小説だった。この作品とどうしてこう違ってしまうのだろうか・・・。

ロンドンでこんな上演があったら、批評家から酷評され、それでたちまち客席がガラガラになり、演出家や制作者は痛い教訓を得ることになるだろう。でも日本では内野聖陽や池内博之を見に来る人を喜ばせれば、公演としては役目を全うしたのであろうか? この二人に問題があるわけでは無いけれども・・・。これでは、劇場はテレビで知られたスターを生で見られるショーケースでしかない。結局、そういう「内野さんステキ!」という観客を多数集められれば、それで良いんだな、と思う。内野、池内、馬淵など、確かに良かったとは思うが、ファンの集いじゃあるまいし、内野聖陽ファンでない私にとっては、劇全体が退屈では仕方ない。

栗山民也はこれで成功と思っているのだろうか? 内野や平は、自分達の台詞が空回りしているとは感じないのだろうか? 私は決して点数の辛い観客だとは思わないが・・・。

後ろから4分の1くらいの席にも関わらず1万円というチケット代。そして、1500円のパンフレット(勿論買わなかった)。ロンドンのパンフレットの値段は、3ポンド(400円)程度。軽くなった財布を寂しく感じる帰路だった(比喩ですが)。出来があまり良くなくても、セミプロ劇団とか、予算のない新劇の劇団が苦労して作っている公演だと、何とか良いところを見つけて楽しみたいという気持ちで見るが、客はこれくらい出せるだろうから、この位のチケットとパンフレット料金で、という観客の足下を見た金勘定が見え見えだ。この劇場にはもう行きたくない。演劇のすそ野を狭めるのに貢献した大スペクタクルだった。私の感想に同意しない方、この劇が大いに気に入った方、気分を害したらお許しください。


4 件のコメント:

  1. ライオネル2010年9月13日 12:46

    日本人ってコロスの演出がもう一つですね。
    オリビエでレイフ・ファインズの「オイデップス」を見たときにしみじみおもいました。
    蜷川さんの「メデォア」のコロスなんて何を言っているの解らず、ホコリが舞い上がって、息苦しかった。
    内野さんって、文学座のドル箱だけど、華もないし、見た目のバランスもそんなに良い訳じゃないのに、(ご本人は努力家で良い方のようですけど)人気があるのが不思議です。
    1万円の舞台って、躊躇しますよね。
    私は毎月、松竹座に行っていますが、友達のお母さんがが松竹の株主なんですけど、本人が行けないので招待券をいただいています。12000から15000円の時もあるけど、自分で払うなら、3000円の3階席で見てるかもしれません・・・・それも見たい時だけ。いいのは歌舞伎の時だけですね。

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  2. ライオネルさま、コメントありがとうございます。

    内野聖陽、私はファンではありませんが、俳優としては好きです。彼のような立派な身体と声を持っていて、堂々と正面から2枚目をつとめられる舞台俳優ってそういない気がします。女性客に大変人気があるのは理解出来ます。繊細で微妙な演技を出来る人はたくさんおられるでしょうけど、そういう人がアキレスに適しているかどうかは分かりません。それにあの劇場をほぼ満員に出来る人って凄いです。ただ、今回の公演は私にはつまらなかったです。しかしそれも、他のブログを読むと、私よりずっと日本の舞台を見慣れた方でも、大変褒めている方もおられますので、私の目が節穴である可能性も大かな(^_^)。

    本文で書いた事と違った見方をすれば、栗山民也の演出で内野聖陽主演と思ってみるから、お門違いな期待をしてしまって、いけないのかもしれませんね。観客としては、先入観念を持たず、楽しんだ方が勝ちですから。 Yoshi

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  3. こんにちはー。
    コメントのお礼に訪問してみたら、なんと内野さんのイリアスを
    ご覧になったとの記事が!。

    私は、彼が大好きで、さらに“イリアス”なるものが何なのか、
    演劇の知識ナシなので、『わーカッコイイ!』で終わったと思います(-_-;)。

    コメント、ありがとうございました。
    こんな遠くに応援してくださる人がいる・・・と思うだけで
    すごくやる気になりますね。

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  4. makamacroさま、ご訪問ありがとうございます。

    残念ながらこの劇は私には不満でしたが、他のブログや劇評では褒めている場合も多いです。私の文章はあくまでも私の主観的感想ですので悪しからず。

    私も内野聖陽は俳優としては好きです。今NHKでやっているラブ・コメディーも面白いですね。10歳も違う同一人物を、しかも同時にやるというのは、なかなか難しいでしょうが、上手く演じ分けていますね。特に若い方の学生時代の役柄、とても愉快です。

    論文、速やかに進んで、早く新しい社会人生活に入られるようにお祈りしています。 Yoshi

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