The York Mystery Plays 2010 :後半
At the Eye of the York (at the square in front of the Clifford Tower of the York Castle) 2010.7.11
まだの方は、まず「The York Mystery Plays 2010 (1):イントロダクション」のポストを読んでください。劇の物語やその背景等について説明していたらきりがないので、ここではプロダクションの特徴についての私の感想のみとしています。
広場に近づいて来る後半最初の劇のパジェント・ワゴン。
(後半)
(1) The Tapiters (person who wove worsted cloth) & Couchers (person working in paper making trade) Pageant of The Prophetic Dream of Pilate's Wife
by York Settlement Players in association with
the Company of Merchants of the Staple of England
17:15-45
「ピラトの妻の予言的な夢」
ローマ総督ピラトは、キリストの裁判をする。しかし、彼の妻はキリストを殺害するのは危険であると、夢の中で悪魔に告げられ、ピラトにキリストを死刑にしないようにと伝言する。キリストは死ぬことにより人類の現在を償うという使命を帯びているので、それを成就されれば悪魔にとっては都合が悪いからである。
ピラトの大言壮語(rant)で始まる。ピラトは堂々として豪華なコスチュームを身につけ、有力者らしい雰囲気。ピラトの妻, Proculaも紫の目立つ衣装で、華やかで誇り高い貴婦人の雰囲気。2人のいちゃつく様子はユーモラスで観客の笑いを誘っていた。裁判所の役人(Beadle)は真面目臭い、しかめ面をした、テキストでもうかがえるような官僚的な事務官。Proculaは彼から追い出されて不機嫌。
ひとつのワゴンにふたつのloci(上演スペース)を作って(ピラトの宮廷の玉座と自宅の妻のベッド)、カーテンで囲んである。中世劇におけるカーテンの使用について考えさせられた。舞台全体を隠したり出したりするプロセニアム・アーチの劇場のカーテンと違い、こういうベッドや玉座の天蓋から垂らすような日常で見られるカーテンを演劇的に用いることがなされた可能性は高いと思う。
悪魔は黒いコスチュームで、顔は緑に塗り、なかなか恐ろしい風采。
ユダヤの聖職者アンナス(Annas)やカヤパ(Caiaphas)は女性。中世のクリスチャン聖職者風でなく、ユダヤの司祭と分かるようなコスチューム。キリストは青い服。
ワゴンの上以外のスペースも広く使っていて、地位の違い、訪問者と裁判官の差、などもある程度表現。ピラトはワゴンの上の玉座、ユダヤの祭司は地面の上に立ち、beadleはその間を行ったり来たり。キリストと兵士も地面の上。
(2) The Shermens Pageant of Christ, Cruelly Beaten and Led Up to Calvary
by The Company of Merchant Taylors
17:54-18:12
「ゴルゴダ(カルバリ)の丘を引き立てられて登るキリスト」
ゴルゴダの丘を引き立てられるキリスト。聖書におけるように鞭打たれ、嘲られる。
ワゴンは道具を運ぶのが主な使い道で、ワゴンを組み込みはするが、かなり大きなセットをその場で組み立てた。
第一の兵士は大変台詞が上手く、悪漢という感じが良く出ていた。
今回の衣装は皆中近東風、様々の頭巾を使っている。
十字架を運ぶのを手伝わされる商人のSimonは豪華な衣装を着て、太ったいかにも豊かな商人風の人物にしてあった。
(3) The Pinners Pageant of The Crucifixion with the Butchers Pageant of The Death of Christ
by The Company of Butchers with the Parish Church of
St Chad on the Knavesmire
c. 18:18-42
「キリストの磔刑と死」
キリストは十字架に釘で打ちつけられ、彼を乗せた十字架を兵士達が縄で持ち上げて経たせる。キリストは人々に呼びかけた後に息を引き取る。
この劇では小さなワゴンだが、しっかりした木材を使った重厚な造りで、大変に重そうである。今までで唯一、殺陣に置いて使う(進行方向を前にしている)。重厚なワゴンが必要なのは、十字架をこの上に立てるための土台になるから。
十字架上のキリストの台詞は、聴衆に直接呼びかけ、なかなか説得力に富んでいて、観客ひとりひとりの内面に呼びかけていた。マリアの嘆きと共に、感動的な、サイクル全体のクライマックスとも言えるシーン。
アリマテヤのヨセフ(Joseph of Arimathaea)達はキリストの体に紐状にして使った長い布を巻き付けて、遺体を十字架から降ろした。
(4) The Scriveners Pageant of The Incredulity of Thomas
by The Guild of Scriveners
18:50-19:05
「キリストの弟子トマスの疑い」
劇が始まる時点でキリストは既に蘇っている。そのキリストの再生を信じられない弟子のトマスに対し、キリストは自らの身体の傷に触れさせる。
The Crucifixionは若いキリストが出てきたが、今回は前の劇のキリストより15歳程度は年上の、40代後半(?)俳優。ややギャップの不自然さを感じる。劇の内容も素朴だが、今回は少人数の素朴なプロダクション。
劇の始まりに置いて、Thomasはワゴンから10メートル以上離れたところから台詞を言いながらワゴンに近寄ってきて、その点が印象的だ。
(5) The Mercers Pageant of The Last Judgement
by The Company of Merchant Adventurers※
with Pocklington School
19:22-52
「最後の審判」
Mystery Playsの大団円。これは未来の出来事だ。最後の審判の日、良き魂と邪悪な魂が天使と悪魔によってキリストの右と左に分けられて、天国へ登る者と永遠に地獄落ちする者に二分される。我々観客のその中に含まれるというメッセージが込められている。
サイクルの最後を飾る劇で、長いし、力を入れた上演。
真っ黒なコスチューム、足の先に高下駄みたいなものをつけ、黒いヘルメットを付けた悪魔に先導されて、大人数の登場人物からなる行列がやってくる。なかなかドラマチックな始まり方。
最初全員でヨークシャーの(?)フォークソングを歌い、ローカル色を出す。
このグループはコスチュームがとても凝っていて、お金もかかっており、効果的だ。特に仮面が良い。ステージも印象的。
生の演奏や効果音が上手く生かされ、素晴らしい。
大きな叫びと共に、邪悪な魂が悪魔によって連れ去られる。これは中世の客にとっては恐ろしい光景だったに違いない。悪魔が観客のなかにも入り込んできて恫喝もし、ステージの光景と観客の将来の運命が連動していることを感じさせるような仕組み。
キリスト役の役者が残念ながら威厳を感じさせず、それが玉にきず。
中央の神の左右にずっと立っている2人のマスクと羽根をつけたエンジェルが実に印象的。
キリストが最後には非常に怖い裁判官ぶり。
終わりのほうでは、魂たちが客席に入り、観客の手を取って一緒に演技の中に入り、ぐるぐると回る。これは死の舞踏の変形か。
また、皆でフォークソング風の歌を合唱。貴方たちも皆同じ運命です、と言いたげな幕切れ。
最後は父なる神の厳かなスピーチ。
この劇は本当に良く出来ていて、大団円に相応しく、深い満足感を得た。
(※ "merchant adventurer" : merchant who establishes foreign trading stations and carries on business ventures abroad; especially : a member of one of the former English companies of merchant adventurers operating from the 14th to the 16th centuries)
全体を振り返って:
様々なグループがそれぞれの制作・演出意図の下に作っているので、統一感に乏しい。非常に優れたプロダクションとかなり甘いものとの落差も大きい。コミュニティーのより多くの人、例えば小さな子供達などの参加を優先させたような作品と、最終的に観客に訴える力を優先させたもの、コスチュームや音楽、セットのつくりなどの差がかなりあった。しかし、こういう劇は元来中世においても、各ギルドに任されていたので、そうあるべきかも知れない。ただ、日本のお祭りの山車や子供歌舞伎のように、職能ギルドが自分達の宣伝の機会として利用したのでもあっただろうから、昔はもっと明白に山車やコスチュームの豪華さを競ったのではなかろうか。
日本の山車の上での歌舞伎の場合、そもそも山車の豪華さ、その特定の姿形、そしてそれから来る制約が大変大きい。しかし、あの山車が全体の統一感を生むし、そもそも多くの山車のモデルは神社であろうから、あれが主役で、その上に載せるものはオーナメントである。建物やセットの一部としての出し物があると言って良いだろう。また、皆歌舞伎であることもやはり統一感を生む原因。音楽などもそれにより制約される。それに対し、この現代のヨーク劇は、パジェント・ワゴンはあくまでもバックグラウンド。単にセットを運ぶだけの役割しかしていない場合まである。
とは言え、大変楽しい午後だった。特に「キリストの磔刑と死」や「最後の審判」などには圧倒され、感動した。日頃テキストでしか接することの出来ないThe York Mystery Playsをこの目で見ることが出来たのは、幸せだった。上演した各団体の方々に感謝したい。
以上でThe York Mystery Playsの3回のレポートは終わりです。全てお読み下さった方、ありがとうございました。なお、写真や文章を使われる場合は、用途など、予めご連絡下さい。
「日本ブログ村」のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。
にほんブログ村
Yoshiさん、
返信削除なんとかすべてまとめて読み終わることができました。読み終わるのがたいへんなくらいだったのですから、すべての劇をご覧になって、記事を3回にわたってお書きになるのは、きっともっとたいへん時間のかかることでしたでしょう。学生時代に英文学史などで、話に聞いていたミステリープレイが現代によみがえらせられたということは、感動的なニュースのように思いました。おなじく、Interlude とか、Miracle Play とか、中世演劇の世界も入り込んでいくと、どんなにか奥が深くてのめりこまされるような世界につながっていることかと、思わずにはいられません。
貴重な記録を残されて、きっと英文学科の学生や、英文学史や演劇史を学ぶ人にとって資料的な価値はおおきいものと確信できます。
でもって、話変わりますが、そのうちに機会をみつけて、近くの図書館あたりから Ann Tyler の本を借りてきたいなあ、なんて思って題名をメモってみました。にほんブログ村、いざクリック!(^ー^)
ミチさん、ご親切なコメントをいただき、ありがとうございます。ご専門でもないのに長い感想文を読んでくださり恐縮です。ブログの常連の方を除いては、多分ほとんど誰も読まないとは思いますが(^_^)。
返信削除そうでした、ミチさんは英文学はかなりお詳しいのでしたね。日本語教育に携わられる前は、確か英語英文学がご専門だったとブログの何処かで読んだ気がします。InterludeやMiracle playと呼ばれるものも含め、ここらあたりが私の研究分野です。今はmiracle playという言葉は使いませんが。
そろそろ時差ボケは取れてきましたか。今週もお忙しいでしょうね。どうかお身体に気をつけて。Yoshi