2010/12/24
イギリスの学生デモ/日本の大学の授業料の安さ
イギリスの学生デモ/日本の大学の授業料の安さ
(以下はしばらく前に書いたまま放っておいた記事で、学生デモについては古いニュースとなりつつあります。でも、それをきっかけに高等教育の費用の問題について、一市民として、また学生として、少し考えてみました。誤解等あれば、ご指摘いただければ幸いです。)
12月11日のロンドンの学生デモは大変な騒ぎになりました。そうなっても当然のような気がします。大量の若い学生、それも一部は入学前の高校生や、それ以外の若者も含んでいるわけですから、アドレナリン旺盛な一部が暴走するのは当然でしょう。また、元々この機会に便乗して、騒動を起こそうという、謂わば武闘派のグループや一種のギャングも幾らかいたようです。荒れた教室や、週末の夜、酒を飲み街角でたむろして騒ぐ若者と同じです。しかし、そういう人も含め、不況になって以来のイギリス社会で若者が感じている閉塞感、将来への不安、を、授業料値上げの問題が刺激したのだと感じます。若者の政治意識の高まりは投票という、政治家に都合良い手段ではなく、直接行動になりがちですね。極端に単純化すると、無関心か直接行動か、というのが若者の政治行動パターンですね。警察に届けたとおりに静かに街角を練り歩き、署名などを提出し、でも結局、警察に引率されて、遠足に来た幼稚園児みたいに解散し、大人しくお家に帰る、そして、法案は無事国会を通過する、というシナリオ通りだと政権側は都合良いでしょうけれど。
今度の大学の授業料値上げは、大学経営者や保守党の政治家から見るとやむを得ぬものでしょうが、消費者である学生やその保護者から見ると、どう見ても極端です。国が大学に交付する予算のうち、直接教育にかけられる予算(teaching grant)は80パーセント削減だそうです。20パーセント残っている分は、理系の実験実習などに使われるのでしょうか。費用のかからない人文社会の学生には援助が完全になくなると報じられています。つまり、国立でありながら独立採算に近づき、経済的には事実上私立大学と同じような状況になる、と非難されています。自分が教えて貰う費用については、完全に自分で払う、ということですね。多分、直接の教育支出以外、つまり、校地の取得、校舎の建設や維持、図書館等の施設の費用、大学全体の事務局の費用などについては、国の財政支出が零になるというわけではないのでしょうが・・・(どこで予算の線引きをするのか、私は知りません)。国庫からかなりの補助金を交付される日本の私立大学(大学によるが、概して、支出の10パーセント強)と比べ、どちらが学生にとっては得な計算になるのでしょう?少なくとも、日本の国公立大学と比べると、自国民の学生にとっては、日本のほうが大変お得です。イギリスの学生の教育には、理系も含め、平均して年7000ポンドかかると言われています。ということは、人文社会の学生はそれより大分安く済んでいるでしょう。授業料が6000ポンドから9000ポンドになると、人文社会の学生は実費以上に支払い、理系の学生の分を援助する計算になる可能性も出て来ますね。
ちなみに、日本において高等教育を受けている学生一人当たりにかけられている金額は、先進国の最低レベル、いや世界でまともな大学を要している国の中でも最低レベルとは、統計的に言われています。日本の大学は極端な安売りスーパー状態であり、安かろう悪かろう、という研究・教育内容ではないでしょうか。かけられている税金は少なすぎるし、私学の授業料もかなり安いと思われます。米国の私立大学の授業料は、農村部の小さなリベラル・アーツ・カレッジなどで250万円前後、東部の名門校などで、300万以上かかります。その位の費用をかけないとちゃんとした教育は出来ないと言う事なんだと思います。アメリカの私学の場合は寄付金収入や事業収入の比率が高いにも関わらずこのくらいの授業料は取るわけです。イギリスの大学の急激な授業料値上げ案も、国際的な高等教育の水準に遅れをとりたくないということの現れでもあります。特に英語圏では、若い才能の獲得や研究水準の維持などで、アメリカやオーストラリア、西欧諸国の一流大学との競争に直接さらされます。授業料に大幅に依存する日本の私立大学で、年間授業料が文系で100万円程度で済んでいるのは、国際的には異常なレベルです。日本の大学は、そもそも国際レベルの高等教育の競争の蚊帳の外にあり、脱落しているのを承知で安売りを行っているように見えます。多くの大学では、ちょっときつい言い方をすれば、大学レジャーランドと長年言われているような環境を作り、大量の学生を受け入れ、若者をあまり勉強させずに卒業させ、その代わり、安い授業料しか取らない、という状況でしょう。しかし、産業界同様、東アジアにあり、日本語という言語環境に守られて、一種の研究・教育鎖国状態に置かれていて、国も学生も研究者も低水準の教育・研究でも仕方なし、としているのです。産業界の「ガラパゴス化」と似た状況にあると言えるでしょう。
それでも私は、色々な弊害はあっても日本の大学の授業料が比較的安いのは良いことだとは思います。また、日本国内の経済事情や教育への国の投資等、色々な要素が重なって出来ている授業料の金額であり、やむを得ない面もあります。結果的に、日本の高等教育界の行っている選択は、レベルは低いが、多くの庶民にも手が届く高等教育、ということですね。但、そうした日本の高等教育の特殊性を多くの国民、いや大学関係者さえ十分に自覚していないように見えるのが気になります。結局、若者も他国の大学という選択肢をしっかり考慮しないまま、手近で比較的安価な日本の大学を選んでいるのです。英語圏諸国や、EU諸国の様に、授業料や言語において、互いの高等教育の垣根が低く、競争にさらされている国々と比べ、大学も島国で孤立しています。
(追記)西欧の大陸諸国の大学については、私は全く無知であるので、比較できません。ただ、未だに授業料が無料の国が多いのは知っています。しかし、これは、大陸諸国の税率が日米は勿論、イギリスに比べてもかなり高く、教育・医療・福祉等を通じ、高負担による高レベルのサービスが実現可能なのでしょう。しかしそれにしても、国民の半数以上が大学に行くような時代には、これらの国においてもかなり無理が生じているのではないでしょうか。講義室や図書館に入りきれない学生、少人数授業が少なく、学期末の試験やレポートで成績の全てが決まる日本式の授業形態などの弊害は、やはり起きているように聞いています。一方、これを補うためにフランスでは、エコール・ノルマルなどの少数エリート養成機関や研究だけを行う主として理系の研究所により、大学の不備を補っているのかも知れませんね。
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