2012/02/21

絵画と中世演劇(金沢百枝先生のサイトを見て)

金沢百枝先生が新潮社のサイトで連載されている「キリスト教美術をたのしむ」が更新された。今回はアダムとイブの堕罪についてである。中世文学、特に演劇を学ぶ私にとっても大変示唆に富む、色々と勉強になり、考えさせるページだ。じっくり時間をかけて読みたい。

金沢先生は吹き出しを付ける気持ちで絵を見て下さいと書かれているが、それこそ劇の台詞である。そもそも中世劇と美術はどちらが先か分からない作品があるくらい関係が深い。フーケのミニチュア画のように聖者劇の場面を写したと言われるものもあり、キリストの受難場面は受難劇の影響が大きいそうだ。現代で中世劇を上演する際も、中世の絵画を参照して、衣装やセットを考える場合が多い。東京の天王寺アイルでやった『ダニエル劇』もその一例だった。Clifford Davidsonなど一流の学者が、中世劇と絵画・彫刻の関係を研究し続けている。日本でも石井美樹子先生も詳しい。

今回金沢先生が更新された堕罪のシーンだけでも、私には色々興味深い点・疑問が浮かぶ。中世劇では、裸体はどう表したのか(白っぽい服で体中をおおった?)、蛇はどう表すか、蛇としてか、悪魔の顔を持った蛇か。蛇を悪魔と重ねて見るという聖書にない部分はいつ出来たのだろう?

中世の画家や劇作家達は、イブが食べる知恵の果実を思い描く時に、梨、それともリンゴをイメージしているのだろうか。ふと思い出したが、中世劇や古いキャロルでは、身重のマリアが木に実っているチェリーを欲しがり、ヨセフが取ってやるという場面があったと思う。これはもしかして、アダムとイブを下敷きにしているだろうか?マリアは第2のイブであるから。

創世記ではイブの堕罪も、それに従って食べたアダムの罪もさらっと触れられているが、いつの間にかイブがひどい悪者にされてしまい、中世アンティ・フェミニズム文学のアイコンになった。金沢先生のページの12世紀の詩篇の挿絵あたりから、イブに責任を押しつける伝統が強く感じられる。この絵は12世紀イングランド、セント・オールバンズで出来たようだが、、中世劇の創世記の場面でも最も素晴らしいアングロ・ノルマンの『アダム劇』がおそらく同じくイングランドで書かれた時代と一致するのは偶然だろうか。

いつもですが、コメント、間違いの指摘、お考えなどあれば、歓迎します。

(今回と前回はTwitterで書いた事をまとめて、ここに掲載させていただきました。Twitterは、時々、思い出したようにどっと書くんです。今回は最初からブログ用に書けば良かったと後で思いました。Twitterで書くと、脈絡のない、途切れ途切れの文章になりがちですね。でも、今後勉強したいことなど思いついたので、そのまま消えるに任せるよりも、私の覚え書きとして残すことにしました。と言うわけで、変な文章ですいません。)

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