2012/02/13

中世劇の上演スペースにおける観客と役者

昨日のブログ・エントリーを書いた後、中世劇の観客について色々と考えていてふと思い出したのだが、Graham RunnallsがChâteaudun Passion Playに関する論文(このブログの前項参照)で、次の様に書いている:

Although, in theory, it is possible to distinguish between the theatre proper and the stage, in the case of Châteaudun, as with many other medieval theatres, the two were very closely linked. This is because the playing area often included not only a 'stage' but also other parts of the theatre, for example the loges, which were occupied by actors as well as spectators. This is explained partly by the fact that, in Châteaudun as in many other cases, spectators were also actors; for example, see Fouquest's famous miniature. (p. 30)

Runnallsは観客席の位置などについては、残念ながら詳しくは説明してくれてないが、ここで私が特に「そうか!」と思わせられた文は、'spectators were also actors'というところ。彼が言いたいのは、中世劇の「観客」の中には出番を待ちながら劇を見ている人達が含まれるという点。つまり、観客には、純粋に外から見に来ただけの観客と、演技や裏方の一部を担いつつも、自分もかなり劇を見て楽しんでいる人々とが居たと思われる。例えばイングランドの聖史劇のような長大で、細かいペイジェント(小さな劇)に別れた劇の場合、自分の関わっていないペイジェントを見ている演技者もかなり居るだろう。小学校の運動会を思い出すと、参加している生徒や保護者と、今参加していない人の境目はあまりはっきりしていない。ひとつのペイジェントの上演中も、出番を待つ間に待機位置(sedes, mansion, lieu, scaffold, etc)などの決められた場所に居て、衣装をつけ、錫杖とか武器などの小道具を持って座ったり立ったりしているので劇の背景をなしているが、しかし、何もしていないのでacting spaceの仲間の台詞を楽しみ、アクションを「観劇」している役者もいるのだ。運動会で体操服を着た生徒やジャッジを着た保護者が、今行われている演技を見ているようなもの。整理すると、

1. 見るだけの純粋の観客
2. そのペイジェントで今は自分のシーンでなくて待機している役者
3. 他のペイジェントで出演予定で、自分のペイジェントの時間が来るのを待っている役者
4. 今演技をしている役者

中世演劇では、このような人々が上演スペースに入り乱れて存在していたのだろう。そうすると、観客と俳優がはっきり分けられて座っているとは言えなかったのではないか。

もう一つ上記の引用で記憶に留めておきたいのは、loges、つまりボックスとか桟敷が、観客に割り当てられているものに加え、役者の待機場所として使われる場合もあるらしい、ということである。確かに、ジャン・フーケの『聖アポロニアの殉教』の絵画においては、一段高くなっている仕切られたボックス席に、コスチュームをつけた役者らしき人々もいれば、ラッパを吹いている楽士もいれば、普通の観客らしき人々も見えるのだ。このlogesの自由な使い方も、中世劇の上演スペースにおける観客と俳優の混在を指向している。

以下は、多くの研究者が、大体において中世演劇のシーンに基づいている、と考えるジャン・フーケの『聖アポロニアの殉教』(但、有力な反対論もあり)。

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