2012/02/12

中世演劇における円形ステージと観客の位置(caminさんのブログを読んで)

caminさんの中世フランス演劇史ブログの新しいエントリーが出たが、これが非常に面白い。

13世紀フランスの劇の上演形態について色々と興味を引くことが書いてあり、大変勉強になった。私にとっても改めてじっくり勉強しなくちゃいけないテーマが増えた。それで、私もcaminさんのブログにコメントを書き込ませていただいたのが、結構長く書いたので、それをここにも載せておきたい。

(以下はcaminさんのブログへのコメント、但、一部編集)

取りあえず今考えていることとして、13世紀とか、フランス語劇とか絞ると分かりませんが、中世西欧の演劇としては、並列に「マンション」を並べた舞台も、円形舞台もあったことは確かでしょう。

私はフランスの劇についてはほとんど知識がないのですが、有名なValenciennes Passion Playの図のような、横にずらっとmansionを並べた絵画が想像だけとは思えません。Chateaudun Passionのように、テキストはなくてもステージ建造の記録がかなり残っているケースもあるようですね。一方でイングランドでは、英語のThe Castle of Perseverance(『忍耐の城』)のような円形ステージの見取り図が中世から残されています(この項下部の図)。

後者の劇については、かってRichard Southern (The Medieval Theatre in the Round)とGlynne Wickhamの間で、観客の存在について議論が戦わされたことがあったと思います。Southernは確か円形の上演スペースの中に観客が混在する、と考え、Wickhamは円形のacting areaの外側に居たと想定しました(The Medieval Theatre, 3rd ed. p. 117)。Wickhamは現代における実際の上演も参考にして、acting areaを囲む土手のところに観客がいた(あるいは観客席がしつらえられた)と想定しています。その後の研究者(例えばWilliam Tydeman)にもWickhamと同様の意見を持つ人があるようです。しかし、最近の権威者、Pamela KingはSouthernのように、中央部の城のまわりは別にしても、観客がそれ以外のacting areaには居たという見方のようです(The Cambridge Companion to Medieval English Theatre, 2nd ed [2008], pp. 241-2)。

フーケの絵画にしろ、The Castle of Perseveranceの円形ステージにしろ、現在残る資料では、観客の位置については、なかなか決定的な結論は出ないのかも知れません。ちなみに、エリザベス朝やスチュアート朝の商業劇場(グローブ座の様な)でも、ステージの上に客の一部を上がらせていました。客とacting spaceを分けるというのはそもそもイギリス演劇の伝統にはなくて、プロセニアム・ステージが出来て徐々に定着したのではないかと思います。

円形ステージを中世の教会の延長にみるとすると、典礼劇と円形ステージの関係から、観客が内側に居たというのもうなずけます。しかし、円形舞台をトーナメント(Pas d'arms)の伝統の延長に捉えることも出来ます。The Castle of Perseveranceは、善と悪がまるで模擬戦のように戦っており、トーナメントの影響が強いと見える劇です。その伝統では、勿論観客はacting areaの外にいるのが自然で、これがWickhamの考えにも影響しているようです(上掲書、p. 116)。

私は、西欧の中世劇の一般論として、ステージ形式には並列も円形もあったし、観客はどちらの形でも特定の席とかエリアに縛り付けられず、それぞれのシーンで見やすい位置に移動したと思います。勿論、mansionの中など、観客がおのずと入れないところはあったでしょうけれど。

以下はThe Castle of Perseveranceの写本についている円形ステージの図:

0 件のコメント:

コメントを投稿