2014/04/30

ラファエル前派展(森美術館 2014.3.11)

3月11日、ラファエル前派展に行ってきたので、個人的感想などメモしておきたい。

ラファエル前派の絵は、イギリスのTate Britainで繰り返し見ている。ロンドンの美術館や博物館でも、ナショナル・ギャラリー以上に繰り返し行ったところだ。行く度にラファエル前派の部屋は大抵少しは眺めているので、今回見た絵も、有名なものはほとんどテイトで見ている。今回見て感じたのは、ラファエル前派の画家達は、女性が好き、ということ(笑)。とにかく、女性の肖像の割合が非常に高い気がする。ロセッティの絵で、良く知られた作品が多く来ていたようだが、彼の描く女性はたくましい。ジェーン・モリスやファニー・コンフォースをモデルにした絵では、描かれた女性は、がっちりした体格や肩、太い首、大きな顎などが印象的。更にふさふさと波打つ髪、大きな鼻に肉厚の唇・・・。顔の造りはともかく、体の外観は、労働者階級の印象で、人工的で貴族的なネオクラシシズム絵画の女性とは大きく異なるので、当時の人には大変新鮮だったのではないか。あくまで男性からの視点だとしても、女性美の感覚が大きく変貌した時代だったのだろうと思う。

私は若い頃はラファエル前派には全く関心がなく、名前を知っているだけに過ぎなかったが、近年かなり好きになった。特に留学中にTate Britainに何度も行って、ラファエル前派の絵の多くに見飽きぬ魅力を感じた。物語性があるので、絵の色彩とか構図にそれほど興味がない私のような者でも、眺めていて楽しいし、想像を膨らませられる。特に、しばしば文学的な題材、それも中世が取り上げられるのも、私には楽しい。昔は、こういう近現代の疑似中世趣味を何だがうさんくさく感じていたし、近現代画家の描く中世は、本当の中世とは似て非なるものだ。しかし、最近は、学問の世界でも近現代における中世趣味(medievalism)への関心も高まり、研究も進み、私もそういう傾向に影響されたし、中世趣味がそれぞれの時代の社会状況を反映している点も興味を感じる。16世紀の知識人は、ギリシャ・ローマの古典古代への関心を通じて、中世的な考えを超克しようとした。それとは逆に、19世紀には、それまで看過されてきた中世の見直しを通じて、ネオクラシカルな保守的芸術や学問とは違った視点を提供したわけだ。ラファエル前派が始まる頃は、チャーチスト運動が展開して、労働者の権利が主張し始められた時代だ。全体的にはラファエル前派に政治的傾向を見いだすのは難しいだろうが、ウィリアム・モリスのように、この周辺の人々は社会主義的傾向もある。その後、19世紀から20世紀初頭にかけて中世文学のテキスト編纂に携わった人々には社会主義に近い人々が散見される。中世という時代が、産業革命以降、非人間的な面が目立ち始めた近代文明に対するアンチテーゼとして捉えられた面はある。ロセッティの描く女性の逞しい庶民的な美にもそういう時代の波を読み取ることも出来る気がした。

主観的には、同時代のフランスの絵と比べて、ラファエル前派の絵って、あか抜けないというか、優美さに欠けるというか、田舎くさいと言うか・・・。やはり、ヨーロッパの島国、イングランドらしいという気がする。色彩も、くすんでいたり、けばけばしかったりして、どうしてもっときれいに、例えば、ルノアールとかモネみたいに描けないんだろう、と思ったりもする。しかし、イングランドのお屋敷などの、オークの家具とか、チューダー朝風の調度の間にこれらの絵が掛けられることを考えると、印象派の絵のような華やかな明るい色彩の絵画は浮いてしまうんだろう。イングランドの長く暗い冬に眺めるにも、このほうが良い。私としては、印象派の絵より、このあか抜けないラファエル前派の田舎くささが気に入っている。

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