2010/07/18

Attica Locke, "Black Water Rising" (Serpent's Tail, 2009)

アメリカ南部の濃密な雰囲気が伝わる娯楽小説の秀作
Attica Locke, "Black Water Rising" (Serpent's Tail, 2009) pbk. 434 pages

☆☆☆ / 5

本屋で何か気楽に読める本を探していて、たまたま手に取ったクライム・ノベル。女性作家に与えられるThe Orange Prize for Fictionの候補作ということだそうであり、一定の評価をされているのだと思う。長く記憶に残る本とは言えないが、かなり手に汗を握るところもあり、また社会的背景が綿密にかき込まれている点が特に楽しめた。(ちなみに、Orange Prizeは英語で出版する女性作家だけを対象にしたかなり権威のある賞で、Man Booker Prizeと違い、国籍を問わずアメリカ合衆国の作家も含む。今年は、結局Barbara Kingsolverの"The Lacuna"が受賞)。

物語は1981年のある日、テキサス州のヒューストンで始まる。かっての人種差別反対運動の闘士で、今は慎ましい、個人営業の黒人の弁護士Jay Potterは、妻のBernieの誕生日のお祝いとして、夜、彼女と町の沼沢地(バイユー、baiyou)を遊覧ボートで観光していた。ところが、女性の悲鳴と銃声が鳴り響き、そしてやがて白人の女性が水の中に助けを求めて現れる。Jayは彼女を助け、近くの警察署の前まで車で連れて行って、降ろす(後にこの女性はElise Linseyという名前であることが分かる)。しかし、彼は警察には同行しない。というのは、かって黒人の活動家として不当に差別され、長期間投獄された経験もあるJayは、警察や国家権力に対しては、抜きがたい猜疑心と恐怖感がトラウマとして残っているのだ。

ところが、やがてこのLinseyに撃ち殺されたと見られる男性の死体が見つかって警察が捜査を始める。更に、JayとBernieの夫婦を載せてくれたボートの船頭も殺され、Jay自身も始終監視され、脅迫を受け、妊娠している妻Bernieの安全も脅かされるようになる。背後で、何か大きな力が事件のもみ消しを画策しているが徐々に明らかになっていく。

この小説の特色は、ひとつの殺人事件を、70年代から80年代初頭のアメリカ南部の社会的文脈と密接に絡み合わせて描くことだ。アメリカ南部版の松本清張みたいな作品であり、一種の政治小説としても楽しめる。ブラック・パンサーや学生運動と関わったJayの敗北感とトラウマ。その当時の政治運動の仲間で、昔の恋人であるCynthiaが今はヒューストンの市長になっていて、昔ふたりで共有した理想をかなぐり捨て、保身の為にJayの足を引っ張る。ブッシュ一家を生んだ非常に保守的な土地柄のテキサスと巨大なオイル・マネー、コール石油の経営者Thomas Coleの魔の手。銃の溢れる土地柄で、Jay自身、不法な銃を常時携帯していたが、それが彼の命取りになりかねない。更に、Jayの妻の父を通じて、彼はヒューストンの地域経済を揺るがす労働争議に巻き込まれるが、これがCynthiaやThomas Cole、そして殺人事件とも関連してくる。

沢山の要素を描きつつ、Lockeはヒューストンという、金と権力、そしてその背後によどむオイルにまみれた町の姿を描く。ヒューストンの町そのものが命を帯びて、主人公になったとも言えるような小説である。

Jayが単なる正義感ある探偵や警官などでなく、法に照らして後ろ暗いとこもあり、屈折した人物であるところが良い。彼は、Elise Linseyを助けた時にすぐ自分も警察に出頭して事情を話すことも出来たのだが、昔のトラウマで権力が信用できず、更に不法な武器の携帯によって、かえって自分を窮地に追い込んでいく。学生運動時代の社会的良心も残ってはいるが、しかし貧しい人々のために良心的な仕事ばかりしていたのでは弁護士として食べていけず、妻と生まれてくる子を養えないのも身にしみて感じている。妻への愛は揺るがないとしても、Cynthiaへの追慕が完全に消えたとも言えず、少なくとも昔の活動家の同志として彼女に期待したいという気持ちがぬぐえずに、苦い思いを重ねる。

娯楽小説としては、最後がちょっと肩すかしを食わせられる印象かも知れない。あまりドラマチックな終わり方をせずに、シリーズ化を意図して、今後の展開のための含みを持たせた結末とも言えるだろう。Attica Lockeは、これまで作家としては映画のシナリオを書いていたらしいが、本作は第一作目の小説とは思えない手慣れた筆致。どこを突けば読者が反応するかを良く心得ている感じがする。魅力的な主人公と濃密な雰囲気の醸成は、ハリウッド映画にするのを意図して書かれたとも思える娯楽性豊かな作品だ。イギリス小説だったら、☆を4つにしたところだろうが、私はアメリカにあまり興味がないので、やや辛い星の数になった。アメリカ、特に南部に興味のある方にはお勧めです。

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